
20年前に本屋で立ち見した土門拳の写真集「風貌」の中の一枚。
今もそのモノクロ写真をくっきりと頭の中に思い浮かべることができる。
鼻下に半白のひげを蓄えた、丸顔で額が遠い何やらおもしろそうなお爺ちゃんの顔が画面いっぱいに写っていた。
赤痢菌を発見した世界的細菌学者・志賀潔博士である。
昭和24年に写真家土門拳が宮城県亘理郡にあった博士の自宅で撮影したもの。
写真の博士は真ん丸の眼鏡をかけているのだが、フレーム右側が白い絆創膏でぐるりと補修されいて、私はその異様さに一瞬にして魅せられてしまった。
くちびるをわずかに引き締めながら微笑む博士はどこかいたずらっ子風であり、何やら恥ずかしそうでもあり、温かみのある何とも言えないポートレートになっている。
高名な医学者にして文化勲章受章者であるのだから、眼鏡なんかいくらでも買えそうだがどうしてこの眼鏡をして写真におさまったのだろう。
土門が「障子紙の代わりに新聞紙を使って」おり、「随分貧しい暮らしのように見受けられた」と書いているので何か特別な事情があったのかもしれない。
第一級の写真家土門拳が撮るのだから、雑誌や本に発表されることはあらかじめ説明されていたに違いない。ではあるが、別に悪いことをしているわけではないからと飾ることなく、悪びれずありのまま写真におさまったものと思われる。
私に言わせれば、そこが志賀潔という人の大きさであり、それを構うことなく撮ったところに土門の目の確かさがある。
ところで、この写真を思い出すたびに思い出すことがある。
何かの本で読んだ「日本的心で数学をやっている」という数学者・岡潔のこと。
志賀博士と岡博士の容貌は似ても似つかない。
それなのに私は、この土門の撮った傑作の主は岡博士であると勘違いしてしまうのだ。
一体全体、この奇妙な混同はどこからどう来るのだろう。
「シガキヨシ」「オカキヨシ」と名前が似ているからか。
それとも、私が認知症になっているからか。