真面目な日本人は、自分を鍛えたり修行を積むこと、つまり、ある主の難行苦行を堪え忍ぶことが悟りを開くことにつながり、それが信仰だと思い込んでいます。

しかし、これでは「人間」しか見ていないという点で、信仰とは言えません。

信仰とは、神様と人間との関係のことを言うのです。

ですから、人間の努力や行ないだけを見るのは、信仰の正しいとらえ方ではないのです。

聖書では、クリスチャンのからだは神から受けた聖霊の宮であり、その内に神の聖霊がおられると言われています。

それにもかかわらず、自分の内に注がれている聖霊の力を忘れて、自分の力だけで生きていることがあります。

どのような状況の中にあっても、人間の考えや力だけでなく、神からの聖霊の力によって、より積極的に生きることができるのです。