ボールペンと不満と の巻

ee7992ce.jpg 文房具が好きである。
 中でも、筆記具が好きだ。
 私はもうすぐ70歳。今の時代のどこにでもいる団塊世代の老人である。
 しかも、あちこち壊れた無職不透明の老人で、未だ文房具に未練というか強い関心があって、文具店のガラスケースの中に飾られた万年筆を買えるわけもないのに長い事じぃっと覗いていて店員に不審の目で見られたりしている。
 インターネット通販のホームページをあちこちググっていたりもする。
 ホームページは私がどれだけ長い時間万年筆の写真を見つめていようとも誰も咎めだてをしないので目が疲れるほどあれこれいつまでも見ていたりする。
 よって、私は目薬常用者である。

 若い頃から筆記具が好きだった。
 鉛筆も万年筆もボールペンも、ただの老人にしてはたぶん呆れるくらい数も種類も多く持っているはずだ。
 しかし、それを使って何か仕事をしているわけではない。
 ごくたまに手紙を書かなければならなくなって、失礼のないように万年筆で書こうとしても10本以上ある万年筆はほとんど使われることがないのでインクが切れていたり、内部で固まっていたりでそのまま使えたためしがない、というのが偽りのないところ。
 持っている筆記具の多くはわが家のあちこちで眠っている。
 使いもしない、と言えば毛筆だって細いのから太いのまで20本以上はあるし、筆ペンも10本ほど持っている。
 ではあるが、私は筆記具コレクターではない。
 それほど高価なものを買うわけでもない。
 邪魔になるほど筆記具があるが、文章を作らなければならないことがあればパソコンを使っている。
 では、何ゆえ大して使いもしない筆記具を今も買うのだろうか。
 実は、筆記具というものには私を引き付けてやまない何とも言えない何かがあるのだ。
 もしかしたら私の心の奥で、自分に合った筆記具を使えば上手な字が書けるかもしれない、とか、書きやすい筆記具だといい文章やいい川柳が書けたりするかもしれないという微かで遥かでいびつで淡い希望のようなものが瞬いているのかもしれない。

 鉛筆は今のところ月光荘8Bが心の真ん中に堂々と君臨しているのであまり問題がない。
 問題は万年筆とボールペンである。
 この2種類は満足できるものを持っていない。
 (と言うか、先日まで持っていなかった。)
 高額なものであれば私にしっくりぴったりくるかと言えば、買ったことがないので正確なところは分からないがそうでもないような気がする。
 私の手と指と頭に合う書き心地の問題なのだ。
 矛盾だらけだが、滑りすぎない、走り過ぎない、それでいて力強く滑らかに悠々とした文字の書けるペンが私の理想である。
 今までいろんな万年筆やボールペンを使ってきたがそんな私を満足させるものがなく、それをいつも不満に思っていた。
 とんでもなく高価だが私の希望を満たすものがこの世にもしもあるとすれば、貧乏人の私にはもちろん買えないだろうが希望が残されていることになり生きて行く活力になる。

 では、まず万年筆のこと。
 万年筆は常時使っていれば問題が少ないが、放っておくとインクが蒸発してなくなっていたりするからやっかいだ。
 ずぼらな私には向いていない筆記具と言えるだろう。
 それでも、若いころ買ったモンブランやパーカー、パイロットなどが机の脇にある。
 モンブラン149などは専用の革シースに収まったまま何年も使われていない。
 赤いパーカーのデュオフォールドは樺細工のペンケースの中で眠り続け、その存在が忘れられるほど長い時間が経過している。
 特殊な脳波の一つと言われるシータ波をイメージしたセーラー創業85周年記念限定万年筆などというわけの分からないものまである。
 それらを一緒に山葡萄の蔓で編んだ小さな籠に無造作に突っ込んでいる。
 こうして置くと、見つからないということがなく精神衛生上誠に助かるのだ。
 今は使わない万年筆だが、たまには手に取ってボディをなでまわしてやったりペン先を見つめてやろうと思っている。
 どうしても使わなければならない場合はボトルのインクがあるので付けペンとして使うつもりだ。
 ただのおバカさんだとばれにくいように少し言い訳をしておく。

 次に、本題のボールペン。
 ボールペンは現代日本で、いやたぶん世界中で今一番多く使われている筆記具ではないだろうか。
 私はボールペンを主としてメモ用に使っている。
 メモしておかないと思いついたことをすぐ忘れてしまうので、紙と筆記具を家のあちこちに置いたり持ち歩いたりしている。
 ボールペンは万年筆のようにインク漏れの心配がなく、鉛筆のように芯が折れる心配もないのでメモにぴったりだ。
 だから、何本も持っている。
 1本100円程度のものがほとんどだが、少し高いものもあったりする。
 この世にはいろいろなタイプの人間がいるが、ボールペンは文字を書けさえすればそれで良いと考える派と、少し高価でもすらすらと気持ちよく書けて、しかも満足できるデザインでないと困るという派の二つに分かれるようだ。
 私は明らかに後者のタイプである、と思う。

 私だけの感覚かもしれないが、以前のボールペンはそれほど書きやすい道具ではなかった。
 書き始めにインクが出なかったり、かすれたり、固まりで出て来たりと私を長い間いらいらさせて来た。
 ところが、近年は低粘度のインクが出回るようになってなかなか書き心地のよいものもある。
 そんな中で私のお気に入りは、三菱鉛筆のジェットストリームだ。
 ホームページに《「クセになる、なめらかな書き味。」を実現した、世界初の画期的な新開発インクを搭載し、既存の油性ボールペンと比較して、『JETSTREAM』は筆記速度に関わらず、低い筆記抵抗でなめらかな書き味を実現しました。》と、何だか難しいことが書かれているがそれなりに書きやすい。
 そんなわけで、百数十円のジェットストリーム・スタンダードや、それより少し高いラバーボディなどがわが家のあっちにもこっちにも、あっちのカバンにもこっちのカバンにもと所かまわず置かれている。
 そんなに好きなジェットストリームだから、古いカバンから数年ぶりに見つかったパーカーのブルーの軸のボールペン、デュオフォールドに使えないだろうかと考えた。
 そいつを買ったのは10数年も前のことで、せっかく買ったのだが書き心地に不満があった。
 それ故に何年もカバンに入ったままになっていたのである。
 インターネットの筆記具関係ブログをあちこち見ていたら、パーカーのボールペンはアダプターを使えばジェットストリーム用の替え芯が使えると書かれていた。
 ゼンハイソゲとばかり、ネット上の安売り文具店へアダプターとそれに合うジェットストリームの替え芯を注文。
 せっかちなものだから、注文した次の日からまだ来ないかまだ来ないかと待っていたが、ネット通販も日曜祭日は荷造りや発送作業をしないらしく注文してから5日後に届いた。
 かくして待ちくたびれた私の首は少し長くなった。(うそです。)
 1個千円ほどのアダプターが1個、ジェットストリーム替え芯はブルーとブラックが1本ずつでそれぞれ200円、それと送料、代引き手数料で2千円を超えた。
 宅配業者が帰るや否や紙製の小さな箱からアダプターを取り出し、一緒に届いた黒のジェットストリーム替え芯をそれに突っ込んでデュオフォールドへセットする。
 難しい作業は一つもない。
 デュオフォールドというペンは1920年代、ジャズとアールデコの時代に誕生したパーカーのフラッグシップモデルで、デザインも悪くはないが手に持った時の重さとバランスが何とも言えない。
 しばらく手に持ってそんなことを楽しみ、どきどきしながら試し書きに取り掛かった。
 ところが、である。
 何と、インクが出ない。
 ぐるぐると螺旋を書いても紙の上にはペン先のへこみしか残らない。
 百数十円のジェットストリームにだってありえないことが現実に起こった。
 インクを黒から青に替えてみたが同じだった。
 ショックである…。
 ペン先を寝かせ気味にしてしばらく紙へこすりつけているとやがて諦めたようにインクが出始め、その後はスムーズに書けるようになるが、放っておくとまた書けなくなる。
 その現象はその日のその後も、次の日も、それ以後もずっと続いた。
 それでも何とか我慢し数日使っていたが、ついにキレた。
 別の具合悪さにも気づいたのだ。
 紙に字を書く時は誰でもペン先を紙に押し付けるのだが、その時微妙にガタつきを感じるようになった。
 これでは2千数百円も掛けてわざわざ使いにくくしたようなもの。
 実に情けなく心が落ち着かない状態に陥った。
 これではいけない、と解決策がないかインターネットであれこれ調べ始める。
 こんな時の頼みの綱はインターネットだ。
 すると、パーカーの替え芯と形もサイズも全く同じ別の会社の替え芯が何種類か販売されていて、それが何不自由なくパーカーのボールペンに使えることが分かった。
 中に、やたらと評判のよい替え芯が紹介されている。
 伊東屋が扱っているというROMEOだ。
その替え芯は太さ(ボール径)が1ミリのものしかないが、書きやすくさえあれば私は何ら困らない。
 わずかでも良い方法があるとすぐそっちへ傾くのが私の悪い癖だが、アダプターとジェットストリームの替え芯で失敗したばかりなのでネット通販で買うのはどうにも気が進まなかった。
 では、どうすればよいか。
 実際にROMEOの芯をデュオフォールドへセットして試し書きし、ガタつきがないか、書き心地いいか確認してから買うべきである。
 それはそうだが、わが家の近くの文具店にROMEOがあるとは到底思えなかった。
 何たって世界のイナカ青森なのだ。
 そんな青森でも、パーカー純正の替え芯ならたぶん買える。
 純正替え芯の書き心地が昔とどう変わっているかは知らないが、それで我慢するしかないという結論に至った。
 ところが、実際にはわが青森もそんなに馬鹿にしたものではなかった。
 デュオフォールドを青森市内の文具店へ持っていき
「これに合う替え芯をください」
と言ったところ、中年の男性店員が無造作に数種類の替え芯を私の前に並べた。
 そして、中の1本を慣れた手つきでデュオフォールドにセットし
「この芯は純正ではないのですがどうでしょうか」
と言った。
 差し出された試し書き用の紙にぐるぐると線を引いて見ると快感を感じるような書き心地。
 それが何とROMEOだった。
 「これでいいです。これが欲しかったのです。」
と6百円プラス税を笑顔で支払う。
 そうして今、私は、雑文の締め切りが迫って冷や汗にまみれているにもかかわらず、雑用紙とROMEOの入ったデュオフォールドを持ち出して無意味でテキトーな文字や図形をいつまでもあれこれ書いてニコニコしているのである。
 何かを書かないではいられない、そんな書き心地なのだ。
 それって本当なの?と思われるかもしれないが、実話である。
 ただし、「私にとっては」という前提のある書き心地なので注意していただきたい。

 いきなり話が変わるが、私は不満まみれで数十年生きてきた。
 それは現在も進行形で、恐らく死ぬまで続く。
 何が不満かと言われれば何にもかににも不満である。
 特に自分自身に対して強い不満がある。
 股関節の具合が悪くて嫌になるほど痛いし、酒をちょっと多めに飲んだだけですぐ酔ってしまうし、酔えば言った事も言われたことも忘れてしまう。
 まだある。
 字が下手くそなこと、字を丁寧に書くことができないこと、ぼやけて通らない声質、川柳がうまく作れない、こんなことを考える自分の性格も不満、と全身不満だらけで何でこんな自分に生まれてしまったのだといつも嘆いている。
 まだまだあるが書くのが面倒。
 私が立っていれば、それは不満が立っているのであり、私は歩く不満である。
 そして何より不満なのが脳の働きが生まれてこの方ずっとパッとしないということ。
 何でもどんどん記憶できて、それをいつでも自由に引き出せて、物事に対する判断力に優れ、すごいセンスの川柳を次々書ければ言うことないのだが事実は全くの逆だ。
 その上、先に書いたように好きな筆記具にさえ不満を持っている。
 たぶん…、私がいろんなものに持っている不満とは違うと思うが、誰もが少しは不満を抱えて生きている。
 そして、多くの人間に不満があるからそれを解消しようといろんなものが発明され開発され仕組みが作られこの世が動いている。
 この世は不満というものがあるから進化し続けているのだ。
 話がまた変わって”地球は回り続けている”ということは誰もが知っている。
 それでは、地球はどうして回るのだろう。
 地球が回り続けるための動力というものがあるのではないか。
 その動力はもちろん輪ゴムなんかではない。
 もっと大きなもの。
 もしかしたら私の大発見かもしれなく、とんでもなく間違った考えかもしれないが、その動力は「人間どもの不満」という摩訶不思議なものではないか…。
 世界中の不満が地球をごろごろ転がしているのだ。
 だから、いつでも何にでも大いに不満を持っている私は地球が回り続けるためにとてつもなく貢献しているということになる。
 違うだろうか…。



 * 写真と文章は互いに関係ありません。
 * 写真をクリックすると少し大きな画像を見ることができます。


Posted by musan8 at 2017年03月15日 14:10│Comments(0)TrackBack(0)

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