波太神社の参道⑫首切地蔵(阪南市・石田)に関する記事です。
南海電鉄の鳥取ノ荘駅から信長街道(府道257号)を東南に3km程進むと、
蓮池マイマップ
蓮池は鎌倉時代の初期に僧の重源が築造した溜池と伝わります。
重源(1121-1206)は、紀氏の出身で、
壊滅した東大寺の奇跡的な復興で知られる僧侶でもあります。
蓮池は阪南市桑畑の丘陵に発する流れを溜め、
農業用水として使われる佐智川が勢い良く大阪湾に流れ込みます。
この佐智川に沿った道が、信長街道で、
信長・秀吉が紀州雑賀・根来寺攻めの為軍用道路として整備し、
討伐にあたっては波太神社に陣を置きました。
信長街道が蓮池に指しかかる場所(コメリの手前)に蓮池の土手の登り口があり、
その中間に首切地蔵があります。
豊臣秀吉が天正13年(1585)に紀州の根来寺を攻めた時、
波有手(ぼうて)の道弘寺をはじめとするいくつかの
寺院の僧達が秀吉に反抗し、ことごとく首を斬られました。
村人達はあまりの無残さに斬られた僧達を厚く葬り、
石地蔵をたてて冥福を祈ったそうです。
周辺の石田地区では、この地蔵を大切に祀れば村が繁栄するとされ、
現在でも祭事が行われています。
親にこっそりと書いているので返事は少しいぇめてください。
参考になりました。本当にありがとうございました。