2024年08月18日
今日の耳元音楽 E.バーンスタイン作曲『映画「」』
E.バーンスタイン/映画『ゴーストバスターズ』
指揮:エルマー・バーンスタイン
管弦楽:ロイヤル・フィルハーモニー・ポップス管弦楽団
(DENON 1992年9月 ロンドン、ヘンリー・ウッド・ホール録音)

昨晩は2時頃に横になり、
今朝は6時過ぎには目が覚めて7時過ぎ、半近くに起床
朝食のあとはTVを見て一休み
9時過ぎに身支度を整えて、「道の駅きよかわ」へ向けて出発は10時近く
途中で雨に降られたりしたのですが
お目当ての味噌やら何やらを買って、厚木の煎餅屋に寄って
昼食を外食で済ませて13時頃に帰宅
午後は更にまったりと、競馬中継みたり推理ドラマ見たり、買い物に行ったり
さて、今日は20世紀の映画音楽の上で外せない作曲家のひとり、
エルマー・バーンスタイン(1922年4月4日 - 2004年8月18)
の亡くなった日です
今年は彼の没後20年にあたります
エルマー・バーンスタインはアメリカの作曲家
東欧ユダヤ系移民の出身で父親はウクライナ人である
1950年に東海岸のニューヨークから西海岸のハリウッドへ移り、
映画音楽の作曲をする様になる
「十戒」「黄金の腕」「荒野の七人」「大脱走」「ゴーストバスターズ」など
日本で上映されたものから、
「アカデミー 栄光と悲劇」「トワイライト」「ボレロ」のように
日本で上映されなかったものまで
それこそ、代表作には枚挙の暇がない
という事で、今日は彼の没後に因んでこの作品を
映画『ゴーストバスターズ』の音楽である
この映画は1984年、いまから40年前の映画である
もっとも、この映画の場合、レイ・パーカー・ジュニア(1954- )による
主題歌『ゴーストバスターズ』のイメージが強く、
バーンスタインによるメインテーマのイメージが弱く感じられる
因みに、レイ・パーカーJRも今年生誕70年だったんですね
何はともあれ、チャーミングながら不思議な雰囲気をもった旋律の
このメインテーマの音楽は、それはそれ、存在しないと締まらない
そんな作品です
まさに、この音楽は見事なコメディタッチの作品としての
『ゴーストバスターズ』を確立した音楽かもしれませんね
そして、いまや映画音楽のクラシック、ともいえるほどの
作品にもなっている様に思います。

指揮:エルマー・バーンスタイン
管弦楽:ロイヤル・フィルハーモニー・ポップス管弦楽団
(DENON 1992年9月 ロンドン、ヘンリー・ウッド・ホール録音)

昨晩は2時頃に横になり、
今朝は6時過ぎには目が覚めて7時過ぎ、半近くに起床
朝食のあとはTVを見て一休み
9時過ぎに身支度を整えて、「道の駅きよかわ」へ向けて出発は10時近く
途中で雨に降られたりしたのですが
お目当ての味噌やら何やらを買って、厚木の煎餅屋に寄って
昼食を外食で済ませて13時頃に帰宅
午後は更にまったりと、競馬中継みたり推理ドラマ見たり、買い物に行ったり
さて、今日は20世紀の映画音楽の上で外せない作曲家のひとり、
エルマー・バーンスタイン(1922年4月4日 - 2004年8月18)
の亡くなった日です
今年は彼の没後20年にあたります
エルマー・バーンスタインはアメリカの作曲家
東欧ユダヤ系移民の出身で父親はウクライナ人である
1950年に東海岸のニューヨークから西海岸のハリウッドへ移り、
映画音楽の作曲をする様になる
「十戒」「黄金の腕」「荒野の七人」「大脱走」「ゴーストバスターズ」など
日本で上映されたものから、
「アカデミー 栄光と悲劇」「トワイライト」「ボレロ」のように
日本で上映されなかったものまで
それこそ、代表作には枚挙の暇がない
という事で、今日は彼の没後に因んでこの作品を
映画『ゴーストバスターズ』の音楽である
この映画は1984年、いまから40年前の映画である
もっとも、この映画の場合、レイ・パーカー・ジュニア(1954- )による
主題歌『ゴーストバスターズ』のイメージが強く、
バーンスタインによるメインテーマのイメージが弱く感じられる
因みに、レイ・パーカーJRも今年生誕70年だったんですね
何はともあれ、チャーミングながら不思議な雰囲気をもった旋律の
このメインテーマの音楽は、それはそれ、存在しないと締まらない
そんな作品です
まさに、この音楽は見事なコメディタッチの作品としての
『ゴーストバスターズ』を確立した音楽かもしれませんね
そして、いまや映画音楽のクラシック、ともいえるほどの
作品にもなっている様に思います。

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2024年03月30日
今日の耳元音楽 ロカテッリ作曲『葬送シンフォニア「ローマで行われた彼の夫人の葬儀のために」』
ロカテッリ/葬送シンフォニア「ローマで行われた彼の夫人の葬儀のために」(1725)
指揮・チェンバロ:リナルド・アレッサンドリーニ
合奏:コンチェルト・イタリアーノ
()

昨晩は1時頃に横になろうとしたが
ついついネットをみて気付けば1時45分
今朝は6時頃に目覚めて、7時頃に起床
そして、9時近くに家を出て
月命日参りをしてから「城山カタクリの里」へ
1時間程度でいける道が混雑渋滞で
着いたのは11時半頃、SNSである様に紫は見頃
12時過ぎに見物も終わり、帰宅の途につく
途中で昼食を済ませて帰着は14時頃
TVで競馬中継を見て今に至るわけだ
今日は後期バロックのイタリア人作曲家
ピエトロ・アントーニオ・ロカテッリ(1695.9.3-1764.3.30)
の亡くなった日である
今年は彼の没後260年にあたる
ロカテッリは1695年生れというから
同じ後期バロックの作曲家、
J.S.バッハ(1685-1750)やF.ヘンデル(1685-1759)より
10歳ほど年下の世代、
同じ年の生まれに同じくイタリアの生まれの
G.サンマルティーニ(1695頃-1750)が居る程度
この世代は余り著名な作曲家、音楽家が居ない様な気もしますが
ヴァイオリンの世界ではロカテッリは無視できない作曲家かと
もっとも、ロカテッリは日本ではやはりマイナーな作曲家、
と言わざるを得ない人物であり、もう少し注目して欲しいと思う
という事で、今日はそのロカテッリの作品を聴いてみる
『葬送シンフォニア「ローマで行われた彼の夫人の葬儀のために」』
と言うシンフォニアである
とは言え、この作品はバロック期のものとして個性的で
5つの楽章からなっている
バロック期、または古典期前期などでイタリア風シンフォニアと言えば
三楽章構成のものが基本型かと思う
それを否定して五楽章形式というのはまた個性的である
脱線だが、個性と言うのはある見方をすれば
何かを否定することに始まるものだと思う
または何かの拒絶、つまりは否定に依るものであると
だから、その否定が無ければ「個性」とはなくなり
「没個性」でしかなくなるというものでは無いかと
ロカテッリはベルガモ出身でローマで学んだ後、
1729年にアムステルダムに移りそのまま定住、その地で没している
このシンフォニアは今から大体、300年前の作品で
更にロカテッリがアムステルダムに移り住むちょっと前の作品になる
ロカテッリの作品は得意としていたヴァイオリンのための作品が殆どで
その中で、このシンフォニアが録音されているのは
実に貴重かと思う
冒頭からドラマ性のある旋律が多分に溢れてくる
中間の3楽章で穏やかで陰鬱とした旋律が登場すると
一時の情熱が鎮まる
が、すぐさま華やかな旋律が登場し場を盛り上げる
先の2つの楽章の情熱とは違い
落ち着きのある情熱が溢れてくる
中間楽章を軸にして見事な対称だと思う
最後の楽章も整った感じのする楽章で
伸びのある旋律が所々でアクセントになっている
是非とも、こういった楽曲も
日本家は取り上げて欲しいものです

指揮・チェンバロ:リナルド・アレッサンドリーニ
合奏:コンチェルト・イタリアーノ
()

昨晩は1時頃に横になろうとしたが
ついついネットをみて気付けば1時45分
今朝は6時頃に目覚めて、7時頃に起床
そして、9時近くに家を出て
月命日参りをしてから「城山カタクリの里」へ
1時間程度でいける道が混雑渋滞で
着いたのは11時半頃、SNSである様に紫は見頃
12時過ぎに見物も終わり、帰宅の途につく
途中で昼食を済ませて帰着は14時頃
TVで競馬中継を見て今に至るわけだ
今日は後期バロックのイタリア人作曲家
ピエトロ・アントーニオ・ロカテッリ(1695.9.3-1764.3.30)
の亡くなった日である
今年は彼の没後260年にあたる
ロカテッリは1695年生れというから
同じ後期バロックの作曲家、
J.S.バッハ(1685-1750)やF.ヘンデル(1685-1759)より
10歳ほど年下の世代、
同じ年の生まれに同じくイタリアの生まれの
G.サンマルティーニ(1695頃-1750)が居る程度
この世代は余り著名な作曲家、音楽家が居ない様な気もしますが
ヴァイオリンの世界ではロカテッリは無視できない作曲家かと
もっとも、ロカテッリは日本ではやはりマイナーな作曲家、
と言わざるを得ない人物であり、もう少し注目して欲しいと思う
という事で、今日はそのロカテッリの作品を聴いてみる
『葬送シンフォニア「ローマで行われた彼の夫人の葬儀のために」』
と言うシンフォニアである
とは言え、この作品はバロック期のものとして個性的で
5つの楽章からなっている
バロック期、または古典期前期などでイタリア風シンフォニアと言えば
三楽章構成のものが基本型かと思う
それを否定して五楽章形式というのはまた個性的である
脱線だが、個性と言うのはある見方をすれば
何かを否定することに始まるものだと思う
または何かの拒絶、つまりは否定に依るものであると
だから、その否定が無ければ「個性」とはなくなり
「没個性」でしかなくなるというものでは無いかと
ロカテッリはベルガモ出身でローマで学んだ後、
1729年にアムステルダムに移りそのまま定住、その地で没している
このシンフォニアは今から大体、300年前の作品で
更にロカテッリがアムステルダムに移り住むちょっと前の作品になる
ロカテッリの作品は得意としていたヴァイオリンのための作品が殆どで
その中で、このシンフォニアが録音されているのは
実に貴重かと思う
冒頭からドラマ性のある旋律が多分に溢れてくる
中間の3楽章で穏やかで陰鬱とした旋律が登場すると
一時の情熱が鎮まる
が、すぐさま華やかな旋律が登場し場を盛り上げる
先の2つの楽章の情熱とは違い
落ち着きのある情熱が溢れてくる
中間楽章を軸にして見事な対称だと思う
最後の楽章も整った感じのする楽章で
伸びのある旋律が所々でアクセントになっている
是非とも、こういった楽曲も
日本家は取り上げて欲しいものです

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2024年03月26日
今日の耳元音楽 シューマン作曲『森の情景』
シューマン/森の情景 Op.82
ピアノ:ウィルヘルム・バックハウス
()

昨晩は0時半に横になり、
今朝は5時半のアラームに目を覚まし
雨の気配でバスで駅まで行くことに決心、
6時前に起床して朝食、身支度を整えて
7時前に家を出る
今日は朝から雨、夕方過ぎ帰る頃には
雨にも加え、突風付と来たもので
18時半のバスで駅までくるも、途中が遅れて
乗りたかった、乗り継ぎのバスを目の前で逃す
10分ばかし待って系統違いのバスで自宅近くへ
しかし、この強風&降雨の中だと言うのに
馬鹿みたいに飛ばす軽自動車に轢かれかけるしまつ
バス停から3分程の間は傘がおちょこに数度なるし
仕事はバタバタして何とも言いようのない・・・
さて、今日は20世紀前半のドイツピアノ界の重鎮
ウィルヘルム・バックハウス(1884.3.26-1969.7.5)
の生まれた日
今年は彼の生誕140年、没後55年にあたる年です
そんなになるんですねぇ
"鍵盤の獅子王"
と評されたバックハウス
つとにベートーヴェン演奏が高く評価され、
日本ではバカみたいにベートーヴェン演奏ばかりが
売れていく変わったピアにストである
僕はモーツァルトやハイドンのソナタの演奏も
実に良いと思うのですが・・・
そんな訳で、バックハウスのピアノ演奏の中から
ロベルト・シューマン(1810.6.8-1856.7.29)
の作曲した『森の情景』を取り上げてみた
モーツアルトやハイドンじゃ無いンかいッ!!
とツッコミが入りそうですが、それはそれ
シューマンの演奏にもう少し注目して欲しい、
と思う訳ですよ
バックハウスが生まれたときとシューマンが亡くなった時は
僅かに30年の隔たりだけでしかない
実に時代的には、21世紀の演奏家よりもより
作曲家に近い環境の社会的伝統の中に生まれたことになる
それだけに、是非ともバックハウスのシューマンは聴いてほしい
この『森の情景』は小曲9曲から構成されている
1848年から1849年にかけて作曲された
シューマン後期の作品である
全曲を演奏してやく20〜23分程の作品になる
第1曲 「入口」
第2曲 「待ち伏せる狩人」
第3曲 「孤独な花」
第4曲 「呪われた場所」
第5曲 「親し気な風景」
第6曲 「宿」
第7曲 「予言の鳥」
第8曲 「狩りの歌」
第9曲 「別れ」
と言うタイトルの曲が並ぶ

23.11
ピアノ:ウィルヘルム・バックハウス
()

昨晩は0時半に横になり、
今朝は5時半のアラームに目を覚まし
雨の気配でバスで駅まで行くことに決心、
6時前に起床して朝食、身支度を整えて
7時前に家を出る
今日は朝から雨、夕方過ぎ帰る頃には
雨にも加え、突風付と来たもので
18時半のバスで駅までくるも、途中が遅れて
乗りたかった、乗り継ぎのバスを目の前で逃す
10分ばかし待って系統違いのバスで自宅近くへ
しかし、この強風&降雨の中だと言うのに
馬鹿みたいに飛ばす軽自動車に轢かれかけるしまつ
バス停から3分程の間は傘がおちょこに数度なるし
仕事はバタバタして何とも言いようのない・・・
さて、今日は20世紀前半のドイツピアノ界の重鎮
ウィルヘルム・バックハウス(1884.3.26-1969.7.5)
の生まれた日
今年は彼の生誕140年、没後55年にあたる年です
そんなになるんですねぇ
"鍵盤の獅子王"
と評されたバックハウス
つとにベートーヴェン演奏が高く評価され、
日本ではバカみたいにベートーヴェン演奏ばかりが
売れていく変わったピアにストである
僕はモーツァルトやハイドンのソナタの演奏も
実に良いと思うのですが・・・
そんな訳で、バックハウスのピアノ演奏の中から
ロベルト・シューマン(1810.6.8-1856.7.29)
の作曲した『森の情景』を取り上げてみた
モーツアルトやハイドンじゃ無いンかいッ!!
とツッコミが入りそうですが、それはそれ
シューマンの演奏にもう少し注目して欲しい、
と思う訳ですよ
バックハウスが生まれたときとシューマンが亡くなった時は
僅かに30年の隔たりだけでしかない
実に時代的には、21世紀の演奏家よりもより
作曲家に近い環境の社会的伝統の中に生まれたことになる
それだけに、是非ともバックハウスのシューマンは聴いてほしい
この『森の情景』は小曲9曲から構成されている
1848年から1849年にかけて作曲された
シューマン後期の作品である
全曲を演奏してやく20〜23分程の作品になる
第1曲 「入口」
第2曲 「待ち伏せる狩人」
第3曲 「孤独な花」
第4曲 「呪われた場所」
第5曲 「親し気な風景」
第6曲 「宿」
第7曲 「予言の鳥」
第8曲 「狩りの歌」
第9曲 「別れ」
と言うタイトルの曲が並ぶ

23.11
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2024年03月25日
今日の耳元音楽 オール・ザット・ジャズのアルバム"EVENING!"より『キューティーハニー』
"キューティーハニー"
演奏:オール・ザット・ジャズ(All That Jazz)
(P-VINE RECORDS)
昨晩は1時頃によこになり、
今朝は5時半のアラームで目が覚め、
6時過ぎに起床、朝食を済ませて
7時には家を出発
まったく、歩が進まず呼吸器系が苦しいなか駅に
朝っぱらからトラブルを起こしている鉄道に乗って
ギリ、バスには間に合った
何だか、変なドキュメントの確認作業(再鑑)で
1日が過ぎた今日は6時過ぎに終業して
6時半のバスで帰ってきた
今日も朝から雨が降ったり止んだり
さて、今日はジャズ、といってもフュージョンに近い
この作品を聴いてみる
All That Jazz
のアルバム『Anime That Jazz Evening!』から"キューティーハニー"である
別に、このアニメ作品に思い入れがある訳では無いです
一応、世代がひとつふたつ上の作品ですから
しかし、たまに聴きたくなるんですよね、このアルバム
そして、この曲は
他にもルパン三世や銀河鉄道999、聖剣のアクエリオンと
馴染みの作品の名前があるんですが
キューティーハニーは御存知、お色気アニメの走りのひとつ
原作は永井豪
1973年に原作の連載がひと月ほど早く始まり、
それを追う様にアニメが始まった作品
1年間の連載とアニメ放映がされた
アニメの脚本には、後に「トラベル・ライター瓜生慎」シリーズ、
「迷犬ルパン」シリーズを書いて推理小説界でも活躍する
辻真先が参加していた
因みに辻はアニメ「Dr.スランプ アラレちゃん」の初期の脚本も書いている
改めて、鳥山明氏に追悼の意を表したい・・・
さて、このキューティーハニーのテーマ曲であるが
当然、この時代のアニメであるから"主題歌"となっている
作詞はクロードQ、作曲は渡辺岳夫
作曲の渡辺岳夫はTV作品の音楽には欠かせない人物で
アニメでもフランダースの犬、あらいぐまラスカル、アルプスの少女ハイジ、
巨人の星に天才バカボン、無敵超人ザンボット3、無敵鋼人ダイターン3
そしてなにより、機動戦士ガンダムと多数、
ドラマもザ・ガードマン、非情のライセンス、白い巨塔など枚挙に暇がない
その渡辺岳夫(ナベタケ)の作品である
キューティーハニーの主題歌がツマラナイ作品であるわけがない
フュージョン・ジャズで演奏されても実に洒落た感じは失われない
見事な作品だと思う
そう言えば、この曲は倖田來未がカバーした事もあったっけ
あの時は実写の劇場版作品としてキューティーハニーが
復活した時でしたか
"キューティーハニー"
永遠の名作なのでしょうな

演奏:オール・ザット・ジャズ(All That Jazz)
(P-VINE RECORDS)
昨晩は1時頃によこになり、
今朝は5時半のアラームで目が覚め、
6時過ぎに起床、朝食を済ませて
7時には家を出発
まったく、歩が進まず呼吸器系が苦しいなか駅に
朝っぱらからトラブルを起こしている鉄道に乗って
ギリ、バスには間に合った
何だか、変なドキュメントの確認作業(再鑑)で
1日が過ぎた今日は6時過ぎに終業して
6時半のバスで帰ってきた
今日も朝から雨が降ったり止んだり
さて、今日はジャズ、といってもフュージョンに近い
この作品を聴いてみる
All That Jazz
のアルバム『Anime That Jazz Evening!』から"キューティーハニー"である
別に、このアニメ作品に思い入れがある訳では無いです
一応、世代がひとつふたつ上の作品ですから
しかし、たまに聴きたくなるんですよね、このアルバム
そして、この曲は
他にもルパン三世や銀河鉄道999、聖剣のアクエリオンと
馴染みの作品の名前があるんですが
キューティーハニーは御存知、お色気アニメの走りのひとつ
原作は永井豪
1973年に原作の連載がひと月ほど早く始まり、
それを追う様にアニメが始まった作品
1年間の連載とアニメ放映がされた
アニメの脚本には、後に「トラベル・ライター瓜生慎」シリーズ、
「迷犬ルパン」シリーズを書いて推理小説界でも活躍する
辻真先が参加していた
因みに辻はアニメ「Dr.スランプ アラレちゃん」の初期の脚本も書いている
改めて、鳥山明氏に追悼の意を表したい・・・
さて、このキューティーハニーのテーマ曲であるが
当然、この時代のアニメであるから"主題歌"となっている
作詞はクロードQ、作曲は渡辺岳夫
作曲の渡辺岳夫はTV作品の音楽には欠かせない人物で
アニメでもフランダースの犬、あらいぐまラスカル、アルプスの少女ハイジ、
巨人の星に天才バカボン、無敵超人ザンボット3、無敵鋼人ダイターン3
そしてなにより、機動戦士ガンダムと多数、
ドラマもザ・ガードマン、非情のライセンス、白い巨塔など枚挙に暇がない
その渡辺岳夫(ナベタケ)の作品である
キューティーハニーの主題歌がツマラナイ作品であるわけがない
フュージョン・ジャズで演奏されても実に洒落た感じは失われない
見事な作品だと思う
そう言えば、この曲は倖田來未がカバーした事もあったっけ
あの時は実写の劇場版作品としてキューティーハニーが
復活した時でしたか
"キューティーハニー"
永遠の名作なのでしょうな

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2023年11月17日
神奈フィル定期演奏会 予習 ドヴォルザーク作曲『交響曲第9番ホ短調「新世界より」』
ドヴォルザーク/交響曲第9番 ホ短調 Op.95『新世界より』
指揮:パーヴォ・ヤルヴィ
管弦楽:ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団
()

昨晩は妙な疲労と眠気に襲われて
1時頃には横になっていた様です
一度、3時半頃に目が覚めて
二度寝で起きたのは7時半過ぎ
昨夜半から降り始めた雨は今朝も残り
今日は午後から自社の忘年会という事で
午後はソチラに向けての時間になります
さて、いよいよ明日は神奈フィルの定期演奏会

という事で今日もその予習で
ボヘミアを代表する作曲家である
アント(ニ)ン・ドヴォルザーク (1841-1904))
の代表曲、『交響曲第9番ホ短調「新世界より」Op.95』を
ドヴォルザークは、北ボヘミアのネラホゼヴェスに生まれた
父はツィター奏者で簡単な作曲も行った人物のようです
伯父もトランペット奏者として知られていた様で
子供時代から音楽のある環境に育ったようです
子供時分から音楽的才能は示していたドヴォルザークですが
父親は家業の肉屋を継がせるつもりだったようです
色々とあった末にプラハのオルガン学校に通う事になった
コムザーク1世(1823-1893)の楽団にヴィオラ奏者として参加、
その後は国民劇場のヴィオラ奏者として活動する
作曲活動はオルガン学校在学中から習作を創っていた様だが
ナカナカ世に出ることはできなかった様だが
歌劇『王様と炭焼き』がスメタナ(1824-1884)に
「天才の作」と評価されるが、スメタナのもう一つの予言、
「これが上演されるとは思わない」の通り上演はされなかった
1871年に楽団を辞任して作曲に専念するようになると
作品も評価される様になり、いよいよ作曲家として大成していく
ドヴォルザークにアメリカの音楽院から学院長の打診があったのは
1891年春の事であった
それ以降は、世間に知られた通り、若干のホームシックになりながらも
「チェロ協奏曲ロ短調」や今回の『交響曲第9番ホ短調「新世界より」』
などの作品を書きあげることになる
さて、その『交響曲第9番ホ短調「新世界より」』であるが
もう今更の有名曲で、日本で三大交響曲とかいう
イミフな称号を得ているが、まぁ、それだけポピュラーな曲
という事なのだろう・・・
しかし、三大交響曲って・・・なに?(笑)
作品の完成度で言えば、実は「交響曲第8番」の方が上なのだが
聴きやすい旋律という事では「交響曲第9番」の方がやや上か
よくよく、「アメリカ音楽を、云々」と言われるこの曲ですが
ドヴォルザーク自身は
「インディアンやアメリカの主題を使ったというのはナンセンスです。嘘です。
私はただ、これらの国民的なアメリカの旋律の精神をもって書こうとしたのです」
としていることからも、実際にアメリカ音楽の旋律に刺激されて
とか、それらを取り入れて、ということはまぁ、違うということだろう
ジャズもクラシックと同じくらい中学から聞いている僕としては
「ニュアンスだけ取り入れた感じかな」と言う印象をいつも受ける
なにせ、ジャズを聴くと必ずといっていい程にアメリカ音楽の
源流をしりたくなるのだから
で、楽曲の構成ですが、基本形(?)である四楽章形式で
構成されていて
第一楽章:アダージョ〜アレグロ・モルト
第二楽章:ラルゴ
第三楽章:スケルツォ、モルト・ヴィヴァーチェ〜ポコ・ソステヌート
第四楽章:アレグロ・コン・フォーコ
となっていて、演奏時間は録音データから45分から47分程
結構な大作だと思う
冒頭から親しみやすい旋律が登場する辺りは
実は日本人だからこそ、特に感化されやすいのでは
と思って居る
そもそも、ボヘミア辺りの文化というのは
欧州にあって日本人にとっては近親感を受けるものだと
個人的には思って居る
そのボヘミアの作曲家、ドヴォルザークがニュアンスを受けて
自らの故郷へ向けて書いた作品として考えれば
どちらかと言えば、ボヘミア音楽文化が根底をなしている
と考える方が自然で、実際に旋律などはそのような印象を受ける
それは、よくよくブラームスをドヴォルザークの影響の一つに
数え上げる人がいるが実は根底にその存在はいても
やはり彼への影響はボヘミアなのである
スメタナの作品に耳を傾けてから、この『交響曲第9番「新世界より」』
を聴くと、その背景に見えてくるものは共通している様に思う
特に、第1楽章とスメタナの「モルダウ」などは
その背景が良く似通っている様に思える

指揮:パーヴォ・ヤルヴィ
管弦楽:ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団
()

昨晩は妙な疲労と眠気に襲われて
1時頃には横になっていた様です
一度、3時半頃に目が覚めて
二度寝で起きたのは7時半過ぎ
昨夜半から降り始めた雨は今朝も残り
今日は午後から自社の忘年会という事で
午後はソチラに向けての時間になります
さて、いよいよ明日は神奈フィルの定期演奏会

という事で今日もその予習で
ボヘミアを代表する作曲家である
アント(ニ)ン・ドヴォルザーク (1841-1904))
の代表曲、『交響曲第9番ホ短調「新世界より」Op.95』を
ドヴォルザークは、北ボヘミアのネラホゼヴェスに生まれた
父はツィター奏者で簡単な作曲も行った人物のようです
伯父もトランペット奏者として知られていた様で
子供時代から音楽のある環境に育ったようです
子供時分から音楽的才能は示していたドヴォルザークですが
父親は家業の肉屋を継がせるつもりだったようです
色々とあった末にプラハのオルガン学校に通う事になった
コムザーク1世(1823-1893)の楽団にヴィオラ奏者として参加、
その後は国民劇場のヴィオラ奏者として活動する
作曲活動はオルガン学校在学中から習作を創っていた様だが
ナカナカ世に出ることはできなかった様だが
歌劇『王様と炭焼き』がスメタナ(1824-1884)に
「天才の作」と評価されるが、スメタナのもう一つの予言、
「これが上演されるとは思わない」の通り上演はされなかった
1871年に楽団を辞任して作曲に専念するようになると
作品も評価される様になり、いよいよ作曲家として大成していく
ドヴォルザークにアメリカの音楽院から学院長の打診があったのは
1891年春の事であった
それ以降は、世間に知られた通り、若干のホームシックになりながらも
「チェロ協奏曲ロ短調」や今回の『交響曲第9番ホ短調「新世界より」』
などの作品を書きあげることになる
さて、その『交響曲第9番ホ短調「新世界より」』であるが
もう今更の有名曲で、日本で三大交響曲とかいう
イミフな称号を得ているが、まぁ、それだけポピュラーな曲
という事なのだろう・・・
しかし、三大交響曲って・・・なに?(笑)
作品の完成度で言えば、実は「交響曲第8番」の方が上なのだが
聴きやすい旋律という事では「交響曲第9番」の方がやや上か
よくよく、「アメリカ音楽を、云々」と言われるこの曲ですが
ドヴォルザーク自身は
「インディアンやアメリカの主題を使ったというのはナンセンスです。嘘です。
私はただ、これらの国民的なアメリカの旋律の精神をもって書こうとしたのです」
としていることからも、実際にアメリカ音楽の旋律に刺激されて
とか、それらを取り入れて、ということはまぁ、違うということだろう
ジャズもクラシックと同じくらい中学から聞いている僕としては
「ニュアンスだけ取り入れた感じかな」と言う印象をいつも受ける
なにせ、ジャズを聴くと必ずといっていい程にアメリカ音楽の
源流をしりたくなるのだから
で、楽曲の構成ですが、基本形(?)である四楽章形式で
構成されていて
第一楽章:アダージョ〜アレグロ・モルト
第二楽章:ラルゴ
第三楽章:スケルツォ、モルト・ヴィヴァーチェ〜ポコ・ソステヌート
第四楽章:アレグロ・コン・フォーコ
となっていて、演奏時間は録音データから45分から47分程
結構な大作だと思う
冒頭から親しみやすい旋律が登場する辺りは
実は日本人だからこそ、特に感化されやすいのでは
と思って居る
そもそも、ボヘミア辺りの文化というのは
欧州にあって日本人にとっては近親感を受けるものだと
個人的には思って居る
そのボヘミアの作曲家、ドヴォルザークがニュアンスを受けて
自らの故郷へ向けて書いた作品として考えれば
どちらかと言えば、ボヘミア音楽文化が根底をなしている
と考える方が自然で、実際に旋律などはそのような印象を受ける
それは、よくよくブラームスをドヴォルザークの影響の一つに
数え上げる人がいるが実は根底にその存在はいても
やはり彼への影響はボヘミアなのである
スメタナの作品に耳を傾けてから、この『交響曲第9番「新世界より」』
を聴くと、その背景に見えてくるものは共通している様に思う
特に、第1楽章とスメタナの「モルダウ」などは
その背景が良く似通っている様に思える

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2023年11月16日
神奈フィル定期演奏会 予習 コルンゴルト作曲『ヴァイオリン協奏曲 ニ長調』
コルンゴルト/ヴァイオリン協奏曲 ニ長調 Op.35
ヴァイオリン:ヤッシャ・ハイフェッツ
指揮:アルフレート・ウォーレンシュタイン
管弦楽:ロス・エンジェルス・フィルハーモニー管弦楽団
()

昨晩はウッカリと色々、ネットでうろついているうちに
2時半を回っていて慌てて横になる
6時のアラームで目を覚まさせられて、
二度寝で目覚めたのは7時過ぎ
朝食の後に、この記事を仕上げている
さて、今度の土曜には神奈川フィルの定期演奏会

という事で、今日はその予習2日目です
オーストリア生まれ、ハリウッドで活躍した
エーリッヒ・ウォルフガング・コルンゴルト(1897-1957)
の作曲した『ヴァイオリン協奏曲 ニ長調』です
コルンゴルトは近年再評価されてきた作曲家で、その代表作として
この『ヴァイオリン協奏曲』は取り上げられる事が多くなった
神奈フィルでも2014年に石田"組長"泰尚をソロに
この曲を初めて取り上げている
初演当初、"時代錯誤"と言われ評価されなかったこの曲
現在では端正な表情のロマン主義時代の薫伝える曲として評価されている
それはなによりも、当時の名ヴァイオリニスト、
ヤッシャ・ハイフェッツ(1901-1987)が初演以来、何度も取り上げたり
録音したりしたことで風化することなく今に伝わった事は大きい
コルンゴルトは現在はチェコ共和国に属する、
当時はオーストリア帝国領内のモラヴィア地方の街、ブリュンに
音楽評論家のユリウス・コルンゴルト(1860‐1945)の次男に生まれる
父はマーラーの擁護者として知られている
最も、息子の才能をみてからは人柄が変わったらしいが
子供時分から音楽の才能を見せ神童っぷりを見せ
「モーツァルトの再来」とまで言われていた
9歳で作曲したカンタータを聴いたマーラー(1860-1911)は
コルンゴルトを「天才」と評するほど
その天才っぷりは当時の音楽家、
R.シュトラウス(1864-1949)、A.シュナーベル(hnabel, 1882-1951)、
A,ニキシュ(1855-1922)らを感嘆させた
1932年にはシェーンベルク(1874-1951)と並んで
存命最高の作曲家に選ばれながらも
彼の欧州での絶頂期は終わりを告げることになる
要望され渡米し映画音楽の作曲を手掛ける
この映画音楽への道に進んだことが彼の人生を狂わせ始めた
ナチスドイツの政権奪取が重なり故国へ帰れなくなった彼は
米国に亡命しこの後、ハリウッドに活躍の場を見つける
ハリウッドではその才は他の音楽家に影響を与え、
また、作品は評価されることになるのだが、
終戦後、欧州に戻った彼の純クラシックの作品は評価されず
再び、アメリカに戻りハリウッドでの活躍をすることになる
終ぞ、欧州での再びの活躍は夢に終わってしまった
しかし、彼のハリウッドへの遺産は大きく、
今活躍する多くの作曲家、
例えばジョン・ウィリアムズ(1932- )らに与えた影響は計り知れない
その彼が書いた、終戦後の欧州での復帰を夢見た作品が
この『ヴァイオリン協奏曲ニ長調』である
戦後の1945年に作曲されて、
アルマ・マーラー=ヴェルフェル(1879-1964)に献呈された
戦時中にアメリカに渡っていたB.フーベルマン(1882-1947)に
誘われて作曲を始めた
初演は1947年2月15日に
"ヴァイオリンの王"J.ハイフェッツ(1901-1987)の独奏、
"貴公子"V.ゴルシュマン(1893-1972)の指揮、
セントルイス交響楽団の伴奏で行われた
第一楽章:モデラート・ノビレ
第二楽章:ロマンツァ
第三楽章:アレグロ・アッサイ・ヴィヴァーチェ
で書かれていて
演奏時間は録音データを元にすると約22分程の作品
冒頭から甘美な旋律が溢れてくる
それはソロが冒頭から活躍するという見目麗しい協奏曲である
特に第二楽章は夢見る様に美しく甘く、そして儚げだ
この楽章、うっとりして寝落ちしても恥ではない
そして、フィナーレ楽章は快活で活き活きとしている
少しコミカルな感じは映画音楽の作曲を行っていた影響か
しかし、ソリストに実に表現力と技量を求める楽章だ
その楽しさの裏に実に力強さがあり、
この曲が単に華やかなだけでない作品だという証
そして、改めて思う
この曲はやはりハイフェッツのソロに限る!
#神奈川フィル
#定期演奏会
#横浜みなとみらいホール
#コルンゴルト
#ヴァイオリン協奏曲
#シーヨンソン
#辻彩奈

ヴァイオリン:ヤッシャ・ハイフェッツ
指揮:アルフレート・ウォーレンシュタイン
管弦楽:ロス・エンジェルス・フィルハーモニー管弦楽団
()

昨晩はウッカリと色々、ネットでうろついているうちに
2時半を回っていて慌てて横になる
6時のアラームで目を覚まさせられて、
二度寝で目覚めたのは7時過ぎ
朝食の後に、この記事を仕上げている
さて、今度の土曜には神奈川フィルの定期演奏会

という事で、今日はその予習2日目です
オーストリア生まれ、ハリウッドで活躍した
エーリッヒ・ウォルフガング・コルンゴルト(1897-1957)
の作曲した『ヴァイオリン協奏曲 ニ長調』です
コルンゴルトは近年再評価されてきた作曲家で、その代表作として
この『ヴァイオリン協奏曲』は取り上げられる事が多くなった
神奈フィルでも2014年に石田"組長"泰尚をソロに
この曲を初めて取り上げている
初演当初、"時代錯誤"と言われ評価されなかったこの曲
現在では端正な表情のロマン主義時代の薫伝える曲として評価されている
それはなによりも、当時の名ヴァイオリニスト、
ヤッシャ・ハイフェッツ(1901-1987)が初演以来、何度も取り上げたり
録音したりしたことで風化することなく今に伝わった事は大きい
コルンゴルトは現在はチェコ共和国に属する、
当時はオーストリア帝国領内のモラヴィア地方の街、ブリュンに
音楽評論家のユリウス・コルンゴルト(1860‐1945)の次男に生まれる
父はマーラーの擁護者として知られている
最も、息子の才能をみてからは人柄が変わったらしいが
子供時分から音楽の才能を見せ神童っぷりを見せ
「モーツァルトの再来」とまで言われていた
9歳で作曲したカンタータを聴いたマーラー(1860-1911)は
コルンゴルトを「天才」と評するほど
その天才っぷりは当時の音楽家、
R.シュトラウス(1864-1949)、A.シュナーベル(hnabel, 1882-1951)、
A,ニキシュ(1855-1922)らを感嘆させた
1932年にはシェーンベルク(1874-1951)と並んで
存命最高の作曲家に選ばれながらも
彼の欧州での絶頂期は終わりを告げることになる
要望され渡米し映画音楽の作曲を手掛ける
この映画音楽への道に進んだことが彼の人生を狂わせ始めた
ナチスドイツの政権奪取が重なり故国へ帰れなくなった彼は
米国に亡命しこの後、ハリウッドに活躍の場を見つける
ハリウッドではその才は他の音楽家に影響を与え、
また、作品は評価されることになるのだが、
終戦後、欧州に戻った彼の純クラシックの作品は評価されず
再び、アメリカに戻りハリウッドでの活躍をすることになる
終ぞ、欧州での再びの活躍は夢に終わってしまった
しかし、彼のハリウッドへの遺産は大きく、
今活躍する多くの作曲家、
例えばジョン・ウィリアムズ(1932- )らに与えた影響は計り知れない
その彼が書いた、終戦後の欧州での復帰を夢見た作品が
この『ヴァイオリン協奏曲ニ長調』である
戦後の1945年に作曲されて、
アルマ・マーラー=ヴェルフェル(1879-1964)に献呈された
戦時中にアメリカに渡っていたB.フーベルマン(1882-1947)に
誘われて作曲を始めた
初演は1947年2月15日に
"ヴァイオリンの王"J.ハイフェッツ(1901-1987)の独奏、
"貴公子"V.ゴルシュマン(1893-1972)の指揮、
セントルイス交響楽団の伴奏で行われた
第一楽章:モデラート・ノビレ
第二楽章:ロマンツァ
第三楽章:アレグロ・アッサイ・ヴィヴァーチェ
で書かれていて
演奏時間は録音データを元にすると約22分程の作品
冒頭から甘美な旋律が溢れてくる
それはソロが冒頭から活躍するという見目麗しい協奏曲である
特に第二楽章は夢見る様に美しく甘く、そして儚げだ
この楽章、うっとりして寝落ちしても恥ではない
そして、フィナーレ楽章は快活で活き活きとしている
少しコミカルな感じは映画音楽の作曲を行っていた影響か
しかし、ソリストに実に表現力と技量を求める楽章だ
その楽しさの裏に実に力強さがあり、
この曲が単に華やかなだけでない作品だという証
そして、改めて思う
この曲はやはりハイフェッツのソロに限る!
#神奈川フィル
#定期演奏会
#横浜みなとみらいホール
#コルンゴルト
#ヴァイオリン協奏曲
#シーヨンソン
#辻彩奈

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2023年11月15日
神奈フィル定期演奏会 予習 プライス作曲『アメリカにおけるエチオピアの影』
F.B.プライス/アメリカにおけるエチオピアの影 (1932)
指揮:ジョン・ジーター
管弦楽:ウィーン放送交響楽団
(NAXOS)

昨晩は1時過ぎに横になったがナカナカ寝付けず
6時のアラームに目を覚ますが、
二度寝で目が覚めたのは7時半
朝食の後に一休みして午前は始まった
今日は母親の通院日である
昼時に出かける予定だ
さて、今度の土曜日には神奈川フィルの定期演奏会が
予定されています

今回は「アメリカにおけるクラシック音楽」と言った
テーマの様に見えるプログラム
でも、個人的には「女性にまつわるエトセトラ」と
副々題をつけたくなるくらいのプログラムでもある
今回の定期演奏会での指揮は韓国生まれ、
日フィルなどですでに日本デビューもしている
シーヨン・ソン女史で
ヴァイオリン・ソロは辻彩奈女史
その先頭を飾るのは、今年が没後70年になる
フローレンス・ベアトリーチェ・プライス(1887-1953)
の『アメリカにおけるエチオピアの影』という曲
日本ではまず馴染みのない作曲家であろう、プライス
「9イニングで真っ直ぐを最後の打者の最後の1球のみ
他は全て変化球を投げた投手」
が好きな僕みたいなクラファンでなきゃ
(例えが解りずらいな・・自分で書いておきながら(笑))
まず、聞いたことも聴いたことも無いだろう
と思うのでありますよ
プライスはおそらく世界で初めて、名声を得られた
黒人女性作曲家です
1887年4月9日、アメリカ南部のアーカンソー州に生まれている
ニューイングランド音楽院(マサチューセッツ州ボストン)にて
チャドウィック(1854-1931)、コンヴァース(1871-1940)に師事
1907年に卒業している
1927年まで故郷アーカンソー州で教職についていたが
リトルロックで起きたリンチ事件を機に
北部イリノイ州シカゴへ移住する
移住先のシカゴで様々に研鑽を重ねたプライスは
1932年にワナメイカー財団賞に応募、交響曲第1番が1等に輝き、
この曲は翌年にシカゴ交響楽団の演奏で初演されている
因みに2等も彼女の作品であった
その後も作品を送り出している
筆者特筆は「交響曲第3番」(1940)である
1953年6月3日、脳卒中でシカゴにて没している
彼女が生まれ育ち、20年近く教職を務めた
リトルロック(アーカンソー州州都)は
「全米の危険な都市」で度々、25位以内に登場する
米国屈指の治安の悪い都市、それは今も昔も変わらない
実際、公民権運動さなかの「リトルロック高校事件」は
アメリカ国家史上でも屈指の汚点となって残っている
プライスが生きた時代は公民権運動が起きる前の時代、
法律で「人種差別」を合法としていた非人道的な時代
そんな時代に黒人な上に女性である彼女が
例え北部だけだったとしても名声を得られたことは
実に凄い事なのだと思う
人道的社会としては腐敗しきっていた、
と言わざるを得ないこの社会では1910年代から1950年代までに
多くのアフリカ系黒人が南部を脱出している
(その数は数十万から100万人単位だという)
クー・クラックス・クラン(K.K.K)の様なファシスト的な集団による
有色人種(アジア人も含む)への排他的差別的暴力的な攻撃は
当然の様に登場してくるのである
その彼女が1932年、黒人奴隷の歴史を元にした
この『アメリカにおけるエチオピアの影』を書いたのは
実に挑戦的で、かつ自身のアイデンティティの戦い
だったのかもしれない
曲は全体的な演奏時間は録音データから約13分ほど
と中規模の作品になっている
3つの部分から成っていて、其々に副題的なタイトルがある
I)アメリカへの到達、黒人達の奴隷としての始まり
(奴隷として最初に連れてこられた黒人達のアメリカ到達)
:序奏とアレグロ
II)黒人達の忍従と信念:アンダンテ
III)黒人達の適応、それは自然と生まれた純粋に求めたもの:アレグロ
冒頭から少し暗い始まりだが、それは未知の大陸への到着、
明けの空をイメージしたかのようだ
それでも失わない文化とアイデンティティをもって
略奪者たる白人社会に適応、順応しながら今に至るという歴史
そして、今の世界に流行る音楽の殆ど全てが
黒人音楽の融合にその源を持つものばかりと言うのは
きっと、文化的勝利と言えなくもないものなのでしょう
プライスはそれに先立ち、白人文化のオーケストラ音楽と言う
その世界において、黒人音楽を融合させて認めさせたことで
当に、自身のアイデンティティと誇りを示したのかもしれない
黒人奴隷が最初にアメリカに連れてこられたと言うのは
1619年に記録があるらしい
奴隷制が「厳しい搾取の」制度であったかどうかについては
実のところ、今でも学者の間で意見が分かれている
何故なら、証明する記録が奴隷所有者のものしかないからである
「エチオピア」という人類発祥の地とも言われるこの国
(アウストラロピテクス類より古いサヘラントロプスやラミラダ猿人もあるが
二足歩行していた"可能性が高い"までなので今回は対象外)の影を
(皮肉をこめて)人種差別実施の最先端国家アメリカに求める辺り、
もしかすれば、この曲には人種差別撤回、人間平等の精神を訴えた意味あいも
あるのかもしれない、と推測の翼を拡げたくなる
#神奈川フィル
#定期演奏会
#フローレンスベアトリーチェプライス
#アメリカにおけるエチオピアの影
#シーヨンソン
#辻彩奈
#横浜みなとみらいホール

指揮:ジョン・ジーター
管弦楽:ウィーン放送交響楽団
(NAXOS)

昨晩は1時過ぎに横になったがナカナカ寝付けず
6時のアラームに目を覚ますが、
二度寝で目が覚めたのは7時半
朝食の後に一休みして午前は始まった
今日は母親の通院日である
昼時に出かける予定だ
さて、今度の土曜日には神奈川フィルの定期演奏会が
予定されています

今回は「アメリカにおけるクラシック音楽」と言った
テーマの様に見えるプログラム
でも、個人的には「女性にまつわるエトセトラ」と
副々題をつけたくなるくらいのプログラムでもある
今回の定期演奏会での指揮は韓国生まれ、
日フィルなどですでに日本デビューもしている
シーヨン・ソン女史で
ヴァイオリン・ソロは辻彩奈女史
その先頭を飾るのは、今年が没後70年になる
フローレンス・ベアトリーチェ・プライス(1887-1953)
の『アメリカにおけるエチオピアの影』という曲
日本ではまず馴染みのない作曲家であろう、プライス
「9イニングで真っ直ぐを最後の打者の最後の1球のみ
他は全て変化球を投げた投手」
が好きな僕みたいなクラファンでなきゃ
(例えが解りずらいな・・自分で書いておきながら(笑))
まず、聞いたことも聴いたことも無いだろう
と思うのでありますよ
プライスはおそらく世界で初めて、名声を得られた
黒人女性作曲家です
1887年4月9日、アメリカ南部のアーカンソー州に生まれている
ニューイングランド音楽院(マサチューセッツ州ボストン)にて
チャドウィック(1854-1931)、コンヴァース(1871-1940)に師事
1907年に卒業している
1927年まで故郷アーカンソー州で教職についていたが
リトルロックで起きたリンチ事件を機に
北部イリノイ州シカゴへ移住する
移住先のシカゴで様々に研鑽を重ねたプライスは
1932年にワナメイカー財団賞に応募、交響曲第1番が1等に輝き、
この曲は翌年にシカゴ交響楽団の演奏で初演されている
因みに2等も彼女の作品であった
その後も作品を送り出している
筆者特筆は「交響曲第3番」(1940)である
1953年6月3日、脳卒中でシカゴにて没している
彼女が生まれ育ち、20年近く教職を務めた
リトルロック(アーカンソー州州都)は
「全米の危険な都市」で度々、25位以内に登場する
米国屈指の治安の悪い都市、それは今も昔も変わらない
実際、公民権運動さなかの「リトルロック高校事件」は
アメリカ国家史上でも屈指の汚点となって残っている
プライスが生きた時代は公民権運動が起きる前の時代、
法律で「人種差別」を合法としていた非人道的な時代
そんな時代に黒人な上に女性である彼女が
例え北部だけだったとしても名声を得られたことは
実に凄い事なのだと思う
人道的社会としては腐敗しきっていた、
と言わざるを得ないこの社会では1910年代から1950年代までに
多くのアフリカ系黒人が南部を脱出している
(その数は数十万から100万人単位だという)
クー・クラックス・クラン(K.K.K)の様なファシスト的な集団による
有色人種(アジア人も含む)への排他的差別的暴力的な攻撃は
当然の様に登場してくるのである
その彼女が1932年、黒人奴隷の歴史を元にした
この『アメリカにおけるエチオピアの影』を書いたのは
実に挑戦的で、かつ自身のアイデンティティの戦い
だったのかもしれない
曲は全体的な演奏時間は録音データから約13分ほど
と中規模の作品になっている
3つの部分から成っていて、其々に副題的なタイトルがある
I)アメリカへの到達、黒人達の奴隷としての始まり
(奴隷として最初に連れてこられた黒人達のアメリカ到達)
:序奏とアレグロ
II)黒人達の忍従と信念:アンダンテ
III)黒人達の適応、それは自然と生まれた純粋に求めたもの:アレグロ
冒頭から少し暗い始まりだが、それは未知の大陸への到着、
明けの空をイメージしたかのようだ
それでも失わない文化とアイデンティティをもって
略奪者たる白人社会に適応、順応しながら今に至るという歴史
そして、今の世界に流行る音楽の殆ど全てが
黒人音楽の融合にその源を持つものばかりと言うのは
きっと、文化的勝利と言えなくもないものなのでしょう
プライスはそれに先立ち、白人文化のオーケストラ音楽と言う
その世界において、黒人音楽を融合させて認めさせたことで
当に、自身のアイデンティティと誇りを示したのかもしれない
黒人奴隷が最初にアメリカに連れてこられたと言うのは
1619年に記録があるらしい
奴隷制が「厳しい搾取の」制度であったかどうかについては
実のところ、今でも学者の間で意見が分かれている
何故なら、証明する記録が奴隷所有者のものしかないからである
「エチオピア」という人類発祥の地とも言われるこの国
(アウストラロピテクス類より古いサヘラントロプスやラミラダ猿人もあるが
二足歩行していた"可能性が高い"までなので今回は対象外)の影を
(皮肉をこめて)人種差別実施の最先端国家アメリカに求める辺り、
もしかすれば、この曲には人種差別撤回、人間平等の精神を訴えた意味あいも
あるのかもしれない、と推測の翼を拡げたくなる
#神奈川フィル
#定期演奏会
#フローレンスベアトリーチェプライス
#アメリカにおけるエチオピアの影
#シーヨンソン
#辻彩奈
#横浜みなとみらいホール

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2023年11月14日
今日も音楽日和 佐山雅弘没後5年 アルバム『VINTAGE』より「Isfahan」
"イスファハン (Isfahan)"
ピアノ:佐山雅弘
ベース:井上陽介
ドラム:大坂昌彦
(KING Records 2010年10月 キング関口台スタジオ第1スタジオ録音)

昨晩は0時半に凄い眠気に誘われるままに横になり、
何故か4時に目が覚めて終い、用を足しに行き
更には6時に目が覚めて
ハッキリと起床は7時過ぎ
朝食の後、午前中はボウっと過ごし
12時半から昼食をとり、一休み後、
午後は電話をする必要があるところに掛け
暖かかった今日は、散歩に行って運動すると決めながら、
変な倦怠感に急に襲われ、
17時近くまで2時間程、起きてられず横になっていた
休職中で良かったと思う1日であった
明日は運動するぞ・・・
さて、今日はジャズピアニストで作曲、編曲もした
佐山雅弘(1953.11.26-2018.11.14)
の亡くなった日です。
今日は没後5年の年のまさにその日となります
佐山さんと言えばミューザ川崎シンフォニーホールの
ミュージックアドバイザーのポジションで
サマーミューザではジャズ公演を行っていたので
クラシック音楽ファンにも見知った名前かと思います
そのお名前が見れなくなって早5年ということでしょう、
本当に早いものです
1953年11月26日、兵庫県尼崎市に生まれた佐山さんは
国立音楽大学在学中から音楽活動を始め、
活動が忙しくなり、大学は中退
その後もRCサクセションのサポートや
PONTA BOXのメンバー、東響との共演などと
活動の場を広げていった人でした
2014年に胃癌の摘出手術を受け、
2017年には腸閉塞の手術も受けています
誕生日を12日後に控えた2018年11月14日、
胃癌のためにお亡くなりになりました
今回もピアノ演奏を純粋に聴ける、
という事で佐山さんのアルバム『ヴィンテージ』から
「イスファハン」を取り上げた
『イスファハン』と言う曲は
ビリー・ストレイフォーン(1915-1967)と
デューク・エリントン(1899-1974)の作品で
エリントンの1967年のアルバムに収められている
イスファハンとは言わずと知れたイランの都市の名前
古都で16世紀のサファヴィー朝イランの首都で
非常に反映した街でもあり"イランの真珠"と称えられるほど
都市自体の成立は当時の大国であった
アケメネス朝ペルシア(B.C550-B.C330)の時代まで遡れるそうだ
そのイスファハンに訪れた際に作曲したのが
この『イスファハン』という曲
元々は「エルフ」と言うタイトルだったとか
その曲の印象派実に中東カラー、
とはいえ、どっぷりと中東カラーではなく
そこかしこに散りばめられた、と言った感じ
以前書いた追悼記事はこちら

ピアノ:佐山雅弘
ベース:井上陽介
ドラム:大坂昌彦
(KING Records 2010年10月 キング関口台スタジオ第1スタジオ録音)

昨晩は0時半に凄い眠気に誘われるままに横になり、
何故か4時に目が覚めて終い、用を足しに行き
更には6時に目が覚めて
ハッキリと起床は7時過ぎ
朝食の後、午前中はボウっと過ごし
12時半から昼食をとり、一休み後、
午後は電話をする必要があるところに掛け
暖かかった今日は、散歩に行って運動すると決めながら、
変な倦怠感に急に襲われ、
17時近くまで2時間程、起きてられず横になっていた
休職中で良かったと思う1日であった
明日は運動するぞ・・・
さて、今日はジャズピアニストで作曲、編曲もした
佐山雅弘(1953.11.26-2018.11.14)
の亡くなった日です。
今日は没後5年の年のまさにその日となります
佐山さんと言えばミューザ川崎シンフォニーホールの
ミュージックアドバイザーのポジションで
サマーミューザではジャズ公演を行っていたので
クラシック音楽ファンにも見知った名前かと思います
そのお名前が見れなくなって早5年ということでしょう、
本当に早いものです
1953年11月26日、兵庫県尼崎市に生まれた佐山さんは
国立音楽大学在学中から音楽活動を始め、
活動が忙しくなり、大学は中退
その後もRCサクセションのサポートや
PONTA BOXのメンバー、東響との共演などと
活動の場を広げていった人でした
2014年に胃癌の摘出手術を受け、
2017年には腸閉塞の手術も受けています
誕生日を12日後に控えた2018年11月14日、
胃癌のためにお亡くなりになりました
今回もピアノ演奏を純粋に聴ける、
という事で佐山さんのアルバム『ヴィンテージ』から
「イスファハン」を取り上げた
『イスファハン』と言う曲は
ビリー・ストレイフォーン(1915-1967)と
デューク・エリントン(1899-1974)の作品で
エリントンの1967年のアルバムに収められている
イスファハンとは言わずと知れたイランの都市の名前
古都で16世紀のサファヴィー朝イランの首都で
非常に反映した街でもあり"イランの真珠"と称えられるほど
都市自体の成立は当時の大国であった
アケメネス朝ペルシア(B.C550-B.C330)の時代まで遡れるそうだ
そのイスファハンに訪れた際に作曲したのが
この『イスファハン』という曲
元々は「エルフ」と言うタイトルだったとか
その曲の印象派実に中東カラー、
とはいえ、どっぷりと中東カラーではなく
そこかしこに散りばめられた、と言った感じ
以前書いた追悼記事はこちら

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2023年11月06日
今日も音楽日和 チャイコフスキー作曲『ピアノと管弦楽のための協奏的幻想曲』
チャイコフスキー/ピアノと管弦楽のための協奏的幻想曲 ト長調 Op.56
ピアノ:マイケル・ポンティ
指揮:リチャード・カップ
管弦楽:プラハ交響楽団
(BRILLIANT Classics)
8時50頃に母親の習い事教室へ送り
12時10分に迎えに行く
帰宅は買い物も兼ねて13時半頃
昼食の後、午後が始まる
18時半に夕食にして、その後は何時もの通り
TV見たり、Net徘徊したり
今日は夜半に天候が崩れるとか、予報も・・・
さて、今日はロシアの大作曲家、
ピョートル・イーリッヒ・チャイコフスキー(1840.5.7-1893.11.6)
の作曲した『ピアノと管弦楽のための協奏的幻想曲 ト長調』を
この曲は1884年に作曲された作品で
一種の協奏曲の態を取っている
E.ダルベール(1864-1932)の演奏にふれたチャイコフスキーは
ピアノ協奏曲の作曲を考えていた
しかし、なかなか曲のイメージは固まらなかったようである
同じ頃、「組曲第3番」の作曲の為のピアノスケッチを手掛け、
その第1楽章にしようとしたスケッチ部を
『協奏的幻想曲』に転用することを思いついた
そうして完成した『協奏的幻想曲』は
1885年2月22日にモスクワで
タネーエフ(1856-1915)のソロで初演された
この初演は好評を得た様だ
ところでこの曲のタイトルであるが、
原題は「Fantasie de Concert」となっていて
直訳すると「演奏会(のため)の幻想曲」となる
ところが日本では、その曲の構成的なもののためか
「協奏的幻想曲」と"誤訳"されている
この曲は二楽章構成で
第一楽章はクァジ・ロンド:アンダンテ・モッソ
第二楽章はコントラステス:アンダンテ・カンタービレ
となっていて、
演奏時間は録音データから約28分程
全体的には明瞭で明るい曲調の作品である
軽快さのある曲だが、規模のわりに重厚さが無い当たり
もしかすれば作曲者自身が作曲途中に気乗りしなかった
理由なのかもしれない、と思いをはせるところだ
やたらと重厚であれば作品の品格があると思いがちな
チャイコフスキーらしい、と思う訳である
第二楽章の陰影のある冒頭部などは
その悲愴さがなんともロマンティシズムのある
美しい曲だと思うのだが

ピアノ:マイケル・ポンティ
指揮:リチャード・カップ
管弦楽:プラハ交響楽団
(BRILLIANT Classics)
8時50頃に母親の習い事教室へ送り
12時10分に迎えに行く
帰宅は買い物も兼ねて13時半頃
昼食の後、午後が始まる
18時半に夕食にして、その後は何時もの通り
TV見たり、Net徘徊したり
今日は夜半に天候が崩れるとか、予報も・・・
さて、今日はロシアの大作曲家、
ピョートル・イーリッヒ・チャイコフスキー(1840.5.7-1893.11.6)
の作曲した『ピアノと管弦楽のための協奏的幻想曲 ト長調』を
この曲は1884年に作曲された作品で
一種の協奏曲の態を取っている
E.ダルベール(1864-1932)の演奏にふれたチャイコフスキーは
ピアノ協奏曲の作曲を考えていた
しかし、なかなか曲のイメージは固まらなかったようである
同じ頃、「組曲第3番」の作曲の為のピアノスケッチを手掛け、
その第1楽章にしようとしたスケッチ部を
『協奏的幻想曲』に転用することを思いついた
そうして完成した『協奏的幻想曲』は
1885年2月22日にモスクワで
タネーエフ(1856-1915)のソロで初演された
この初演は好評を得た様だ
ところでこの曲のタイトルであるが、
原題は「Fantasie de Concert」となっていて
直訳すると「演奏会(のため)の幻想曲」となる
ところが日本では、その曲の構成的なもののためか
「協奏的幻想曲」と"誤訳"されている
この曲は二楽章構成で
第一楽章はクァジ・ロンド:アンダンテ・モッソ
第二楽章はコントラステス:アンダンテ・カンタービレ
となっていて、
演奏時間は録音データから約28分程
全体的には明瞭で明るい曲調の作品である
軽快さのある曲だが、規模のわりに重厚さが無い当たり
もしかすれば作曲者自身が作曲途中に気乗りしなかった
理由なのかもしれない、と思いをはせるところだ
やたらと重厚であれば作品の品格があると思いがちな
チャイコフスキーらしい、と思う訳である
第二楽章の陰影のある冒頭部などは
その悲愴さがなんともロマンティシズムのある
美しい曲だと思うのだが

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2023年11月03日
神奈フィル定期演奏会 予習 東海林修作曲『ディスコ・キッド』
東海林修/『ディスコ・キッド』
指揮:現田茂夫
演奏:大阪市音楽団
()

そして、今日はもう一曲
明日のプログラムの取りを飾る吹奏楽の人気曲、
東海林修(1932.9.6-2018.4.30)
の代表作、『ディスコ・キッド』を
東海林さんは今年が没後5年、早いものです
この曲は全日本吹奏楽コンクールの
1977年度課題曲として1976年に作曲されました
今では演奏中の「ディスコ!」の掛け声でも
有名になりましたが、
勿論、こんな掛け声(セリフ)はスコアには書かれていなくて
当時の出場校が演奏中に行ったのが評価され
以後、人気の風習となったようです
当時としては、意表をつくポップ調の楽曲は
人気曲に上り詰めた
この曲のポップ調は東海林のそれまでの音楽活動、
学生時代から米軍施設のジャズピアニストとして演奏活動したり
60年代には洋楽のカバー曲の編曲を手がけたり、
TV番組「笑点」のテーマ曲(中村八大作曲)の
編曲を手がけたりした
そういったキャリアが活きたのだろうか
とにかく、愉しい
愉しくてたまらない曲である、
これが最後を飾るのは納得のラインナップである

指揮:現田茂夫
演奏:大阪市音楽団
()

そして、今日はもう一曲
明日のプログラムの取りを飾る吹奏楽の人気曲、
東海林修(1932.9.6-2018.4.30)
の代表作、『ディスコ・キッド』を
東海林さんは今年が没後5年、早いものです
この曲は全日本吹奏楽コンクールの
1977年度課題曲として1976年に作曲されました
今では演奏中の「ディスコ!」の掛け声でも
有名になりましたが、
勿論、こんな掛け声(セリフ)はスコアには書かれていなくて
当時の出場校が演奏中に行ったのが評価され
以後、人気の風習となったようです
当時としては、意表をつくポップ調の楽曲は
人気曲に上り詰めた
この曲のポップ調は東海林のそれまでの音楽活動、
学生時代から米軍施設のジャズピアニストとして演奏活動したり
60年代には洋楽のカバー曲の編曲を手がけたり、
TV番組「笑点」のテーマ曲(中村八大作曲)の
編曲を手がけたりした
そういったキャリアが活きたのだろうか
とにかく、愉しい
愉しくてたまらない曲である、
これが最後を飾るのは納得のラインナップである

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神奈フィル定期演奏会 予習 ラヴェル作曲『ボレロ』
ラヴェル/ボレロ
指揮:アラン・ロンバール
演奏:ストラスブール・フィルハーモニー管弦楽団
(ERATO 1974年頃の録音)
昨晩は0時半過ぎに寝落ちしたらしく、
いつ寝落ちしたかも定かでは無いが、
寒さで1時半過ぎに目が覚め、二度寝
次に目が覚めたのは5時過ぎ、そして三度寝
最後は7時手前で目が覚めて、起床
今日はこれから母親の習い事に送迎の予定
10時に送って12時半に迎えに行く予定
さて、明日はいよいよ神奈フィルの定期演奏会
という事で今日もその予習である
近代フランスを代表する作曲家、
モーリス・ラヴェル(1875.3.7-1937.12.28)
の代表作中の代表作、『ボレロ』である
約15分の演奏時間を要する人気曲
小太鼓が一定のリズムを刻み、
それに加わる各楽器が奏でる2つの旋律
この繰り返しがいつの間にか
聴く側を内面的に盛り上げ
トランス状態ともいえるパッションへと誘い、
壮大なフィナーレの盛り上がりへと帰結する
今更のこの名曲
何度聴いても素敵である

指揮:アラン・ロンバール
演奏:ストラスブール・フィルハーモニー管弦楽団
(ERATO 1974年頃の録音)
昨晩は0時半過ぎに寝落ちしたらしく、
いつ寝落ちしたかも定かでは無いが、
寒さで1時半過ぎに目が覚め、二度寝
次に目が覚めたのは5時過ぎ、そして三度寝
最後は7時手前で目が覚めて、起床
今日はこれから母親の習い事に送迎の予定
10時に送って12時半に迎えに行く予定
さて、明日はいよいよ神奈フィルの定期演奏会
という事で今日もその予習である
近代フランスを代表する作曲家、
モーリス・ラヴェル(1875.3.7-1937.12.28)
の代表作中の代表作、『ボレロ』である
約15分の演奏時間を要する人気曲
小太鼓が一定のリズムを刻み、
それに加わる各楽器が奏でる2つの旋律
この繰り返しがいつの間にか
聴く側を内面的に盛り上げ
トランス状態ともいえるパッションへと誘い、
壮大なフィナーレの盛り上がりへと帰結する
今更のこの名曲
何度聴いても素敵である

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2023年11月02日
神奈フィル定期演奏会 予習 リード作曲『アルメニアン・ダンス<パート1>』
リード/アルメニアン・ダンス <パート1>
指揮:現田茂夫
演奏:大阪市音楽団
()

昨晩は0時半に寝落ちしていたらしく
2時半過ぎに一度目覚めて、
それから横になった
今朝は6時に目覚めたが、起床は6時半過ぎ
8時まで朝食タイム、
その後は不燃物のゴミ出しをしてから
一日が始まった
12時過ぎにくら寿司へ昼食を取りに行き、
帰りに買い物、14時に帰宅
その後は午後が始まった
18時半から昼食で、その後は何時もの様に
TVを見てダラダラとして過ごしている
土曜の神奈フィル定期演奏会の予習を
アメリカの作曲家、吹奏楽の神様、
アルフレッド・リード(1921.1.25-2005.9.17)
の代表作のひとつ、『アルメニアン・ダンス』の<パート1>を
指揮は現田茂夫、演奏は大阪市音楽団
『アルメニアン・ダンス<パート1>』となっているので
当然ながら<パート2>もある
<パート1>は5つのアルメニア民謡が題材にされた
単一楽章の作品で
<パート2>は三楽章構成の楽曲である
これら<パート1><パート2>を合わせて
四楽章構成とした組曲が本来の姿のようである
<パート1>は1972年の作曲なので50年前の作品
それだけの月日を経ても今もって人気の作品である
世界初演は1973年、イリノイ大学吹奏楽団による
コミダス・ヴァルタペット(1869-1935)の蒐集した
アルメニア民謡集に題材して作曲されたこの曲
登場するアルメニア民謡は
"杏の木"、"やまうずらの歌"、"ハイ、私のナザン"
"アラギアズ"、"行け、行け"の5つ
とはいえ、おそらく原曲を知っている人は
少ないと思うので、単にこの作品を楽しんでもらえれば
と思うばかりである
因みに、"やまうずらの歌"だけはコミタス自身の作曲らしく
純粋にアルメニア民謡とは言えないようだが
歴史を重ねて民謡として受け入れられていれば
それは民謡となるわけで、深く追求する問題でもないでしょう
この曲の後半の盛り上がりは楽しい

指揮:現田茂夫
演奏:大阪市音楽団
()

昨晩は0時半に寝落ちしていたらしく
2時半過ぎに一度目覚めて、
それから横になった
今朝は6時に目覚めたが、起床は6時半過ぎ
8時まで朝食タイム、
その後は不燃物のゴミ出しをしてから
一日が始まった
12時過ぎにくら寿司へ昼食を取りに行き、
帰りに買い物、14時に帰宅
その後は午後が始まった
18時半から昼食で、その後は何時もの様に
TVを見てダラダラとして過ごしている
土曜の神奈フィル定期演奏会の予習を
アメリカの作曲家、吹奏楽の神様、
アルフレッド・リード(1921.1.25-2005.9.17)
の代表作のひとつ、『アルメニアン・ダンス』の<パート1>を
指揮は現田茂夫、演奏は大阪市音楽団
『アルメニアン・ダンス<パート1>』となっているので
当然ながら<パート2>もある
<パート1>は5つのアルメニア民謡が題材にされた
単一楽章の作品で
<パート2>は三楽章構成の楽曲である
これら<パート1><パート2>を合わせて
四楽章構成とした組曲が本来の姿のようである
<パート1>は1972年の作曲なので50年前の作品
それだけの月日を経ても今もって人気の作品である
世界初演は1973年、イリノイ大学吹奏楽団による
コミダス・ヴァルタペット(1869-1935)の蒐集した
アルメニア民謡集に題材して作曲されたこの曲
登場するアルメニア民謡は
"杏の木"、"やまうずらの歌"、"ハイ、私のナザン"
"アラギアズ"、"行け、行け"の5つ
とはいえ、おそらく原曲を知っている人は
少ないと思うので、単にこの作品を楽しんでもらえれば
と思うばかりである
因みに、"やまうずらの歌"だけはコミタス自身の作曲らしく
純粋にアルメニア民謡とは言えないようだが
歴史を重ねて民謡として受け入れられていれば
それは民謡となるわけで、深く追求する問題でもないでしょう
この曲の後半の盛り上がりは楽しい

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2023年11月01日
神奈フィル定期演奏会 予習 スパーク作曲『パントマイム』
スパーク/『パントマイム』
指揮:山下一史
演奏:NHK交響楽団
(NHK CD 2007年8月5日 NHKホール、ライブ録音)

昨晩は1時半頃によこになり、
今朝は6時にアラームで目が覚め起床
6時半から朝食をとり、
一休みの後、一日が始まった
昼食後、午後が始まり、
途中、1時間程運動の為駅まで
本屋で手帳と本を探して帰宅、
18時からは夕食をとって、
その後はTVを見たりしてダラダラと
今だに就寝が遅くて、生活リズムの整理がつかない
さて、土曜の神奈フィル定期演奏会の予習を
イギリスの吹奏楽の作曲家である
フィリップ・スパーク(1951.12.29- )
の作曲した『パントマイム』である
スパークはロンドンに生まれ、
王立音楽院でトランペットとピアノ、作曲を学ぶ
在学してた頃に「コンサート・プレリュード」を作曲、
これは彼の初出版の作品となった
その後も多くの作品が評価され受賞する作品も多く、
今ではブラスバンドのレパートリーに無くてはならない
作曲家となっている
また、日本との関りも浅からず、
東北大震災の発生後に、「陽はまた昇る」と言う作品を
贈り、これは今では国内人気の曲となっている
スパークは作品の印税を、この「陽はまた昇る」の楽譜を販売する
オランダの出版社デ・ハスケ社はその純益を、
日本赤十字社の緊急救済基金に寄付してくれている
そのスパークがユーフォニアムとピアノ、または
ユーフォニアムとブラスバンドの為に書いた曲が
『パントマイム』である
この曲はユーフォニアムの名手、
ニコラス・チャイルズ(1961- )の依頼で書かれ
1991年にブラスバンドの伴奏で初演されている
冒頭から旋律が美しく、歌う様に奏でられ
それに続く、ユーフォニアムはハイトーンなどを駆使し
結構な難度で演奏する曲である
次の曲への一休みには持ってこいの曲かもしれない

指揮:山下一史
演奏:NHK交響楽団
(NHK CD 2007年8月5日 NHKホール、ライブ録音)

昨晩は1時半頃によこになり、
今朝は6時にアラームで目が覚め起床
6時半から朝食をとり、
一休みの後、一日が始まった
昼食後、午後が始まり、
途中、1時間程運動の為駅まで
本屋で手帳と本を探して帰宅、
18時からは夕食をとって、
その後はTVを見たりしてダラダラと
今だに就寝が遅くて、生活リズムの整理がつかない
さて、土曜の神奈フィル定期演奏会の予習を
イギリスの吹奏楽の作曲家である
フィリップ・スパーク(1951.12.29- )
の作曲した『パントマイム』である
スパークはロンドンに生まれ、
王立音楽院でトランペットとピアノ、作曲を学ぶ
在学してた頃に「コンサート・プレリュード」を作曲、
これは彼の初出版の作品となった
その後も多くの作品が評価され受賞する作品も多く、
今ではブラスバンドのレパートリーに無くてはならない
作曲家となっている
また、日本との関りも浅からず、
東北大震災の発生後に、「陽はまた昇る」と言う作品を
贈り、これは今では国内人気の曲となっている
スパークは作品の印税を、この「陽はまた昇る」の楽譜を販売する
オランダの出版社デ・ハスケ社はその純益を、
日本赤十字社の緊急救済基金に寄付してくれている
そのスパークがユーフォニアムとピアノ、または
ユーフォニアムとブラスバンドの為に書いた曲が
『パントマイム』である
この曲はユーフォニアムの名手、
ニコラス・チャイルズ(1961- )の依頼で書かれ
1991年にブラスバンドの伴奏で初演されている
冒頭から旋律が美しく、歌う様に奏でられ
それに続く、ユーフォニアムはハイトーンなどを駆使し
結構な難度で演奏する曲である
次の曲への一休みには持ってこいの曲かもしれない

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2023年10月31日
神奈フィル定期演奏会 予習 保科洋作曲『風紋』(原典版)
保科洋/『風紋』(原典版)
指揮:現田茂夫
演奏:HNK交響楽団
(NHK CD ライブ録音)

昨晩は1時半過ぎに横になり
今朝は7時近くに目が覚めて起床
朝食の後は、8時半くらいから
グダグダと30分ほど休憩してから
1日を迎える
12時からの昼食後も30分ばかし
昼寝してから午後を迎えた
午後も息抜きに30分ほど庭を弄って
18時過ぎから夕食、その後はTVでグダグダと
今日は昼間に関内ホールで
村田浩&The Bop Bandのライブがあったが
これは今回は一寸、諦めて
さて、今度の土曜日には
神奈フィルの定期演奏会(県民名曲シリーズ)が
県民ホールで予定されている
という事で、今日もその予習を
保科洋(1936.1.31- )の作曲した
『風紋』(原典版)
の吹奏楽版です。
現田さんは大阪市音楽団とのディスクでも
『風紋』を収録しているのですが、
こちらは<1987年版>となっていて
録音の演奏時間が5分ちょっとなので
所謂、短縮版である<課題曲版>だと思われるので
今回はこのN響との録音から取り上げました
神奈フィルの定期演奏会プログラムでは
「管弦楽のための「風紋」(原典版)」となっていますが
とりあえず、本家・原典版の吹奏楽版です(笑)
ややこしい・・・
楽曲は演奏時間が録音データから約7分半
もともとは1986年に委嘱により作曲された
それを課題曲の規格に合わせて短縮させたものが
<課題曲版>でこれが、人気を博した
それから遅れる事、13年した1999年、
吹奏楽版の<原典版>が初演された
さらに、<原典版>の管弦楽版が編まれ、
2009年に岡山シンフォニーホールにて
秋山隆指揮、保科アカデミー室内管弦楽団の演奏で
初演されたのが<管弦楽版>である
保科さんは、この曲などで「吹奏楽の作曲家」と
思われがちだが、実際はそうでもなく、
東京芸大在籍時には作曲を長谷川良夫(1907-1981)に
指揮を渡邊暁雄(1919-1990)に師事していて
作品にも管弦楽作品は勿論、オペラやミュージカル、
室内楽の作品も書いている
その保科さんが自ら管弦楽編曲したものが
『風紋(管弦楽・原典版)』である
この曲は良く
"浜辺の風と、その風が砂の上に作り出す文様(風紋)"
のイメージを感じさせる
と言われるが、作曲者本人に言わせると
"タイトルの「風紋」には特別な意味があるわけではない"
とのことだ
ま、タイトルがついていると先入観が生まれ
結局、それに則したイメージを聴く者が勝手に付けてしまう
そういう事なのだろう
実際、保科さんも標題作品はお好きではない様なので
僕に言わせると、
"暁の頃、朝靄に現れる竹林と靄を払う様な一陣のそよ風"
のイメージがこの曲の冒頭の旋律
清涼とした朝のひと時と、始まる一日へのエネルギー
清流の中のエネルギーの迸り
それがこの曲に対する僕の感じるイメージである
決して派手な曲では無いが、
そこはかとなく感じられる力強さを感じられれば
素敵な傾聴になるのではないだろうか

指揮:現田茂夫
演奏:HNK交響楽団
(NHK CD ライブ録音)

昨晩は1時半過ぎに横になり
今朝は7時近くに目が覚めて起床
朝食の後は、8時半くらいから
グダグダと30分ほど休憩してから
1日を迎える
12時からの昼食後も30分ばかし
昼寝してから午後を迎えた
午後も息抜きに30分ほど庭を弄って
18時過ぎから夕食、その後はTVでグダグダと
今日は昼間に関内ホールで
村田浩&The Bop Bandのライブがあったが
これは今回は一寸、諦めて
さて、今度の土曜日には
神奈フィルの定期演奏会(県民名曲シリーズ)が
県民ホールで予定されている
という事で、今日もその予習を
保科洋(1936.1.31- )の作曲した
『風紋』(原典版)
の吹奏楽版です。
現田さんは大阪市音楽団とのディスクでも
『風紋』を収録しているのですが、
こちらは<1987年版>となっていて
録音の演奏時間が5分ちょっとなので
所謂、短縮版である<課題曲版>だと思われるので
今回はこのN響との録音から取り上げました
神奈フィルの定期演奏会プログラムでは
「管弦楽のための「風紋」(原典版)」となっていますが
とりあえず、本家・原典版の吹奏楽版です(笑)
ややこしい・・・
楽曲は演奏時間が録音データから約7分半
もともとは1986年に委嘱により作曲された
それを課題曲の規格に合わせて短縮させたものが
<課題曲版>でこれが、人気を博した
それから遅れる事、13年した1999年、
吹奏楽版の<原典版>が初演された
さらに、<原典版>の管弦楽版が編まれ、
2009年に岡山シンフォニーホールにて
秋山隆指揮、保科アカデミー室内管弦楽団の演奏で
初演されたのが<管弦楽版>である
保科さんは、この曲などで「吹奏楽の作曲家」と
思われがちだが、実際はそうでもなく、
東京芸大在籍時には作曲を長谷川良夫(1907-1981)に
指揮を渡邊暁雄(1919-1990)に師事していて
作品にも管弦楽作品は勿論、オペラやミュージカル、
室内楽の作品も書いている
その保科さんが自ら管弦楽編曲したものが
『風紋(管弦楽・原典版)』である
この曲は良く
"浜辺の風と、その風が砂の上に作り出す文様(風紋)"
のイメージを感じさせる
と言われるが、作曲者本人に言わせると
"タイトルの「風紋」には特別な意味があるわけではない"
とのことだ
ま、タイトルがついていると先入観が生まれ
結局、それに則したイメージを聴く者が勝手に付けてしまう
そういう事なのだろう
実際、保科さんも標題作品はお好きではない様なので
僕に言わせると、
"暁の頃、朝靄に現れる竹林と靄を払う様な一陣のそよ風"
のイメージがこの曲の冒頭の旋律
清涼とした朝のひと時と、始まる一日へのエネルギー
清流の中のエネルギーの迸り
それがこの曲に対する僕の感じるイメージである
決して派手な曲では無いが、
そこはかとなく感じられる力強さを感じられれば
素敵な傾聴になるのではないだろうか

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