今の日本に怒り心頭

51.9尾道生呉育中3生3千人模試全9科目1位太田房江・主要5科目1位私で高2秋旺文社模試28位70.4早稲田政治1年経由・東大法75卒2011.9定年退職【阿修羅掲示板】愛読者で直下地震・放射能黒い雨?で緑内障悪化・間質性肺炎発症、埼玉宅17.3売却で大学時代思い出の地:軽井沢疎開。こんな21世紀の日本に怒り心頭!池田勇人と角栄が好きで塾に行かず県立から東大文1。日本は公平平等社会と錯覚?角栄逮捕以降戦後民主主義右旋回と所得相続税等低減化で戦前地主貴族が復活!橋龍消費増税以来、世界最古世襲縁故身贔屓資本主義の日本で相続者が親の財産を脱税・納税せず、介護保険料?だけで美田を相続?欧米並み総合課税納税者番号が羊頭狗肉でマイナンバー?チェルノブイリ:福一=ソ連崩壊:平成日本?危惧。

2018.8.19(日)8:55過ぎ:18号線:
バイパスを南軽井沢方面に進行中、救急車に対面遭遇。軽井沢病院で無く佐久総合か医療センターか?9:27にD2駐車場に入りドクタ―ヘリが軽井沢消防署から南西に飛び立つのを初見!

狭い敷地で万一人家に落ちたらどうなる~?
離島僻地なら分かるが?????

ドクターヘリ費用は税金?
50万?
医師同乗なら100万円か?
個人負担なら我慢するが、
社保・国保保険料なら利用基準・金額明細の公表は有るのか?
個人負担も5万~10万円は必要でしょ!
8:55~9:27で30分有れば軽自動車でも佐久中央郵便局まで行けるのに!

誰をどんな基準で運んでいるのか?
平均寿命超過老人の為に飛行し働き盛り30~50代の数人がヘリ墜落で死亡するのも如何な物か?
一体誰をヘリで運んでいるのか?

 

2018.8.20,グッディで:
全国小中学校にクーラー設置で秋の補正予算臨時国会に?クーラー屋外機は個別に外に設置?金属窃盗が横行する地方が広がり夏休みや冬休みの事件が増える?校門も二重三重施錠+監視カメラ必須に?!


今後は公立学校も授業時間増やせるので勉強して、学費が比較的に安い公立高校・国立大学により多く行って欲しいものだ!

何処のメーカーのクーラーが安くて丈夫で良く効くか?生徒が調査研究して欲しい!
冷房暖房ドライの空調型?
冷房単独?

全公立小中にクーラー 補正予算案提出へ 来夏までに設置

8/20(月) 7:55配信

産経新聞

 政府は来年夏までに全ての公立小中学校にクーラーを設置するため、予算措置を図る方針を固めた。秋の臨時国会への平成30年度補正予算案を提出することを想定する。これまでも市区町村に交付金を出しているが、校舎の耐震化などが優先されるケースもあり、設置状況にばらつきが出ている。来年以降も夏の猛暑が続くことは否定できず、補助の在り方も含めて見直すことも検討する。(宮野佳幸)

                   ◇

 菅義偉(すが・よしひで)官房長官は、全国各地で記録的な猛暑となった今年7月、「児童・生徒の安全、健康を守るための猛暑対策は緊急の課題だ。学校へのクーラー設置を支援していく必要がある」と述べている。「来年のこの時期に間に合うよう政府として責任を持って対応したい」とも強調していた。

 文部科学省によると、全国の公立小中学校の教室(理科室などの特別教室も含む)のクーラー設置率は41・7%(29年4月時点)にとどまっている。地域の偏りが顕著で、都道府県別でみると、最高が香川県の92・3%に対し、最低の北海道は1・9%。下位10位内に愛媛(13・2%)や長崎(14・8%)、山口(18・2%)といった西日本の県も含まれている。

 クーラー設置には政府の「学校施設環境改善交付金」制度があり、30年度予算で287億円が確保されている。交付金は各市区町村が都道府県を通じて申請し、文科省が額などを決定する仕組みで、補助率は原則約3割となっている。

 ところが、交付金は「教育環境の改善推進」が目的のため、クーラーの設置以外にも校舎の耐震化なども対象に含まれる。公立小学校の耐震化率は22年4月時点で73・3%だったが、23年の東日本大震災を経て29年4月時点で98・8%に達した。クーラー設置は耐震化優先のあおりを受けた形で、政府は予算の増額に加え交付金の在り方も含め、具体的な検討を進める。

 総務省消防庁によると、今年7月の熱中症が原因の緊急搬送者は全国で5万2819人、死者は124人に上った。いずれも1カ月当たり過去最多だった。政府は猛暑を「災害」ととらえ対策に本腰を入れる。 

父親は戦時中赤紙徴兵で宇品港から高雄までの東シナ海航行中に米潜水艦の魚雷攻撃で1日に3回海に投げ出され九死に一生=160人/2000人中で:
戦時3年3カ月軍人恩給を戦後申請したら原爆で兵役原簿消失・証人を探せと言われ諦めたらしいが、報道特集では福山で徴兵原簿焼却した証言聞き親父はトコトン日本政府に騙されたんだと怒り心頭!


『報道特集』が日本軍の戦犯証拠隠滅の実態を明らかに! 安倍政権の歴史修正主義と公文書改ざんの原点(リテラ)
http://www.asyura2.com/18/senkyo249/msg/314.html
投稿者 赤かぶ 日時 2018 年 8 月 15 日 22:55:55: igsppGRN/E9PQ kNSCqYLU


『報道特集』が日本軍の戦犯証拠隠滅の実態を明らかに! 安倍政権の歴史修正主義と公文書改ざんの原点
http://lite-ra.com/2018/08/post-4190.html
2018.08.15 『報道特集』が報じた日本軍の証拠隠滅の実態 リテラ

    
    TBS公式HPより


 戦後73年が経ち、今年も8月15日を迎えた。今夏も各メディアで戦争を振り返る企画が組まれているが、8月11日に放送された『報道特集』(TBS)の「戦争と記録 大量焼却のワケ」はまさに、現在につながる問題を鋭くえぐった特集だった。

 第二次世界大戦における日本の加害事実や戦争責任について言及すると、歴史修正主義にまみれた安倍応援団やネトウヨは、アメリカやソ連の一方的な主張や資料に基づくでっちあげなどとがなり立てる。実際は日本兵の証言などもありそれ自体ウソなのだが、しかし日本の加害や戦争責任の全貌を見えづらくした要因は、日本にこそある。

 それは、敗戦直前、日本政府や軍が責任逃れのために戦時資料の焼却処分を行ったからだ。

 ポツダム宣言受諾後の8月14日に閣議決定された焼却命令は、東京だけではなく、地方にまでおよんだ。『報道特集』ではその一例として、広島県福山市に残されていた8月17日に焼却された書類を記したリストを紹介。そこには、徴兵関係や日中戦争に関する書類が焼却されたと記されており、また、番組では軍人名簿が焼かれたことで、恩給の給付に支障をきたした地方自治体があるとも紹介されていた。

『報道特集』は加えて、実際に焼却に携わった人からの証言も複数紹介している。

 まず、逓信省航空局で暗号を翻訳する業務についていた前沢正己氏は、上司の命令によりありとあらゆる資料を防空壕のなかに入れて焼却処分したと語る。それは電話帳まで燃やすという徹底ぶりで、焼却には2日ほどの時間をかけ、防空壕のなかの空気が足りなくなってなかなか燃えずに大変だったと振り返る。

 戦争に関係する書類を燃やしていたのは、役所だけでなくメディアも同様だった。同盟通信の写真部に勤めていた渡辺清氏は、上司からの命令があり、日比谷公園で書類を焼却するよう言われたと証言している。ちなみに、焼却する理由について上司から説明はなかったという。

 終戦当時内務省の官僚だった故・奥野誠亮元法相は後年、公文書焼却の指示についてこう明かしている。

「ポツダム宣言は「戦犯の処罰」を書いていて、戦犯問題が起きるから、戦犯にかかわるような文書は全部焼いちまえ、となったんだ。会議では私が「証拠にされるような公文書は全部焼かせてしまおう」と言った。犯罪人を出さないためにね。会議を終え、公文書焼却の指令書を書いた」(読売新聞2015年8月11日)

 番組でも「戦犯処理されたら気の毒だから、犯罪人を出さないようにするために公文書を焼けと言った」と会見で語る奥野の映像を紹介している。

 ようするに、終戦直後に各所で急きょ書類が燃やされたのは、戦争責任の追及を免れるためであり、戦争犯罪に関する証拠を隠ぺいしようとする意図からだった(1946年1月3日にはGHQから復元命令を出されている)。

 ノンフィクション作家の保阪正康氏は番組内のVTRに出演し、終戦直後に行われた公文書の焼却は、自らの保身や責任逃れのために行われた「後世の人間に対する侮辱」とこう評価した。

「後世の人間に対して、この戦争を客観的に検証しろということの放棄。私たちの世代への侮辱だと私は思っています。次の世代への侮辱ですね。次の世代は、戦争について歴史的な検証をする必要がありますね。そこから逃げたわけですね。僕はこの罪のほうが大きいと思う」

■安倍政権の公文書改ざんと歴史修正主義は同根でつながっている

 現在82歳で、戦争を知る世代の毒蝮三太夫氏も怒りを滲ませた。戦争に関する資料が隠ぺいされたことにより、子孫たちに正しい歴史を伝えることができなくなったからだ。

「戦争っていうのはこんなに悲惨で、こんなにむごいもので、狂ったように相手を殺すんだということをね、いま我々は言っていかないと。運が良かっただけですよ、知らなかったのは。自分の歴史というのを糧として生きてるんだもんね。だから、書き残すとか振り返るというのはとっても大事ですよね。それが正しくなければ、非常にゆがんだ報告が残るわけでしょ」

 まさに、この廃棄処分が歴史を歪め、歴史修正主義を生み出す温床となっている。実際は、日本軍の残虐な行為を証明する旧日本軍兵士の証言や、戦時記録も僅かに存在するが(たとえば、中曽根康弘や故・鹿内信隆元産経新聞社長の日本軍による慰安所運営に関する証言など)、公文書がほとんど残されていないのをいいことに、歴史修正主義者たちは「証拠がない」などと主張しているのだ。

 繰り返しになるが、日本の戦争責任や加害の実態の全貌を見えづらくしている最大の要因は、責任から逃れるために公文書という一級の第一次資料を破棄するという、日本のあまりに卑怯な行為だ。

 しかも、この都合の悪いものは捨ててしまえという卑怯なやり口は、現在にもつながっている。毒蝮氏は先の発言のあと、こう付け加えていた。

「改ざん。よくいま平気でやるような時代になった。怖いね」

 毒蝮氏が指摘している通り、安倍政権下の日本では、終戦前後の日本で行われたことと、そっくりな文書破棄や改ざんが次々と起きている。自衛隊の日報隠ぺいや森友学園に関する決裁文書の改ざんなど、公文書に関する前代未聞の不正行為が発覚している。

 また、終戦直後の日本と現在の日本とでは、上に立つ人間が自らの保身や責任逃れのために公的文書を不正に扱うという点以外にも、もうひとつ共通点がある。TBS報道局の金平茂紀氏は、実際に公的書類焼却の現場に立たされたのは、組織のなかでも下のほうにいた人間であったことを指摘しながらこのように語った。

「破棄に関わっていた人たちが自分たちのことを『下っ端、下っ端』って言ってたでしょ。上の人が下の人に対して汚いことを押し付けるという構造は、まったくいまと同じ構造だと思うんですよね。森友のときも自殺した人というのは、いちばん現場に近い人だったんですよね」

 公文書は言うまでもなく、為政者の私物などではなく市民の共有財産だ。それが改ざんされたり、破棄されるということは、同時代の社会の根幹を揺るがす問題であると同時に、さらに後の世代がのちに振り返って事実を検証することを阻害するものであり、これは人類史において多大な損害だ。そう考えると、安倍政権の公文書改ざんと歴史修正主義は根っこのところでつながっている。

 安倍政権によっていまも現在進行形で“歴史の改ざん”が行われているという事実。戦争責任から逃れるために戦争の記録を焼き捨てたという事実。この2つの事実を私たちはもっと重く受け止めるべきだろう。

(編集部)


報道特集「戦争と記録~毒蝮三太夫さんが語る戦争・焼却で失われたもの 20180811
























 

≪≪学徒出陣の実態調査を今頃、名門?大学が何故?特待生や裏金兵役免除名誉教授が鬼籍に入り、実態を明るみに出せるのか?≫≫
亡父は1922年大正11年2月生まれで、昭和55年12月脳梗塞死亡、享年58歳。


私の親や親の兄弟は尾道・呉で広島宇品から出兵した。母の最初の夫は我らの父=8人兄弟の末弟の
3番目の兄で、父が兄(=母の最初の夫)を身内で唯一、宇品に見送った。万一の時は後を頼む。

 

戦後、父が水上飛行艇の整備士兼射撃手でシンガポールから昭和21年に帰国したら、母と兄の長女5歳が居て、兄がニューギニアで戦死していた事を知った。

 

親・兄弟は母(二人姉妹の妹)の跡取り姉が我らの父の2番目の兄と結婚していたので、両家から父に結婚を仕向けられ、母の夫の戦死軍人恩給は母の結婚で、父の両親が取り、25歳の母は恩給が無くなり、24歳の父は数え5歳の長女を持つ事になった。

これが解からなかった!平成に入り、堀辰雄記念館で京大名誉教授に聞いた、『辰雄の母が再婚したのに、辰雄は何故、堀姓なのか?』隣に辰雄夫人90歳代が同席されていたので、最初は口籠ったが、『堀の父は芸州藩士で官吏・裁判官で死亡し、遺族恩給が多額で、結婚すると妻は貰えなくなるので、息子の辰雄が堀家の当主で遺族恩給を受け取らせる知恵で戦前は一般的だったと思われる』と答えた。

我が家では、父が兄嫁と結婚するなら、長女に遺族軍人恩給を受け取らせるべきだったが、皆が苦しい時、親孝行で、親に譲るのだろうか? 偶然、私の中学2年(S41)3月の京都修学旅行中の旅館の集団赤痢で健康保菌者300人が校舎に隔離、校庭の家族と校舎2階の私が話している時、私の隣に国立呉病院から来た看護婦さんが立ち、『息子さんなの?』と父に話し掛けていた。隔離3週間後、確認すると戦時中、呉海軍病院の新人看護婦さんで昭和17年に戦地に行く間、付き合っていたと認めた。それで、戦中戦後の事を少し話し出した。
 
 

それから母に次(父にとっては長)女(S22.6)・長男(S24.1)・次男(私S26.9)が生まれ、我々は中学卒業し、高校に戸籍を提出するまで、我が家の戦争被害の現実を知らなかった。貧乏の原因が分かった。

 

父は20歳で徴兵され、東シナ海で一日に3回魚雷でやられ16時間以上浮いていたそうだ。結局、2千名の連隊は190人弱になったそうで、戦後、戦時(3年3カ月)軍人恩給を貰おうとしたが、兵役簿が原爆で焼失し、戦友が非常に少なく自分で探したが見付からなかった様だ。九死に一生とは良く言ったものだが、戦争で運を使い尽くしたから戦後良い事が無いんだ、が父の口癖だった。

 

そんな時、中曽根【呉から2千人をニューギニアに引率、大半が戦病死。父の兄もその中に居たらしい。】が行革大臣時に、徹子の部屋か?【ニューギニア後】台湾で東急の五島昇らとマージャンしてたら戦争が終わったと言っていた。だから勇ましい事が言えるのだと思った。戦争で大変な目に遭った人は聞いても余り話せない、のが普通だ。呉市で育ったから手や足のない人が呉の亀山神社の参道に一杯並び怖くて目を瞑り手を親に引いて貰い参拝したが、正月や秋の参拝が気持ち悪くて本当に嫌だった。戦後の明治神宮や靖国神社は排除されなかったのか?
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偶然、早稲田政治経由の東大文1・法学部で昭和48年4月?緑会総会後に3年生の私のテーブルに身長175cmの胸囲100cm?胸厚の加藤一郎先生が入られ、同席の10人以上の話題が途切れたので、隣から学徒出陣に付いて聞いた。父と同じ大正11年生まれを知っており、聞いてみたかった。『特別研究生に指名され、「優秀な日本男児の遺伝子を後世に伝えよ」と言われ、戦争には行かなかった・・・』と言いながら、ビールのコップに目をやり、顔を当分挙げられなかった。目頭に涙?聞いて悪かった?後で、21世紀になりパソコンで出自・経歴が解かり、日経『私の履歴書』で成城中高での軍事教練で先頭で号令していたと知り、涙の原因が解かった様に思った。
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白洲次郎さんは社会人になって知ったが、詳しくはNHKドラマで召集令状・赤紙を陸軍参謀長に頼み、兵役免除にして貰った人間的な場面が有り、感心した。良く描けていた。 

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