定年になった日の帰宅直後、広くごちゃごちゃした車庫の一角にリンゴ箱を10数個積んで棚を作り、テーブルと椅子を置いて私だけの安息場所とした。木製のリンゴ箱はこんな使い方をされるとは想定されているはずもない。製材されただけの板にぽんぽん釘が打たれ、無造作に作られている。
味も素っ気もないそんなところが妙にいい。
変にごたごたしたものよりはるかに色っぽい。
オフホワイトの作業用テーブルはリサイクルショップで信じられないほど安く手に入れた。
華奢なようでいながらしっかりした作り。
その上に、外が茶色、中が白のコーヒーカップがひとつ。茶色が艶っぽい。
陶器なのだが、外側にウルシを使っているのだろう。
お気に入りの大浦裕記作だが、この作家についてはほとんど知らない。
茶でも酒でも飲めるようにと娘が誕生日に贈ってれた茶碗と同じ作家のもの。
東京・西荻窪の「魯山」主人大嶌さんが認め店に並べていたのをネット画像で確認。
娘にメールを打って買いに行ってもらった。
先すぼまりと先広がりの両方を買わせたら大嶌さんが笑っていたという。
その先すぼまりのカップに熱いモカ・マタリ・アルマッカをたっぷり淹れている。
コーヒー豆はIさんという「津軽弁の日やるべし会」で一緒の方の店から買った自家焙煎。
今の私には最高の豆で、少し酸味があってうだった夏にスイと風を入れてくれる。
コーヒー・ルンバという昔流行った曲があるが、あれに出てくるモカ・マタリである。
味はもちろんいいのだが、コーヒー・ルンバに出てくる偉いお坊さんと若者の話を思うとにやりとしてしまう。
ボーズの小型システムでジャズを流す。
ジャズは大音量で聴くべきだがあまり大きくない音で。
こいつは、昔からの友人がネットオークションで競り落としたジャンク品。ということは動かなかったシロモノ。
それを基盤をいじったりなんだかんだして彼が生き返らせた。
定年退職の祝いだとタダでもらった。
小さいからだに似合わずすこぶる音がいい。
若い頃よく聴いたオイゲン・キケロの「ロココ・ジャズ」。
クールなピアノ・タッチが空前の暑さへ清涼飲料水のように流れ出る。
夏の終わりの平日、もうすぐ昼である。
こんなとき、こんなところで、こんな曲を聴きモカ・マタリを飲めるなんてある意味ゼイタクというものかもしれない。
無職もあながち捨てたものではない。
こめかみからふつふつ吹き出る汗が頬を伝っているが構いはしない。
暦の上ではすでに秋だが、61年を生きてきてこんな暑さはなかった。
コーヒーを啜り、開け放したシャッターの外をぼおと眺める。
浜日傘もうときめかぬ人といる 閑女
先日おかじょうき川柳社アウガ教室の宿題として提出された句。
教室では「浜日傘はビーチパラソルのこと。句の後半がいいですね」としか言わなかった。
句の意とするところは、
浜にビーチパラソルが立ち並び若者達がキャーキャー言っている。私達にもあんな時代があった。二人とも心ときめいていた。
という辺りだろう。
この句のどこがいいかと聞かれたら
「浜日傘」の色鮮やかさと「もうときめかぬ」の対比、特に「ときめかぬ」がいい
と答えるだろう。
心ときめいて人生はこれからという頃、何もかも煌めいて見えたに違いない。
作者はもうそれほど若くはない。
私にもそんな若い頃があっただろうか。
教室ではなぜかそんなことを一言も言わなかった。
少しぬるくなったアルマッカをひと啜りする。
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