真実を知らないままで生きてゆく死にたい時に舐める飴玉

 十一月六日の夜に訃報は届いた。真っ先に浮かんだのは、彼女のきらきら光る柔らかい髪。それから笑顔と、この歌だった。
 しばらくの茫然自失、そして涙と震えがやってきた。湯貼り中のバスタブからはお湯が溢れ続けていた。

 市ノ瀬桜には、考えるとほんの数回しか会ったことがない。にもかかわらず、互いのWEB上の日記を通じて交わし合ったたくさんの言葉や、共有し合ったおそろしいまでに同じ趣味たち(小沢健二、フリッパーズ・ギター、大塚愛、山本文緒、キャス・キッドソン・・・きりがない)が彼女を私に親密な、妹のように感じさせていた。
 いつも拙歌を褒め、まっすぐな言葉を届けてくれた。それがどんなに私の励みになっていたことだろう。
 特に昨年八月号掲載の、遠距離恋愛の恋人たちを詠った「今日もかんばれ〜遠いあなたへ〜」を絶賛してくれ、某SNSの私のページには「点二つ足りないくらいがちょうどいい今日も頑張らずにかんばって」を踏まえて次のように紹介文を書いてくれている。

 「かばん」の先輩であり、とても素敵な歌を作る大好きな歌人さん。
実際にお会いすると、気さくでとても親しみやすい方で、余計ファンになっちゃいました。
 いつも瞳さんの作った歌を胸に、がんばり過ぎず、かんばって生きようと思ってます。


 涙を拭って、彼女の遺した作品に迫ることにしよう。

市ノ瀬桜の短歌作品のおよそ95%は恋愛の歌だ。あまりにもまっすぐで衒いがなく、糖分過多と言えなくもない。幼さも否定できない。しかし、ここまで詠む対象にブレがなく、ストレートな歌の詠み手になりきれる歌人は稀有である。恋するために詠い、詠うために恋する、純然たる恋愛歌人。
彼女の歌を辿っていくと、たった一人に魂を捧げた繊細で情熱的な少女の姿が浮かび上がる。それはそのまま作者自身の姿と重なってしまうのだが、ニュートラルな視点で評するためには作中主体と作者は切り離して考えなければならない。但し、先述の通りひたすら恋の歌を紡ぎ続けてきた市ノ瀬桜はリアルと創作の境界を意図的に曖昧にしていたことは書き添えておこう。そういったスタンスの取り方もまた、彼女の大きな個性の一つであった。短歌と溶け合って生きていた。

ものすごく丁寧に名を呼ぶ人とそろそろ恋に落ちそうな秋
たくさんの雪が降ればいいねって君は笑って冬は明るい


 寒くなってゆく季節に、少女は恋に落ちる。しかし、

死にたいと思う時に電話してくれる人には恋人がいる

 彼女の長くあまやかな苦しみが始まる。

あの人の終業時間5時まではここにいさせてここで泣かせて
2と5と9 あたしと君が会ってた日 君が彼女と会わなかった日
肩越しに見つめる壁にあの子の写真 君の部屋では抱かれたくない
嫉妬とか束縛だとか欲しい夜 君はあの子をきつく抱く夜
残り香が移るといけないからってコロンはつけられない金曜
イブイブでいいよだなんて言えるのは大人じゃなくて必死だからだ
さよならのずっと手前でキスをする永遠なんて信じてないし
恨んではいけない人を恨んでる愛する人の愛する人を


 字余り・字足らずを厭わずぶつけてくる直球の愛情に、たじろいでしまわないでもない。
しかし読者を立ち止まらせる力もしっかり備えている。2と5と9、並べてみると不思議に魅力的な響きの生まれる数字の取り合わせにリアリティーが滲む。「君はあの子をきつく抱く夜」は「君が」とする方が自然だが、復唱すると心地よさを違和感が凌駕する。「イブイブ」はさらりと読み流してしまいそうになるが、クリスマスイブの更に前夜のことであり、イブは本命の彼女に譲るから23日は自分と逢ってほしいという、叫びにも似た痛切な想いだ。

 悲願の果てに、彼は自分だけを見てくれるようになる。半同棲のような形をとりながら、少女は恋にのめりこんでゆく。

しゅんしゅんと遠くで鳴いているやかん今日から君が朝を教える
ネクタイを締める仕草がとても好きだから泣かないちゃんと見送る
おざなりなキスが額に残される土曜の朝も変わらずひとり
あたたかいミルクの上に張っている膜になりたい愛になりたい


 完璧な幸せをいつもどこかで諦めているような落ち着きと静かな高揚がある。
そんな日々にも破綻のときが来る。

桃色の世界を君と歩いてた突然白くなるとは知らず
両想いから片想い さよならを言われるの待つシーツの間
手帳からピンクの文字が消えてゆき君と別れたこと告げられる
星よりも月が好きな女だってさよならしても忘れないでね
もう二度と会えない未来の最果てに君を許せる日が来るのかな
「もう君が突然来ることはないの? ビールの買い置きしなくていいの?」
やさしさに満ち溢れてた日々だった別れ際にはすがってごめん


 失恋の歌たちはやがて遠距離恋愛の歌にとって代わられ、運命の恋は転換期を迎える。この辺り、作者の日記や取り交わした言葉を思い出して胸が締め付けられる。 

期限付き遠距離恋愛はじめようイタズラな神様に勝つため
1000kmの距離を越えて届く声 今宵あなたと同じ月見る
上弦の月がビルの陰になる会えない夜の重さをはかる


 月の歌が本当に多い。円らな瞳でいつもいつも見上げていたのだろう。運命の波にはもうさんざん翻弄されてきた彼女だろうに、それでも「イタズラな神様に勝つため」とモチベーションを高く維持する姿勢がいじらしい。

助手席の曇りガラスに書く言葉消えては浮かび上がる永遠
雲よりも高い場所で天国に逝っても君を愛す気がする


 天国に逝っても愛し続けることは確信しながら、強くなり過ぎるのを回避するため断定ではなく「気がする」と敢えてぼかして、バランスを取ったのではないか。それが余計にせつなさを助長する。

たくさんの青色あって君残し青色を知るサヨナラの青

 悲しみの色を青で表現するのは常套的だが、もともと彼女の意識にあった「たくさんの青色」に、別れで知り得た新たな青が加わる。なんて悲しいコレクションなのだろう。

ゆるやかにゆるやかに青 君帰る始発電車を包みこむ青

 冒頭の飴玉の歌とこの一首が、市ノ瀬作品の最高峰だと思う。淋しい心からこぼれだした青が、早朝の霧のようにぼんやりと、インクのようにしっとりと広がって電車ごと恋人を包み込む。この時、青は自分を支え恋人を守る色としての役割も果たす。悲しいだけの色ではない。この世界観の獲得に私は嫉妬した。
 
きらきらでやさしくってあったかい夜景に混ざって泣き続けたい

 「〜したい」と願望を歌う作品の多さに気付く。あるいは「〜したくない」。常に自分の欲望に耳を澄まし、全身全霊で希求する少女の姿が強烈に焼き付けられる。喉の奥が甘苦しくなる。星よりも月を愛した少女の願いはいくつ叶ったのだろうと考える度に。

いささか個人的感情に過ぎる追悼原稿となってしまった。
きらきらでやさしくってあったかいのは、あなただったよ。作品を読み返しまとめていたら、また視界がゆらゆらしてきてしまいました。大好きだったよ。
 もう何も心配しないで。おやすみ。



※参考
月から零れ落ちた31音(FC2ブログ)