私にとっての武道観最終回

前回の記事の続きです。

・私にとっての武道観△修發修睿
http://blog.livedoor.jp/my_treasure_box/archives/65949189.html



最近ちょっとバタバタと慌ただしい毎日で、ブログ更新出来ませんでした。

今回がこのシリーズ最終回、私がどのような武道観かということを語ってみます。



人それぞれ武道・武道精神・武士道などというものに考えがあると思います。

私は中学生で尼崎道場に入門して以来、ずっと「強くなる為」「試合で勝つ為」に極真空手をやってきました。人間性の向上や聖人君子のようになることや武道の作法を守ることを目的とはしていなかったことは、前回や前々回の記事で書いている通りです。

私にとっての極真空手がそのような考えですので、他人に対しても人間性の向上や良い人間になることや武道の作法を要求することはありません。要求するのは最低限の礼儀と犯罪を犯さないことくらいでしょうかね(その最低限の礼儀も、私なんかは色々不義理してきましたから、人にはあまり言えません)。

・自由にやれ、責任は取らない
http://blog.livedoor.jp/my_treasure_box/archives/65926790.html

ですから、私の道場での修業は人間性の向上などに寄与しません。それを目的とされる場合は、他の方の道場に行った方が良いと思います。



それを踏まえた上で、私が極真空手の修業(強くなる・試合に勝つ為)をする中で大切に思っている事が、

「空手の稽古以外、日常生活での自分の思考・選択・行動といったものが、組手や試合に大きく影響する」
「組手や試合だけでなく、人生全体にも大きく影響してくるので、自分の心ときちんと向き合って、行動などを選択していくことが大切」

というものです。



上手く言えませんが、試合で負ける・組手が強くなれない時に、普通であれば技術的なものやフィジカルなどに原因を求めると思いますが、あるレベル以上になってからは、技術やフィジカル以前の問題、「心」の問題になってくると思うのです。

「稽古中の苦しい状況であと1回気合いで頑張る」という段階ではなく、普段の生活の中での

「相手の顔色を見て空気を読んでしまって、自分の意思を伝えきれなかった」
「恐怖に負けて相手の要求を呑んでしまった」
「本当はこっちを選択したかったのに、周りの目を気にしてあっちにしてしまった」
「問題に対して逃げているのか、それとも敢えて余裕を持って様子を見ているのか?」

といった自分の心の中をきちんと認識して、弱い・直すべきと思う部分に対しては勇気と覚悟を持って直す行動をとる。それが組手や試合に繋がってくるであろうし、大袈裟に言うと人生全体にも役に立つのではないかと思っています。

こんな感じで、日常の自分の内面を組手や試合に繋げ、人生も好転させていこうというのが自分の武道観です。



こんな考え方は武道本来の考え方ではないでしょうから、「お前は武道家ではない!」「お前のやっているのは武道ではない!ただのスポーツだ!」とか言われても私は別に無問題です。

逆にアスリートと言われたいです、なんかカッコいいでしょ(笑)。

実際、空手道本来の?作法とか技術とか知らんし!だからどうした!という体で開き直っていきます。

まあ、いくつか西洋的ではない身体の使い方の突きや蹴りを使えますが、別にそれを押し付けるつもりもなく、ボクシングやキックやテコンドーの技が良いと思ってそれでその人が強かったら全然良いと思います。

あとは、60歳くらいになっても20代の若手と組手出来るようにはなっていたいですね。年いって稽古していないとか、若手と組手出来ないとかは自分の中では問題外ですね。それは強く思っています。



とまあ、こんな感じです。最後、とりとめの無い文章になってしまいました。3回にわたり読んで頂き有難うございました。

・そのな簑はコチラ。
http://blog.livedoor.jp/my_treasure_box/archives/65949698.html




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