草むらに立っている。風。
肩まで伸びたやけに葉の多い草が一斉に揺れている。
厚手の長袖シャツによれよれのジーンズ、ゴム長靴と被り癖のついたベージュのハンチング。
全天候型の服装だと思っている。
薄いシャツやズボンだと肌にまとわりついてむしろ暑く感じるし、草の棘が突き抜けて傷だらけになったり蚊にやられたりする。
半袖シャツは藪漕ぎには向かない。
ゴム長靴は堰に入ることもままあるので必需品。
帽子は日射しと雨を防ぐ。
首にはタオルの手拭いと一眼レフカメラ、肩には中型のカメラバッグを斜めがけしている。
標準ズームレンズと望遠マクロレンズを1本ずつ、それに予備のバッテリーを2本突っ込んだバッグはかなり重く肩掛け用ベルトが右肩に食い込んでいる。
痛いとは思うがなぜか耐えなければいけないと思う。
老いたな、とも思っている。
さっきから立ったまま目の前の花を見ている。
カメラは首にぶら下がったまま。
こめかみから吹き出た汗は流れるに任せていた。
一輪のキツリフネ。
咲きはじめなので多くは咲いていない。
珍しい花ではなく、その辺の荒れ地にいくらでもはびこっている。
真夏の午前9時。
もう日射しが強い。
天気予報は雨で、それも大雨注意報だった。
一雨来れば少しは涼しくなるだろうと心待ちにしているのだが一向に降りそうにない。
キツリフネ。
この花を最初見たとき「花じゃない」と思った。
頭のない魚のような形。
全体がハッとするような黄色で親指ほどの大きさ。
胴には茶色の点々があり肋の中は空洞で内側にも点々が見える。
垂れ下がって先のとがった尻尾が一本。
前ビレは異常に大きい。
それが、葉の下にぷらんと吊り下がっている。
そして、ぶら下がり方がどうにも泳いでいるようにしか見えない。
胸の張った魚だと思った。
今も「さかなだ」と思って見ている。
こいつは泳ぎたいのだ、と。
真夏の空をどこかへ泳いで行きたいのだ、と。
私を突き抜けてどこか向こうへ。
こいつを「さかな」のように撮ってやろうと思った。
泳いでいるように。
50mmマクロレンズF2解放。
露出はどうしようか。
顎から汗がしたたり落ちた。
しゃがむ。
カメラを構えた。
シャッターボタン半押し。
下から、
やつを捉える。
空が落ちてきた。
無職の初老の男にどす黒いほど青い空が落ちてきた。
やつが泳ぐ。
無職の空にやつが泳ぎ出る。
音もなく。
悠々と。
シャッターボタンを押し切る。
カシャ。
カシャ、カシャ。
私の脳の中をやつが泳いで行く。
予報は雨で、それも大雨注意報だった。