四天王寺(大阪市・天王寺区・四天王寺)に関する記事です。

四天王寺の記事更新にあたり、あべのハルカスの展望台から俯瞰し、
寺の全体像を脳裏に焼き付けてから訪問しました。


南から北へ中門(仁王門)・五重塔・金堂・講堂が一直線に配置され、
それを回廊が囲む四天王寺式伽藍といわれる形式です。

四天王寺俯瞰
四天王寺俯瞰(五重塔・金堂・講堂・六時堂)


四天王寺は上町台地という南北に走る高台にあり、
東側には河内湖、西側には大阪湾が迫っていました。


展望台からは上町台地に造られた谷町筋が南北に通り、
その先には大阪城が見えました。


上町台地俯瞰(谷町筋)
上町台地俯瞰(谷町筋)


上町台地

上町台地マイマップ


四天王寺は、聖徳太子建立七大寺の一つとされる寺院で、
蘇我馬子の飛鳥寺と並ぶ日本最古の仏教寺院とされます。


587年蘇我馬子が仏教の礼拝を巡って大連・物部守屋と争い物部氏が滅亡しました。
聖徳太子は、この時14歳で厩戸皇子と称し、
白膠木(ぬるで)の木で四天王を造り、蘇我軍の勝利を祈願しました。


聖徳太子は神仏戦争で物部守屋に勝利した6年後の推古天皇元年(593)に、
四天王寺の建立に取りかかり、数年かけて完成します。


四天王寺の建立に当っては、物部氏の土地を没収し、物部氏の部民を使役しました。


南大門
南大門


聖徳太子は四天王寺の建立にあたり、四箇院と呼ばれる社会福祉施設も同時に建てました。


四箇院とは、敬田院・施薬院・療病院・悲田院の4院のことで、敬田院は教育施設、
施薬院と療病院は薬局・病院、悲田院は貧民や孤児を救うためのにあたります。


注:敬田院は四天王寺学園、施薬院と療病院は四天王寺病院、悲田院は施行院に継がれている


連結
金剛力士像(東門)

回廊内から中心伽藍(五重塔,金堂,講堂)
回廊内から中心伽藍(五重塔,金堂,講堂)


六時堂は中心伽藍が並ぶ直線背後にある四天王寺の中心道場で、
薬師如来坐像と四天王像を安置します。


昼夜6回にわたって法要を行うことから六時礼讃堂と呼ばれます。


六時堂と石舞台
六時堂と石舞台


六時堂の手前の「亀の池」の中央にあるのは「日本三舞台」の一つとされる石舞台です。
この舞台では毎年4月22日の聖徳太子の命日の法要で雅楽が披露されます。

注)日本三舞台とは、四天王寺の石舞台、住吉大社の石舞台、厳島神社の板舞台


亀の池(放生会で放れた数多の亀が生息)
亀の池(放生会で放れた数多の亀が生息)


四天王寺の金堂は青竜池の上に建てたもので、
地下に埋まった青竜池の水が亀井堂に湧いています。

供養した経木をその湧水に流すと、極楽往生できるとされます。


亀井堂
亀井堂


聖霊院は聖徳太子を祀る堂で、太子堂とも呼ばれています。


聖霊院(太子堂)
聖霊院(太子堂)


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四天王寺守護神社

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