廣瀬大社(奈良県・北葛城郡・河合町)に関する記事です。

廣瀬大社は法隆寺駅JR大和路線の法隆寺駅から南南東2km
近鉄田原線の佐味田駅から北北東2km程
三郷の龍田神社からは東へ6km
大和川の支流の合流地点・河合の地にあります。

河合マイマップ

河合マイマップ
 

法隆寺駅
JR法隆寺駅

廣瀬大社は曽我川・飛鳥川・寺川・富雄川・・
など全ての支流が大和川に合流する河合の地点に鎮座する水の守り神です。

龍田の風神・廣瀬の水神と称せられ、
両神が力を合わせて、この地域の風水害を防ぎ、穀物の豊作を守護してきました。

廣瀬大社河合
大和川合流地点(河合)

ほとんどの支流が合流したあとの大和川ですが、御幸橋から見る風景が最高でした。
天武天皇が684年に行幸の折り廣瀬川と呼ばれた大和川に
橋を架けたのが御幸橋の始まりです。

大和川(御幸大橋) (3)
御幸橋から見た大和川

神社の参道に平行に流れる小川の先には太鼓橋がありました。
このあたりは明治時代中頃までは河合浜という船着場で、
物資の集散地として賑わったそうです。

太鼓橋の下を流れる小さな小川がかつての入江の名残と想像します。

太鼓橋
太鼓橋

廣瀬大社は大和国・広瀬郡・月次新嘗と記される名神大社です。

祭神     :若宇加能売命
相殿  :櫛玉命、穂雷命


若宇加能売命は水の守り神で河川の氾濫を防ぎ、五穀豊穣を守る神であり、
これらのことから、食物を守る御膳神とされています。

天照大神に捧げる食物を司る豊受大神の分身ともされる神です。

一の鳥居
廣瀬大社の一の鳥居(400mの参道が続く)

崇神天皇9年、広瀬の河合の水足池と呼ばれる沼地が
一夜で陸地に変化し橘が数多く生えました。
そのことが祟神天皇に伝わり、その地に社殿を建てて祀ったのが創始とされます。

廣瀬大社の拝殿
廣瀬大社の拝殿

その後、日本書紀には天武天皇4年(675年)に
風神を龍田立野に、大忌神を広瀬河曲に祀ったとの記述があり、
これが4月・7月に行われる廣瀬大忌祭の起源とされています。

4月と7月に分けて行う理由として、
4月は田植えの前に稲の成長に必要な雨が降ることを願い、
7月は収穫前に、暴風雨などで田畑が荒らされないように
との祈りを込めた祭司と思われます。

廣瀬大社の拝殿2
廣瀬大社の拝殿2


廣瀬大社の本殿
廣瀬大社の本殿

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