松尾大社の参道⑳衣手神社(右京区・西京極・衣手町)に関する記事です。

平安京は左京、右京が正対称に設計された都市で、
都市の東西の果てには東京極・西京極が作られました。


衣手神社は平安京の果て西京極に置かれた神社で、
三途の川・桂川の左岸100mに置かれた神社です。


桂川の椻 (3)
桂川(西大橋付近)


衣手神社前の東500mには天神川が南流し吉祥院あたりで桂川に流入しています。
天神川の横を走る道は周山街道で、京北経由で敦賀に通じています。


京北は平安京の建物や寺社仏閣を作り上げてきた木材の供給源で、
近い内に訪れたい場所の一つです。


天神川
天神川と周山街道


桂川の上流2kmには松尾大社があり、
松尾大社境内にも、松尾七社の一社である衣手社がありますが、
この西京極の衣手神社とは別物です。


元は西京極のこの地には郡村の産土神だった三宮社が鎮座していました。
明治8年(1875)に三宮社が松尾大社の境内末社・衣手社を合祀し、
衣手神社と社名を変え、衣手社の神輿の御旅所となりました。


衣手森神社の鳥居
衣手神社の鳥居


衣手神社の境内には衣手森の石碑があります。

衣手社は嘗て、松尾大社近く桂川右岸の衣手森に鎮座していました。

その後、桂川の氾濫により社殿が流出し、松尾大社境内に遷されたとされます。


衣手森の石碑
衣手森の石碑


衣手神社の祭神は玉依姫命と羽山戸神(はやまと)の2柱です。


祭神:玉依姫命、羽山戸神


玉依姫命は三宮社の祭神で、開拓の神、
羽山戸神は衣手社の祭神で、農業・諸産業の守護神です。


衣手森神社の赤鳥居
衣手神社の赤鳥居

衣手森神社の拝殿
衣手神社の拝殿

衣手森神社の本殿
衣手神社の本殿


京極の極は境目・果て・極限の意味があり、平安京の果てを意味します。

右京の果ては西京極でその先は桂川があり、
左京の果ては新京極でその先は鴨川があります。

桂川、鴨川は三途の川で周辺には葬送の地が置かれました。


秦氏は平安京の構想を練り、1000年に及ぶ新都を築きましたが、
京の西の境は桂川、東の境は鴨川とし、それより先は霊の住む世界としました。

その霊界である、桂川の西は松尾山で、鴨川の東は稲荷山です。
どちらも秦氏の本拠地で、そこには人は住むなと秦氏が暗示した様にも感じます。


桂川と愛宕山2
三途の川・桂川


衣手神社を東へ行くと桂川の土手沿いに
お半と長右衛門の供養塔があります。


38歳の帯屋長右衛門と14歳の信濃屋お半の二人が
桂川で心中を遂げた場所です。


お半長右衛門供養塔
桂川連理柵の史跡(お半長右衛門供養塔)


衣手神社の鳥居前には東衣手町遺跡の石碑が置かれています。

飛鳥時代の墓が検出された場所で、
ここから乳幼児の墓として用いられる甕棺墓が出土しました。


東衣手遺跡
東衣手遺跡