開口神社の参道⑤堺環濠都市遺跡(堺市・堺区・少林寺町)に関する記事です。

少林寺小学校前に堺環濠都市遺跡の説明板があります。
当時を偲びながら環濠を一周してみました。

堺環濠都市遺跡(SKT960)
堺環濠都市案内板&少林寺小学校

下の写真の赤が中世の環濠、青が江戸時代の環濠です。

秀吉に埋められた後、江戸時代に再開削された
環濠の方が一回り大きくなっています。

堺環濠都市案内板SKT960
堺環濠都市案内板(SKT960 )

現在の環濠は周囲8KM,南北は大道筋が縦断、東西は大小路が横断し
両道を基準に街路が網の目状に区画されています。

堺環濠マイマップ

堺環濠マイマップ

環濠東西南北の南部・西部は土居川・内川として現存していますが、
北部・東部は埋立てられて道路になっています。

(1)環濠南端部

案内板のSKT960に対応する現在の環濠東南端は
現在は御陵通りと国道26号線との交差点になっています。

大仙水路の放水地点でここが現在の土居川の起点になっています。

向陵公園の芦ヶ池で汲まれた地下水は芦ヶ池水路を流れ仁徳天皇陵の濠に流れ込み、
仁徳陵の西側で吐出され大仙水路を通り堺環濠の土居川に放水されます。

土居川起点
大仙水路・吐口

大仙水路吐口では出島漁港からも海水を引込みこの場所で吐出しており、
海水の泡が絶えず上がっていました。

これらの対策により土居川は浄化され沢山の野鳥が生活できる環境になりました。

土居川の野鳥
土居川の野鳥

紀州街道が土居川を渡る為に公儀橋の南之橋(少林寺橋)が架けられ
高札場が置かれていました。

少林寺橋(土居川)
少林寺橋(南之橋)

(2)-1 環濠西端部南

当初の堺環濠は北・東・南の3面を土居川が囲み西側は大坂湾でしたが、
大和川付替で土砂で海岸が埋まり、土居川の水をスムーズに
海に放流する為に西側にも濠(内川)が掘られました。

栄橋(土居川)
栄橋(土居川)

栄橋の下流で内川と合流して竪川となり竪川水門から大阪湾に注いでいます。

勇橋(竪川)
勇橋(土居川×内川)

堺旧港は江戸浅草の商人・吉川俵右衛門は、
寛政初年(1790)から20年架けて築き中世の繁栄を取戻した港です。

 竪川流域は港湾開発に伴ってできた新地で、
天保年間(1830~1843)に大ブレーク、
船客目当てに茶屋・遊里もでき、寺社も移されました。

栄橋・龍神橋付近に遊里も移り最盛期には遊女250人余りと記されます。

竪川水門1
竪川水門(堺旧港)

(2)-2 環濠西端部北

大和川付替前の寛文4年(1664)戎筋の西端沖に戎島が湧出し、 堺戎の起源となりました。
大形船が着岸できる埠頭的な港が元禄期に完成しているが遺構は不明瞭です。

戌橋
戎橋(内川)

内川は北側の月州中学前でも古川を分け大阪湾に流しています。
神明橋から北は内川は戦後に埋立てられ突然細い川となります。

室町時代には内川親水公園の東側は阿波国の守護代を務めた
三好氏が近畿に進出する軍事拠点の海船政所が広がっていました。

現在の内川
内川遊歩道


(3)環濠北端部

昭和40年代には環濠北端部は埋立てられて市道になりました。

江戸時代の紀州街道には公儀橋の北之橋が架かり、
環濠内には大門と高札場が置かれていました。

北之橋跡
北之橋跡

(4)環濠東端部

環濠東端部は北部と同じ昭和40年代に埋立てられて
国道26号となり上は阪神高速が走っています。

道路の内側は土居川公園と呼ばれるグリーンベルトになっています。

大小路橋(土居川公園)
大小路橋(前後:大小路 左右:土居川跡)

土居川公園
土居川公園&阪神高速