りんごの花びらはブルースに の巻

6961f944.jpg 二〇〇八年九月二十八日
 私は喪服を着て数珠を持ち、自家用車を運転して神妙に家を出た。
 薄曇りの日曜の朝だった。
 集合場所はJR津軽線を駅二つ南へ行った後潟駅の近く、茅葺き屋根をトタンで覆った大きな家。
 映画「ウルトラミラクルラブストーリー」の撮影現場である。
 脚本・監督は青森市出身の横浜聡子、主演はむつ市出身の松山ケンイチ。私は、主人公陽人(ようじん)の近所に住むおじさん役でエキストラを頼まれていた。
 その日の撮影は、若くして亡くなった陽人の葬儀という設定。
 奥の間の襖を外して祭壇が飾られ、村人や関係者役の数人が祭壇前に並べられた座卓を囲み歓談している。
 私の右が一番の上席で、剃髪し法衣をまとった本職の若い坊さんがひとりだけ入口を向いて正座している。彼もエキストラ。私の向かい側の左端、つまり一番末席に藤田弓子がいて、私の左には喪服姿の原田芳雄がいた。
 卓上の料理は近所のおばちゃんたちが用意したもの。マグロ、イカ、ホタテなどの刺身が盛られた大皿と、茄子とキュウリの漬け物、豚汁、更にご飯もある。
 ところどころにビールの大瓶と大きさも形もばらばらな徳利が立っていた。
 原田は陽人の主治医役。生のホタテのヒモが気に入ったようで「うまい」と何度も小皿に取り、しゃきしゃきコリコリと食べる。
 原田が席に着く前のリハーサルで「原田さんは津軽弁が分かりませんが、津軽弁で何でもどんどん話しかけてください」と監督に言われていた。
 しかし、相手は数々の賞に輝いてきた近寄りがたいほどの名優であり、私は言わば背景に過ぎない一介のエキストラ。初対面で、しかもアドリブでこっちからあれこれ話しかけろと言われても難しい相談だ。
 実は、原田出演の映画を私は一本も観ていなかった。代わりと言っては何だが、彼が唄う「ミッドナイトブルース」の入ったCDを持っていて、それまで何度となく聴いている。
 だから、私にとって原田芳雄は映画俳優というより名うてのブルースシンガーである。
 幸運にも隣に座ることができ、監督が何でも話せと言うのだからこの時とばかりにツラの皮を厚くしてブルースがどうのこうのと語りかけても何の支障もなかった。
 ではあるが、実際は面の皮も大したことがなく、場所も場所だけにそれができない。
 徳利に入っている酒の代わりのぬるま湯を「さあ先生」と何度も何度も注ぐばかり。
 あれから九年が過ぎた。
 あの時ブルースのことを話しかけていればどうなっていただろうと今更のように思う。

 原田は、その年の十一月に大腸がんの手術を受け、三年後に他界している。
 私の隣で美味そうにホタテのヒモを食べていたあの時すでにがんと闘っていたはずで体調はかなり悪かったと思われる。
 だが、そんな様子は微塵も感じられなかった。新鮮な刺身をじっくり味わい楽しんでいるようだったが、あれは演技だったか。

 「リンゴ追分」という歌がある。美空ひばりの持ち歌であるが、ユーチューブにアップされている原田芳雄の唄がいい。
 2002年8月にTBSアナウンサー林美雄のお別れの会で収録されたもの。
 原田は無伴奏で唄い始める。

 ♫りんご― 花びぃらが〜 風に散ったよな 月夜に月夜にそっと えーえーえー うぉおおお え〜 津軽娘は泣いたとさ つらい別れを泣いたとさ りんごの花びらが〜 風に散ったよな えええ

 唄い方、曲のくずし方に度肝を抜かれる。
 訥々と語る悼辞を挟んで後半はギターの弾き語り。

 ♫もののはずみで生まれつき もののはずみで生きて来た そんなセリフの裏にある言葉のからくり落とし穴 ああああ 一番星出るころ俺の心に風が吹く 津軽娘は泣いたとさ つらい別れを泣いたとさ りんごの花びぃらが 風に風に散ったよな うぉおお〜うぉおお〜

 絶唱である。
 りんごの花びらはブルースになった。


*この原稿は、青森ペンクラブ会誌「北の邊」2018年 第21号のため書かれたものです。
*文章と写真は互いに関係がありません。
*写真をクリックすると少し大きな画像が見られます。

Posted by musan8 at 2018年07月13日 09:57│Comments(0)