「娘の予感ブログ」愛読者の皆様へ
この度、ブログサービスを移行します。
2012年3月7日に始動したこのブログも今年で12年目を迎えました。
日本におけるインターネットの起源が、東京大学・東京工業大学・慶應義塾大学の三大学を結ぶネットワークとして1984年10月に始まったJUNET(Japan University NETwork)ですから、この「娘の予感ブログ」には日本インターネット史の三分の一近くが詰まっていると言っても過言ではありません。
そのような歴史の堆積を私たちの代でいったん終わらせるのは誠に心苦しいことではありますが、どうかご容赦ください。昨今のブログサービス事情を鑑みて、このような結論に至りました。
新ブログはこちら↓
「現状維持は退化なり」の言葉の通り、私たちは時代の流れに追い抜かれないよう日々邁進する必要があります。実を言うと今回のブログサービス移行はその一端に過ぎません。読者やOBOGの皆さん、果ては全東工大生が思いもよらないような試みをこれから幾つも打ち出していくつもりなので、どうぞお楽しみに。
劇団娘の予感の今後に乞うご期待!
かしこ
2023年03月26日
2022年11月06日
【終演ブログ】存在自体がボケの男、谷原
こんばんは、
脚本・演出を務めました三浦です。
2022年秋公演
「糸を下ろして三千里」
無事終演しました!!!!!!!
見に来てくださった皆様。
折り込みしていただいた劇団さん。
ありがとうございました!!!!!
4公演やりきったキャスト。オペ。当制。
おつかれーーー!!!!!
もうーーー疲れたね!
4回は多かった!
バカだった!
「準備日と片付け日あるなら2回ずつできんじゃん」
ってバカだよね!ほんとバカ!!!
というわけで、
ここからは公演の裏話。与太話。よもやま話。
〇目次
1二 客入れのM
2左 ブログテーマ「この夏、心を奪われた瞬間」
3中 ロープの切り方
4三 脚本(テーマ・内容)
5一 公演準備(稽古場編)
6遊 公演準備(スタッフ編)
7右 脚本(ひたすらボケの解説)
8捕 「三千里」と「三千円」
9投 脚本(ストーリーのおさらい)
〇これ全部書くのか…
〇書くか…
〇本編
1.客入れのM
開場から開演までに流していた曲のセトリです!
「さざなみ」西崎みどり
「あかね雲」川田ともこ
「やがて愛の日が」三井由美子
「哀愁」葵三音子
「想い出の糸車」三田村邦彦
「冬の花」鮎川いずみ
(以下、繰り返し)
上から順に、
必殺仕業人(1976)
新・必殺仕置人(1977)
必殺仕置人(1973)
必殺仕置屋稼業(1975)
新・必殺仕事人(1981)
必殺仕事人Ⅲ(1982)
の主題歌です。
必殺シリーズ大好きですね。
曲がいいなと思った方、ぜひドラマも見てみてください。
最高ですよ。
おすすめは「仕業人」です。
2.ブログテーマ「この夏、心を奪われた瞬間」
心を奪われた瞬間の、「わっ」とか「フッ」ていう感じ。
心を奪われた対象がなんであれ、自分と対象が溶け込んで区別がなくなるあの瞬間。
三千里のテーマはまさにこれです!
この溶け込み作用と、溶け込んだことで区別がなくなった状態(帰結)です。
そういう視点でみんなのブログを読み返すと…
出来事の話が多くて、もっと"瞬間"にこだわってほしかったですね。
「ミケランジェロ広場にたどり着いた時」と「大喜利の回答」はいい線いってますね。
でも、みんなそれぞれいい思い出作ってて素直に羨ましかったです。
3.ロープの切り方
「どうやってロープ切ったの?」と、アンケートに書かれていたので説明します!
写真や動画はないので、文字で!!!
準備:もともと切れてるロープを両面テープで一本にする。
①釈迦がつなぎ目を握って引っ張り上げる。
②イエスと大臣が注目を集めている間に手の中でロープを切り離す。
③大臣が刀を振り下ろしたら後ろに倒れながら、前側のロープを放す。
④谷原が下でロープを引っ張る。
(ちなみに釈迦とイエスが引っ張っている間も、リアルさを出すために谷原は下でロープを張っていました。)
以上です!!!
音照の席から毎回ドキドキして見ていましたが、本番は4回中3回成功しましたか。
その3回のうち2回も、絡まったロープをほどくのに時間がかかって、Mで流していた「ガンダーラ」が終わりかけていたので、文句なしの成功は1回目の公演だけでした。
1回目に来た人はラッキーでしたね!!!!!
4.脚本(テーマ・内容)
名前にあまりこだわらないでほしい、というのは先にことわっておきたいですね。
釈迦とかイエスとか、別になんでもよかったので。極楽浄土とかも。
分からなかった
理解できなかった
と、思ってもらえていたら、それでいいと思っています。
なぜなら、今回の脚本は理解するより、触れることに重点を置いた脚本だからです。
触れられた人なら「意味が分からない」と思って当然で、それを目指した脚本なので何も問題はありません。
今回の脚本のテーマは、ずばり「無」です。
演出挨拶に書いた「沙漠」も同一のものを指しています。
ほかに、「闇」とか「神」といわれてもいますが、私が「沙漠」と呼んだのは、一番自分のイメージに近かったからです。
「無」は、仏教の禅宗にある考え方です。
個人的には、「無」とは、あらゆる対立(主観と客観、有と無、生と死、神と世界、日常と非日常など)を乗り越える絶対的な作用及び帰結であると考えています。
「三千里」では、「無」そのものを描出し、観客がじかにその像に触れることを目指しました。
また、そのような外枠だけでなく、内部、つまり内容を追っていくことでも同じくその領域を見ることができます。
まとめると、作品の世界自体が「無」であり、その内容を追っていっても「無」にたどり着ける、という構造になっているのです。
これから、外側・内側の「無」についてそれぞれ説明していきます。
・外側の「無」
こっちは、劇を見終わった時点でなんとなくわかっている人もいるかと思います。
「三千里」の世界では、話が進んでいくにつれて、さまざまな対立が超越されていきました。
例えば、日常・非日常の対立。
日常:糸を下ろしている
非日常:糸を別なものに変える、誰かと入れ替わる、別の世界にいく
例えば、主・客の対立。
主:最初の釈迦
客:イエス、大臣、れん、その他
と、こんなふうにどんどんわけがわからなくなっていきました。
いえ、わけがわからなくなったのではなく、「無」がそこに現れた、「無」に触れた、ただそれだけのことだと思います。
・内側の「無」
こっちは、激ムズです。
まず、最初の場面(S1)で大臣が罪の定義をしていました。
S2からS7までに起こる出来事の中で、この罪を犯した2人と大臣がS8で牢屋に入っている、という回収なのですが、これを自力で追うのはまず無理ですね。
いや、追わなくていいんです。こっちは遊び心ですね。
自分を小学生だと思いながら歯を診てもらっていたことに罪悪感があったというのが罪の定義です。
一般化すると、過去にさかのぼって今を過ごすことが罪です。
まあ、定義というには、あまりに曖昧なのですが、個人的にはこれぐらいがちょうどいいです。
次に、牢屋に入っていた3人。
囚人1、大臣。
罪1
罪状:後ろ向きで横断歩道を待っていたこと
つまり、過去(横断歩道を渡る前)にさかのぼって今(渡った後)を過ごしている
罪2
罪状:自分を小学生だと思って歯を診てもらっていたこと
つまり、過去(小学生の頃の自分)にさかのぼって今(大人になった自分)を過ごしている
ということで、2つの罪で大臣は牢屋に入れられました。
さらに大臣は、牢の周りを蓮の咲く季節までさかのぼらせるという荒業を見せます。
こんなの説明不要で罪に当たりますよね。
囚人2、釈迦。
罪状:谷原にそっくりな男Bを谷原だと思って過ごしたこと
つまり、過去(谷原と付き合っていたころ)にさかのぼって今(全く関係ない男Bとの時間)を過ごしている
ということで、これは簡単です。
でも、これ実際にやったのは釈迦じゃなくてれんなのに、ってなると思うんですけど、これは外側の「無」による干渉なので、スルーします。
囚人3、谷原。
罪状:直前の極楽浄土でイエスではなくなっている人をイエスだと思って好きになったこと
??????
そうです、これをキャストに理解してもらうのが一番大変でした。
谷原さんには誰かを好きになるときのルールがあります。
それは「直前の1つ前の極楽浄土でイエスだった人を好きになる」というものです。
S5(2回目の俗世。れんとかつやの場面)からいきます。
S5の谷原は、S2(最初の極楽浄土)でイエス(役)だったかつやを好きになっています。
S3(1回目の俗世。れんと谷原の場面)の谷原は、れんのことが(ギリギリ)好きです。
ということは、S2より前の極楽浄土では、れんはイエス(役)だったのでしょうか?
ここで、一旦CMを挟まなければなりません。
S1(オープニング)で大臣が石を拾って池に投げたのを覚えていますか?
あの石がS2の途中で池から飛び出てくるのですが、あのあとから入れ替わりや俗世の場面など様々な非日常が展開していきました。
そして、ラストの場面で、大臣が再び石を拾って池に投げ入れることで、釈迦は「さあ、日常に戻ろう」といい、物語は終わります。
つまり、石が飛び出ている間しか、非日常は起きません。
少しの前の問いに戻ります。
S2より前の極楽浄土では、れんはイエス(役)だったのでしょうか?
答えはNOです。
S2中に石が飛び出てきてからが非日常の始まりなので、S2の前に入れ替わりが起きることはありません。
それでは、なぜ谷原はれんのことが好きだったのでしょうか?
(ここは「無」とつなげなくてもミステリアスでロマンティックでおもしろいと思うのですが、一応つなげますね…)
S2より前に入れ替わりが起きない、かつS3で谷原はれんが好きであることを同時に説明するには、S2以前の釈迦・イエスをその存在がはっきり区別できないものとして考えればよいと思います。
釈迦とイエスの区別が分からなくなる、というところに「無」の要素があります。
かなり奥地まできました。
ここまでこないと見えないものに価値はありません。
ただの遊び心です。
ただこれで、外側・内側の「無」について説明できました。
野暮ですねえ、こんなに話すなんて野暮です。
残りはただふざけているだけなのですが、全てのボケを皆さんが感知できたかどうか?ということで、次の脚本のところではひたすらボケの解説をします。もっと野暮なので注意してください。
5.公演準備(稽古場編)
今回は、本番の約1か月前に稽古が始まりました。
(まあ、色々な事情がありました…)
配役が決まったのはさらにその2週間くらい前で、稽古が始まるまでに台本を頭に入れる時間があったので、稽古が始まって1週間で通しができました。いかれてますね!
今回の公演は、今年の1月に中止になった公演の復刻版ということで、配役も一部踏襲しています。
前回から引き続き、イエス/かつや役のデレシ、大臣役の銅は、初回からエンジン全開でした。
"三千里ワールド"に初めて足を踏み入れることになったれん/釈迦役の玲音を2人が引っ張ってくれました。
三千里ワールド初体験というくくりでいうと、谷原/男B役のタコですね。
個人的に、谷原という役は、この脚本で一番真面目で一番ふざけているキャラだと思っているのですが、それゆえにセリフ量の割に難しい役だったと思います。
演出陣で毎回細かい返しをして、かっこよさとかっこ悪さの絶妙な塩梅を探りましたが、どうでしたか?
6.公演準備(スタッフ編)
結局、座組は何人だったのかというと、キャスト5人+スタッフ3人=8人でした。
もっとキャストの数減らせよ、とか
外から見たら色々あるかもしれませんが、稽古が1か月前スタートになったのも含め、全て最善策だったので…
これ、ちょっと…書きすぎかな…?
え、まあ、いいよね。ここまでついてきてるひとなんて、相当の暇人だもんね。
おい、暇人!!!
(これ中川のブログにあったけど大好き。)
これから先、役に立たないであろう(ことを願う)備忘録。
3人でどうやるかっていうと、
・演出演助がオペをやって、
・衣装小道具を演助に任せて、
・演出が舞監やって、
・美術系2職(舞台美術・宣伝美術)を演出演助で分けて、
・もう1人が制作と当日の受付やって、
ってやると、できます。やめましょう。
この3人。
「三千円」の演出(+舞監)、演助、舞補をやった3人で、仕事多くて大変だったけど、困ることはほんとになかったです。それぞれがやるべきこと理解していて、言わなくてもちゃんと実行してる、みたいな。鰓です。いやほんとに鰓でした。
7.脚本(ひたすらボケの解説)
野暮なのは百も承知でボケをどんどん書いていきますが、その前に1つだけ。
谷原という男は、かっこよければかっこいいほど笑えてきます。
そういう不思議な力を谷原は持っています。その力、私も欲しいです。
S2
・糸の代わりにトイレットペーパー
・釈迦とイエスのパワハラ
・高須クリニック
S3
・駅のステンドグラス前で待ち合わせ
(これは仙台駅イメージです、気づきましたか?)
・外歩いてる人がイヤホンつけてるかつけてないか予想しよう
(恋人どうしの会話って、ほんとに馬鹿馬鹿しくてダサくて聞いてるこっちが恥ずかしくなりますよね)
・谷原の割り勘申し出
・割り勘って言ったのに自分はドリンク券を出す谷原
(じゃあ、れんのぶんも券出してやれや)
・お題目
・店長の猫耳+ハイキングの格好の上にエプロン
S4
・はすまつり
(宮城県栗原市若柳の伊豆沼・内沼のはすまつりのことです、ググろう!)
・お盆の上にお盆
・お盆とカップがくっついてる
・コーヒーカップで出すコーラ(またはビール。ビールはアドリブでした)
・釈迦、イエス、大臣がハモる「悟り?」
・顔を見合わせずに後ろを向く大臣と、袖を引っ張って無理やり顔を合わせようとするイエス
S5
・れんから略奪愛した悪いやつなのにすごい気を遣っているかつや
・木魚の刻み方が、片手→両手→両手両足になるれん
・変顔で十字を刻むかつや
・お会計に時間がかかるかつや
・木魚のリズムがWe Will Rock Youになるれん
・会計中に小銭を落とすかつや
・きりよくお釣りをもらおうとしたら29円になってしまい1円を差し出すかつや
S6
・かつや(イエス)がやった略奪愛にただうなずくだけの大臣
・お経を読むように話す大臣
・急に関西弁が出るイエス
・自分の俗世の役がやったことなのに略奪愛の話に驚くイエス
・釈迦と大臣が全く驚かないことに過剰に驚くイエス
・そのイエスの肩に手を置いてうなずくだけの大臣
S7
・男B登場で「すごい顔」をする店長
・再びお題目
S8
・たまに英語が混じる大臣
「ところで、あなた方はなぜここに連れてこられたのでしょう、skipping the reason of why I'm here.」
「そうですか、娑婆より居心地がよかったですか。It seems like you…どうやらあなたは酌量の余地がありそうですね」
・暗転間際にマレー語をぶっこんでくる大臣
「あなたも娑婆に出るときは気を付けたほうがいいです」
「はい、気を付けます」
「Kamu pun, nanti keluar dunia biasa janganla lupa berhati-hati.」
(意味は「あなたも娑婆に出るときは気を付けたほうがいいです」)
そして、私はデレシの演じるかつやが大好きでした。
8.「三千里」と「三千円」
説明過多な「三千円」と説明不足な「三千里」を足して2で割ったら、たぶんつまらない何かができるでしょう。
「三千円」は、中止になった「三千里」から極楽浄土のシーンをちょっといじって、使い回してはいるものの、全く別のお話です。
別のお話なんですが、意図的に匂わせているところがありまして…
例えば、フライヤー。
里と円以外一緒です。
ただ、気づいていましたか?
この「円」の字、実は「里」の1~3画目を使っています。
あとは、「三千円」の客入れのM。
「ビューティフルネーム」
「ホーリー&ブライト」
「リターン・トゥ・アフリカ」
「ガンダーラ」
の4曲(全てゴダイゴ)でしたが、1、4曲目は「三千里」の本編で使ったMでした。
これが分かるのは、中止になった時の座組にいたOBOGだけなので、あまり一般向けではないのですが、匂わせといえば、という話でした。
9.脚本(ストーリーのおさらい)
S1:紳士的な男、大臣が罪の定義をする。小学生に戻った気分で歯医者の定期検診を受けることに罪悪感。過去にさかのぼって今を生きることの罪深さ。
S2:釈迦、イエス、大臣による極楽浄土。極楽浄土の大臣は、S1の大臣より奔放で身分の低い扱いを受けている。釈迦は糸を下ろし続ける退屈な日常にうんざりし、糸の代わりにトイレットペーパーを下ろすことを思いつく。
S3:れん、谷原、店長による俗世の世界。S2の釈迦役がれんを演じる。れんが谷原に振られる。谷原は、れんが変わったという。れんはショックで悟りを開き、お題目を唱える。
S4:釈迦、イエス、大臣による極楽浄土。S2の釈迦役がイエス、イエス役が釈迦を演じる。S2に引き続き、釈迦は日常にうんざりし、糸の代わりにロープを下ろすことを思いつく。そこに、S3の店長が同じ人格の人間として訪ねてきて、俗世の話をする。話の途中でS5に転換する。
S5:れん、かつや、谷原、店長による俗世。S2のイエス役がかつやを演じる。S3で谷原に振られたれんをかつやが慰めるが、実は谷原とかつやは付き合っていて、れんを騙していた。
S6:釈迦、イエス、大臣による極楽浄土。S2の釈迦役が大臣、大臣役が釈迦を演じる。S2、S4に引き続き、釈迦は日常にうんざりしているが、糸を変えようとはしない。そこに、人間が訪ねてくる。釈迦はS4の続きから俗世の話をするよう人間に話し、人間は戸惑いつつも続きから話をするが、やはり話の途中でS7に転換する。
S7:れん、男B、店長による俗世。S3の谷原役が男Bを演じる。落ち込んでいるれんのもとに、谷原と瓜二つだが雰囲気が違う男Bが現れる。れんは谷原が戻ってきたと思い喜ぶが、男Bはれんの狂気に圧倒され、その場を立ち去る。男Bが戻ってこなかったため、れんは再びショックでお題目を唱える。
S8:釈迦、大臣、谷原による牢屋。S2の釈迦役が釈迦、S1の大臣役が大臣、S3の谷原役が谷原を演じる。大臣は凍える2人のために牢の周りを蓮の咲く季節までさかのぼる。これにより、「私の刑期が伸び」るという。釈迦は「人を間違えた」ことで捕まったと話す。谷原は自分の罪を告白しない。大臣は後ろ向きで横断歩道を待っていたという冤罪で捕まったと話す。
S9:釈迦、イエス、大臣による極楽浄土。誰がどの役を演じるかはS2と同じ。釈迦とイエスは、俗世で命の危機にさらされている谷原を助けようとしている。2人は新しい糸のことを思い出し、ロープで谷原の救出を図る。救出直前に大臣の刀によってロープは切られ、谷原は三千里下まで落ちる。釈迦の「さあ、日常に戻ろう」で物語は終わる。
〇長文、失礼しました…
〇空腹と渇きは落ち着きそうもない…まともな食事がしたい…
脚本・演出を務めました三浦です。
2022年秋公演
「糸を下ろして三千里」
無事終演しました!!!!!!!
見に来てくださった皆様。
折り込みしていただいた劇団さん。
ありがとうございました!!!!!
4公演やりきったキャスト。オペ。当制。
おつかれーーー!!!!!
もうーーー疲れたね!
4回は多かった!
バカだった!
「準備日と片付け日あるなら2回ずつできんじゃん」
ってバカだよね!ほんとバカ!!!
というわけで、
ここからは公演の裏話。与太話。よもやま話。
〇目次
1二 客入れのM
2左 ブログテーマ「この夏、心を奪われた瞬間」
3中 ロープの切り方
4三 脚本(テーマ・内容)
5一 公演準備(稽古場編)
6遊 公演準備(スタッフ編)
7右 脚本(ひたすらボケの解説)
8捕 「三千里」と「三千円」
9投 脚本(ストーリーのおさらい)
〇これ全部書くのか…
〇書くか…
〇本編
1.客入れのM
開場から開演までに流していた曲のセトリです!
「さざなみ」西崎みどり
「あかね雲」川田ともこ
「やがて愛の日が」三井由美子
「哀愁」葵三音子
「想い出の糸車」三田村邦彦
「冬の花」鮎川いずみ
(以下、繰り返し)
上から順に、
必殺仕業人(1976)
新・必殺仕置人(1977)
必殺仕置人(1973)
必殺仕置屋稼業(1975)
新・必殺仕事人(1981)
必殺仕事人Ⅲ(1982)
の主題歌です。
必殺シリーズ大好きですね。
曲がいいなと思った方、ぜひドラマも見てみてください。
最高ですよ。
おすすめは「仕業人」です。
2.ブログテーマ「この夏、心を奪われた瞬間」
心を奪われた瞬間の、「わっ」とか「フッ」ていう感じ。
心を奪われた対象がなんであれ、自分と対象が溶け込んで区別がなくなるあの瞬間。
三千里のテーマはまさにこれです!
この溶け込み作用と、溶け込んだことで区別がなくなった状態(帰結)です。
そういう視点でみんなのブログを読み返すと…
出来事の話が多くて、もっと"瞬間"にこだわってほしかったですね。
「ミケランジェロ広場にたどり着いた時」と「大喜利の回答」はいい線いってますね。
でも、みんなそれぞれいい思い出作ってて素直に羨ましかったです。
3.ロープの切り方
「どうやってロープ切ったの?」と、アンケートに書かれていたので説明します!
写真や動画はないので、文字で!!!
準備:もともと切れてるロープを両面テープで一本にする。
①釈迦がつなぎ目を握って引っ張り上げる。
②イエスと大臣が注目を集めている間に手の中でロープを切り離す。
③大臣が刀を振り下ろしたら後ろに倒れながら、前側のロープを放す。
④谷原が下でロープを引っ張る。
(ちなみに釈迦とイエスが引っ張っている間も、リアルさを出すために谷原は下でロープを張っていました。)
以上です!!!
音照の席から毎回ドキドキして見ていましたが、本番は4回中3回成功しましたか。
その3回のうち2回も、絡まったロープをほどくのに時間がかかって、Mで流していた「ガンダーラ」が終わりかけていたので、文句なしの成功は1回目の公演だけでした。
1回目に来た人はラッキーでしたね!!!!!
4.脚本(テーマ・内容)
名前にあまりこだわらないでほしい、というのは先にことわっておきたいですね。
釈迦とかイエスとか、別になんでもよかったので。極楽浄土とかも。
分からなかった
理解できなかった
と、思ってもらえていたら、それでいいと思っています。
なぜなら、今回の脚本は理解するより、触れることに重点を置いた脚本だからです。
触れられた人なら「意味が分からない」と思って当然で、それを目指した脚本なので何も問題はありません。
今回の脚本のテーマは、ずばり「無」です。
演出挨拶に書いた「沙漠」も同一のものを指しています。
ほかに、「闇」とか「神」といわれてもいますが、私が「沙漠」と呼んだのは、一番自分のイメージに近かったからです。
「無」は、仏教の禅宗にある考え方です。
個人的には、「無」とは、あらゆる対立(主観と客観、有と無、生と死、神と世界、日常と非日常など)を乗り越える絶対的な作用及び帰結であると考えています。
「三千里」では、「無」そのものを描出し、観客がじかにその像に触れることを目指しました。
また、そのような外枠だけでなく、内部、つまり内容を追っていくことでも同じくその領域を見ることができます。
まとめると、作品の世界自体が「無」であり、その内容を追っていっても「無」にたどり着ける、という構造になっているのです。
これから、外側・内側の「無」についてそれぞれ説明していきます。
・外側の「無」
こっちは、劇を見終わった時点でなんとなくわかっている人もいるかと思います。
「三千里」の世界では、話が進んでいくにつれて、さまざまな対立が超越されていきました。
例えば、日常・非日常の対立。
日常:糸を下ろしている
非日常:糸を別なものに変える、誰かと入れ替わる、別の世界にいく
例えば、主・客の対立。
主:最初の釈迦
客:イエス、大臣、れん、その他
と、こんなふうにどんどんわけがわからなくなっていきました。
いえ、わけがわからなくなったのではなく、「無」がそこに現れた、「無」に触れた、ただそれだけのことだと思います。
・内側の「無」
こっちは、激ムズです。
まず、最初の場面(S1)で大臣が罪の定義をしていました。
S2からS7までに起こる出来事の中で、この罪を犯した2人と大臣がS8で牢屋に入っている、という回収なのですが、これを自力で追うのはまず無理ですね。
いや、追わなくていいんです。こっちは遊び心ですね。
自分を小学生だと思いながら歯を診てもらっていたことに罪悪感があったというのが罪の定義です。
一般化すると、過去にさかのぼって今を過ごすことが罪です。
まあ、定義というには、あまりに曖昧なのですが、個人的にはこれぐらいがちょうどいいです。
次に、牢屋に入っていた3人。
囚人1、大臣。
罪1
罪状:後ろ向きで横断歩道を待っていたこと
つまり、過去(横断歩道を渡る前)にさかのぼって今(渡った後)を過ごしている
罪2
罪状:自分を小学生だと思って歯を診てもらっていたこと
つまり、過去(小学生の頃の自分)にさかのぼって今(大人になった自分)を過ごしている
ということで、2つの罪で大臣は牢屋に入れられました。
さらに大臣は、牢の周りを蓮の咲く季節までさかのぼらせるという荒業を見せます。
こんなの説明不要で罪に当たりますよね。
囚人2、釈迦。
罪状:谷原にそっくりな男Bを谷原だと思って過ごしたこと
つまり、過去(谷原と付き合っていたころ)にさかのぼって今(全く関係ない男Bとの時間)を過ごしている
ということで、これは簡単です。
でも、これ実際にやったのは釈迦じゃなくてれんなのに、ってなると思うんですけど、これは外側の「無」による干渉なので、スルーします。
囚人3、谷原。
罪状:直前の極楽浄土でイエスではなくなっている人をイエスだと思って好きになったこと
??????
そうです、これをキャストに理解してもらうのが一番大変でした。
谷原さんには誰かを好きになるときのルールがあります。
それは「直前の1つ前の極楽浄土でイエスだった人を好きになる」というものです。
S5(2回目の俗世。れんとかつやの場面)からいきます。
S5の谷原は、S2(最初の極楽浄土)でイエス(役)だったかつやを好きになっています。
S3(1回目の俗世。れんと谷原の場面)の谷原は、れんのことが(ギリギリ)好きです。
ということは、S2より前の極楽浄土では、れんはイエス(役)だったのでしょうか?
ここで、一旦CMを挟まなければなりません。
S1(オープニング)で大臣が石を拾って池に投げたのを覚えていますか?
あの石がS2の途中で池から飛び出てくるのですが、あのあとから入れ替わりや俗世の場面など様々な非日常が展開していきました。
そして、ラストの場面で、大臣が再び石を拾って池に投げ入れることで、釈迦は「さあ、日常に戻ろう」といい、物語は終わります。
つまり、石が飛び出ている間しか、非日常は起きません。
少しの前の問いに戻ります。
S2より前の極楽浄土では、れんはイエス(役)だったのでしょうか?
答えはNOです。
S2中に石が飛び出てきてからが非日常の始まりなので、S2の前に入れ替わりが起きることはありません。
それでは、なぜ谷原はれんのことが好きだったのでしょうか?
(ここは「無」とつなげなくてもミステリアスでロマンティックでおもしろいと思うのですが、一応つなげますね…)
S2より前に入れ替わりが起きない、かつS3で谷原はれんが好きであることを同時に説明するには、S2以前の釈迦・イエスをその存在がはっきり区別できないものとして考えればよいと思います。
釈迦とイエスの区別が分からなくなる、というところに「無」の要素があります。
かなり奥地まできました。
ここまでこないと見えないものに価値はありません。
ただの遊び心です。
ただこれで、外側・内側の「無」について説明できました。
野暮ですねえ、こんなに話すなんて野暮です。
残りはただふざけているだけなのですが、全てのボケを皆さんが感知できたかどうか?ということで、次の脚本のところではひたすらボケの解説をします。もっと野暮なので注意してください。
5.公演準備(稽古場編)
今回は、本番の約1か月前に稽古が始まりました。
(まあ、色々な事情がありました…)
配役が決まったのはさらにその2週間くらい前で、稽古が始まるまでに台本を頭に入れる時間があったので、稽古が始まって1週間で通しができました。いかれてますね!
今回の公演は、今年の1月に中止になった公演の復刻版ということで、配役も一部踏襲しています。
前回から引き続き、イエス/かつや役のデレシ、大臣役の銅は、初回からエンジン全開でした。
"三千里ワールド"に初めて足を踏み入れることになったれん/釈迦役の玲音を2人が引っ張ってくれました。
三千里ワールド初体験というくくりでいうと、谷原/男B役のタコですね。
個人的に、谷原という役は、この脚本で一番真面目で一番ふざけているキャラだと思っているのですが、それゆえにセリフ量の割に難しい役だったと思います。
演出陣で毎回細かい返しをして、かっこよさとかっこ悪さの絶妙な塩梅を探りましたが、どうでしたか?
6.公演準備(スタッフ編)
結局、座組は何人だったのかというと、キャスト5人+スタッフ3人=8人でした。
外から見たら色々あるかもしれませんが、稽古が1か月前スタートになったのも含め、全て最善策だったので…
これ、ちょっと…書きすぎかな…?
え、まあ、いいよね。ここまでついてきてるひとなんて、相当の暇人だもんね。
おい、暇人!!!
(これ中川のブログにあったけど大好き。)
これから先、役に立たないであろう(ことを願う)備忘録。
3人でどうやるかっていうと、
・演出演助がオペをやって、
・衣装小道具を演助に任せて、
・演出が舞監やって、
・美術系2職(舞台美術・宣伝美術)を演出演助で分けて、
・もう1人が制作と当日の受付やって、
ってやると、できます。やめましょう。
この3人。
「三千円」の演出(+舞監)、演助、舞補をやった3人で、仕事多くて大変だったけど、困ることはほんとになかったです。それぞれがやるべきこと理解していて、言わなくてもちゃんと実行してる、みたいな。鰓です。いやほんとに鰓でした。
7.脚本(ひたすらボケの解説)
野暮なのは百も承知でボケをどんどん書いていきますが、その前に1つだけ。
谷原という男は、かっこよければかっこいいほど笑えてきます。
そういう不思議な力を谷原は持っています。その力、私も欲しいです。
S2
・糸の代わりにトイレットペーパー
・釈迦とイエスのパワハラ
・高須クリニック
S3
・駅のステンドグラス前で待ち合わせ
(これは仙台駅イメージです、気づきましたか?)
・外歩いてる人がイヤホンつけてるかつけてないか予想しよう
(恋人どうしの会話って、ほんとに馬鹿馬鹿しくてダサくて聞いてるこっちが恥ずかしくなりますよね)
・谷原の割り勘申し出
・割り勘って言ったのに自分はドリンク券を出す谷原
(じゃあ、れんのぶんも券出してやれや)
・お題目
・店長の猫耳+ハイキングの格好の上にエプロン
S4
・はすまつり
(宮城県栗原市若柳の伊豆沼・内沼のはすまつりのことです、ググろう!)
・お盆の上にお盆
・お盆とカップがくっついてる
・コーヒーカップで出すコーラ(またはビール。ビールはアドリブでした)
・釈迦、イエス、大臣がハモる「悟り?」
・顔を見合わせずに後ろを向く大臣と、袖を引っ張って無理やり顔を合わせようとするイエス
S5
・れんから略奪愛した悪いやつなのにすごい気を遣っているかつや
・木魚の刻み方が、片手→両手→両手両足になるれん
・変顔で十字を刻むかつや
・お会計に時間がかかるかつや
・木魚のリズムがWe Will Rock Youになるれん
・会計中に小銭を落とすかつや
・きりよくお釣りをもらおうとしたら29円になってしまい1円を差し出すかつや
S6
・かつや(イエス)がやった略奪愛にただうなずくだけの大臣
・お経を読むように話す大臣
・急に関西弁が出るイエス
・自分の俗世の役がやったことなのに略奪愛の話に驚くイエス
・釈迦と大臣が全く驚かないことに過剰に驚くイエス
・そのイエスの肩に手を置いてうなずくだけの大臣
S7
・男B登場で「すごい顔」をする店長
・再びお題目
S8
・たまに英語が混じる大臣
「ところで、あなた方はなぜここに連れてこられたのでしょう、skipping the reason of why I'm here.」
「そうですか、娑婆より居心地がよかったですか。It seems like you…どうやらあなたは酌量の余地がありそうですね」
・暗転間際にマレー語をぶっこんでくる大臣
「あなたも娑婆に出るときは気を付けたほうがいいです」
「はい、気を付けます」
「Kamu pun, nanti keluar dunia biasa janganla lupa berhati-hati.」
(意味は「あなたも娑婆に出るときは気を付けたほうがいいです」)
そして、私はデレシの演じるかつやが大好きでした。
8.「三千里」と「三千円」
説明過多な「三千円」と説明不足な「三千里」を足して2で割ったら、たぶんつまらない何かができるでしょう。
「三千円」は、中止になった「三千里」から極楽浄土のシーンをちょっといじって、使い回してはいるものの、全く別のお話です。
別のお話なんですが、意図的に匂わせているところがありまして…
例えば、フライヤー。
里と円以外一緒です。
ただ、気づいていましたか?
この「円」の字、実は「里」の1~3画目を使っています。
あとは、「三千円」の客入れのM。
「ビューティフルネーム」
「ホーリー&ブライト」
「リターン・トゥ・アフリカ」
「ガンダーラ」
の4曲(全てゴダイゴ)でしたが、1、4曲目は「三千里」の本編で使ったMでした。
これが分かるのは、中止になった時の座組にいたOBOGだけなので、あまり一般向けではないのですが、匂わせといえば、という話でした。
9.脚本(ストーリーのおさらい)
S1:紳士的な男、大臣が罪の定義をする。小学生に戻った気分で歯医者の定期検診を受けることに罪悪感。過去にさかのぼって今を生きることの罪深さ。
S2:釈迦、イエス、大臣による極楽浄土。極楽浄土の大臣は、S1の大臣より奔放で身分の低い扱いを受けている。釈迦は糸を下ろし続ける退屈な日常にうんざりし、糸の代わりにトイレットペーパーを下ろすことを思いつく。
S3:れん、谷原、店長による俗世の世界。S2の釈迦役がれんを演じる。れんが谷原に振られる。谷原は、れんが変わったという。れんはショックで悟りを開き、お題目を唱える。
S4:釈迦、イエス、大臣による極楽浄土。S2の釈迦役がイエス、イエス役が釈迦を演じる。S2に引き続き、釈迦は日常にうんざりし、糸の代わりにロープを下ろすことを思いつく。そこに、S3の店長が同じ人格の人間として訪ねてきて、俗世の話をする。話の途中でS5に転換する。
S5:れん、かつや、谷原、店長による俗世。S2のイエス役がかつやを演じる。S3で谷原に振られたれんをかつやが慰めるが、実は谷原とかつやは付き合っていて、れんを騙していた。
S6:釈迦、イエス、大臣による極楽浄土。S2の釈迦役が大臣、大臣役が釈迦を演じる。S2、S4に引き続き、釈迦は日常にうんざりしているが、糸を変えようとはしない。そこに、人間が訪ねてくる。釈迦はS4の続きから俗世の話をするよう人間に話し、人間は戸惑いつつも続きから話をするが、やはり話の途中でS7に転換する。
S7:れん、男B、店長による俗世。S3の谷原役が男Bを演じる。落ち込んでいるれんのもとに、谷原と瓜二つだが雰囲気が違う男Bが現れる。れんは谷原が戻ってきたと思い喜ぶが、男Bはれんの狂気に圧倒され、その場を立ち去る。男Bが戻ってこなかったため、れんは再びショックでお題目を唱える。
S8:釈迦、大臣、谷原による牢屋。S2の釈迦役が釈迦、S1の大臣役が大臣、S3の谷原役が谷原を演じる。大臣は凍える2人のために牢の周りを蓮の咲く季節までさかのぼる。これにより、「私の刑期が伸び」るという。釈迦は「人を間違えた」ことで捕まったと話す。谷原は自分の罪を告白しない。大臣は後ろ向きで横断歩道を待っていたという冤罪で捕まったと話す。
S9:釈迦、イエス、大臣による極楽浄土。誰がどの役を演じるかはS2と同じ。釈迦とイエスは、俗世で命の危機にさらされている谷原を助けようとしている。2人は新しい糸のことを思い出し、ロープで谷原の救出を図る。救出直前に大臣の刀によってロープは切られ、谷原は三千里下まで落ちる。釈迦の「さあ、日常に戻ろう」で物語は終わる。
〇長文、失礼しました…
〇空腹と渇きは落ち着きそうもない…まともな食事がしたい…
2022年10月29日
2022年秋公演キャスト・スタッフブログ⑧
この夏、心を奪われた瞬間。
金沢の21世紀美術館にある、L'Origine du monde(日本語で「世界の起源」)
"部屋"に入るとある黒い楕円
おれを自分を見つめているわけでもない
そこにあるだけの円楕円
黒くて伸びてきそうで、落ちてきそうで、斜面だから。
でも意外と上っていきそうで、吸い込まれそうな黒
タイトルを見たら世界の起源って言うんだ
これが世界の起源かあ
そうだよなあこれがだよなあ
はあ。考えることないな、いやいまものすごい考えてたな。
考えさせられてたのか、あーすごいなあ。
少し黙ってみる。
やっぱりいいな。なぜかは分からないけど。
ちょっと見る位置変えてみようかな。
おーこういうふうに見えるのか
え、じゃあ右と左も違く見えるの?
おー結構変わるな。変わるっつっても楕円は楕円のままか。
なにが変わったんだろう、てかなんでタイトル「世界の起源」なんだよこれ
センスありすぎだろ。世界の起源にしか見えないって。
なんで円じゃなくて楕円にしたんだろう。
楕円、一番長いところで7mってでかいよ
という感じで、興奮したのか冷静なのか、考えてたのか考えてないのか、よくわからない不思議な時間を楕円とともに過ごしました。
おはようございます。
舞台監督、窪み裏凸
舞台美術、曲線美S
音響、みるあみう・羅
と一緒に住んでいる、脚本・演出の三浦滉平です。
楕円を見つめていると、たまに目が合います。
目が合うっていうのは、うーん…
吸い込まれそうな感覚に近いのですが…
まあ、いいか。
この瞬間をブログテーマ(冒頭)の答えにしたいと思います。
この「吸い込まれる」って感覚はいいですね。
芸術作品を見ているとき。秋の空を見上げたとき。
漫才を見ているとき。仲間と笑い合うのも。
雑居ビル屋上から街の様子を眺めるのも…やめておきましょう。
好きな人と目が合っているときもそうなるはず。
楕円に吸い込まれているときは無心になれるんですよね。
たぶんそれがたまらなく好きなんだと思います。
仕込みが終わって午前〇時という世界に迷い込んでますが、よくここまで書いたと思います。
ついに今日から工大祭です。秋公演です。
皆さん、会場でお待ちしております。
金沢の21世紀美術館にある、L'Origine du monde(日本語で「世界の起源」)
"部屋"に入るとある黒い楕円
おれを自分を見つめているわけでもない
そこにあるだけの円楕円
黒くて伸びてきそうで、落ちてきそうで、斜面だから。
でも意外と上っていきそうで、吸い込まれそうな黒
タイトルを見たら世界の起源って言うんだ
これが世界の起源かあ
そうだよなあこれがだよなあ
はあ。考えることないな、いやいまものすごい考えてたな。
考えさせられてたのか、あーすごいなあ。
少し黙ってみる。
やっぱりいいな。なぜかは分からないけど。
ちょっと見る位置変えてみようかな。
おーこういうふうに見えるのか
え、じゃあ右と左も違く見えるの?
おー結構変わるな。変わるっつっても楕円は楕円のままか。
なにが変わったんだろう、てかなんでタイトル「世界の起源」なんだよこれ
センスありすぎだろ。世界の起源にしか見えないって。
なんで円じゃなくて楕円にしたんだろう。
楕円、一番長いところで7mってでかいよ
という感じで、興奮したのか冷静なのか、考えてたのか考えてないのか、よくわからない不思議な時間を楕円とともに過ごしました。
おはようございます。
舞台監督、窪み裏凸
舞台美術、曲線美S
音響、みるあみう・羅
と一緒に住んでいる、脚本・演出の三浦滉平です。
楕円を見つめていると、たまに目が合います。
目が合うっていうのは、うーん…
吸い込まれそうな感覚に近いのですが…
まあ、いいか。
この瞬間をブログテーマ(冒頭)の答えにしたいと思います。
この「吸い込まれる」って感覚はいいですね。
芸術作品を見ているとき。秋の空を見上げたとき。
漫才を見ているとき。仲間と笑い合うのも。
雑居ビル屋上から街の様子を眺めるのも…やめておきましょう。
好きな人と目が合っているときもそうなるはず。
楕円に吸い込まれているときは無心になれるんですよね。
たぶんそれがたまらなく好きなんだと思います。
仕込みが終わって午前〇時という世界に迷い込んでますが、よくここまで書いたと思います。
ついに今日から工大祭です。秋公演です。
皆さん、会場でお待ちしております。
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東京工業大学演劇研究部 劇団娘の予感
2022年秋公演『糸を下ろして三千里』
脚本・演出:三浦滉平
日時:
10月29日(土) 14:00〜/17:00~
10月30日(日) 11:00〜/14:30〜
場所 : 東京工業大学大岡山キャンパスW521講義室特設舞台
アクセス : 東急目黒線・大井町線大岡山駅より徒歩10分
◆あらすじ
ここは極楽浄土。
今日も釈迦は蓮池に糸を垂らす。
誰に頼まれたわけでも、いつからということもなく。
ああ、糸に縛られなかったらいいのになあ。
◆キャスト
玲音
デレシ
銅
タコ
天聖
◆スタッフ
舞台監督:窪み裏凸
演出助手:一龍斎聖
舞台美術:曲線美S
音響:みるあみう・羅
照明:佐々木ルイス健次郎
宣伝美術:PAKiRA
制作:中川倫太郎
衣装:Momoko Fukuyama
小道具:小堀政行
※事前予約制ではございません。公演当日に大岡山キャンパスW521講義室前にてご希望する時間の整理券を配布いたします。
※開場は開演の30分前です。
※公演時間は60分を予定しています。
※開演5分前までにお越しください。
※ご来場の際は、検温、消毒、マスクの着用など感染対策にご協力ください。
※無料カンパ制です。
不明な点などございましたらお気軽にお問い合わせください。
Mail:musumenoyokan@gmail.com
Web:http://titechdramaclub.yu-nagi.com
Twitter:@musumenoyokan
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結局、何人の座組だったんでしょう……
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- Posted by at 05:10
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