2013年11月

於美阿志神社(奈良県・高市郡・明日香村・檜前字 )

於美阿志神社(奈良県・高市郡・明日香村・檜前 )に関する記事です。

檜前マイマップ

明日香日隈マイマップ

祭神:阿知使主(あちのおみ)

於美阿志神社(おみあし)は、明日香村南西部の檜隅(檜前:ひのくま)地域に鎮座する神社です。
 

於美阿志神社の森
於美阿志神社の森

檜隈(ひのくま)は飛鳥文化を創った渡来人・東漢氏(やまと・あや)が住んだ土地です。


大陸からの帰化人としては4-5世紀頃に多く渡来した秦氏が有名です。
漢氏(あや)は、秦氏に少し遅れて渡来した技術集団です。
その漢氏は大和に東漢氏、河内に西漢氏がそれぞれ居住しました。

大和の檜隈には応神天皇の頃に渡来した、
阿智使主(あちのおみ)を祖とする東漢氏が住み、製鉄,機織、土器、農耕技術などを伝えました。
 

於美阿志神社1
於美阿志神社の鳥居

於美阿志神社は宣化天皇の宮殿である檜隅盧入野宮の宮地としても知られます。

第28代宣化天皇(467-539)は継体天皇の子供ですが、
69歳の高齢で即位したため3年余りで死去し、これが飛鳥時代の幕開けとなります。
 

檜隈廬入野宮
宣化天皇・檜隅盧入野宮碑(ひのくま・いおり・のみや)

その宮跡の地に東漢氏は自分たちの氏寺である檜隅寺を建立し、
彼らの祖である阿知使主(あちのおみ)を祀ったのが於美阿志神社です。

時代は天智天皇の頃とのことです。
 

於美阿志神社拝殿
於美阿志神社の拝殿

以前に京都太秦の大酒神社(祭神:秦氏の祖・弓月君)の記事で
漢織神(あやはとり)・呉織神(くれはとり)が合祀されていました。

漢織・呉織の神様が誰なのかここでやっと判明しました。

雄略天皇の頃、阿知使主の子孫である
身狭村主青(むさ・すぐりあお)と檜隈民使博徳(たみのつかいはかとこ)が檜隅に現れます。
彼らは大陸との交流を密にし、機織の技術集団を率いて檜隈野に住まわせました。

この集団に漢織(あやはとり)・呉織(くれはとり)がおり、
漢織は飛鳥衣縫部の祖、呉織は伊勢衣縫の祖となったそうです。


於美阿志神社本殿
於美阿志神社の本殿

神社の境内では、講堂跡と塔跡と推定される建物跡が確認されており、
発掘調査では7世紀末の瓦が出土しています。

檜隈寺瓦
檜隅寺の瓦

塔跡には、平安時代に製作された十三重石塔(石塔婆)が建っています。


十三重石塔 (2)
十三重石塔(石塔婆)

於美阿志神社に近いキトラ古墳も
彼ら東漢氏たち渡来人の墓である可能性が高いようです。

しかし於美阿志神社からキトラ古墳への広大な檜隅地域が観光施設の大工事の最中でした。
今の檜隈の自然と景観が少しでも多く残って欲しいですね。
 

於美阿志神社から畝傍山
於美阿志神社裏から見た畝傍山方面の風景


のすり
檜隅の工事を見守る猛禽・ノスリ

<関連記事>
於美阿志神社の参道①許世都比古神社( 高市郡・明日香村・越)こせつ
於美阿志神社の参道②櫛玉命神社( 高市郡・明日香村・真弓)
於美阿志神社の参道③呉津彦神社(高市郡・明日香村・栗原)
於美阿志神社の参道④岩屋山古墳(高市郡・明日香村・越)
於美阿志神社の参道⑤牽牛子塚古墳・越塚御門古墳(高市郡・明日香村・越)けんごし
於美阿志神社の参道⑥真弓鑵子塚古墳(高市郡・明日香村・真弓)かんす
於美阿志神社の参道⑦与楽鑵子塚古墳(高市郡・明日香村・与楽)
於美阿志神社の参道⑧マルコ古墳(高市郡・明日香村・真弓)
於美阿志神社の参道⑨高松塚古墳(奈良県・高市郡・明日香村・平田)
於美阿志神社の参道⑩吉備姫王墓と猿石(高市郡・明日香村・越)
於美阿志神社の参道⑪欽明天皇陵(高市郡・明日香村・越)
於美阿志神社の参道⑫文武天皇陵(高市郡・明日香村・栗原)
於美阿志神社の参道⑬中尾山古墳(高市郡・明日香村・平田)
於美阿志神社の参道⑭波多甕井神社(高市郡・高取町・羽内)
於美阿志神社の参道⑮高皇産霊神社(高市郡・高取町・観覚寺)
於美阿志神社の参道⑯
天津石門別神社(高市郡・高取町・越智)
於美阿志神社の参道⑰
子嶋寺(高市郡・高取町・観覚寺)
於美阿志神社の参道⑱
宮塚古墳(高市郡・高取町・市尾)
於美阿志神社の参道⑲
市尾墓山古墳(高市郡・高取町・市尾)
於美阿志神社の参道⑳
束明神古墳(高市郡・高取町・佐田) 





石上神宮の境内②出雲建雄神社(天理市・布留町)

石上神宮の境内②出雲建雄神社(天理市・布留町)に関する記事です。

石上マイマップ

石上マイマップ

出雲建雄神社は石上神宮境内にある摂社で、
大和国・山辺郡鎮座とされる式内小社です。

天武天皇の御代に草薙剣を御神体として創建しました。

祭神:草薙剣の荒魂(出雲建雄神)

出雲建雄神社の拝殿

出雲建雄神社の拝殿(内山永久寺の鎮守・住吉社より移築)


天武天皇の時代の創建で、草薙剣と言えば、
熱田神宮の草薙剣盗難事件を思いだします。

剣を盗んだ新羅の僧侶が草薙剣を捨てた為に、
大阪鶴見区にある一地区が放出という地名になったことを
阿遅速雄神社(あじはやお)の記事で書きました。


出雲建雄神社の本殿
出雲建雄神社の本殿


熱田神宮の草薙剣盗難から返還までのいきさつは
日本書紀や熱田神宮の社伝に以下のことが載っているそうです。

「668年(天智天皇7年)に熱田神宮で新羅の僧侶により草薙剣が盗まれたが、
大阪の放出付近で暴風雨のため、諦め草薙剣を捨て、草薙剣は宮中で預かることになった。
天武天皇が草薙剣の祟りで崩御(686年)されたことがきっかけで、
同年に、草薙剣は熱田神宮に返還された。」

でも以前に、この記事を書いた時、不思議に思ったのですよ。
だって盗まれた剣が見つかったのに、尾張氏の熱田神宮に18年も返さずに
宮中に保管しておいたことになるのだから。

その宮中の保管時に創建されたのが出雲建雄神社で、草薙剣を御神体として祀っていたようです。
そうなると草薙剣盗難事件の張本人は天智天皇の関係者かも知れません。


大神神社の参道⑦綱越・祓戸神社(桜井市・三輪)

大神神社の参道⑦綱越・祓戸神社(桜井市・三輪)に関する記事です。


三輪マイマップ

三輪マイマップ


<綱越神社>

御祭神:祓戸大神

綱越神社(つなこし)は延喜式に登場する歴史のある神社です。

夏越えの大祓(おおはらえ)での御祓祭り(おんぱら)で知られている大神神社の摂社です。

綱越神社は、参道の始まり一の鳥居の近くに鎮座しており
傍を流れる初瀬川に穢れを流してからお参りします。

一の鳥居
大神神社の一の鳥居

綱越神社1
摂社の綱越神社

綱越神社2
綱越神社の本殿




綱越神社3
綱越神社の磐座


<祓戸神社(はらえど)>

二の鳥居をくぐり、大神神社の社殿が間近になるあたり、
御祓川(みそぎ)に架かる御手洗橋を渡った場所に、祓戸神社(はらえど)が現れます。

御祭神は祓戸大神いとも言われる以下の四柱です。

瀬織津姫神(せおりつひめ)
速秋津姫神(はやあきつひめ)
気吹戸主神(いぶきどぬし)
速佐須良姫(はやさすらひめ)

の四柱が祀られています。


大神神社に、お参りの際には、
まず祓戸神社でお祓いを受けてから、
本殿に参拝するのが正しいお参りの仕方です。



祓戸社1
祓戸神社1



瀬織津姫(せおりつ)を始めとする祓戸の4神が、
大祓によって祓われた罪穢れを連携プレーで流してくれます。


1.瀬織津姫(せおりつ)が罪穢れを御祓川⇒大和川⇒大阪湾へ流します。
2.大和川河口にいる速秋津姫(はやあきつ)が罪穢れを飲みこみます。
3.気吹戸主(いぶきど)は罪穢れを根国・底国に息で吹き飛ばします。
4.速佐須良姫(はやさすら)が持ちさすらい消してしまいます。



祓戸社2
祓戸神社2

大神神社の参道⑩活日神社(桜井市・三輪)

大神神社の参道⑩活日神社(桜井市・三輪)に関する記事です。

大神神社マイマップ

大神神社マイマップ

祭神 高橋活日命

活日神社(いくひ)は大神神社拝殿から狭井神社への途中にある摂社です。

天理市の高橋邑の活日は祟神天皇に召された、お酒造りの名人です。

活日1
 活日神社1

酒造り職人衆をとりしきる人を杜氏と呼びますが、
日本書紀の崇神紀に
「高橋邑の人,活日を以て大神の掌酒(さかびと)とす」
とあり、活日が日本での最古の杜氏です。

注-1)掌酒とはお神酒の醸造に携わる人、杜氏また活日は一夜で
美味しい神酒を造たことから、一夜酒之社・一夜酒さんと称されています。

活日2
活日神社2

毎年11月14日には新酒の醸造安全祈願大祭が執り行われます。

新酒の仕込みの季節を迎え、全国の酒造家や杜氏たちが醸造安全祈願にやってきます。

私が行ったのはその3日後の11月17日でしたが、
このお供えされた膨大な数の一升瓶を見て下さい。
新酒の仕込みは冬に行われるそうで11月頃から来年の3月まで続くそうです。

お酒
全国から奉納された一升瓶

表参道に南酒本舗という名前の大きな酒屋さんがあり、
その軒先に大きな茶色の玉が吊るしてありました。

お酒2
南酒本舗

これは杉玉はとよばるもので、酒屋・酒造の看板として軒先などに吊るし、
新酒ができたことを知らせる役割を果たしたものです。

お酒3

南酒本舗の杉玉

大神神社は三輪山全体がご神体で、
三輪山の杉の木を神木としていたことから、
大物主のご神威が宿る杉の葉を束ねて、
酒屋の軒先に吊した風習が杉玉の起源とされているそうです。

吊るされたばかりの杉玉はまだ青々としていますが、
やがて枯れて茶色がかってきます。
この色の変化によって新酒の熟成の具合いを知らせるそうです。

お酒4
杉玉つくりの風景

オーストリアやドイツなどでも軒先に松などの枝をつけて
新しいワインの醸造度合いを知らせる風習があるそうです。

生國魂神社(大阪市・天王寺区・生玉町)

生國魂神社(大阪市・天王寺区・生玉町)に関する記事です。

生國魂神社は近鉄大阪線・上本町駅の東500m、
上町台地の高台にある神社です。

上本町駅前の上町筋から生國魂神社の参道である生玉表門商店街が始まるので、
ここからの参拝がお勧めです。

生國魂神社マイマップ

生國魂神社マイマップ

表参道の生玉表門商店街は江戸時代は流鏑馬が行なわれる馬場先で、
途中にはその歴史を伝える馬場先三体地蔵尊があります。

生玉表門商店街
生玉表門商店街  

参道と谷町筋の交差点には生魂歩道橋が架かり、
生國魂神社の社号標が建てられています。

地下鉄谷町九丁目駅からだとここから参拝することになります。

生國魂神社社号標
生魂歩道橋の社号標(谷町筋)

生國魂神社は国家創世紀に新天皇が日本国土の支配者となる
祭祀挙行の為に創設された神社です。

生國魂神社の表門鳥居
生國魂神社の表門鳥居

生國魂神社の北門坂
生國魂神社の北門坂

神武天皇が東征で難波碕に着いた時、
生島神・足島神を祀られたのが生國魂神社の起源とされます。

祭神:生島神・足島神
配祀:大物主神


生國魂神社の拝殿
生國魂神社の拝殿(神殿に入る園児)

生國魂神社は摂津国・東成郡・月次相嘗新嘗と記される名神大社です。

新たに即位した天皇は上町台地西側に迫る、
大阪湾の難波碕で八十島祭を行いました。

生國魂神社の本殿
生國魂神社の本殿

八十島祭は難波の海岸で八十島を見ながら、
神武天皇が東征して勝取った八十島・日本の国土を確認する儀式でした。

新天皇は国土の神霊である生島神・足島神を体内に憑依させ、
神武天皇の国土を受け継ぎ日本国を支配しました。

生國魂神社の七五三模様
生國魂神社の七五三模様

生國魂神社の夏祭りは生國魂・天神・住吉と続く
大阪三大夏祭りの先駆けとなる生國魂祭です。

本来の鎮座地である大阪城の生國魂神社御旅所への渡御がの中心の祭礼です。

神輿
生國魂神社の神輿

生國魂神社は以前は大阪城の大手門近くに鎮座していましたが、
秀吉の大阪城築城により2km南の現在地に遷座を余儀なくされました。

大手門は生玉門と呼ばれ、東には難波の森が広がっていましたが、
孝徳天皇(645-654)の時に難波宮の資材にする為に樹木が伐採されました。

生國魂神社の御旅所(大阪城)
生國魂神社のお旅所(大阪城大手門)

生國魂神社の御旅所マイマップ

古代生國魂神社マイマップ


生國魂神社2へ続く

<関連記事>

生國魂神社の参道①馬場先三体地蔵尊(大阪市・天王寺区・生玉前町)
生國魂神社の参道②源聖寺坂(大阪市・天王寺区・下寺町)
生國魂神社の参道③上之宮跡(大阪市・天王寺区・上之宮町)
生國魂神社の参道④熊野街道・生玉~上之宮(大阪市・天王寺区・上汐町)
生國魂神社の参道⑤豊川稲荷大阪別院(大阪市・天王寺区・堂ケ芝)
生國魂神社の参道⑥細工谷遺跡(大阪市・天王寺区・細工谷)
生國魂神社の参道⑦国分寺跡(大阪市・天王寺区・国分町)
生國魂神社の参道⑩三光神社(大阪市・天王寺区・玉造本町)
生國魂神社の参道⑪心眼寺坂(大阪市・天王寺区・餌差町)
生國魂神社の参道⑫弥栄神社御旅所(大阪市・天王寺区・餌差町)
生國魂神社の参道⑬産湯稲荷神社(大阪市・天王寺区・小橋町)
生國魂神社の参道⑭東高津宮(大阪市・天王寺区・東高津町)



記事検索
カテゴリー
読者登録
LINE読者登録QRコード
最新コメント
ユニークアクセス
  • 今日:
  • 昨日:
  • 累計:

アクセスカウンター

    • ライブドアブログ