船待神社(大阪府・堺市・堺区・西湊町)に関する記事です。

船待神社は阪堺電車の御陵前駅の南西200M、
紀州街道沿い、堺環濠を出て直ぐの西湊町北端に鎮座する神社です。

湊町マイマップ

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船待神社は和泉国・大鳥郡・鍬靫と記される
生国神社に比定される式内小社です。

元は塩穴郷の氏神で塩穴天神社と称し、
菅原氏の祖神である天穂日命を祀っていました。

船待神社
船待神社(紀州街道)

菅原道真が太宰府へ下る途中、塩穴郷の海岸で船を待つ間、
遠祖にあたる天穂日命を祀る当社に参拝し松の木を植えて旅立ちました。

祭神:天穂日命
合祀:菅原道真

長保3年(1001)には菅原道真の子孫の菅原為紀が祖先の残した旧地を調査し、
菅原道真を合祀し船待天神社と改称しました。

船待神社5
船待神社の拝殿

寛治年中(1087-94)に同じ塩穴郷の湊村に遷され、
村の産土神として再建され現在に至ります。

当時は安楽院と言う寺院も一緒にありましたが、
明治の神仏分離の制度によって廃寺となりました。

道真の没後、25年毎に例大祭が行なわれ、子供獅子踊りが奉納され、
現在の秋祭りに継がれています。

船待神社7
船待神社の本殿

境内には敏達天皇の時代から存在していたとされる瘡神社があります。

6世紀頃に疱瘡が流行し、敏達天皇もこの病で崩御されました。
塩穴郷では医薬祖神の少彦名命を祀り、祈願したところ、
瘡に病む村人は忽ち平癒しました。

船待神社9
船待神社の瘡神社

瘡神社の旧地跡碑は創業400有余年の
漢方薬局・片桐棲龍堂の玄関前にあります。

明治40年に船待神社に遷座しました。

蒼神社跡
蒼神社跡(片桐棲龍堂)

船待神社の御旅所は当社から
北西1.3KMの出島漁港にあります。

昔は船待神社付近に海岸がありましたが、
現在では海は西へ移動しました。

現在の出島漁港はヨットハーバーとなり、
漁船より遙かに多いヨットが犇めきあって停泊しています。

出島漁港
出島漁港(犇めくヨット)

そんな出島漁港の北西端に船待神社御旅所が置かれています。

船待神社の秋祭りは、出島・西湊・東湊地区のふとん太鼓の宮入があり、
紀州街道沿いでパレードも行われます。

その賑わいの中、船待神社御旅所への神幸祭は
軽トラックに神輿を載せ、しめやかに行われています。

船待神社御旅所1
船待神社御旅所


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