須波麻神社の参道⑥北條神社参道(大東市・津の辺~北条)に関する記事です。

平安時代に北野天満宮から流された菅原道真の神像が
賀茂川~淀川を経て深野池の津之辺に到達し、
天満宮が祀られたのが北條神社の始まりとされます。

津之辺は水害の多い場所で、天満宮は後に現在の飯盛山中腹へ遷されましたが
その経路を辿ってみました。

北条神社参道マイマップ

北條神社参道マイマップ

飯盛山の山頂からも深野池を望むことができます。

深野池(現在)
深野池と津の辺(飯盛山山頂から)

菅原道真の神像が流れ着いた深野池は古代河内湖から出来た池です。

近世になると河内湖は大和川や寝屋川から運ばれる砂で縮小し新開池&深野池となり、
大和川付替の干拓により生滅し現在は深北緑地にその痕跡を残すのみです。
深野池
深野池

現在は寝屋川河川の洪水を和らげる遊水池として利用され、
近所の散歩人や野鳥の楽天地になっています。

深野池2(コブ白鳥)
深野池

深北緑地の東南端に河内街道と外環が交差する津の辺交差点があり
権現川橋が架けられています。

津の辺交差点(権現川橋)
津の辺交差点(権現川橋)

津の辺は深野池の津(みなと)があったことに由来する地名です。

北から寝屋川、南から恩智川・吉田川が流れ込む池で、
東高野街道も通り陸路・水路が賑わった要衝と思われます。

津の辺公園
津の辺公園

嘗て京都から流れ着いた道真の神像を祀った聖地である
明神の森は本妙寺付近と言われています。

津の辺本妙寺は永享元年(1429)に津之辺村の角先重右衛門が
日蓮宗道場を建てたのが始まりとされます。
 
津の辺本妙寺
津の辺本妙寺

宮谷川と権現川の合流点にJR片町線の北条踏切があります。
権現川は飯盛山の東側に源を発し、生駒山北部を回り込んで寝屋川に合流します。
これに対し宮谷川は飯盛山から直に西流する川で、北條神社参道の脇を流れ落ちます。

JR北条踏切
JR北条踏切

北条は四条村の字だったこともありますが
四条も北条も古代条里制を示す地名の残りです。

飛鳥時代に讃良郡一体に条里制が敷かれ、
中垣内が一条、 寺川・野崎が二・三 条(合せて南条)、
北条が四条・五条、 六条以下は四條畷・寝屋川に割当てられました。

北条公園
北条公園

北条交番前で北条神社参道は東高野街道と交差します。

東高野街道は弘法大師が東寺と高野山の間だを往復した道で、
その後、融通念仏宗や浄土宗・日蓮宗などの教祖が歩いた宗教の道です。

北条交番前交差点(東高野街道×北條神社参道)
北条交番前交差点(東高野街道×北條神社参道)

大阪神愛福音教会
大阪神愛福音教会

北條神社石灯籠
北條神社石灯籠

平安時代の寛弘年中(1004~12)に京都北野天満宮から 多数の天神像を鴨川に流し、
深野池の津之辺にも一体が漂着しました。

漂着した場所を聖地の明神森として、 天神像を祀ってきましたが
度々洪水に遭った為に現在の飯盛山中腹に遷座しました。

北條神社
北條神社

北條神社の背後の山は飯盛山の一枝峰である八幡山で、
鎌倉時代に男山の石清水八幡宮から八幡神社が北条八幡山に勧請されました。

戦国期には飯盛城主の守護神として信仰されてきましたが、
明治5年に天満宮に合祀され北條神社となりました。

北條神社全景(八幡山)
北條神社と八幡山

八幡神社元地や飯盛山城に通じる山道は北条神社の東側にあり、
三好道としての標識があります。

三好道
三好道入口(飯盛山登山道)