賣太神社の参道⑮大納言塚(大和郡山市・箕山町)に関する記事です。

大納言塚は近鉄郡山駅の西750mにある
権大納言・豊臣秀長公の墓域です。

大和郡山マイマップ

大和郡山マイマップ

豊臣秀吉(1537-1598)の弟の豊臣秀長(1540-91)は天正19年郡山城内で没して、
豊臣秀長はこの墓に葬られました。

豊臣秀長家系図


秀長は6年たらずの在城でしたが、庶民に人気があったようで、
今も郡山市民から大切にされているように感じました。

大納言塚1
大納言塚1


秀長は大和、紀伊、和泉の百万石の太守として入城しました。

首都・大阪の東を守る重要拠点として城郭と城下の整備がおこなわれました。

また城下の繁栄のため郡山の商工業者に独占的特権を与え
郡山の城下町は急速に発展をとげたのです。

大納言塚2
大納言塚2

毎年4月22日に「大納言祭」があり、町を挙げて盛大におこなわれてきました。

大納言塚
大納言塚3


平成26年(2014)9月に郡山城天守台の発掘調査で、
天守の礎石を検出したと発表しました。

遺構には改修痕が無く、また、出土した瓦から、
天守は16世紀末の豊臣秀長に建てられたものと考察しています。

現在の郡山城跡は豊臣秀長が建てた時の天守閣の台で、
その石垣の台上に天守閣が建てられていたものです。

豊臣秀長死後、7年後には秀吉も没し豊臣家は滅亡に向かい、郡山城は廃城となります。
江戸幕府は、全国統一後は郡山城を復興するも天守閣を建てることはなく、
天守台だけは秀長の時代のまま現在に残りました。

郡山城跡
郡山城天守台(天守台の中に天守閣遺跡が埋もれる)