高鴨神社の参道③橋本院(御所市・高天) に関する記事です。

高天寺・橋本院は高天原にある寺院で、高天彦神社の北東700mに位置します。

高天原マイマップ

高天原マイマップ

高天の集落の端に橋本院参道碑があり、
橋本院までのんびりとした高原の散策を楽しめます。

橋本院参道碑
橋本院参道の道標

橋本院のある高天地区は金剛山の中腹にある高原台地で、
橋本院付近の水田地帯一帯が高天原と呼ばれる場所です。

参道を振り返ると、高天彦神社の神体山の白雲峯と高天の集落が見えます。
高天の集落
白雲峯と高天の集落(高天原)

高天原の景色を満喫しなら20分も歩くと橋本院が見えてきます。

高天原は古事記神話では,天照大神が支配し八百万の神々がいるという天上界です。
万葉の時代から人々の憧れの場所だったようです。

♪葛城の 高間の草野 早知りて 標刺さましを 今そ悔しき♪ 詠人知らず 万葉集
~高天原の若菜に早く気付いていれば、摘まれないよう標を刺しておいたのに~

万葉歌碑(橋下院)
橋本院参道の万葉碑

橋本院遠景
高天原の水田の中の高天寺・橋本院

橋本院の前に史跡・高天原碑があり、
この周辺が高天原の中心部だったとも言われます。

高天地区は神話で神々が住む高天原とされる場所です。
天照大神が生まれたときに、高天原を治めるよう命じられます。
天照大神の孫の瓊瓊杵が天孫降臨し、
以降、天孫の子孫である天皇が葦原中国を治めることになります。

高天原碑
橋本院の前の史跡・高天原碑

橋本院の正式名称は宝宥山・高天寺・橋本院と言います。
橋本院は第44代元正天皇(680-748)の勅により
行基が開いた高天寺の一子院にあたります。

鑑真も住職に任ぜられた程の格式高い大寺院で、
金剛転法輪寺七坊の一つとして、
修験道の祖といわれる役小角が修行をした場所でもあります。
橋本院山門
橋本院の山門

一時は大寺院として勢力を誇った高天寺でしたが、
中世の南北朝時代になると 高天寺は戦乱で焼き払われ、
橋本院一院だけ焼け残りました。

♪♪くちてだに 梅も高天の花の色に 八雲を声に のこす鶯♪♪三条公永(1533)

橋本院護摩堂
橋本院護摩堂と弘法大師像(右は厄除け十三仏)

ご本尊の十一面観音菩薩像が安置されている観音堂です。

観音堂
観音堂(橋本院本堂)

境内北の庭園には白い花が沢山ありましたが、
どうも白くなった蝋梅のようです。

♪♪葛城や 高間の山の 花盛り 雲のよそなる 雲を見るかな♪♪ (続古今集)
境内
橋本院の庭園