“現代は情報社会だ”とよく言われます。

“正確さ”と“速さ”この二つの要素は、情報を取り扱う場合、決して忘れてはならないものです。

今、私たちの住む日本の社会では、“第三次宗教ブーム”といって、宗教的な関心が一種の流行となっています。

しかし、その内容は、と問うてみると、甚だいい加減なものが多く、“霊界だ”“守護霊だ”と大騒ぎして無責任な事を言っているだけで、何の根拠もありません。

信仰が単にファッションの一部分で済む問題であるならそれでも良いかもしれませんが、人間としての生き方や、永遠の領域に属する霊や魂の問題を取り扱うのですから、絶対に確かなものでなければならないのです。

神様のことも、救われるための道も、自分の直感や、他人からの聞きかじりの知識で、“ああだ、こうだ”と論じてみても実は意味がないのです。

『ピリポは口を開き、この聖句から始めて、イエスのことを彼に宣べ伝えた。』(新約聖書:使徒の働き8章35節)

救い主であるイエス・キリストについても、人はそれぞれ別の考えをもっているかもしれません。

しかし、それが全く不確実な“情報”であっては困るのです。

キリストに関する最も確実な情報、それは“神の言葉”としての聖書の中に求めなければなりません。

何年も何年も聖書を手にしていながら、本当の情報をまだ手に入れていないとすればこれほど悲しいことはありません。

ほんもののキリストを受け入れましょう。