藍農家の娘が行く☆四国と忌部の歴史旅

ひょんなことから、実家の藍農園の周辺地域(旧麻植郡)に眠る歴史のおもしろさに気が付きました。学校では教えられない古代日本史の世界を、書籍や人や場所をたどって旅します。 記事は全て(有)藍色工房の坂東未来が書いています。

お勧めの書籍やブログがありましたらお知らせください☆
キーワードは「忌部」「物部」「邪馬台国」「日本・ユダヤ同祖論」「空海(弘法大師)」「日本の神話」など。
また、藍染めの江戸時代以前の記録や利用法に触れられている資料をご存じの方も是非お知らせください。

【リポート】吉野川コレクション2011 ~阿波忌部の里をめざして~

本当に久しぶりの更新となります。

本日開催された「吉野川コレクション2011 阿波忌部の里をめざして」に

参加し、そのことについてぜひリポートしておきたいと思ったからです。

(高越山の山頂の様子の続きは、次回にアップいたします。)



吉野川市鴨島公民館で開催されたイベントで以下のような構成となっておりました。

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◆プログラム◆
・プロモーションビデオの上映(吉野川市のPRとして作成されたもののようです)

・記念講演「吉野川市を阿波忌部の里に」
  鳴門市立鳴門工業高等学校 林 博章氏

・「日本麻フェスティバル&フォーラムに向けて」
  栃木県地域おこしアドバイザー 大森 由久氏(麻農家)

・忌部の郷づくりシンポジウム
(上記の林 博章先生と大森 由久さんに加え、三木家当主の三木 信夫さん、
阿波スピンドル株式会社 会長の木村さん、牛島八幡神社(麻宮)総代の藤井さん)

◆同時開催◆
地元物産品展示・販売

・鴨島商業高等学校
  あっぷるぽっぷ、きくや、野田ハニー、おいし工房、
  徳島産業、あわやと提携しての出店

・美郷商工会女性部  ・円生デコポン園  ・あぐり工房美郷  ・阿部和剛(和亭)

・餃子工房古谷     ・阿波菓匠青山  他

◆特別出展(栃木県)◆
・野州麻紙工房

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林先生の記念講演では、阿波忌部の概要が主に語られ(96枚からなるスライドをご自身で

ご用意されていました)、旧麻植郡の麻と藍の文化の重要性について熱く語っておられました。

「麻」に由来する地名や神社がこれほど多く点在する地域は他になく、日本の麻文化の

発祥の地であることは間違いないと断言されておられました。

旧麻植郡に住まう人がその気になって盛り上がっていくことが、埋もれた文化を

再興させる鍵だと力説されておりました。



それはその通りだと思います。

当の本人たちがその気にならなければ、何事も成らない。

でも、その道のりは、旧麻植郡の人にとって果てしなく遠いものに今日は思われました。

会場の様子をご覧ください。

 004


「忌部」に少しでも興味がある方なら、シンポジウムの顔ぶれがいかに重要なメンバーであるか

お分かりになると思います。

こうしたメンバーが一度にそろい、それぞれの立場でお話をされるという機会は

なかなかあることではないのです。

それにもかかわらず、空席があまりにも目立ちすぎました。



いつも「忌部」に触れながら感じる違和感が今日も決定的な形となって私の目前に

ありました。

どうしてこうも地元の一般の人にこの話題が浸透しないのか。

広報不足だというだけではないように感じます。



私自身にもあるこの感覚。

「まさか、こんなところにそんな重要なことがあるわけがない。」

「まさか、こんな身近にそんなドラマが埋まっているわけがない。」

「まさか、そんなすごいことに自分がかかわれるわけがない。」

どこか他人事のような、騙されているような、信じられないというような感覚。



たぶん、ある。

旧麻植郡に住まうほとんどの人に、そういう感覚が根付いているように

感じられます。

こうなると、熱心に広報をすればするほど、怪しい感じになってしまいます。



こんな気持ちになってしまうには、根深い問題があります。

忌部の文化を意識的に忘れなければならず、そういう施策が平安時代に入る前から

念入りに行われてきたという説があるのです。

もしそれが本当だとしたら、現代の旧麻植郡の人々が忌部の歴史になかなか目が向かないのは

当然の成り行きだといえます。



その無関心を破るヒントが、今日のイベントの中にありました。

栃木県からおいでになった麻農家の大森さんのお話を聞いていて、ピンと感じました。

「木屋平(こやだいら)の三木さん宅に初めてお伺いして、お話を伺って、

景色を眺めた時、家内と二人して自然と涙がこぼれるのを止めることができなかった。

遠い昔にこの地を旅立ったご先祖様が大変な想いをして海を渡り、川を上り

たどり着いたところが、いま私たちの住まう栃木県の鹿沼だったということがわかって、

感謝の気持ちでいっぱいでした。」



阿波の地を旅立って活動場所を広げた、忌部の流れをくむ人々が感じる

「忌部の里」の懐かしさ、大切さ、重要さ、そういったお話をもっともっと地元の

私たちが聴いていくことがとても大切なのではないでしょうか。

「麻植郡に麻が一つも植えられていないというのはいかがなものか…」と大森さんが

おっしゃったときに本当に申し訳ない気持ちでいっぱいになりました。

私たちが何を失ったのか、はっきりと意識することがまず重要。

それには、こうした県外の方々のお話をどんどん伺うことが一番なのではないかと

心の底から思いました。



外から観なければ分らないことがたくさんある。

そういうことをどんどん勉強する機会を持たなければと感じました。


ほかにもいろいろ感じたことはありましたが、一番重要に感じたことに焦点を置いて

リポートいたしました。

いずれにしても、旧麻植郡で麻を復活させることはとても大切なことだと自覚しました。

さて、もっともっと勉強を続けなければいけませんね…

人ともつながっていかなければなりませんね…



果てしない道のりに気持ちがくじけないように、今日のイベントで購入したお守りです。

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麻の葉紋を丁寧な組子で表現したモチーフを、大麻の紐に通したペンダントです。

気の遠くなるような人の手間がかかっているはずなのに、3000円でした。

健全なビジネスの仕組みも、健全な再興には必須だと考えます。

考えなくてはならないことも、行動していかなくてはならないことも山ほどありますね。




高越山(こうつざん)と忌部神社

邪馬台国の四国山上説は、一つの可能性として横に置いておきます。

旧麻植郡の話にちょっと戻ります。



旧麻植郡には忌部とかかわりのある山で最も重要なのは

高越山(こうつざん)ではないでしょうか。

この山には様々な伝説が残されています。



実際に登るのは意外と簡単で、8合目付近まで車で行くことができます。

その8合目付近の駐車場に車を停めて、登山口へ行くとこんな感じです。
高越寺参道入り口


物々しい雰囲気に一瞬緊張します。


ここから片道小一時間程度で山頂にたどり着けます。

装備はウォーキング用のシューズとウィンドブレーカーなど、ハイキングに出かけるときと

同じような感じで大丈夫。

でも、小さなお子様連れの時は注意が必要です。

狭い登山道のほとんどに柵がありませんから、足を滑らせたら大変な事になります。



山伏の修行のための山だったと聞きますから…

昔はもっと険しい道のりだったのだろうと思います。

証拠写真。
高越山所以



頂上付近には高越寺があります。

真言宗大覚寺派。本尊は蔵王権現(高越大権現)、脇仏(千手観音)です。

蔵王権現は、釈迦如来、千手観音、弥勒菩薩が合体したものとされ、7世紀ごろの

修験道の開祖と言われている役 小角(えん の おづの)が修行中にまみえたと

伝えられています。
2009 11 03 033



高越寺自体が、役 小角による開創という伝説もあります。

高越寺参門

高越寺参門はこんな感じで、まるで羅生門のたたずまい。

ここは、忌部神社の別当の役割も担っていたそうで、忌部と修験道が合体した

特有の形態が生まれました。



このお寺からさらに上に行くと、高越神社があります。
高越神社入り口


高越神社と山頂の光景については次回にゆっくりと触れます。

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旧麻植郡に残る最後の一軒の藍農園の藍を、石鹸に封じ込めて

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邪馬台国と四国山上の共通点

大杉博さんの著作『邪馬台国の結論は四国山上説だ』(現在絶版)から、

「四国山上」と魏志倭人伝中の「邪馬台国」との共通点をいくつか取り上げてみます。



・「周旋五千余里」→海岸から測量した場合、四国の山上の大きさと似ている

・「馬なし」→山上の国だから、野生の馬がいない

・「海中洲島の山に絶在している」「四面がみなともに、海にそびえたっている」→島国の山の上を示す

・「邪馬台国には青玉がある」→吉野川流域には青い石がたくさんある



他にも、植物の特徴など合致するものがあることと、『日本書紀』『古事記』の

記述にも一致する場所が徳島に多数存在することを挙げて、

これほど重要な記述が一致する場所は他になく、日本の国の始まりは

四国の山上だったと書かれています。



四国の山の上には古い人工のため池がいくつも点在していて、

弥生土器や石器がいたるところから出土していることも事実として

記されていることも重要な点です。

四国の山には明治の中ごろまで、畑の無いところでも山焼の風習があり、

人口のため池が落ち葉や雑木などで埋もれてしまわないように

なっていたそうです。



あとは…

邪馬台国周辺に存在していたとされる様々な国の名前とその場所について

細かく推理され、地図にも示されていました。

地図をスキャニングしてみました。

 004



おお~~~…


「へ~~」が「なるほど!」にだんだん変化していく。

そんな本でした。



興味深かったのは、『古事記』と『日本書紀』についても同時に比定して

おられたこと。

これは、忌部の歩みにかなりかかわる部分なので見逃せない情報なのです…



邪馬台国が四国にあったかもしれない。

あったかもしれないよ。

ワクワクします。



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邪馬台国は四国にあった?

卑弥呼が魏に献上したものの中に、藍で染められたものが含まれていたことが

きっかけで、忌部との関わりの可能性を考えて邪馬台国がどこにあったのかを

手に入る限りの情報で調べるようになりました。



九州説と畿内説が大きく取り上げられる中で、キッパリと異論を唱えている人が

いらっしゃいました。

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大杉博さんという方が、徳島県に移り住んで本格的に調査をされていました。

『邪馬台国の結論は四国山上説だ』:たま出版

初版発行:1993年9月10日


私が忌部の話で右往左往しているのを察して、この本を差し出してくださった

親切な方がいらっしゃるのですが、その方からこの本を受け取った時はすでに

絶版となっていました。

香川県の図書館で借りてくることができます。

古本で検索をかければそれほど難しくなく手に入るようです。


ここでは、魏志倭人伝に記されている「倭国」の特徴を読み解き、

それに当てはまるところを探した結果、邪馬台国は四国以外には

考えられないという結論に達しています。

以下、ほんの少し抜粋します。


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(略)倭人伝に示されている、約100項目に及ぶ邪馬台国の特徴の

全てに適合するのは、四国山上説だけである。邪馬台国論争は

これまで近畿説、九州説の二説が主流だったとは言えども、

幾ら論争を続けても決着しない原因は、両説矛盾が多く、

誤った比定地だからである。(略)

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なお、この本の中では天照大神と卑弥呼が同一人物であるという説も

展開されています。



歴史関係の会報誌などで、論文発表の申し出をしても跳ねのけられてしまうことが

常になっていた説だということで、発表当時は「キワモノ」扱いだったそうです。

まともに取り合ってもらうことができないなら、せめて手紙で疑問点を質問し、

満足な回答が出ないようなら、「四国山上説」確定という

「通信による邪馬台国の比定地くらべ論争」を敢行。

その経緯と結論が論争相手の学者さんのお名前も含めて、可能な限り

紹介されています。


この本を読んで思ったのですが、突然手紙で論争を吹っ掛けられた方は

驚いたことだろうと思います。

でも、専門家なら、自分の説と違うことを言う人ととことん意見を交わして

何が正しいのかを確定しなおすことも大事な仕事だろうと思います。

でも、ほとんどがそうならなかった…


まともにこの論争につきあえている人がいませんでした。

あえて無視しているのかもしれませんが。

こういうことはきちんと対応して、有力とされる情報の更新が

必要であれば、勇気を持ってそうすることが大切だと思います。



まぁ、そういう話は横に置いておいて…



魏志倭人伝に書かれていた邪馬台国の特徴と、四国の特徴が

どう当てはまるのか、次回はこの本より抜粋してみようと思います。




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魏志倭人伝しかないの?

前回の記事でちらっとご紹介した書籍からの話題に入る前に…

魏志倭人伝について改めてまとめておこうと思います。



以下はWikipediaからの引用です。


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魏志倭人伝(ぎしわじんでん)は、中国の正史『三国志』中の
「魏書」(全30巻)に書かれている東夷伝の倭人の条の略称であり、
日本において一般に知られる通称である。
江戸時代の漢学者の中で『三国志』という書名を用いず
『魏志』『蜀志』『呉志』などと称する慣習があったため、
この通称が用いられた。
正式な名前は「『三国志』魏書東夷伝倭人条」である。
全文で1988(又は2008)文字からなっている。

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全文で1988(又は2008)文字からなっている。

全文で1988(又は2008)文字からなっている。

全文で1988(又は2008)文字からなっている?



日本の歴史の始まりに近いところを、ほぼこの約2000文字の漢字に

頼って学者さんたちが紐解いてきたことを思うと、単純に驚きを隠し得ません。

この2000文字には読み下すための句読点のようなものが無いために

人によって解釈が違います。

そして当然ながら、書かれていることが全て本当だという確証もありません。


考えてみれば頼りない話です…


本来なら、その時代を学ぶための一資料的存在だと思いますが、

他に比べることのできるものが存在しないために、第一級資料の

扱いとなり続けて今日に至ります。



こんな事態こそが、なんだか不自然なような気がします。

文字は既に存在していたし、「邪馬台国」と呼ばれている国にも

その文化はあったと想定してもいいと思います。



これからご紹介する書籍は、魏志倭人伝をその方なりに丁寧に

読まれた上で、真摯に考察と検証を重ねて発表された力説と論争について

記録されています。

けれど、頭の端に、その魏志倭人の信憑性に対する疑問を

置いておきながら、ご紹介を続けたいと思います。


ということで、続きます!!


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