そんなタマじゃない の巻

d7102c5b.jpg フロントガラスを無数の雨粒が占領している。
 ハンドル右横のスイッチをワン・クリック奥へ回す。
 ワイパーが右へ、少しして左へ。
 雨が押しつぶされ寄せられてゆく。
 村道へ出る。
 村道は広くない。
 舗装も古く、パッチワークが施されたようにでこぼこ。
 急に誰かが飛び出して来るかもしれないのでゆっくり車を走らせる。
 若い頃はどこだろうがここだろうが猛スピードで突っ走って、それでいいと思っていた。
 今考えると、見えない何かに急き立てられているかのようでもあった。
 急発進、急ブレーキは毎度のこと、よく事故を起こさなかったものだ。
 それが、いつからかこうなった。
 雨のでこぼこ道も猛スピードで、全方向へ激しくシブキを上げていた。
 今では水溜まりを避けるようにしている。
 たぶん、老化現象だ。
 私は62歳。
 肉体的にはすでに老人である。
 だが、精神的には子供の頃とあまり変わっていない。
 その辺は他人に見えにくいので「順番だから」とか「適当な奴が周りにいない」などというおかしな理由でかなり重要な事を任されてしまったりする。
 そうすると私はあわてふためき
「おれはガキなんだよ…、そんなタマじゃない…」
と心の中でぼやいたり、呆然としていたりする。
 胃潰瘍の原因はそんなところだろう。
「集団検診の結果、胃潰瘍の疑いがありますので精密検査を受けて下さい」
と先日村の保健師が言いに来た。
 受診したとき胃の具合が悪かったので大方そんなことだろうとは思っていた。
 高校生の時十二指腸潰瘍で入院し、数年前に肺と大腸ガンを手術したことのある老人に軽い胃潰瘍はそれほどインパクトを与えるものではない。
 あれ位の胃の状態は数え切れないほど何度も経験している。
 のんびり暮らしていれば自然に治っていたりするものだ。

 JR津軽線の踏切を渡ればまもなく信号。
 ウィンカーを左へ出す。
 と…、青だった信号が黄色に変わった。
 若い頃は確実に交差点へ突っ込んでいたタイミング。
しかし、ここは停止。
 かっこつけているわけではない。
 信号が変わるまで待つのもそれほど苦にはならなくなった。
 信号はやがて赤になり、青に。
 いつまでも赤の信号はない。
 静かに発進。
 左折。
 国道280号線バイパスだ。
 曲がってすぐ、今度は右へウィンカーを出す。
 村で唯一のコンビニ。
 駐車場は混んでいたが入り口前に1台分の駐車スペースが運良く見つかる。
 車をバックで滑り込ませる。
 ハンドル脇に二つ並んだボタンの右側を押す。
 ピピー・ピーピーという小さな警告音と共に運転席後ろのスライドドアがのろまなロバに引かれているかのように開いてゆく。
 助手席に置いてある財布の入った赤い小さなカバンを手に取る。
 傘を差すほどの雨ではない。
 運転席のドアを開けて降りる。
 私の車は7人乗りのワゴン車で座席が三列。 
 二列目のイスの上に置いたジュラルミン製アタッシュケースを開け黄色の書類挟みを取り出す。
 ドアの取っ手を右手で軽く引く。
 気をつけないと黒にしか見えないダークグリーンの車体に雨粒がびっしりへばりつきプチプチ盛り上がっている。
 まだワックスが効いているらしい。
 小さなロバが隠れているに違いないスライドドアがのろのろ前方へ動き、カチッと音を立てて閉まる。
 運転席のドアを押さえつけるようにパタッと閉め、キーの一番上のボタンを押す。
 ゴトッとロックされる。
 今日の靴は、ファイヤーマンブーツ。
 アメリカの消防士達が消火作業にも穿いているという。
 フロントが編み上げに見えるが、靴ひもは飾りで真ん中にごついジッパーがある。
 消防士は緊急事態が発生すれば一刻を争って現場へ駆けつけるのが仕事で、ブーツの紐を悠長に結んでいる暇なんてどこにもない。
 靴に足を突っ込んだら一気にこのジッパーを引き上げ消防車へ突っ走る。
 そういう設計なのだ。
 私のやつはあちこち傷つきかなりくたびれているが、新品のピカピカより遥かに逞しい。
 10月も今日を含め残り1週間。
 雨のせいか肌寒い。
 帽子はフェルト・ハット。
 色はやや暗めのワインレッド。
 ツバが一昔前より少し狭いタイプ。
 このところのお気に入りだ。
 急がず小雨の中を踏み出す。
 入り口のガラス戸を右へ引く。
 次は自動ドア。
 「おはようございます」
 と、見慣れた店員が二人声を掛けてくる。
 「おはよう」
と応じる。
 いつものことだ。
 二つあるレジに客が数人ずつ並んでいた。
 一年ほど前にはこれほど客がいなかった。
 何しろ人口3千ちょっとの村である。
 並んでいるのは全員男、色や形はそれぞれ違うが全員着慣れた作業服姿。
 恐らく新幹線がらみの人達だ。
 知った顔が一つもない。
 今、新青森駅からわが村まで北海道新幹線の建設工事が一斉に行われている。
 このコンビニのすぐ北にも電気関係の会社がプレハブを建てている。
 プレハブと言っても二階建てで、小さいものでもないし、吹雪に押しつぶされるようなものでもない。
 大型のロータリー除雪車まで搬入している。
 朝早く20人ほどがプレハブ前の空き地で体操をしているのを何度も見たことがある。
 とにかくやたらに多くの会社と人間が国道280号線沿線に集結している、らしい。
 空き地を借りたレンタル会社が重機やプレハブ小屋などを並べているところもあれば、移動式クレーンを設置し鉄筋を大型トラックで大量に運び込んでいるところもある。
 レジに並んでいる客が手に持っているのは概ね弁当とペットボトル。
 田んぼの中には食堂もコンビニもありゃしない。
 入り口を入って直ぐ左にあるコピー機の前へ行く。
 定年直後から月2回このコピー機の世話になって来た。
 もう50回を超えたはずで、コピーするだけであれば注意書きを読まなくても操作できる。
 A4サイズの両面コピーを18枚ずつ3部作り、ついでにY新聞とペットボトルの熱い緑茶を1本買った。
 「どうもね」
と、レジ係に声をかけ車へ戻る。
 雨が止んでいた。
 きょうは火曜日。
 運転席に座って新聞を拡げる。
 Y新聞の地方版時事川柳は毎週火曜日に載るはずだがどういう訳か時折ずれる。
 きょうは載っていた。
 エンジンを始動。
 ウィンカーを右へ出す。
 国道280号線を南下。

 道が結構混んでいる。
 目の前を走っているのは10トンのダンプカー、その前はコンクリートミキサー車でその前はタンクローリー、更にその前は何であるか想像もつかない機械を積んだ大型トラック。
 新幹線工事の関係車両だろう。
 対向車線も似たようなもの。
 こいつらはどれもこれも制限速度以下のスピードで走る。
 それは、それまでのダンプカーなどのものでは決してなく変に優等生ぶったもの。
 憑き物が落ちたようにゆっくりだ。
 少し気の長い一般人でもいらついているに違いない。
 これではまるで工事用道路だ。
 交通量も数年前と比べようがない程多い。
 右が西。
 北海道新幹線は新青森駅からわが村まで国道280号線バイパスの西側に広がる水田の中をほぼ直線で走って来る。
 そのラインは国道280号線バイパスとやや並行で、両者は数百メートル置きに工事用道路で連絡されている。
 さまざまな資材や機械や、人間が供給され、あるいは掘削された残土が搬出され、仕事を終えた車が帰る。
 工事用と言っても実は農道で、急遽舗装したり補強し代用している。
 そんな訳で道幅が充分ではない。
 当然大型車は一方通行。
 出入り口に無線機と赤と青の旗を持った男がいて、工事用道路を走る車は彼らにコントロールされている。
 だから、工事現場へ行く車は合図があるまで反対側の側道に並びじっと待っている。
 刈り取りの終わった田んぼが右手山裾まで3〜4キロ続き、白鳥がもう渡ってきていてギャギャアアとうるさく落ち穂をあさっている。
 やや奥へ目をやると殺風景なコンクリートむき出しの橋脚が所々に小さく見える。
 赤や黄や黒の大型クレーンが何台も何台も疲れたキリンのように動いている。
 これが新青森駅近くまでおよそ20キロを延々と続くのである。
 もう見慣れたが、どうにもなじめない。

 カー・オーディオのスイッチをオンにする。
 カー・オーディオなんて言うがいわゆるカー・ステレオで、中にハードディスクが組み込まれCDを聞いている間にそっくりコピーする仕掛けになっている。
 この車は買って3年目、もう170枚ほどのCDがコピーされた。
 ディスプレイに指を軽く触れレディー・ガガの「ボーン・ディス・ウェイ」というアルバムを選択する。
 1曲目「マリー・ザ・ナイト」。
 ハンドル中心部にある+ボタンを数回押しやや大きめの音量にする。
 ゆっくりしたテンポで始まり、やがてアップテンポに。
 ガガの歌は絶妙のリズム感があり、聞いていると心がクイッと立ってくる。
 ちょっと元気になれる。
 うるさいようだがうるさくない。
 歌がうまいからだ。

 今日はまず俳句の永田耕衣の話をしようと考えて来た。
 難解と言われる川柳も耕衣の俳句の前では青ざめてしまう。
 できてしまった自分の川柳が自分で分からなくても恐れることはない。
 耕衣の俳句から見ればひよこなのだから。
 自分が感じるままに表現したものは時に読者の理解が得られない。
 それを恐れてばかりではいられない。
 永田耕衣がいるじゃないか、だ。
 そんな考え方は間違っているだろうか。
 話を聞きに来てくれる人達の頭に一度嵐を起こしてみたらどうだろう。
 嵐の後にはきっと以前よりたくましい川柳人がいるに違いない。
 そう思って考えた永田耕衣だった。
 でも、実際にどんな作用を及ぼすかは知るはずもない。
 何しろ川柳教室に俳句、である。
 楽しみではあるが一方では多いに不安。
 さっきのコピーの中にネットで調べた耕衣の資料がある。

 2曲目「ボーン・ディス・ウェイ」
 そう言えば、買い置きのコーヒー豆が底を突きかけていた。
 酸味があって風味豊かで何とも言えない味のモカマタリ・アルマッカとモカ・シダモ。
 きょうはどっちも仕入れなければいけない。
 教室が始まる前にいつもの店で100グラムずつ買おう。
 コーヒーがないと朝食が困るし、午後のティータイムをどうすればいいか分からなくなる。
 オヤジ、きょうはちゃんと店を開けるだろうか。
 パンも1枚しか残っていなかった。
 帰りはパン屋に寄ろう。
 おふくろ用のバナナとパイナップルは昨日漬け物売りのときに買ったから大丈夫のはずだ。

 3曲目「ガバメント・フッカー」
 北海道新幹線が国道280号線バイパスと交差する場所に差しかかる。
 工事現場を最も間近に見られるのがここ。
 橋脚用の足場と鉄骨が組まれ、グリーンの網に被われているのが右方向に見える。
 高さは7〜8メートルもあろうか、左右2本が一対になってバイパスより少し離れたところから列をなし北へ延びている。
 近くで見ると巨大な物だろう。
 生まれ損なったヘビのように続いている様は何だかマガマガしくもある。
 分厚く大きい赤錆びた鉄板が国道脇から敷き詰められ、コンクリート・ミキサー車が数台その上をこれ以上ないほどゆっくり走っている。
 大きななクレーンがいる。
 目を左へ転ずると、これまで気づかなかったがかなりの幅で空き地ができていた。
 民家があったのだが移転したのだろう。
 ずっと先の工事現場まで見渡せる。
 この辺の風景は日に日に変わっているような気がする。
 ここから先は工事現場が左へ移る。
 しばらく行くと国道7号線。
7号線を越えて真っ直ぐ行けば目と鼻の所に東北新幹線新青森駅がある。
 左折し浅虫温泉方向へ進む。
 片側2車線の中央寄りを走り、新青森駅と新幹線基地を結ぶ高架橋の下を抜ける。
 渡線橋を二つ越えればもうすぐ目的地。
 時速60キロ、道はあまり混んでいない。
 このまま行こう。
 4曲目「ジューダス」
 アルバム中一番好きな曲だ。

 私は今、おかじょうき川柳社が月2回開催している川柳教室の会場へ向かっている。
 教室の運営を任されていた。
 会場となっているのは複合ビルで、地下が空き番台の目立ってきた魚市場、1階から4階までは若い人向けのファッション関係ショップ、5階から上は市立図書館などの公共施設。
 そこの5階小会議室を借りている。
 報道によれば、このビルの経営は赤字が膨らんで大変らしい。
 青森駅前にあり、私たちが無料で利用できる利便性の一番良い施設。
 まかり間違っても運営が立ちゆかなくなったりしないで欲しい。
 そんなことを考えながらも、
「昼は地下のいつもの店の刺身定食にしよう」
「コーヒーを買うんだったよな」
「永田耕衣はすごいんだ…」
「おっと、パンを忘れちゃいけない」
などとつぶやきながらレディー・ガガの歌声の中でハンドルを握っている。


 *写真と文章は互いに関係ありません。
 *写真をクリックすると少し大きな画像が見られます。

Posted by musan8 at 2011年11月09日 19:38│Comments(0)TrackBack(0)

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