水尾神社の参道⑭田中王塚古墳(高島市・安曇川町・田中)に関する記事です。
継体天皇の父・彦主人王が眠る田中王塚古墳を主墳とする田中古墳群は
高島平野の中央を流れる安曇川右岸に広がる泰山寺野台地の東端部に位置します。
安曇川マイマップ
標高130m琵琶湖が望める静かな場所で、私が参拝した時は猿の群れが群行中でした。
畑を荒らしたり、夜屋根で騒いだり、女性や子供を威嚇したりと
地元の人は翻弄されているようでした。
田中古墳群と継体天皇関連史跡
県道298号・田中交差点の北400mに、
下の写真の様な泰山寺野への道標があり、その道を上った300m程の場所にあります。
また田中神社からは、本殿横に道標があり、どちらも良く整備された分かり易い道です。
田中古墳群への道
田中古墳群は5世紀~6世紀に築造された70基に及ぶ三尾氏の墓です。
田中王塚古墳以外の2~70号墳は10m~20mクラスの円墳か方墳で
埋葬施設は木棺直葬または横穴式石室です。
70基の田中古墳群
しばらくすると見事な檜並木があり、その奥に1号墳の田中王塚古墳があり、
その後ろに2~70号墳が密接して続きます。
丁度高島歴史資料館の方が古墳の確認に来ておられ、
鎖を越えて王塚の回りを一周できることを教えてもらいました。
檜並木の参道(鎖を越えて一周)
通称は「王塚」、または彦主人(ひこうし)から「牛塚」とも呼ばれいます。
三重生神社の牛の祭もあり、現地では牛との関係も多いようです。
2段重ねの円墳で、周囲の古墳より格段に規模が大きく、
古墳時代中期のものと考えられています。
5世紀後半の築造で、継体天皇の誕生が450年頃とすると時代も合うことになります。
<田中王塚古墳>
形状 :2段築成の円墳
サイズ :径58m、高さ10m
築造時期:5世紀後半
出土品 :埴輪、葺石
埋葬施設:粘土槨と推測
被葬者 :彦主人王
田中王塚古墳拝所
被葬者は、継体天皇の父である彦主人王と伝えられています。
彦主人王は近江国、北越五カ国を治めており、
越前国・坂中井より妃として迎えた振姫が三つ子を産みました。
末弟の彦太王が26代継体天皇となりました。
父の彦主人王は彦太王が5歳の時に崩じられこの地に埋葬されました。
田中王塚古墳
宮内庁が前方部を造成し、前方後円墳擬きにしたらしく、
拝所は前方部に付設されています。
宮内庁が造成した前方部
田中古墳群のうちで初めて本格的な発掘調査された古墳です。
6世紀後半の築造で、直径24メートル、高さ4メートルの円墳です。
石室の全長は7.9メートル、壁面には赤色の顔料が塗られてあり、
九州地方の古墳の特徴である石屋式横穴式石室が検出されました。
<田中36号墳>
形状 :円墳
サイズ :直径24m、高さ4m
築造時期:6世紀後半
埋葬施設:石屋式横穴式石室
副葬品 :馬具・土器類
被葬者 :継体天皇一族の重臣
田中36号墳
「石屋式」とは仕切り石で区切った遺体安置場所がある形式の石室で、
継体天皇と九州との関係の深さを裏付ける資料です。
「石屋式」の横穴式石室