宇奈太理坐高御魂神社の参道⑮押熊八幡神社(奈良市・押熊町) に関する記事です。
鎮座地の押熊町は神功皇后との皇位を争いに敗れて死んだ香坂王・忍熊王の兄弟の
弟である忍熊王(おしくま)に因んでつけられた地名です。
押熊町の北には神功町が接しており長年の因縁を感じます。
また押熊八幡神社の北側には兄の香坂王(籠坂王:かごさか)に因んだカゴ池があります。
押熊八幡神社の創始は江戸時代の元禄(1688~1704)で
奈良市の中山八幡神社から分霊を勧請しました。
祭神:仲哀天皇、応神天皇
祭神の応神天皇も、香坂王・忍熊王兄弟も同じ仲哀天皇の子です。
応神天皇の母は神功皇后で、香坂王・忍熊王兄弟の母は大中姫です。
大中姫は宝塚市・中山寺の白鳥塚古墳当りで被葬者説がありました。
忍熊王子・香坂王子旧蹟地の碑が鳥居横に立てられています
径16m、高さ2m余りの円墳で、
周囲三方をセメント造塀で囲まれています。
祭神:忍熊王子・香坂王子
香坂皇子が兎我野で赤い猪に殺され、
忍熊皇子は、宇治で最終決戦となりますが、
敗北して琵琶湖に入水し、宇治川で遺体が発見されます。
鎮座地の押熊町は神功皇后との皇位を争いに敗れて死んだ香坂王・忍熊王の兄弟の
弟である忍熊王(おしくま)に因んでつけられた地名です。
押熊八幡神社の社叢
押熊町の北には神功町が接しており長年の因縁を感じます。
また押熊八幡神社の北側には兄の香坂王(籠坂王:かごさか)に因んだカゴ池があります。
押熊八幡神社の創始は江戸時代の元禄(1688~1704)で
奈良市の中山八幡神社から分霊を勧請しました。
祭神:仲哀天皇、応神天皇
八幡神を祀る前は現在末社の八大竜王神社が祀られていたそうです。
祭神の応神天皇も、香坂王・忍熊王兄弟も同じ仲哀天皇の子です。
応神天皇の母は神功皇后で、香坂王・忍熊王兄弟の母は大中姫です。
大中姫は宝塚市・中山寺の白鳥塚古墳当りで被葬者説がありました。
忍熊王子・香坂王子旧蹟地の碑が鳥居横に立てられています
径16m、高さ2m余りの円墳で、
周囲三方をセメント造塀で囲まれています。
祭神:忍熊王子・香坂王子
忍熊王子社の鳥居
香坂皇子が兎我野で赤い猪に殺され、
忍熊皇子は、宇治で最終決戦となりますが、
敗北して琵琶湖に入水し、宇治川で遺体が発見されます。