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<28>真の命の音人 / プリファブ・スプラウト

初めに断っておくが、
今回紹介するプリファブ・スプラウトは、
現存する星の数ほどのバンドの中で、
僕にとって最も重要な位置を占めるバンドである。
まさしく彼らは、本当の意味での「命の音人」なのである。

1984年の3月に発表された彼らのデビュー・アルバム『スウーン』。
実は僕はリアルタイムではその発表を知らなかった。
何故ならそれまでの僕はティーンエイジャーで、
アルバイトと合コンに明け暮れる普通の大学生だったからだ
(それに日本盤未発売という悲惨な洋楽リリース状況もその一因だ)。
しかし同時期に発売されたもう一つの重要な「音人」、
ザ・スミスのデビューを機に、僕の本当の人生が走りだした。
イギリス産のロックを買いあさり、レコード店に通う毎日。
失われた時を求め、空洞だった人生を埋めるかのような
僕の異常とも思える変貌ぶりに周囲は圧倒された。
そう、'84年は僕の転機だったのだ。
20歳になった僕は昼夜を問わずUKロックに埋没し、
自らロック雑誌を発行するまでになった。
そしてその結果が、同年秋に患った十二指腸潰瘍だった。

何色にも染まっていない僕を、
いきなり「同時代性」という名の絵の具で塗り潰したUKロック。
唐突に走りだした僕を襲った「病」という巨大な現実の壁。
そしてそれに伴う他者とのコミュニケーションの断絶。
多くの障害の狭間で僕は一時は死をも考えたほど、
自分への異常なまでの強迫観念に捕らわれていた。
そんな最中に、半年遅れでやっとプリファブ・スプラウトの
デビュー・アルバム『スウーン』と出会うのだった。

そこには明らかに的確な距離感を暗示した、
20歳の僕へのメッセ-ジが存在した。

「提案するよ。一歩だけ離れて見てごらん」
     (『グリーン・アイザック2』)
「もう待つことはないのさ。ファンファーレの合図だよ」
     (『キュー・ファンファーレ』)

プリファブ・スプラウトは、
当時の僕の状態を見透かしていたかのように歌い、
その歌声はとても近い場所から聴こえた。
そして僕の彼らへの感謝にも似た感情は、
翌年の5月に発表された2nd『スティーヴ・マックイーン』の
この一節で決定的となった。

「みんなつらい思いをしてきたんだ。
君はまだ21だろ?たまには休息も必要だよ。
世の中にはいろんなことがあって当然さ。
別に競争じゃないんだから」 (『グッバイ・ルシールNo.1』)

僕がロックから逃げられないのは、
それが僕にとっていつもリアルだからだ。
21歳の僕に向かって遠くイギリスから放たれた言葉が持つ
完膚なきまでのリアリティー。決して偶然ではない共時性。
僕は彼らによって救われ、また彼らと共に成長してきたという確信と自覚。
そして、この厳しい現実とうまく折り合って生きていかなければという認識。
それらを僕は吸収し、彼らが作品を発表するごとに
あらゆるメディアを通じて還元し続けた。

'88年から'90年に毎年1枚ずつのアルバムをリリースしてきた
彼らからのメッセージが途絶えて7年、僕の身辺は大きく変化した。
しかしその間、片時も彼らのことを忘れはしなかった。
僕は僕なりに自分を厳しく戒め、前進し続けたと思う。
そして'97年初夏、突然彼らは宇宙の彼方からメッセージを送ってきた。
空白の時が一気に凝縮する至福の瞬間。そしてそこにはこんなリアルな一節が。

「いつか君を捕まえるよ。過去の虜になって生きる君を」
         (『ア・プリズナー・オブ・ザ・パスト』)

出会ってから13年、
こうやって再び彼らのことを語れる環境が
まだ僕に備わっていたことに感謝したい。
同時に、プリファブ・スプラウトという珠玉のバンドの存在を
自分のことのように誇らしく思う。【NO.2623】


◆3分間人生リプレイ◆ PREFAB SPROUT《プリファブ・スプラウト》

1977年、イギリス北部ニューキャッスル近郊のダーハムで
生まれ育ったパディ・マクアルーンと弟のマーティンにより結成。
1982年、自主レーベルのキャンドルからデビューシングルを発表。
これが全英で大反響を呼び、新興レーベルのキッチンウエアと契約。
紅一点の歌姫、ウェンディ・スミスが加入後、
'84年春リリースのデビュー・アルバム『スウーン』は全英20位に。
その秋、正式ドラマーのニール・コンティが加入し4人組となる。
'85年、2nd『スティーヴ・マックイーン』発表。
翌年、初来日。'88年には3rd『ラングレー・パークからの挨拶状』、
翌年には完成しながらお蔵入りになっていた4th『プロテスト・ソングス』を発表。
さらに翌'90年には5th『ヨルダン:ザ・カムバック』をリリース。
そして'92年、新曲2曲を含む初のベスト盤『ア・ライフ・オヴ・サプライジズ』を発表。
毎回、中心人物であるパディの類い希なソングライティングの才能と
ウエンディの透明感あふれるヴォーカルの美しき融合に全世界が酔いしれた。
7年もの沈黙を破ってのオリジナル最新作6th『アンドロメダ・ハイツ』は、
新築されたパディのスタジオの名前でもあるが、内容はキラキラ光る普遍の13曲が
まるで夜空の星のように散りばめられている超大作。必聴。

ps


※1999年にいきなり2枚組のベスト盤『38 カラット・コレクション』を出し、
プロモーションで来日もしちゃいました。もちろん僕は上京。
ちゃっかり名前と顔を売ってきました。
そして2000年4月、久々のUKツアーもおっかけて、PADDYに驚かれました。
おそらくPADDYにとって一番有名な日本人は僕でしょう。そのくらい自信があります。
また2001年には、ウエンディ抜きのアルバム
『THE GUNMAN AND OTHER STORIES』も発表。
そして信じられないことに名盤『スティーヴ・マックイーン』が
「レガシー・エディションとして、2007年に再発。
アコースティックバージョンが収録された2枚組でファンは狂喜乱舞。
しかしそれ以上に驚いたのは、2009年に突如リリースされた
『レッツ・チェンジ・ザ・ワールド・ウィズ・ミュージック』。
お蔵入りしていた音源が見事に蘇り、僕のブログは大変なことに。
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