しおり の巻

8c612ded.jpg 私は蓬田村に生まれ、ずっとそこに住んでいる。
 村は青森市の北隣にあって、田んぼと山と海しか見るべきものがほとんどない。
 だから、車で30分ほど走り青森市中心部へ行って食料品や身の回りの品を調達する。
 簡単に言えば青森市の経済圏にあるということだろう。
 家にいながらインターネットで何でも買える時代にわざわざ青森市まで買物に行かなくてもいいだろうと思うかもしれないが、状況はまだそこまで進んでいない。
 本ももちろん青森市で買う。
 ネットショップをよく利用する友人に言わせれば、本こそインターネットを利用するべきなんだとか。
 欲しい本はすぐ見つかるし、注文すれば翌日かその次の日には配達されるしで便利この上ないそうだ。
 でも、私はそうはいかない。
 実物をパラパラ開き、少し拾い読みしてみないと買う気にならないのだ。
 だから、青森駅ビル4階に出店していたM書店が今年9月末に店仕舞いすると聞いたときは一抹の寂しさを感じた。
 飲食店がなくなるより、本屋がなくなる方がずっと寂しい。
 おかじょうき川柳社の例月句会へ行った時、あるいは川柳教室で青森駅前の複合施設「アウガ」へ行った時は毎回のように立ち寄っていた。
 電車を利用する人、駅近くに用がある人で本に興味のある人にとって、駅ビルに店があるということは便利この上ない。
 とは言っても、持ち合わせはいつも小銭少々という人間なので、本のほとんどを古本で間に合わせていて、新刊本を扱うM書店ではたまに文庫本を1、2冊買う程度だった。
 本屋の閉店・撤退と言えば、全国チェーンの「ほんらだけ青森店」が一昨年閉店している。あのときも身の回りが薄ら寒くなったように感じた。
 新刊本を扱う本屋も古本を扱う本屋も青森市内にはほかに何店かあるので困ってしまうというわけではないが、馴染みの本屋がなくなるのは寂しい。
 どこの棚にどんな本が並んでいるか知っているということは、ただそれだけでその店に入りやすいのだ。
 そんな訳で、私が今たむろしているのは青森市内の「ブックオフ」2店。
 それと、先日青森市中心部にオープンした小さな古書店。私好みの本が数多く並んでいるので注目している。

 本屋のことばかり長々書いてしまったが、本題は「本屋」ではなく、タイトルにあるとおり「しおり」である。
 「しおり」を広辞苑(第七版)で引くと、
『しおり【栞】シヲリ(「枝折(しおり)」から転じて)^篤癲手引き。入門書。「入学の―」読みかけの書物の間に挟んで目印とする、短冊形の紙片やひも。古くは木片・竹片などでも作った。』
とある。
 これから書こうとしているのは△諒。
 本と言えば、私の読むのは主にエッセイだが、ときどき詩集を読んだり小説を読むこともある。
 詩集だってエッセイだって、小説だって一気に読んでしまえるものはほとんどない。
 だから、どうしてもしおりを必要とする。
 ページの角を折ってどこまで読んだか分かるようにするのを「犬の耳」というらしいが、私はそれが好きになれない。
 若かった頃は本屋がサービスでくれるペラペラした紙のものや、小さな付箋用紙でも何の不自由も感じなかった。
 しかし、次第にそれではつまらないと思うようになった。
 老化とともに意固地になって来たのだろうか。
 そんなわけで、何か機会があるごとに手頃なしおりがないかと目を光らせている。
 文房具屋、雑貨屋ばかりか土産物屋などでも探し、いろいろ買っては使ってきた。本に挟んだままになってどこへ行ったか分からない物もかなりある。
 今、デスク周りにあってすぐ手にすることができるのは数種類。
 黒くて細い革紐の先がオバケのQ太郎の顔になっているものは、友人からプレゼントされたもの。これは邪魔にならなくてなかなか使いやすい。
 檜葉の薄くて小さい長方形の板に太宰治の顔と小説「津軽」のある部分が数行プリントされたものは金木(五所川原市)にある太宰治記念館「斜陽館」向かいの店で買った。
 厚さが2ミリ近くある赤くて硬い革製のやつはCOACH(コーチ)というアメリカ製のブランド物。紐がついていない。上の方に小さな窓が作られていて、私はそこに棟方志功の絵を入れている。とは言っても、観音様の顔の部分を版画展のチラシから切り抜いたものである。これは、随分昔仕事で上京した際に銀座直営店で買ったような気がする。 
 そして、POSTALCOの革製しおり。これは弘前市にある小さな雑貨店で買った。POSTALCO(ポスタルコ)とは、デザイナー、マイク・エーブルソンとパートナーのエーブルソン友理が立ち上げた文房具やバッグを中心とするブランドだとインターネットのホームページに載っている。青と茶色に染められた柔らかい2種類の革を組み合わせたもので、不思議な雰囲気がある。
 オバQのしおりはいただき物だから値段が全く分からない。コーチのものは古すぎていくらで買ったか記憶がない。檜葉のしおりは千円位だったはずで、ポスタルコのやつは2千円と少し。
 古書は少しでも日に焼けていたりするとハードカバーが一冊百円で買えたりするので、たぶん、どのしおりもそれより高い。
 雑用紙の切れっ端や本屋のおまけで間に合わせていれば古本が何冊も買えるのだが、生憎私にはそれができない。
 ところで、紐状のもの、檜葉の板のもの、コーチの革製、ポスタルコの革製、この4つの中でどうしようもなく気に入っているものを上げろと言われれば、残念だがないと言わざるを得ない。
 手に持った感じがしっくりこないとか、軽すぎるとか厚すぎるとか原因はいろいろで、この本にはコーチ、このノートにはポスタルコ、この詩集には檜葉の板などと気分によって使い分けている。
 簡単に言えば、どれもイマイチなのだ。
 ところが、お気に入りのものが最近手元に転がり込んできた。
 驚くなかれ、サービスでもらった。
 青森市中心部にあるビルの1階に先日オープンした古書店で、安野光雅絵・杉本秀太郎文の「花」(岩崎美術社)と、洲之内徹の「さらば気まぐれ美術館」(新潮社)、加藤晴之著「蕎麦打」(ちくま文庫)をレジに持って行ったら、主人が文庫本にそっと挟んでくれたのだ。
 薄くて何てことのない普通のヌメ革。幅は2センチ5ミリ、長さ10センチ。紐を通す穴が上にあって、その両側が斜めに切り落とされ、穴には艶のある茶色の紐が結ばれている。紐は合成皮革で、長さが5センチほど。店の名前が中央下にアルファベットで刻印されている。
 このしおり、サイズといい厚みといい硬さも手触りも今の私には文句のつけようがない。
 染色されていないヌメ革だから、年々色が変化して行くので、それが楽しみ。ちょっと素っ気ないところがまたいい。
 店主は何も言わなかったが、もしかしたら開店記念の品かもしれない。
 「定休日はいつですか」と聞いたら「前の店は3年間1日も休んだことがありません。この店もそうなるかと思います」と気負うことなく普通に言った。
 今どきこんな店があるなんてなあ。
 生きていればたまにはいいことがあるものだ。


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Posted by musan8 at 2018年10月14日 14:43│Comments(0)