帆風美術館をたずねて

ヒイラギナンテン02

 帆風美術館をご存じだろうか。
 私や私の周りの人たちは「ばんふうびじゅつかん」と呼んでいるのだが、図録の英語表記は「VAnfu museum of art」になっている。
 「BAnfu」じゃなく「VAnfu 」だから、「帆風」は「ヴァンフー」とこだわって読むべきかもしれない。
 この美術館、東京に本拠を構え、企画、デザイン、印刷、画像処理などを業務とする株式会社帆風が「企業の最終目的は社会貢献である」という理念のもとに、お世話になったという八戸市へ設立した。
 八戸市北インター工業団地の森に佇むこの美術館、小さいけれど並の美術館ではない。
 主に江戸期の日本画を展示しているのだが、全て複製画なのだ。
 不思議なというか、おもしろいというか、こだわりのというか、どう形容すればいいか少し困る美術館でもある。
 展示されているのは「デジタル光筆画」という特殊な技法でつくられた複製。
 複製と言っても和紙は和紙らしく、表装の裂地は布らしく、質感も重なりも緻密に再現されている。
 そして、館内で写真を撮ろうが展示されているものに手を触れようが、傷つけさえしなければ咎められることはない。
 どだい監視員がいないのだ。
 しかも、入場無料である。

 今年(2018年)8月下旬、ネットのブログやホームページでしか見たことのなかったこの一風変わった美術館へ日帰りで行ってきた。
 私の住んでいる蓬田村からだと、自家用車で片道およそ2時間半。
 老人が話し相手もなく一人で行って来るには手ごわいコースだ。
 そこで、昔なじみのジャズプレイヤー、ピアノのローランド・ハナと、バイオリンのステファン・グラッペリ、ハーモニカのトゥーツ・シールマンスをお供に《にぎやかドライブ》としゃれ込んだ。
 とは言っても、三人とも既にこの世にいない。《ひとりっきりのにぎやかドライブ》である。
 実を言うと、車載オーディオの音量を上げ彼等のアルバムを流し続けただけのこと。
 「夢のあとで」(サー・ローランド・ハナ・トリオ)というアルバムと、「ブリンギング・イット・トゥゲザー」(ステファン・グラッペリ&トゥーツ・シールマンス)というアルバム。
 「ブリンギング・イット・トゥゲザー」の6曲目「ユード・ビー・ソー・ナイス・トゥ・カム・ホーム・トゥ」では、トゥーツが達者な口笛も披露している。この曲はヘレン・メリルのセクシー・ボイスで有名になった。TV・CMで使われたことがあるので覚えている日本人も多い。
 ここでの彼等の演奏は重すぎず軽すぎず、しかも洗練されていてロング・ドライブにはもってこいだ。
 私の強力な居眠り予防策である。

 さて、美術館へ行くと言えば絵や書や彫刻、あるいは陶磁器、写真などを見に行くのが普通だが、今回の目的はちょいとずれている。
 館内の絵や書を見てから、この美術館丸ごと全部を題にして川柳を作り、句会をやろうというのだ。
 いわゆる「吟行」というやつである。
 折も折、開館10周年を記念する特別展「国宝重文展」が開催されていた。
 国宝16点、重要文化財51点がこの美術館で居ながらにして見られるという、お得感たっぷりの企画。
 申し添えておくが、誰でも知ってるように国宝も重文も本物はこの世にそれぞれ一点しかない。この美術館に展示されている複製の元になっているのはその本物を正確に撮影したデジタルデータである。
 本物も複製画も経年変化は避けられないが、デジタルデータには経年変化がない。データを取得した時点で時間が止まっている。
 であるから、事故や災害などで不幸にも本物が失われることがあれば、この美術館のデータはその作品の本来の姿を最もよく知ることができる貴重な資料となる。

 今回の吟行を主催したのは八戸市に拠点を置くカモミール句会という少人数のグループ。構えが小さく、発足してからそれ程年数も経っていないが、これまで十和田市現代美術館や種差海岸へ出かけては吟行を開き、あるいは「えんぶり」を見ながら吟行を行うなど意欲的な活動を続けている。
 案内をいただいたとき代表の笹田かなえさんに
 「おもしろい企画だねえ、帆風美術館なんて変わった会場をどうして選んだの?」
と聞いたら、
 「むさしさんが帆風美術館を見たいと言ったからじゃないの」
と言われた。
 そのとき私は何気ない風を装っていたはずだが、「俺、そんなこと言ったっけ?」「あれ?言ったような気がするな」「いつだった?」と頭の中はしどろもどろ(汗)
 もしかしたら、そのうろたえようはかなえさんに見えていたかもしれない。
 私のボケは快調に進行中である。

 ステファンとトゥーツが何度目かの「ヒット・ザ・ロード・ジャック」をセッションしている中、わが愛車グリーン・ドルフィン号は事故に遭うこともなく、午前11時頃ほぼ予定どおり帆風美術館駐車場に到着した。
 グリーン・ドルフィン号というのは、私が何となく密かにそう呼んでいるだけで、妻も知らないことであり、特に意味があるわけでもない。もちろん、ビル・エバンスのアルバム「グリーン・ドルフィン・ストリート」から拝借したわけでもない。強いて言えば車の図体がでかく、色が深い緑色をしていることと関係あるかもしれない。
 車載温度計の外気温表示は26℃。曇り。
 句会のたびに持ち歩く、電子辞書や鉛筆、ハズキルーペなどの入っている黒い鞄を持って車を降りる。
 この夏は気温がぐんぐん上がり、異常なほど真夏日が続いたせいで暑さに対する感覚が鈍くなっているからか、それとも森の中にいるからか、暑がりなのに26℃があまり暑く感じられない。
 何気なく入り口の方を見ると、右側の部屋で手を振る人がいた。
 窓の向こうにいたのは私より遠い弘前市から駆けつけたNさんとSさん。
 その部屋は今回の句会場で、ガラスの嵌まったアルミの引き戸があって直接出入りできるようになっていた。
 しかし、錠が下りている。
 Nさんたちは、美術館の入り口から入ってその部屋にいるのだった。
 ああそうかと美術館入り口の方へ行こうとすると、中にいた八戸市のHさんが私を呼び止めた。そして、まるで予定でもしていたかのように引き戸のロックを解除し「さあ、どうぞ」と私を中へ招き入れた。
 その部屋は大きく、ちょっとした体育館ほどもあって、一角にテーブルが並べられ既に6、7人が席についていた。
 今回の参加者中男性は、Nさん、Sさん、Hさんと私の4人。全員で9人のはずだから半分弱。今や川柳は女性の文芸になった、と陰口をたたかれるのも分からないではない。
 集まった顔ぶれを見ると、私以外は川柳界トップクラスの面々で、おもしろい句会になるのは約束されたようなもの。
 そんなメンバーを集めた笹田かなえさんにあいさつしようと部屋を見回したが、何故かいなかった。
 ま、いいや、まずは腹ごしらえとテーブルにつき、来る途中コンビニで買ったカツサンドとお茶を鞄の中から紙袋ごと取り出す。
 「帆風美術館へとうとう来たぞ」とホッとしながらペットボトルのほうじ茶を飲んでいると、しっとりとした雰囲気の女性が目の前に現れた。
 何と、私にあいさつをするではないか。
 「えんぶり和紙人形」の高橋寛子さんだった。
 「えんぶり」は青森県南部地方に伝わる冬の祭事、「えんぶり和紙人形」は高橋さんオリジナルの作品である。
 高橋さん本人とはこの日初対面だったが、作品は八戸市の目抜き通りにある「八戸ポータルミュージアムはっち」という観光交流施設に常設展示されているので、これまで何度も見て知っていた。
 短い棒のような道具「ジャンギ」を手にした羽織に烏帽子姿の勇壮な人形が、全て和紙で作られている。
 背丈は30センチほど。
 彩色は一切施されていない。それ故に、和紙そのものの風合いと白さが生かされていて、暖かく気高い。照明によって白い紙の肌にできる影がまた味わい深い。
 ポーズの違うものがいくつかあって、それぞれが今にも風を巻き起こし動き出しそうである。
 えんぶりは漢字で書くと「朳」、水田をならす農具「えぶり」に由来し、ならす動作を「摺る」と言う。因みに言うと、私の村ではその農具を「えびり」あるいは「いびり」と呼んでいて、やはり「摺る」と言う。
 高橋さんはこの美術館の評議員をされており、笹田かなえさんとは友達なのだった。
 その関係もあって、この会場を確保できたのかもしれない。
 高橋さんはまもなく帰られ、入れ替わるようにかなえさんが登場。

 腹を満たしてから「国宝重文展」を覗く。
 展示ホールは1階で、それほど広くない。屏風や掛け軸などが所狭しとディスプレイされている。
 俵屋宗達筆・国宝「蓮池水禽図」、池大雅筆・国宝「十便図」、岩佐又兵衛筆・国宝「洛中洛外図屏風(舟木本)」、尾形光琳筆・重文「風神雷神図屏風」、東洲斎写楽筆・重文「市川鰕蔵の竹村定之進」など。
 ほかに、能面や押出仏などの立体もある。
 平面の紙に印刷してから立体に整形したのだろうか。それとも、デコボコの紙に印刷する技術があるのだろうか。
 その辺はよく分からないが、いたずらに常識にとらわれることなく、何事にも果敢に挑戦する強い意思としぶとくしなやかな知性が感じられる。
 そうでなければ、複製専門の美術館など誕生しなかったろう。
 展示されている絵画や書は、近寄ってよく見れば一枚の紙に絵や書と表装が継ぎ目なく印刷されていることが分かる。
 だが、少し離れて「本物です」と言われれば私なんかあっさり信じてしまうほどの精度を持っている。

 写楽の大首絵は掛け軸になっていて、表装の裂地には刺し子が使われていた。
 私にはそれがひどくモダンに見える。
 職員の方に聞くと、表装はこの美術館が独自に考えたものだった。
 私は今刺し子と書いたが、もしかしたらあれは下北出身の民俗学者故田中忠三郎氏の言う「BORO」かもしれない。
 昔の青森の人たちは、長い間使ってすり切れた野良着、肌着、寝具などをいのちあるものとして大事にし、継ぎはぎして更に長く使い続けた。ではあるが、それは恥ずかしいものとされ、決して表舞台に出ることがないものだった。それを田中氏は「BORO」と位置づけ、収集し、公開した。「BORO」は「ぼろきれ」の「襤褸」で氏の造語だろう。
 ツギハギはおしゃれ心以上の思いが込められていると言った氏は、黒澤明監督の映画「夢」に農民の衣裳を提供した人であり、集めた刺し子数百点が国の重要有形民俗文化財に指定されている。
 それにしても、写楽の錦絵に「襤褸」を合わせるとは並のセンスじゃない。

 文豪川端康成が愛蔵していた池大雅の「十便図」は、光がたっぷり射し込む和室の窓際にあった。
 笑い話のようだが、若い頃「十便図」の「便」って何だろう、便所のことかと思って調べたことがある。
 中国、清の時代の文人李漁が山麓の別荘に閑居していたところ、客が「静は静であろうが、不便なことが多いであろう」と言った。李漁はこれに応じて「十便十二宜詩」をつくった。「便(べん)」は便利なこと、「宜(ぎ)」はよいこと。
 この話を元に、池大雅が「十便帖」を、与謝蕪村が「十宜帖」を描き、合作した画帖が「十便十宜図」である。
 「十二宜詩」なのに何故「十宜帖」なのだと思うが、不思議なことに元から「十宜」の詩しかなかったという。謎である。
 今回展示されているのは「十便図」で、木でできた書見台に無造作に置かれていた。
 客がほかにいないのをいいことに畳にあぐらをかき、ページを行きつ戻りつしながらゆるゆると鑑賞する。
 どこの美術館でも美術品の退色には異常なほど気をつかっていて、どちらかというと薄暗いところに置き、更に照明を絞って見せている。
 だから、直射日光の当たるところには決して置かない。息を吹きかけてもだめで、手にとって見るなんてとんでもないこと。
 この美術館の見せ方は誠にありがたい。

 写楽の大首絵はA4くらい、大雅の「十便図」は1枚が私の両手を少し重ねて並べたほどのサイズ。
 屏風が何点もあって、当たり前の話だが原寸大で、印刷物の大きさとしては一般人の常識をはるかに超えている。
 屏風のように大きいものも、「十便図」のように小さいものも全て2億画素のカメラで撮影したという。現在、市販カメラの世界最高画素数がおよそ5000万画素だからとんでもないカメラだ。
 そして、信じられないほどの再現力だ。

 会場を行っては戻り行っては戻りと3回ほど回って、それでもまだ見ていたかったが図録を買い句会場へ。
 この図録、印刷の精度といい造りといいかなり良心的、且つハイレベルである。美術館を運営する印刷業者が造ったのだから当たり前と言えば当たり前だが、儲けは度外視しているようでこの手の図録としてはかなり低価格。
 ついでに、絵はがきも数枚買ってきた。

 句会は、互選方式だった。
 句箋という細長い白い紙が束で用意されていて、その紙1枚に川柳を1句書き、各自10句ずつ提出する。
 集まった句箋を1枚ずつにばらしてランダムに並べ替え、A4専用紙に10句ずつ手分けして書き写す。要するに清記するのだ。
 Aさんが清記したものは誰が作った句でも全てAさんの筆跡であるから、書き文字の特徴で誰の句かばれるということがない。
 清記したもののコピーが全員に配られ、それぞれがいいと思った句を選んで発表し、選んだ人の多い句から話し合っていく。
 次の2句はそのとき私が提出したもの。会場の評価は可もなく不可もなくといったところだった。

 時をこじ開け風神雷神出ておいで
 レプリカのレレレ寒山拾得図

 実は、今回帆風美術館を訪ねるに当たってぜひ見たいと思っていたものがあった。
 鳥羽僧正作といわれる京都高山寺に伝わる絵巻物、国宝「鳥獣戯画」である。
 平安時代末期から鎌倉時代初期にかけて制作されたもので、蛙、兎、猿などが擬人化され描かれている。
 アニメ映画「火垂るの墓」の監督高畑勲さんに「鳥獣戯画を読む」という一文があって、小学6年生の国語の教科書に絵入りで載っている。だから、子どもたちにも人気があるはずで、きっと展示されていると思った。
 漫画チックであるにもかかわらず品格があって川柳のモチーフにはうってつけ。
 それが、会場をいくら探しても見つからない。
 後期展示で出てくるのか、展示予定がないのか。いずれも聞き漏らした。
 それから、尾形光琳筆「風神雷神図屏風」の裏に描かれた酒井抱一の「夏秋草図屏風」。
 この二つの重文、今は別々の屏風になっているのだが、元のように表と裏に描かれた状態で見たかった。レプリカだからこそそれが可能だと思っていた。実は、それに注意して見るつもりだったが、家に帰ってから失念していたことに気付いた。後日、私が見たかった状態で復元され、しかも会場にあった事が判明。うかつだった。
 また、光琳の重文「風神雷神図屏風」の元になった宗達の国宝「風神雷神図屏風」も見たかった。
 できれば、光琳のものと宗達のものを並べて見たかった。

 欲を言えばきりがない。
 またいつか、今度は絵を見るためだけにゆっくり訪ねてみよう。
 そう言えば、展示されているものがレプリカだということをすっかり忘れて見ていた。
 グリーン・ドルフィン号、また行こうな。



 *本文と写真は互いに関係ありません。


Posted by musan8 at 2019年01月29日 14:35│Comments(0)