和田神社の参道⑤清盛塚(神戸市・兵庫区・切戸町)に関する記事です。

清盛塚は神戸市営地下鉄の中央市場前駅の南西500m、
新川運河に架かる大輪田橋の西詰にあります。

兵庫運河マイマップ

兵庫運河マイマップ

新川運河は明治始めに開削された運河で、
一体は大輪田泊、兵庫津などと呼ばれた古代からの湊があった場所です。

大輪田泊は後に兵庫津・兵庫港・神戸港と呼ばれた湊で、
奈良時代に行基が築いたとされる五泊の一つです。

12世紀後半には平清盛が福原京遷都の為、大輪田泊の大修築を行い、
人工島の経ヶ島を築くなど、大型船が入港できる様、港の整備・拡充を図りました。

大輪田橋
大輪田橋×新川運河

清盛は大輪田泊の北に隣接するの福原に別荘・雪見御所を造営して、
かねてからの念願だった日宋貿易の拡大に没頭し巨額の富を手に入れます。

♪驕る平家は久しからず♪と評されたのはこの時期の清盛です。
権勢を手中にした清盛に不満を持つ
源氏を始めとする反勢力が台頭するなか、清盛は高熱を発して死去します。

清盛の遺体は京都の愛宕で火葬に付され、
遺骨は側近の円実法眼が頸にかけて摂津の国に下り、
大輪田泊の経ヶ島に納めたとされています。

十三重石塔「清盛塚」は、昔からその清盛の墓として信仰されてきましたが、
遺骨を埋葬した跡は無く、供養塔であることが判明しています。

清盛塚1
十三重石塔「清盛塚」

隣接する琵琶塚は、琵琶の名手であった平経正の墓です。
平経正は清盛の甥にあたりますが、
寿永3年(1184)、一ノ谷の戦いで、河越重房の手勢に討ち取られました。

琵琶塚と清盛像
清盛像と琵琶塚