機物神社の参道⑰郡津神社(交野市・郡津)に関する記事です。

郡津神社は京阪交野線の郡津駅の東800M、
白鳳時代からの交野郡衛と推定される台地上に鎮座します。

郡津神社マイマップ

郡津駅散策マイマップ

神津神社付近の明遍寺の路地には交野郡衙跡碑がありました。

交野郡で収穫された米を貯蔵する交野郡衙の米倉が置かれ、
倉山と呼ばれた場所にあたります。

交野郡衙遺跡
交野郡衙跡碑

東高野街道沿いにある郡津下茶屋から東の郡津神社までの台地一帯は
水量の豊富な井戸が多く湧く、農耕に適した土地でした。
郡津茶屋が発展したのもその井戸水のお陰です。


郡津の民家(郡津神社~明遍寺)
交野郡衙跡の民家

天の川に沿って人工の水路が拓かれており、
その拠点となる湊が置かれたが郡津の地名の由来です。
水路では、鍛冶の為の木炭や薪を運んだとされ、江戸時代には郡門ともされました。

最近の奈良市内出土の木簡研究からは、
郡津から税(租)として平城京へ米を納めていたことが判りました。
肩野津とされる交野郡衙に附属した港湾施設があり、
そこから天野川~淀川を経て木津川の泉津まで郡津米を運びました。

郡津神社
郡津神社の鳥居
 
郡津神社は白鳳時代(696~710)に交野郡衛の郡司により創建された神社です。
宮寺の長宝寺とともに奈良・平安にかけて神仏習合の社寺として栄えました。


鎌倉時代初期には長宝寺が焼失し廃寺となりましたが、

郡津神社は郡津の氏神として信仰され続け、郡津一の宮と呼ばれてきました。


祭神:素盞鳴命、住吉大神、天照大神
末社:金刀比羅大神、天神地祇、稲荷大神、貴船大神

郡津神社の拝殿
郡津神社の拝殿

近代には郡津二の宮、郡津三の宮を合祀して郡津神社となりました。

明治初年に、東高野街道西側にあって住吉明神を祀っていた郡津二の宮を合祀。
郡津大塚地区の丸山古墳の東にあって天照大神を祀っていた郡津三の宮を合祀。

郡津神社の本殿
郡津神社の本殿

郡津神社の裏手にある児童公園には、宮寺だった白鳳長宝寺跡碑が建ち
奈良時代から江戸時代までの瓦が出土しています。

郡津神社の境内全域から長宝寺遺構・遺物が発掘され、
現社地全域が長宝寺の領域だったことが判明しています。

長宝寺は鎌倉時代に焼失しましたが、その後江戸時代には再建されており、
明治初年まで寺子屋が開かれていました。

郡津神社内の発掘調査では「忍冬唐草文軒丸瓦」を含む奈良時代の瓦が出土しました。
また、郡津神社の200m西側では、飛鳥時代の「素弁八葉蓮華文軒丸瓦」が出土しています。


白鳳時代長宝寺跡碑
白鳳時代長宝寺跡

単弁八葉蓮華文軒丸瓦
単弁八葉蓮華文軒丸瓦