2009年02月18日

江戸魔斬人・山田浅右衛門シリーズ


黄昏奇譚



最終回

 浅草聖天町の淫売宿二階の一室は、深夜でも灯りが消えることはなかった。ぐったりとした闇烏と、その枕元には佐治助がいた。ぬたやの売り上げすべてを入れ込んで、佐治助は毎日ここへ通い、闇烏の世話を続けていたのである。
「抱けもしない女に入れ揚げるなんて、旦那もとんだ物好きだねえ。まあ、こちとら商売だ。ちっとも構いやしないがね」
 遣手婆ぁも佐治助を殆ど客と思わず、さらさら気にも留めない。だから、昼夜を問わずに出入りが勝手である。
 この夜も、佐治助は闇烏の枕元で転寝していた。
 ふと
「佐治さん」
 闇烏の呟き声に、佐治助は身を起した。
「私は、もうすぐ死ぬのだねえ……」
 天井を見上げたまま、闇烏はポツリと呟いた。
「自分の病くらい、よく知っている。不治の病なんだって」
「やすさん!」
「国にいた頃、夫以外の男に抱かれた。いいえ、抱かれたなんて生易しいものじゃなかったわ。重役の弟でね、座敷牢を出て、無理遣り私を……その直後に血を吐いて、私の腹の
上で……」
「もういい、そんなことを思い出しちゃいけねえよ!」
 透き通るような白い表情に一瞬笑みを浮かべて、闇烏は刺すような眼になり
「武士は嫌いだ……!」
 そう呟いて、やがて寝息を立て始めた。
 彼女の重く暗い過去を耳にして、佐治助は胸が締め付けられて苦しかった。何もしてあげられない己が歯痒かった。
 そして、再び睡魔に魘われて、佐治助も眠りに落ちていった。
 そこへ、抜き身を握り締めて、山田浅右衛門が現れた。傍らに寝入る佐治助をちらと見て
(この馬鹿、何してやがる)
 山田浅右衛門は呆れた眼差しで佐治助を睨んだ。
(仕方ねえ、こいつが寝ている間に!)
と、山田浅右衛門は闇烏の喉元に切っ先を定めた。
「あれ、旦那?」
 佐治助が目を覚ました。舌打ちしながら
「浅草のお頭が今直ぐ来いとよ。お前ぇ、売り上げを納めていねぇそうだな」
「あとから必ず行きます。今は、とても」
などと渋る佐治助を、何としても余所へ動かそうと、山田浅右衛門も食い下がった。
 その強引な遣り方に
「まさか……旦那」
 山田浅右衛門は答えない。
 そして、それが答えであった。
「やめてくれ。この人は……やす殿は、可哀想なんだよ。津軽の片隅で細やかな生涯を送れた筈なのに、武士の都合ですべてが壊されて……この人に罪はないんだ」
「それで、更に罪のない者まで殺していくというのかよ。今宵江戸中で何があったか、お前ぇ知ってて言ってるのか?」
「……何か、あったので?」
「今夜な、あちらこちらで、無差別に辻切りがあったんだ。もう、この問題は津軽藩だけでは済まされねぇんだよ」
 それでも佐治助は、必死になって闇烏を庇い続けた。余命幾許もないのなら、このまま死なせてやって欲しいとも嘆願した。
「馬鹿野郎。このまま死なれたら、辻切りだけがこの世に残っちまうんだよ」
「そんな……」
「これがこの女の思惑だったのさ。大した女だよ。みすみす往生させて、この世に殺人鬼なんざ遺されてたまるかってんだ!」
「でも……やめて下せぇ!」
 そうしている間に、淫売宿の階下が騒がしくなってきた。遣手婆ぁや店の女たちの悲鳴が響き、途端、闇烏はカッと眼を見開き
「武士は嫌いだ。邪魔すれば、皆殺す!!」
 そう言い切ると、むくりと立ち上がった。
 そちらに気を取られた瞬間
「……!」
 黒づくめの浪人が飛び込んできた。
 斬りつけられるその切っ先を、山田浅右衛門は備前長光で受けとめた。返す二の太刀を鞘で払うと
「斬!」
 山田浅右衛門の切っ先は、的確に黒い浪人を袈裟掛けに斬った。しかし、斬られた浪人は、すぐに起き上がった。なんと、魔斬りが通用しない。
「そうか……こいつは女の生んだ幻に過ぎねえ。その女がいる限りは、こいつを倒すことは出来ねぇ」
 山田浅右衛門は闇烏を斬ろうと、一気に詰め寄った。それを羽交い締めにするように、佐治助が組みついてきた。
「お願いだ、お願いだよ、旦那!」
「退け、退きやがれ!」
 その佐治助を、黒い浪人の切っ先が斬りつけた。ぐったりと崩れ落ちる佐治助に、悲鳴を上げたのは闇烏であった。
「あんたを斬るつもりなんて……」
 身体を引き摺るように、闇烏はぐったりしている佐治助のもとへ這っていった。その闇烏を、黒い浪人が刺した。
「……え」
 信じられないと、闇烏は浪人を見上げた。
 にやりと笑った浪人は
「怨念はたっぷり吸った。もう、お前に用はない」
と刺した刃を刳り回した。口から血を吐いて闇烏は呻き声を上げた。
 怨念が生み出した化物は、その怨念の重さに自我を芽生えさせ、生み主から独り歩きし始めて本当の化物になってしまったのだ。
「手前ぇ」
 山田浅右衛門は浪人に切り掛かった。
 浪人は嘲ら笑い、闇烏から太刀を引抜くとその切っ先を横に一閃した。その刃先に付着する血糊が飛び散り、山田浅右衛門の目を閉ざした。
(しまった)
 迫る殺気から逃れようと、目眩ながらに慌てて後ろに飛び退き、転がるように階段を滑り落ちていった。そして目を潰していた血糊を拭い辺りを伺い、山田浅右衛門は声を失った。階下は血の海であった。
「……!」
 殺気を感じて見上げると、浪人が太刀を振り翳し飛び降りてきた。咄嗟に備前長光でそれを受けとめたが、圧倒的な力に押されて雨戸ごと外へ突き飛ばされた。
(妖力が足りぬ……大太刀が欲しい)
 淫売宿を転がり出た山田浅右衛門は、地の利の不利を悟り、今戸橋まで走ると、山谷堀を背に身構えた。
 浪人は薄笑いを浮かべて、ゆらりと陽炎のような足取りで追ってきた。そして、既に勝ったつもり嘲笑を湛えて、浪人は山田浅右衛門に迫ってきた。
「逃げても無駄ぞ」
 迫り来る切っ先は鋭かった。それを何とか躱しながらも、山田浅右衛門は徐々に疵を増やしていった。
(どこで勝機を掴もうか……)
 そう伺いながらも、満身創痍となった山田浅右衛門は逃げるのが精一杯であった。反撃しても、備前長光は浪人を斬ることが出来ない。
 内心、山田浅右衛門は焦っていた。
 恐怖がじわりじわりと込上げてきた。
(ここで死ぬか……浅草で野垂れ死にか)
 覚悟を決めた、そのときである。
「山田殿!」
 浪人の背後から斬りつけた者がいた。千葉佐那である。
「旦那!」
 助六の声が響いた。
 見ると大太刀を抱えて助六が走ってくるのがみえた。
「早く、大太刀を!」
 山田浅右衛門は転がるように助六に歩み寄り、大太刀を受け取った。
(これさえあれば)
と、大太刀を抜き払い、山田浅右衛門は黒い浪人に走り込んで斬りつけた。
「佐那殿!こいつは先刻の奴とは違う。もう完全な化物だ!」
 剣技で互角の千葉佐那も、確かに先刻とは異なる妖気を感じていた。
「こいつは、一体……!」
「武士を呪い恨む女の怨念が、すっかり独り歩きしちまった化物だよ!」
 大太刀が一閃し、浪人の胴を払った。
 先程まで手応えのなかった払い胴に、確かに手応えがあった。浪人の顔から笑みが消えた。
「斬!」
 袈裟掛けに払うと、浪人の身体がばっくりと割れた。更に大太刀を返して、首を斬り上げた。
 断末魔の悲鳴を残して、黒い浪人は掻き消えていった。周囲に立ち篭めていた妖気も、たちまち消え失せていった。
「……ふう」
 山田浅右衛門は今戸橋の上にどっと腰を降ろした。そして、佐治助が斬られたことを思い出すと
「ちょいと見てきてくれ」
と助六に頼んだ。助六が淫売宿へ走るのを見ながら、千葉佐那も隣に腰を降ろして、大きく息を吐いた。
「なあ、佐那殿」
「はい」
「助けて貰って何だけど、魔斬りには余り関わらない方がいいぜ」
 千葉佐那も苦笑混じりに
「そう願いたいわ。日頃の修練も、全く通用しない。すっかり自信なくしてしまう」
「でもよ、助かったぜ。有難う」
 そして、殊勝な物腰で
「俺も剣技も必要だな。今度、小川町講武所へ連れていっておくれよ」
と、山田浅右衛門は苦笑いをした。
 そして、ぼんやりと月のない星空を見上げながら、冷えきった身体に空腹を覚え
「今戸に旨い湯豆腐を喰わしてくれる店があるんだ。世話になった御礼に、どうだい」
「それよりも、山田殿。その怪我をなんとかした方がいいわよ。いま駕篭を拾ってあげるから、そこで待ってなさい」
 怪我よりも食い気が先だと洩らすと
「いい加減にしときなさい」
と、千葉佐那はきつく窘めた。そうこうしているうちに、助六が駆け付け
「ぬたや、生きてますぜ。酷ぇ様だから、医者を呼んで来まさぁ」
と言い残していった。
 結局、町医者の手に余り、佐治助はそのまま山谷堀の屈強な男たちに担がれて、小石川へと運び込まれていったという。

 ぬたやの暖簾が再び掲げられたのは、それから一ヵ月ものちのことである。

 それから。
 津軽藩に於いては、相変わらず変死者が
「国元でも、江戸でも」
多いと聞く。
 何やら因果が複雑なのだろうか。
 答えは誰にも解らなかった。


 ぬたや再開初日。
 客は山田浅右衛門に浅草弾左衛門、助六、そして千葉佐那の四人であった。
 佐治助の傷は見た目よりも軽く、小石川で半月療養し、十日ほど箱根で刀疵を癒して、こうして店を再開するに至ったのである。
 三日も意識を失っていた佐治助が、いざ目を覚ましてみると、闇烏に関わる一連の出来事を忘れ去っていた。
「あんなに入れ込んでいたのになあ」
 浅草弾左衛門は盃を傾け乍ら、せっせと働く佐治助を眺めて呟いた。
「やはり恨みの凝り固まった女の怨念に、まんまと取り込まれていたのかねえ」
 湯呑み酒を傾け乍ら、山田浅右衛門もぼそりと呟いた。
「怨念が辻切りを果たしてくれる妖怪を生み出し、その妖怪が恨みを晴らしていく。既にこの時点で、淫売の運命は決まっちまったのさ。人が人を呪えば、そいつは必ず還ってくるんだ。因果は巡るんだよ。これじゃあ、誰も浮かばれやしねえや」
 浅草弾左衛門の言葉に
「そんなものですか」
 千葉佐那は遣切れなさそうに呟いた。
 人生の黄昏に、果たして闇烏は何を想ったのだろう。何を想いながら、突然の死を受けとめたのだろう……。それを思うと、何やら佐治助がすべて忘れ去ってしまったことが
(なんとも物悲しい話じゃねえか)
 皆が深く溜息を吐いた。
 そこへ、佐治助が小鉢を運んできた。田螺と葱のヌタである。
「難しそうな話をしてるんですかい?皆さん何やら辛気臭い顔ですぜ」
「いいんだよ。ちょっと辛い魔斬りの反省をしてるだけさ」
 山田浅右衛門の努めて振舞う明るい声が、誰の胸にも切なかった。
「で、お頭。こちらさまは新しい魔斬りの御武家さんで?」
 佐治助の間抜けな問いに、ふと、浅草弾左衛門は大声で笑った。山田浅右衛門も助六も笑わずにはいられなかった。
 一気に、場が華やいだ。
「おいおい……こちらさんは江戸四大道場の鬼小町だぜ」
「……すると!」
「千葉佐那です。以後御見知り置きを」
 佐治助は仰天した。
 鬼小町千葉佐那の名は有名である。
(なんで、旦那たちと!?)
こうも親しいのかと、佐治助は仰天した。しかも、山田浅右衛門が千葉佐那に剣術を習っていると聞いて、二度仰天した。
「おい、もっと旨いモン出しなよ。鬼小町殿が御相伴してんだぜ」
 浅草弾左衛門の催促に、佐治助は張り切って勝手に戻っていった。
 その嬉々と調理している様を見つめがら
「闇烏という女性、本当は優しい人だったのでしょうね」
 と、千葉佐那は小声で呟いた。
「わたし、思うんです。たぶんその人、ぬたやさんが苦しまないように、思い出も一緒に引き取って行ったんじゃないですかね」
 成程、そんな考え方もあるものかと、一同は感心した。
 どうせ真相は闇のなかである。
 肯定的に考えた方が
(せめて救いが)
あろうものではないか。
 そんな思いを皆が巡らせているとは露知らず、当の佐治助は嬉々と
「烏賊の付け焼き」
を運んできた。春先から初夏にかけての烏賊は、まさに江戸の味である。
 ぬたやの烏賊の付け焼きは、濃口醤油と地廻酒とみりんで仕込んだタレを用いる。それに隠し味として、焼津の本節で取った濃い目の出汁が加えられて、この辛口はとても江戸っ子でなければ食べられぬ代物であった。
 そいつを頬張りながら
(こいつの人生には、どんな黄昏が訪れるのかな……)
と、山田浅右衛門は悪戯な上目遣いで佐治助をみるのであった。
 少なくとも、皆の黄昏は明るくあって貰いたい。そう願いながら、早く次の肴が来ないものかと、舌舐め摺りするのであった。


                                  《了》





 【参考文献】


◇「江戸切絵図散歩」
                          池波正太郎・著
                            新潮社・刊

◇「江戸あるき西ひがし」
                          早乙女 貢・著
                            小学館・刊

◇「大江戸路地裏人間図鑑」
                           岸井良衛・著
                            小学館・刊



〈このブログは、基本的に、毎週土曜日に更新されます。次回は「呪咀奇譚 江戸魔斬人・山田浅右衛門シリーズ」をお送りします〉

日曜小説家、「随筆・聖女の軌跡」は、西多摩新聞誌上で連載されている小説「聖女の道標」の副本的エッセイです。ご一緒にお楽しみ下さい。
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