2018年09月05日

神奈フィル定期演奏会 予習 ブラームス作曲『交響曲第3番』

J.ブラームス/交響曲第3番 ヘ長調 Op.90

  指揮:オットマール・スウィトナー
  演奏:NHK交響楽団

 (キングレコード 1989年11月16日 NHKホール、ライブ録音)

 録音データ=I)10:12、II)9:44、III)6:56、IV)9:32 計=36:24

本日は昨日の帰宅に時間を4時間近くもかけた疲れがあったのか、
お昼ご飯を食べた後の午後の作業はナカナカにはかどらず、
まぁ、なんとか形になったかなの程度の出来で18時半近くに終業。
真っすぐに帰宅の途に着いた。
身体の調子は思いのほかによろしくは無い、と言ったところだ。

さて、今度の土曜日は神奈フィルの定期演奏会、みなとみらいホールシリーズ、
の日であります。
今回はドイツもの。
リヒャルト・シュトラウスの交響詩2作品と
ヨハネス・ブラームスの交響曲第3番であります。
個人的には大好きなR.シュトラウスの『ティル・オイレンシュピーゲルの愉快な悪戯』
を聞けるのがうれしいところでありますが。

なにはともあれ、そのコンサートの予習に。
まずは前プロであるブラームスの交響曲第3番を。

参考にしたCDはオットマール・スイトナー(1922.5.16-2010.1.8)
の最後の来日年である1989年のN響とのライブ録音を。
NHKホールでの録音である。

この曲は2番の交響曲から数年を置いて書かれた作品である。
初演はハンス・リヒター(1843-1916)の指揮、ウィーン・フィルの演奏で。
因みに僕のこの曲のデビューは中二の時に
ケルテス指揮ウィーン・フィルの演奏で録音されたLPレコードでした。
あれは素晴らしい演奏だったと思う。

で、楽曲は彼の4曲の交響曲の中で一番演奏時間が短い作品とされている。
参考のCDでは36分ちょっと。
楽章はお堅く4楽章形式。

第1楽章:アレグロ・コン・ブリオ
4分の6拍子でへ長調、ソナタ形式
第2楽章:アンダンテ
4分の4拍子でハ長調、三部形式
第3楽章:ポコ・アレグレット
8分の3拍子でハ短調、三部形式
第4楽章:アレグロ
2分の2拍子でヘ長調、ソナタ形式
で書かれている。

揚々と歌う様に始まる1楽章。
交響曲というよりも、ちょっとした声楽曲にも感じられる。
その雰囲気を持ったままに2楽章に連絡される。
日本人は簡単に叙情的だ、というが僕に言わせれば
この楽章は実にメランコリックに聞こえる。
憂鬱とか物思いにふける、という意味合いであるが、
1楽章のその雰囲気と比するとこの楽章は対象的に聞こえてくる。
悠々として旋律を歌いあげる1楽章に対して、
明確な姿が見えてこないこの楽章は本当にもの憂えた感じがある。
そのままに悲壮感のある3楽章が登場すると
その先の不安と悲しみを暗示するかの様な雰囲気へと万進する。
そして、個人的には「開き直りの高揚感」な終楽章。
それは最後に現実に向き合い、またメランコリックに静々と幕を閉じる。

ぼんくらの指揮者、ハンス・リヒターがこの曲を
『この曲は、ブラームスの『英雄』だ。』
と評したらしいが、どこをどう、輪切りにしたら『英雄』なんだか・・。
むしろ、これを聞くたびに、
ブラームスという人は決して「シンフォニスト」ではない、
と思わざるを得ない。
やはり、彼は室内楽の作曲家なんだと。



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2018年08月15日

坂口淳作詞/細川潤一作曲『マロニエの木陰』

坂口淳(作詞)細川潤一(作曲)/『マロニエの木陰』

  ソプラノ:鮫島有美子

 ()

今日はリーダーが夏休みで不在の中、ドキュメント作成は思いのほか進まず。
ま、最低限はこなしたかな、ってところですが。
仕事が終わったのは18時過ぎ、それから急いで帰宅したのは20時15分頃。
電車の乗り継ぎが悪く、駅から自宅までかなりな早歩きでの帰宅。
一休みの後は、お盆の送り火を焚いて、今年のお盆も終わり。

さて、今日は終戦記念日でもあります。
今から73年前、日本は太平洋戦争に負けてポツダム宣言を受け入れた。
そして、今に続くまでアメリカの植民地化されている・・・。

農地解放の名のもとに農家は力を失い、
完全に過剰生産になっていたアメリカの農産物の出荷先として利用され、
今に至ってもその状況を政治屋は改善しようとしない。

戦前の人々の方が懸命に生きていた様に思います。
懸命に日本を何とかしようと各国と闘っていたと思います。

そんな先達に敬意を払いつつ、第二次世界大戦で亡くなった
多くの先達たちに哀悼の意を込めて。

日本が誇る名曲中の名曲、『マロニエの木陰』を。
この曲は昭和12年(1937年)3月に松島詩子の歌でキングレコードから発売、
当初は戦中という事もあったのかそれ程にヒットしなかったが、
そのカデンツァの序奏に明朗で美しいタンゴ調の楽曲が
戦後に人気が出た作品でります。

まさに戦中から戦後にかけての時世を反映するかの様な曲。

歌うは日本を代表するソプラノ歌手の鮫島有美子(1952.1.8- )。
1975年7月に二期会のオペラ公演、『オテロ』で
デスデモーナ役でデビューした後は
彼女はウルム歌劇場の専属歌手にもなったほどの実力者。

この録音は彼女のアルバム、
『白い花の咲く頃 日本抒情歌集―2』より。

戦中生まれの亡父が良く聴いていたCD。

僕も、何気なくこの抒情歌や
「イヨマンテの夜」「黒の舟歌」を
小学生の頃から耳にしていたので
懐かしい
という思いが強い



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2018年08月14日

シニガーリャ作曲『ロマンスとユモレスケ』

L.シニガーリャ/『ロマンスとユモレスケ』 Op.16

  チェロ:ラファエラ・グロメス
  ピアノ:ユリアン・リーム

 ()

今日はお盆の中日なのですが、普通に仕事に行ってきました。
このところは13〜15日はお盆休みにしてたのですが、今の現場では不可。
お盆休みだからでしょうか、通勤電車はいつもよりだいぶ空いていました。
仕事は、やっとドキュメント作成が開始になって、
思ったよりは進んだ気もします。
18時30分過ぎに終業して、駅前のストアーに2,30分立ち寄って
帰宅は21時を回ったあたり。

さて、今日はレオーネ・シニガーリャ(1868.8.14-1944.5.16)の生まれた日。
今年で生誕150年です。

シニガーリャはユダヤ系の家庭にトリノにて生まれる。
若いころから登山と文学を嗜好していた人物で、
アルプスの一部の登山コースで、それなりに足跡を残しているし、
彼の登山に関しての執筆は今も残されている。
そんな彼は作曲家としては、ウィーンでJ.ブラームス(1833-1897)と友好を持ち、
E.マンディチェフスキ(1857- 1929)に師事して、絶対音楽の作風を身に着けている。
プラハではA.ドヴォルザーク(1841-1904)に学んでいる。
他にもウィーンではマーラーやゴルトマルクとも知己を得ているようだ。
しかし、第二次世界大戦近く、ナチス・ドイツにユダヤ系との事で弾圧され、
強制労働送りになる寸前に心臓発作で急逝していまう。

彼の代表作としては『ヴァイオリン協奏曲』や『ホルンと弦楽合奏のためのロマンス』
などがある。

彼は日本ではどういうわけか、同盟国だったナチス・ドイツに迫害された人物だからか、
殆ど無名に近いが、実はA.トスカニーニやW.フルトヴェングラー、J.バルビローリが
その作品を取り上げて演奏をしていることから決して知名度の低い作曲家ではないのだ。

その彼が残したチェロとピアノの為の『ロマンスとユモレスケ』である。
これは演奏時間が10分位の作品で、
「2つの小品」ともなっている。

第1曲はロマンス―クァジ・アダージョ
第2曲はユモレスケ―アレグロ・コン・ブリオ
で書かれている。

とてもロマンティックでキュートな曲である。



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2018年08月01日

ロット作曲『交響曲ホ長調』

H.ロット/交響曲 ホ長調

  指揮:ハンスイェルク・アルブレヒト
  演奏:ミュンヘン交響楽団

 (OEHMS 2913年8月 (ドイツ)ミュンヘン、バイエルン音楽スタジオ録音)

今日から8月。今年も残すところ5ヶ月しかありません。
早いものです。
もっとも、仕事は相変わらずに遅々としてすすまず、
自分の気分屋なところにガックリと力を落とす限りです。
やらなきゃいけない事もスケジュールなどもわかっているのですが、
モチベーションがまったく上がらない。

そして、明日はリーダー会社の要請により出勤日の調整で
2、3日休みを取る様にとのことに応えての夏休み。
もっとも、まとめて取れないのはリリース日が中頃に連続週末にあるから。

さて、今日はハンス・ロット(1858.8.1-1884.6.25)の生まれた日。
今年は彼の生誕160年の年にあたります。
と言うことで、最近、注目の増した彼の交響曲を取り上げてみた。
指揮はハンスイェルク・アルブレヒト(1972- )、
演奏はミュンヘン交響楽団。
2013年、今から5年前、ロット生誕155年の年の録音です。
奇しくも、なのか計画的になのか、8月の録音です。

アルブレヒトはミュンヘン・バッハ管弦楽団のシェフを2005年より務めている。
これは楽団創立者のC.リヒター(1926-1981)、そしてわれ等がシュナ爺こと
H.マルティン=シュナイト(1930-2018)に連なるポストであります。

ちなみに、アルブレヒトは僕と同い年。

ところで。
作曲したハンス・ロットですが、彼は実に才能ある音楽家だったようです。
それはG.マーラー(1860-1911)が高くその才を評価していることからも分かる。
そのマーラーに影響をしたA.ブルックナー(1824-1896)もまた彼を早くから認めた。
しかし、その才故にか。
交響曲第1番を20年以上の苦悩の末に世に送り出したJ.ブラームス(1833-1897)により
"抹殺"された。
ブラームスに"抹殺"された、と言うのは少々過激な表現だが、
ブラームスの手痛い批判が繊細なロットの精神を破壊し彼の夭折の人生の幕を開けた、
と思っている。
これも個人的な思いだが、ロットがブラームスに手痛い批判を受けたのは
・ワーグナーに傾倒のあったブルックナーに認められたから(ブラームスは音楽院の若者にブルックナーの影響があることを良しとしてなかった)
・作風がブルックナー風なひいてはワーグナー風な影響を見られるから(ブラームスがその作風を好めなかった)
・20歳の青年がこれだけの交響曲を作曲したことが妬ましかった(若しくは容認できなかった)
からでは無いだろうかと。
特に3つ目と1つ目の理由が強くあるのではないだろうか、と。

ロットの出生(しゅっしょう)は決して喜ばしいもとにあったとは個人的には思わない。
彼の母は美しい女優・歌手であったそうだが、17歳の時に33歳年上の俳優との間に
「不倫の末」によりもうけた子がロットであった。
母が18歳のときにロットは生れている。
両親が結婚するのは1862年のことであるが、そのわずか10年後に
母親がわずか32歳と言う若さで他界。父もロットが18歳の時に世を去っている。

両親を亡くしながらも、ロットはウィーン音楽院に進み、
学友にマーラーを持つ環境で学んだ。また、ブルックナーにはオルガンを学んでいる。
彼が音楽院の最終年次の作曲コンクールに提出したのが「交響曲ホ長調」の第1楽章。
しかし、師のブルックナー以外の審査員はこれを却下したようです。
ロットは、この交響曲を最終的に1880年に完成させ、
時の大指揮者H.リヒター(1843-1916)やブラームスに演奏依頼をするが断られる。
この時にブラームスが発した「どうせ才能は無いのだから、音楽を諦めるべきだ」
と言う言葉はロットの精神の正常さを打ち砕く。彼は精神病に陥る。

実際、ロットの写真を見ると、美貌の女優だったという母親に似たのか
とても美男子なのだが、真っ直ぐな意思の表れのようなその口元、
目元には神経質そうなイメージを持たされる。

そんな訳で精神状態を悪くした彼は、妄想を口走ったりし精神病院に送られる。
入院中は一時的に快方の兆しもみせ作曲の筆も取るが
結局は精神状態は回復を見せる事無く、結核のために26歳の人生を終える。

その彼が精神異常を起こす前に完成させた管弦楽曲である『交響曲 ホ短調』。
良く『交響曲第1番 ホ短調』と記されるのですが、
僕はあえて『交響曲 ホ短調』と記したい。

この作品は4楽章構成で、
第1楽章:アラ・ブレーベ
第2楽章:(アダージョ).ゼーア・ラングザム
第3楽章:力強く、活き活きと
第4楽章:ゆっくりと、(しかし)活き活きと
とされていて、演奏時間は50分ほどの大作である。

当初は「マーラーの亜流」「マーラーに影響された」「マーラーの二番煎じ」
などが彼に対する評価でした。
しかし、調べてみれば「マーラーの先駆者」が正しい評価だった様子。
実際に、その観点でマーラーの「交響曲第1番」とロットの「交響曲」を
聴きなおしてみれば、実はそっくりな2曲。



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2018年06月24日

フィオリロ作曲『36のエチュード』

F.フィオリロ/36のエチュード

  ヴァイオリン:木野雅之

 (EXTON 2010年7月 富山、北アルプス文化センター録音)

昨日の疲れのせいでしょうか、逆に疲れのせいで寝付けなかったせいでしょうか、
2時近くに寝入った様ですが、今朝は7時頃に目が覚めてしまい、起床は8時。
午前中は何するでもなくパソコン弄ったり、テレビ番組見たり。
「かしまし娘」がお婆さんになったなぁ、なんて思いながら。
お昼のおかずを買いに行き、午後もまったりとTV見たり。
そんなこんなで近所の公園のアジサイを見に行くのは今年は中止にしました。
競馬中継は推理ドラマ見ていたら、気づけば終わっていて(笑)
16時過ぎに買い物に行き、戻ったのは18時過ぎ。

さて、そんな今日は「ドレミの日」だそうだ。
なんでも1024年にG.ダレッツォ(991頃-1050頃)が「ドレミファソラシド」を使った
階名唱法を提案した日に因んでいるらしい。

まぁ、だから何、って突っ込まれるとこまるのですが(笑)

そんなわけでこの曲を。
フェデリコ・フィオリロ(1753-1825)の作曲した
『36のエチュード』です。

このCDは木野ちゃん、こと日フィルのコンマスも務める
木野雅之氏が「ヴァイオリン教本シリーズ」として出したシリーズの第3弾。
因みに、第1弾が「クロイツェル/42のエチュード」
第2弾が「ドント/24のエチュードとカプリース」
第4弾が「ザイツ/学生協奏曲全5曲」
第5弾が「ローデ/24のカプリス」
他にも「 カイザー/36のヴァイオリン練習曲」がカイザー編として出ている。

このフィオリロの「36のエチュード」はその名が示す通り、
全部で36曲からなっている。
第1番から第36番まで「教本」の曲と馬鹿にすることなかれ。
いずれもなかなかに素敵な曲が揃っている。

いや、実は最初にクロイツェルのCDが出たときには
「木野ちゃんも何を考えているのやら」
と思ってバカにしていたのですが、
聴いてびっくり。

あぁ、この曲ちゃんと聴くといい曲だなぁ
としみじみと思い描いて、ついにはこのシリーズを連続して購入してしまった。

なので、今の音楽では「基礎」となっている
「ドレミファソラシド」に因んだ「ドレミの日」に
ヴァイオリンの教本を聴いてみようかと思ったわけだ。

エチュード
つまり、和訳すると「練習曲」です

この36の練習曲は聴いて鑑賞するのを目的には書かれていないなぁ、
と素人耳にも受けるのですが、
しかし、曲の素敵さとしてはナカナカ。
派手さも、華やかさも、煌めきも薄いのですが、
情感という面で聴くと、実は面白いくらいに聴ける。

きっと、ヴァイオリンを学んだ人でこの
「36のエチュード」を教本としていた人には
あまり面白い思い出もないだろうけど
一寸、思い直して聴きなおしてみたらいかがかと。

ちょびっとくらいは「何かに」魅力を受けるかもしれませんぞ?



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2018年06月23日

グリーグ作曲『ピアノ協奏曲イ短調』

E.グリーグ/ピアノ協奏曲 イ短調 作品16

  ピアノ:イディル・ビレット
  指揮:アントニ・ヴィト
  管弦楽:ビルケント交響楽団

 (IBA 2006年11月 (トルコ)アンカラ、ビルケント・シンフォニー・ホール録音)

piret


今日は弟夫婦がペンギン好きな母親を「サンシャイン水族館」に連れていく、
ってことで僕もそのお供で行くことに。
9時に迎えに来た弟夫婦とともに近所のパン屋のモーニングを取り、10時近くには出発。
11時頃に到着して入館料は僕もちで。
空は怪しい雲行きでしたが何とか11時15分からの「ペリカン・フィーディングタイム 」
と11時45分からの「ペンギン・ダイビングタイム」までは見ることができた。
あとは館内の水槽を見て回り、お土産の買い物にお供して、
日枝神社参拝の後、「キャピトル東急」のレストランでお昼をすませる。
雨脚も強くなってきましたが無事に16時頃に帰宅。
晩御飯は近所のネタが良くとてもおいしい回転寿司屋に。

さて、今日は作曲家のダリウス・ミヨー(1892-1974)の命日ですが、
実はこの人の命日でもあります。

エドムント・ノイペルト(1842.4.1-1888.6.22)

ノルウェーのピアニスト兼作曲家です。
今年が没後130年にあたります。
あのグリーグのピアノ協奏曲の初演時にピアノソロを演奏した人物でもある。
この曲は1869年4月3日にコペンハーゲンで初演されている。

という事で、今日はエドゥアルト・グリーグ(1843.6.15-1907.9.4)の作曲した
名曲『ピアノ協奏曲イ短調』を。

グリーグは今年が生誕175年、去年が没後110年でした。

北欧の作曲家の中ではもっとも有名なピアノ協奏曲でしょう。
1868年の頃に書き上げられたグリーグの初期を代表する作品です。
楽章は3楽章からなるオーソドックスな協奏曲風。
第1楽章はアレグロ・モルト・モデラート イ短調 4分の4拍子のソナタ形式
第2楽章はアダージョ 変ニ長調 8分の3拍子の三部形式
第3楽章はアレグロ・モデラート・モルト・マルカート イ短調 4分の2拍子 ロンド形式
で書かれている。

この楽曲はR.シューマン(1810-1856)のピアノ協奏曲の演奏を
留学先のライプツィッヒで耳にしたことで、その影響を受けているともいわれる。



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2018年06月22日

セヴラック作曲『大地の歌ー7部からなる農耕詩』

セヴラック/大地の歌ー7部からなる農耕詩

  ピアノ:ホルディ・マソ

 (NAXOS 2011年10月 (スペイン)ヤフレ、オーディトリウム録音)

昨日に続いて、今日もプロパの社員、関係者は不在。
僕の窓口になっている会社の社員と今後の対応を会話して、
一旦、そちらからプロパに意見具申ってことでメールを送ってもらう。
結局、1日誰も居ない状況で、一応できることを作業して17時半には終業。

大体、「契約社員じゃないから指示は出せない」っていうこと自体、意味不明。
たかが協力会社の社員が勝手に走って勝手にやっても言い訳?
統制しないプロパってプロパの意味ないじゃん?
統制して指示出して、監督するってのがお仕事じゃないの?
出た作業に対して自己裁量してまとめる、ってのが確かに僕らの仕事。
でも、出てくる作業が五月雨式でまとまりがなくて、
2つの案件が並行して進んでいるのにバランスを見てない、ってどうなのよ?
人手が圧倒的に足りないのが原因だってのは窓口会社の社員との意見一致。
見限られて、プロパ一番の優秀な社員が今月で退社するのがその現れ。

と、こんな具合の現場で鬱々とした6か月の地獄をいやそうと、
早く帰ってきた今日はこの曲を。

デオダ・ド・セヴラック(1872.7.20-1921.3.24)の作曲した
『大地の歌』を。
ピアノはホルディ・マソ(1967- )。

CDの帯の文章を紹介すれば
「フランスのピアノ曲を語る上で、決して忘れてはいけない存在」
がセヴラックだそうだ。

確かに、
『ショパンにこんな素朴で美しい曲があったのか』
『ドビュッシーにこんな隠れた大作があったのか』
と思ったのが、この曲を最初に聞いた時の感想。

セヴラックはオート=ガロンヌ県のサン=フェリックス=ド=カラマン、
今のサン=フェリックス=ロラゲに生まれる。
県庁所在地は僕の好きなフランスのオーケストラの一つ、
トゥールーズ・キャピトルが拠点とするトゥールーズです。
スペインに近い地域であるオート=ガロンヌ県の出身の彼は
スペイン貴族の血筋の出である。
パリに出てスコラ・カントルムに入学する。
セヴラックはV.ダンディ(1851-1931)やA.マニャール(1865-1914)に
師事している。
他にもI.アルベニス(1860-1909)にも少しの間、学んでいる。
その後は南仏に戻り、生涯を南仏で過ごすことになる。

楽曲は副題のとおりに7つの部からなっている。
第1曲『序曲』
第2曲『耕作』
第3曲『種蒔き』
第4曲『夜のおとぎ話』
第5曲『雹』
第6曲『刈り入れ時』
第7曲:終曲『婚礼の斐』
演奏時間は7曲で20分を超す規模の楽曲です。



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2018年06月21日

ツィーラー作曲『ワルツ「勇敢であれ」』

ツィーラー/ワルツ『勇敢であれ』 作品522

  指揮:ミヒャエル・ディートリッヒ
  演奏:ラズモフスキー・シンフォニア

 (NAXOS)

今日は今日で『この間の休日出勤の代休は?』と聞けば、
「作業をかたずけてからね」
ある意味、正論です。が、私は今月で終わるんですよ?
そもそも、引き継ぎ先の案内も引き継ぎ作業も今になっても無し。
大体、全体の意見で「作業がオーバーフロー」なんだから終わる訳ないっしょ。
作業指示もその時々で五月雨に次々と協力会社の僕に丸投げ。
その上、共有フォルダにアクセスできない、外部にメールを送信できない、
決定する権限がない僕に丸投げ。レビューはなし、ってそりゃ出戻りも多発するだろ、
そりゃ、オーバーフローもするだろう。
責任を擦り付けてきました・・・天下の大企業様が。
「協力会社の社員」っていう存在の解釈を大きく間違っているような気がする。
そして、今日はプロパの関係者が誰も居ないっていう始末。

頭にきたので、予定の通りに次の案件の説明を聞きに定時で終業しました。
で、その足で2次の説明を聞きに。昔風に言えば面談とか面接。

昨日は一次面談の帰りに鉄道が人身事故を起こして30分ほど遅れて0時過ぎに帰宅、
お陰で草臥れている今日ですので、
今日の不機嫌もあるので聴く曲は優雅に行こうかと思って、
カール・ミヒャエル・ツィーラー(1843.5.2-1922.11.14)の作曲したワルツ、
『勇敢であれ』を聴いてみた。

ツィーラーは今となっては日本では「J.シュトラウス2世のライバル」というのが
一番の知名度と思われますが、
地元オーストリアでは今も人気のある作曲家であります。
ウィーン・フィルのニューイヤーコンサートのプログラムにも取り上げられるくらい。

ツィーラーは丁度、出版者のC.ハスリンガーがJ.シュトラウス2世(1825-1899)と
仲たがいし始めた頃にその対抗馬として世に送り出すことになったのがデビュー。
まさに『シュトラウス2世のライバル』として世に送り出されたのである。
しかし、デビューして早々に大きく人気になる訳もなく、
当時はそれほどに評価が高かったわけではなく、目先の評価をみたJ.シュトラウス夫人は
「ツィーラーには要するに才能がないのです」
とか言って、軽視されていたようです。
ところが、その2、3年後にJ.シュトラウス(1827-1870)が若くして亡くなると、
ツィーラーの存在は急に大きくなる。
それは、ウィンナ・オペレッタの「金の時代」「銀の時代」を支える作曲家として
後世にその名を残すことになるわけだ。
しかし、晩年はあまり幸せではなかったと言えよう。
第一次世界大戦で財産を失い、オーストリア宮廷の消失により宮廷舞踏会の職を失い、
失意のうちに亡くなったのである。

そのツィーラーが1905年に書いたのがこのワルツ『勇敢であれ』である。
作品は演奏時間が録音データを参考にすると8分半を要する。
颯爽として勇壮な行進曲風な冒頭が格好よくて
続く旋律のなんとも品のあるところがとても素敵な曲です。
派手さなどは全く無いしインパクトのある個性もないかもしれないが、
優雅で滑らかに進むステップはシュトラウス一家の楽曲にまったく負けていない。

個人的にはシュトラウス一家もヨゼフの作品が一番に好きだし、
ツィーラーの作品も好きだし、どうもこう言った作品の方が好みの様だ。



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2018年06月14日

デ・ファリャ作曲『「三角帽子」組曲』

M.デ・ファリャ/バレエ音楽『三角帽子』組曲

  指揮:カルロ・マリア・ジュリーニ
  演奏:ミラノRAI交響楽団

 (ARCHIPEL 1959年3月4日 ミラノ、ライブ録音)

deFalla_Giulini


今日は昨日できなかった分の作業と今日もともとに予定されていた作業のため
連日のようになっている客先での作業。
今日は思った以上にすんなりと作業も進んで、予定より2時間ほど前倒しに
18時45分に終了を迎えた。
もっとも、昨日の作業も客先の環境の影響での遅れだし・・・。
が、帰りの鉄道が遅れていて、最寄り駅には15分ほど遅れて到着だった・・・。

さて、今日はわが敬愛する名指揮者の
カルロ・マリア・ジュリーニ(1914.5.9-2005.6.14)の命日。
今から13年前のことでした。

彼が亡くなったあの日、僕にとってウィーンやミラノ、ベルリンなどの
「日本人が盲目的に能天気に絶賛する」音楽都市への興味は消失した。
僕にとってはそれほどの存在でした。
中学生の時に彼の録音に初めて触れて以来、
僕にとっては同じく中学の頃に出会ったB.ワルター(1876-1962)と並んで
敬愛し崇高し、思い入れのあるとっても大切な指揮者となったわけだ。

ジュリーニは「イタリアの指揮者」と日本では単に思われがち。
であるが、彼はアドリア海に面した南イタリアに生まれながら、
少年期はドイツ語圏に近い北部イタリアで育っている関係か、
ドイツよりなところがある。(実際、ジュリーニが育った頃はオーストリア領)
さらに音楽を学んだのはローマのサンタ・チェチーリア音楽院と
ドイツ、イタリアの文化圏の影響が彼の指揮には見られる。

それが、この録音、マニュエル・デ・ファリャ(1876.11.23-1946.11.14)
の作曲したバレエ音楽『三角帽子』組曲に聞いて取れる。

絢爛豪華な響きをオーケストラから引き出し、流麗にしてしなやかな歌い上げ、
躍動的な軽快さと、それをしっかと支える組み上げられた音楽構築。
絶妙な音と音の組み上げと絶妙なタイミングでの編み上げられたハーモニー。
よくオーケストラがまとめ上げられているアンサンブル。

オーケストラがよく反応しているっていうところもあるのだろうが、
こうも見事な演奏を楽団から引き出すジュリーニのタクトも流石といいたい。

ところで、この『三角帽子』という題材。
その題材を同じくするのがH.ヴォルフ(1860-1903)の作曲した
オペラ『お代官様』という作品。



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2018年05月30日

レイトン作曲『ピアノのための変奏曲』

K.レイトン/ピアノのための変奏曲 Op.30

  ピアノ:ピーター・ウォルフィッシュ

 (chandos)

今日は朝から本当に気が重い。昨日の騒動があり、作業は延期。
改めて整理してみれば当初の予定通りで、僕の勘違い、取り越し苦労って事で。
とは言え、結構、際どい作業スケジュールはやはり危険な訳で。
本番大丈夫だろうか。
手順書の土壇場での見直しなどをして、でも結局誰もレビューしてくれないし。
なんて現場でしょうか・・・。
その上、もう残業できないってのに、結局18時過ぎに終業、1時間近い残業。
で、帰りの空は雨だし・・・。体調悪い・・・気持ち悪い。

さて、今日は今年の8月に没後30年を、来年の10月に生誕90年を迎える、
イギリスの近代作曲家、ケネス・レイトン(1929.10.2-1988.8.24)の作品を。
『ピアノのための変奏曲』 です。

レイトンはイギリスのヨークシャーに生まれている。
幼少の頃から音楽の才は見せていたようです。
実際に作曲家として活躍すると、彼のチェロ協奏曲は
イギリスの名指揮者、サー・ジョン・バルビローリ(1899-1970)
の指揮によって初演されているし、
レオポルト・ストコフスキー(1882-1977)の指揮でも初演された作品がある。
そんな彼のピアノのための作品である。

楽曲は9曲からなる変奏曲で
演奏時間は録音データを見ると約15分足らず。
曲はどれも瑞々しく、かつ艶やかで悩ましい色彩で
魅力的な作品である。

構成は9曲からなり
第1曲/序奏、レント・ミステリアス
第2曲/カンツォーネ、アレグロ・グラツィオーソ
第3曲/子守歌、キュランテ
第4曲/トッカータ、アレグロ・モルト・エ・リトミコ
第5曲/夜想曲、レント・ソステヌート
第6曲/ワルツ、コン・モット―グラツィオーソ・マ・ウン・ポーコ・イロニコ
第7曲/ファンファーレ、アレグロ・モルト
第8曲/間奏曲、アンダンテードルツェ・エト・イノセント
第9曲/フーガ、アレグロ・マルカート

終曲は実にドラマティックに、劇的なアクセントをもって幕を閉じる。



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2018年05月28日

リゲティ作曲『フルートとオーボエのための二重協奏曲』

G.リゲティ/フルートとオーボエのための二重協奏曲(1972)

  フルート:ジャック・ゾーン
  オーボエ:ハインツ・ホリガー
  指揮:ジョナサン・ノット
  管弦楽:ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

 ()

今日は客の作業の立ち合いで午後から客先に入る。
とりあえず、作業をするわけではなく、手順書を作成した手前、
立ち合い、ってことで。
特に問題無く終了、予定の17時終了より1時間早く16時過ぎに終える。
16時半に客先を出るも、事務所に戻ると17時半となってしまうので、
直帰となりました。帰りがけ、10分20分タワレコによってから。
最後は最寄り駅1つ手前の駅から一番安く一番所要の早いバスで帰宅。

さて、今日はジェルジュ・リゲティ(1923.5.28-2006.6.12)の生まれた日。
今年は生誕95年になります。

彼は今のルーマニア(当時のルーマニア王国)にユダヤ人一家の下に生まれる。
第二次世界大戦の折には、家族と共に強制収容所に収監される。
父と弟は強制収容所で命を落とした。

終戦後リゲティは、ブダペストでゾルターン・コダーイ()らのもとで音楽を学んだ。
ハンガリー動乱の後の1956年にウィーンへ亡命し、オーストリアの市民権を取得した。
ウィーン音楽院で学んだ。
その後に現代音楽の手法に触れ、前衛的な手法を身に付けていった。

1973年から1989年までは、ハンブルク音楽演劇大学の教師も務めた。
2006年、ウィーンで死去。

そんなわけで彼の作品を。
『フルートとオーボエのための二重協奏曲(1972)』である。
フルートはコンセルトヘボウ管やボストン響で活躍したジャック・ゾーン(1961- )、
オーボエは名手として名高いハインツ・ホリガー(1939- )、
指揮は東響の指揮者として今は活躍しているジョナサン・ノット(1962- )。

この作品はリゲティがハンブルクの音楽演劇大学の教師になる1年前、
1972年に書き上げられた作品。
曲の構成は2楽章構成で
第1楽章はカルモ、コン・テネレッツァ
第2楽章はアレグロ・コッレンテ
演奏時間は録音データによると約16分



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2018年05月23日

エナ作曲『序曲「クレオパトラ」』

A.エナ/序曲『クレオパトラ』

  指揮:ヘルマン・ボイマー
  演奏:ハノーファー北ドイツ放送フィルハーモニー管弦楽団

 (CPO)

今日は電車が遅れて予定より一本後の電車に乗り継ぎ。
で、作業開始は実はドキュメントが出来て展開したらかえっても、
なんて話だったのですが・・・後少し、というところで
16時から会議という打ち合わせ。1時間で終わるかと思って居たのですが
延々と続き、19時まで。その後に短いチーム内で整理の打ち合わせ。
それから残作業を開始して、結局終わったのは21時過ぎ・・・。
帰宅は23時とあいなりました。幸い、雨はかなり弱くなっていました。

さて、今日はアウグスト・エナ(1859.5.13-1939.8.3)の作曲した
序曲『クレオパトラ』を。

アウグスト・エナ(アウゴスト・エナ/エンナ)はデンマークの作曲家で
オペラや歌曲で名を残している。
彼の代表作はオペラ『魔女』とオペラ『マッチ売りの少女』であろうか。
R.ワーグナー(1813-1883)の影響がある彼はまた、
デンマークの後続作曲家、C.ニールセン(1865-1931)等に影響をしている。

彼は来年が生誕160年であり、没後80年に当たる。

この『クレオパトラ』という序曲。
演奏時間は録音データをもとに言うと8分半という規模。
終始美しく、とてもロマンティックな作品である。
旋律を歌う演奏も功を奏しているのか、本当に美しく感じる。



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2018年05月21日

伊藤昇作曲『二つの抒情曲』

伊藤 昇/『二つの抒情曲』

  指揮:本名徹次
  演奏:オーケストラ・ニッポニカ

 (Alquimista Records 2004年3月7日 紀尾井ホール、ライブ録音)

今日は朝から当然、時間に追われ、
ドキュメントの作成・修正に追われと
あわただしい1日でありました。
とはいえ、急に旧知の人物に会う必要になり、
強引に18時に終業、待ち合わせの場に向かいました。
会話がてら軽く飲食をして終わったのは20時近く。

さて、今日は飛行家、チャールズ・リンドバーグ(1902-1974)が
1927年5月20日にNYを出発して無着陸大西洋横断をして
パリに到着した日だそうです。

ということで、今日は伊藤昇(1903-1993)の作曲した
『二つの抒情曲』を。
このCDの帯には『菅原明朗とその周辺』と書かれている。

山田耕作(1886-1965)を中心としたドイツ派の作曲家群に対して
菅原明朗(1897-1988)は「日本の伝統音楽はフランス近代の手法こそふさわしい」
として実践した。
その彼の「周辺」として今回の伊藤昇も取り上げられている。

つまりはフランスにチョビッと縁があるわけだ。

伊藤は1903年に長野県の松本市に生まれている。
1919年に横須賀の海軍軍楽隊に入隊し、トロンボーン奏者と勤めた。
4年後に除隊し、山田耕作に師事し、
その後、今度は菅原明朗にも師事しているという経歴も持っている。
彼はコロナ・オーケストラを結成し、1933年から後の東宝である「P・C・L」で
映画音楽の演奏などに関わることになる。
その代表は伊丹万作(1900-1946)とA.ファンクによる日独共作映画『新しき土』
の音楽(山田耕作が担当)を指揮しているのは伊藤である。
1936年開催のベルリンオリンピックでは芸術競技の日本代表にもなっている。

その伊藤が作曲したこの『二つの抒情曲』はピアノ曲として1927年頃に作曲されている。
その後、1929年にはマンドリン・オーケストラ用に、
さらに1930年に管弦楽用に編曲している。

曲は「黄昏の単調」と「陰影」の二曲からなっていて
合計の演奏時間は録音データをもとにすると6分30秒ほどの小品である。

少し翳りのある幕開けで始まる「黄昏の単調」は
しかし徐々に輪郭をつくって、やや重々しい旋律に帰結する。
それは確かに「黄昏て」いる。「黄昏時」とはよく言ったもの、
「日暮れ時」の西の空を一瞬思い浮かべた。
「陰影」は陰影らしくなく、しかし、明確なシルエットを描いて
日本伝統的といえなくもない旋律を描きながら、賑やかしい旋律を奏でる。
とても親しみの感じる楽曲である。



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2018年05月20日

ボザ作曲『頂上にて』

E.ボザ/『頂上にて』

  ホルン:ペーター・ダム
  ピアノ:ペーター・レーゼル

 (キングレコード 1985年 ドレスデン、ルカ協会録音)

実は5月に入って1日3時間くらいしか眠れていない。
仕事の現状がストレスになっているとしか考えられない。
1月から参加したプロジェクトは3月にはすでに重荷になっていて、
終に今月にその影響がアリアリと出てきている。
こうして、好きな音楽やブログを書くことでどうにかこうにか琴線を保っている。
最初から『協力会社』として参加しているのに『ベンダの社員』と同じ事させるって・・・。

今日は流石に昨日の疲れとツケが来たのか「気を失う様に寝ていた」様で
何とか5時間ほどは。7時過ぎに目が覚めた。

8時半からの「道普請」に出席して、帰宅後はTVを見ていたが、10時半過ぎ頃に
先週に行けなかった大型100円ショップへ出かけ、昼食やDIYショップによってから
帰宅は14時。一休みの後、16時半過ぎに軽く庭仕事をしてから買い物に。
帰宅は18時。

さて、今日は『成田空港が開港』して40年の日に当たるらしい。
それを記念して空港では今日は「記念ハンカチ」が12,000枚配布配られたそうだ。
そんなわけで。(どんな訳だ???(笑))
今日は「上空」にイメージして。
ウジェーヌ・ボザ( 1905.4.4-1991.9.28)が作曲したホルンとピアノの為の作品、
『頂上にて』を。
演奏はホルンが名手、ペーター・ダム(1937.7.27- )、
ピアノ伴奏はペーター・レーゼル(1945.2.2- )。

彼はニースにイタリア人とフランス人の両親の間に生まれる。
パリ音楽院でA.ビュッセル、J.イベールらに師事して
作曲・指揮・ヴァイオリンを学ぶ。
彼の代表する作品には5曲の交響曲やオペラ、バレエ、管楽アンサンブル曲がある・
1934年にカンタータ「ルクマニの伝説」でローマ大賞を受賞している。
1991年にヴァランシエンヌで逝去。
彼は日本においては管楽器曲の作曲家として名があり、
特に管楽器演奏家なら名前も知っていようか。

この曲は録音時間を参照すると7分ほどの作品である。

ピアノのドラマティックな幕あけからすぐにホルンの演奏に受け継がれる。
雄大に眼科に広がる俯瞰をイメージするかの様に僕には聞こえる。
中間部のきれいな旋律もなかなかに魅力的だ。
そして後半の颯爽とした旋律は素敵な緊張感にあふれている。



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