エナガ先生の講義メモ

野鳥撮影がきっかけで鳥から教えてもらったこと、興味をもって調べたことをメモしていきます。 

多井畑厄神の参道⑤毘沙門山妙法寺(神戸市・須磨区・妙法寺)

多井畑厄神の参道⑤毘沙門山妙法寺(神戸市・須磨区・妙法寺)に関する記事です。

毘沙門山妙法寺は地下鉄西神線・妙法寺駅の南東1km、
高取山の西麓を流れる妙法寺川の右岸沿いにあります。


高取山と妙法寺川
高取山と妙法寺地区


県道22号線を進み、妙法寺の石標がある交差点で
路地に入り妙法寺川を渡った先に毘沙門山妙法寺の山門がありました。


妙法寺川と妙法寺橋
妙法寺川と妙法寺橋

高野山真言宗の寺院で、天平10年(738)行基の開基とされます。

聖武天皇・高倉天皇の勅願所で、七堂伽藍37坊がある大寺院でした。

付近の山や谷に寺にちなんだ地名の多いことからも、
広大な寺域を占めていたことと思われます。 


妙法寺山門
妙法寺山門



母は平滋子、妻は清盛の娘の平徳子で清盛が天皇家を操作する傀儡でした。
高倉天皇は福原遷都の時は、安徳天皇に皇位を譲り共に福原へ遷り、
妙法寺で国家鎮護を祈願しました。

高倉天皇は後白河天皇の皇子で以仁王の異母弟でもあります。

源平合戦が勃発しようとする中、高倉天皇は清盛の傀儡として病死しました。
以仁王は平氏討滅の令旨を出し、源氏の挙兵を促しましたが平氏の矢に当り戦死しました。


妙法寺石段
妙法寺石段


妙法寺は福原の乾(北西)にあたるため平清盛は遷都の際、
平安京の鞍馬にならい、ここを王城鎮護の霊場新鞍馬としました。


治承4年(1180)平清盛が寺領1000石を寄進

観応2年(1351)観応の変で焼失
元禄10年(1697)再建、現在は円蔵院を残すのみ。


妙法寺本堂
妙法寺本堂


五社神社は行基が妙法寺の鎮守として創祀したものです。
創祀以来、同寺と共に皇室の御尊崇を高く受け、俗に五社権現とも称しました。 


祭神:天之御中主、高皇産霊、神皇産霊、伊邪那岐、伊邪那美


五社神社
五社神社


境内には南北朝時代の応安3年(1370)に僧浄照が建立した石造宝篋印塔があります。
ここより北の車村への道筋に建てられていました。

石造宝篋印塔
石造宝篋印塔



長田神社の参道⑱駒林神社(神戸市・長田区・駒ヶ林町)

長田神社の参道⑱駒林神社(神戸市・長田区・駒ヶ林町)に関する記事です。

駒林神社は神戸市営地下鉄・駒ヶ林駅の南300m、
和田岬の西の付け根にある神社です。


長田港を正面に臨む場所に位置し、
駒林神社の東には刈藻川、西には妙法寺川があり、
この川が運ぶ土砂によって、天然の良港として発展してきました。

駒林神社周辺地図
駒林神社周辺地図


長田港に向って赤鳥居がありますが、これは船で来る参拝者を迎えた為で、
昔はこの赤鳥居付近は砂浜だったそうです。


古くから瀬戸内から明石海峡を越えてきた船の寄港地で、
畿内への出入り口として大輪田泊の一部ともされる海の要衝でした。

駒ヶ林からは風波が強く海難事故が多発する和田岬を回らなければならず、
一端ここで休息したものと思います。


長田港
長田港


駒ヶ林には渡来人の出入国を管理する役所である
玄蕃寮の出先機関が置かれていました。

その玄蕃寮の敷地内に祠を建てて応神天皇を
祀ったのが駒林神社の始まりです。


祭神:応神天皇、猿田彦大神、奇稲田姫命


駒林神社の赤鳥居
長田港に面した赤鳥居(海が参道)


治承2年(1178)には平清盛が厳島神社参詣の途中に駒ヶ林に上陸したとされ、
境内には平清盛上陸之地碑が置かれています。


平清盛上陸の地碑
平清盛上陸之地


建武3年(1336)には京都合戦に敗れた足利尊氏が、
西国へ敗走の折、当社の社前の浜で1句詠んで乗船したとされます。


♪今むかふ方は 明石の浦ながら まだ晴れやらぬ 我が思ひかな♪  足利尊氏


駒林神社の拝殿
駒林神社の拝殿


いかなご漁は一千年以上前から駒ヶ林で行われている漁で、
「いかなごのくぎ煮発祥の地」の碑が赤鳥居の前に置かれています。


いかなご漁の底引き網を入れる優先権を決める為、
平安時代の永延二年(988)から昭和34年(1959)まで
左義長祭(どんと焼き)が行われてきました。


いかなごくぎ煮発祥の地碑
「いかなごのくぎ煮発祥の地」の碑

杉丸太と笹で作った高さ2.5mのお山2基を東西に分かれてぶつけ合い
勝った方が底引き網を入れる優先権を得ました。

総勢200名の担ぎ手が血の雨を降らせることもある
相当変わった左義長祭でした。


左義長祭
左義長祭講演会のパンフレット


駒林神社の赤鳥居から海岸を西へ行くと駒ヶ林蛭子神社があります。

長田港は神戸市で1・2漁獲高を誇る有力漁港ですが、
駒ヶ林蛭子神社はその漁港の守護神です。


駒ヶ林蛭子の注連縄柱
駒ヶ林蛭子の注連縄柱


駒ヶ林蛭子神社の境内には海亀供養碑や、魚供養碑などが建てられています。

大海亀之靈
大海亀之靈


魚供養碑
魚供養碑


生田神社の参道⑦熊野神社(神戸市・中央区・中山手通)

生田神社の参道⑦熊野神社(神戸市・中央区・中山手通)に関する記事です。

熊野神社は宇治川左岸160m
阪神神戸線・西本町駅の北700mの丘陵に鎮座します。

走渦と呼ばれた宇治川は改修されて水量は少なく嘗の面影はありません。


宇治川と宇治川公園
宇治川と宇治川公園


宇治川は熊野神社の南400mで暗渠化され、
商店街の下を潜り、ハーバーランドの海へ流れ込んでいます。


昭和13年の阪神大水害の教訓で、暗渠廃止の六甲山ですが、
宇治川は暗渠をやめられず暗渠前に水門があるのかも知れません。

暗渠前の水門
暗渠前の水門


熊野神社の鎮座する台地は、古くは宇治野山と呼ばれ、
法隆寺の747年の古文書によると、
その付近は摂津国・雄伴郡・宇治郷と称されています。


宇治郷は菟道稚郎子の名代の宇治部が宇治川流域から会下山あたりに住みついた場所です。
宇治部は宇治物部氏だったと考えられています。


注)雄伴郡は、淳和天皇の時代、天皇の諱「大伴」に発音が近い為、八田部郡と改名



熊野神社の鳥居
熊野神社の鳥居


紀記によると菟道稚郎子の母は宮主宅媛で、
宮和珥氏の祖,日触使主(ひふれ)の娘とされます。


しかし先代旧事本紀では菟道稚郎子の母は香室媛(かむろ)で、
伊香色雄命の曾孫の物部多遅麻(たじま)の娘とされています。
香室媛は物部山無媛とも称され、
応神天皇との間に3人の子息・息女(兎道稚郎子・矢田皇女・雌鳥皇女)を成しました。


矢田皇女は仁徳天皇の妃八田皇女で、
八田部郡の地名は八田皇女の名代が付近にあったためともされます。


熊野神社の二の鳥居
熊野神社の二の鳥居


熊野神社は宇治物部氏が創建したしたもので、
その後、福原遷都の際に藤原邦綱が再建したものです。


祭神:伊弉諾命、伊弉冉命

熊野神社を中興した藤原邦綱は五条大納言とも称する平清盛の友人で、
福原遷都の時は新都造営役を担当していました。


熊野神社の拝殿
熊野神社の拝殿


藤原邦綱は、頭を痛めて福原京の町割り案を多数出し、
早期に熊野神社の付近に宇治新亭と呼ばれる邸宅を建てました。


福原遷都が廃案になり、安徳天皇が、京都に戻る時にその宇治新亭に滞在したことが
源頼朝の友人・吉田経房の日記「吉記」に記載されています。


熊野神社の本殿
熊野神社の本殿


阿保親王塚古墳の参道①阿保天神社(芦屋市・上宮川町)

阿保親王塚古墳の参道①阿保天神社(芦屋市・上宮川町)

阿保天神社はJR芦屋駅の南東200mに位置します。

昔は天滿宮および阿保天神社と呼ばれ、
打出天神社と同じ菅原道真をお奉りして多くの人々に親しまれていました。

昭和20年8月の阪神大空襲で焼失し、7年後に今の本殿や拝殿が新設されました。
その際、芦屋ゆかりの阿保親王や在原業平を加えてお奉りし
阿保神社と呼ばれるようになりました。


祭神:阿保親王、在原業平、菅原道真


阿保天神社の拝殿

阿保天神社の拝殿

阿保親王には、芦屋周辺を所領地にしたという言い伝えがあります。
親王はこの地とこの土地の人々を愛し、親王塚に黄金一千枚と金の瓦一万枚を埋めて
飢饉の際には掘り出して穀物と換えるようにと伝えたという伝説も残っています。

阿保親王の伝承は芦屋だけでなく、大阪松原や奈良櫟本にもありますが、
いずれも土地でも地元の人々を大切にしたようで、皆から慕われていました。



阿保天神社の本殿
阿保天神社の本殿


阿保天神社の舟形手水鉢には大きな盃状穴があります。


盃状穴とは岩石や石造物等に彫られている盃状の穴の事です。
縄文時代から近年まで子孫繁栄を願って、
女性のシンボルを模した穴が彫られました。


盃状穴のある手水鉢
舟形手水鉢(大きな盃状穴)


澪標住吉神社の参道②富島神社(大阪市・北区・中津)

澪標住吉神社の参道②富島神社(大阪市・北区・中津) に関する記事です。

地下鉄御堂筋・中津駅から北へ400M、
能勢街道架道橋を潜った先にあります。

現在大阪駅北側の地域では梅田貨物線を地下化して、
地下に北梅田駅を造る大工事が進行中です。
この能勢街道架道橋も既に貨物線の線路が撤去されており、平面化される予定です。

能勢街道架道橋
能勢街道架道橋(この先に富島神社)



創設時期は不明ですが室町時代には存在しており、
疫病退治で著名な速素盞烏尊を祀り牛頭天皇社と称していたそうです。

祭神:速素盞烏尊 
配祀:天照皇大神、八幡大神、住吉大神、奇稻田姫命 
合祀:豊受皇大神、菅原道真

富島神社の鳥居
富島神社の鳥居

豊崎神社の摂社鹿島神社は寛永のころ常陸国鹿島神社より勧請し、
神輿を渡御し、鹿島踊りを奉納したとされますが、
富島神社も同じ役割を持ち、武甕槌命を勧請したこともあるようです。 

富島神社の拝殿
富島神社の拝殿

明治2年には難波八十島の利島に因み利島神社となり、
中世は富島荘だったことから今の富島神社に改称しました。


富島神社の本殿
富島神社の本殿

   


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