阿遅速雄神社の参道⑧茨田大宮神社(大阪市・鶴見区・茨田)に関する記事です。

茨田大宮神社は長堀鶴見緑地線の終点駅である門真南駅の北西800m、
古川を渡った左岸沿いにあります。

茨田マイマップ

茨田マイマップ

私が実際に茨田大宮神社に参拝した経路はJR片町線の徳庵駅からで、
枝切街道を古川沿いを北上しました。

中茶屋を越え茨田浜に入ると茨田と付く店や施設の看板が多くなり、
その真ん中当りに葭田橋(よしだ)があります。

この当りは葭が生い茂り蓮池が沢山あった場所です。

葭田橋を渡り古川の左岸(東)へ行けば茨田大宮で、
茨田北中の北に大宮神社があります。

葭田橋
葭田橋を渡る

当地は仁徳天皇時代に茨田堤が築かれた場所で
昔から河内国茨田郡に所属してきた地域です。

明治になると北河内郡古宮村となり、
昭和には諸堤村と合併して茨田町、
その後大阪市に編入され城東区から鶴見区と転々としてきました。

茨田大宮神社の鳥居
茨田大宮神社の鳥居

境内には樹齢300年の楠木が聳えていますが、
当社もその楠木と同じ頃の300年前の創建で大神社とも称していました。

祭神:天照皇大神

茨田大宮神社の拝殿
茨田大宮神社の境内

茨田郡は長きにわたり茨田連の根拠地で数々の人の痕跡が古書に記されいます。

茨田連衫子は茨田堤の工事で人柱にされた時淀川に瓢箪を投げ助かりました。
継体天皇は茨田連小望の娘関媛を第六番目の妃としました。
茨田王は聖徳太子の同母弟で山背大兄を助けて蘇我入鹿に殺されました。
茨田親王は桓武天皇の第五皇子 です。

古宮神社の拝殿
茨田大宮神社の拝殿

火車神社は火難の守護神である 火車大神が降臨し、
村人が祀ったものです。

火車神社
火車神社

帰りは門真JCTを越え門真南駅から地下鉄で京橋経由で寝屋川まで帰宅しました。

門真JCTには古川が流れていますが、
この先古川を遡れば仁徳天皇が築いた茨田堤を守護する堤根神社群があります。

仁徳天皇が茨田堤を築く前は河内湖の畔の延々と続く湿地帯で、
その湿地で育った薫蓋樟(くんがいしょう)を始めとする
巨大な楠木が現在も多く残されています。

門真JCTと古川
門真JCTと古川