多井畑厄除八幡宮(神戸市・須磨区・多井畑)に関する記事です。

多井畑厄除八幡宮は鉢伏山(鉄枴山)の北麓、
塩屋谷川の右岸の小高い丘陵に鎮座する古社で多井畑厄神とも呼ばれます。

古代には須磨の海は鉢伏山の絶壁が迫っていたため通行できず、
須磨寺から鉢伏山の北側を回り塩屋へ達するルートになっていました。
その古代山陽道の須磨迂回路の中間点にあるのが多井畑厄神でした。

古代山陽道
古代山陽道と多井畑厄神


古代山陽道に面して厄除八幡宮の扁額を飾った一の鳥居が建ち、
その左に「日本最古の厄除けの霊地」と記された
大きな標識が掲げられた長い石段があります。

多井畑厄神の鳥居
多井畑厄神の鳥居

多井畑厄神の石段
「日本最古の厄除けの霊地」への石段

続日本紀によると称徳天皇の神護景雲4年(770)に疫病が大流行し、
疫病を鎮めるために畿内の国境10ヶ所に疫神を祀り、疫祓いが行われました。

当時大陸から来た疫病は街道を経由して伝染するとの認識があり、
摂津と播磨の国境にある多井畑厄神でも、
畿内を厄災から守るために疫神が祭られました。

多井畑厄神の拝殿
多井畑厄神の拝殿

創始の時期は不明ですが、疫神を祀った770年以前には神社の原型がありました。

その後、安元年間(1175~1177)に石清水八幡宮から応神天皇を勧請し、
社殿を設立したものと伝わります。

祭神:応神天皇


多井畑厄神の拝殿2
多井畑厄神の内陣

毎年1月には厄除祭が行われ、厄年のお祓いや疫病退散、
病気平癒の祈願と多くの参拝者で賑わいます。
大きなトイレが複数設置してあり、冬の大混雑が予想されました。


多井畑厄神の本殿
多井畑厄神の本殿


770年に疫神を祀った場所が本殿より更に上にある厄神祭塚です。


厄神祭塚への参道
厄神祭塚への参道


現代の厄除祭では人形に名前と数え年を書いて鉢の水に浮かべます。
厄を水に流すとされる平安時代から伝わる身代わりの厄除け祈願です。


厄神祭塚
厄神祭塚(拝所の中に塚がある)

源義経や在原行平も多井畑厄神で祈願をしたとの伝承もあり、
周囲には
義経腰掛の松」、「松風・村雨の墓」などの史跡があります。

多井畑は須磨・垂水の歴史を知る為にも重要な場所で、
塩屋の海岸まで古代山陽道を散策する必要がありそうです。

義経腰掛の松(全景)
一の谷の決戦前に休息した「義経腰掛の松」


松風・村雨の墓
在原行平が愛した多井畑村長の娘「松風・村雨の墓」

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