エナガ先生の講義メモ

野鳥撮影がきっかけで鳥から教えてもらったこと、興味をもって調べたことをメモしていきます。 

@小倉神社

小倉神社(京都府・乙訓郡・大山崎町)



小倉神社の参道②離宮八幡宮(京都府・乙訓郡・大山崎町)

小倉神社の参道②離宮八幡宮(京都府・乙訓郡・大山崎町)に関する記事です。


山崎宿マイマップ

山崎宿マイマップ

木津川・宇治川・桂川が合流して淀川になる三川合流はこのブログでも何度か取上げました。
三川合流の左岸には男山が聳え、山上に石清水八幡宮が鎮座します。
その男山の対岸には天下分け目の天王山が聳え、麓に離宮八幡宮が鎮座しています。


地図
石清水八幡宮と離宮八幡宮



祭神 : 応神天皇、神功皇后、酒解大神、比売三神
創建 : 859年(貞観2年)


祭神のに酒解大神(さかとけ)は酒造りの神とされる大山祇のことで
天王山上には式内社の酒解神社があります。


惣門
離宮八幡宮の惣門


離宮八幡宮の境内には、神領境標石が2基保存されていますが、
元は境域の東西南北の四隅に立てられていた内の2基と思われます。


左の大きい標石が西の水無瀬橋あたりに立ち、
右の小さい標石が北にありました。


司馬遼太郎は「国盗り物語」で、
油で権益を得た離宮八幡宮の敷地は1万坪はあっただろうと書いています。



神領境標石
離宮八幡宮の神領境標石



八幡市の八幡宮は、自社の由緒によると清和天皇が空海の弟子行教に命じて
宇佐神宮から分霊して860年に男山に創建。

天王山の八幡宮は、自社の由緒によると清和天皇が空海の弟子行教に命じて
宇佐神宮から分霊して859年に山崎に創建し、その後、八幡市にに分霊。
(つまり離宮八幡宮が八幡宮の本社)



両社とも近くにある大社で殆ど同じ由緒です。
行教が宇佐神宮から八幡に移動する際、当然山崎にも滞在しているはずだから、
ほとんどどちらの由緒も正しいと思いますし、当初は一体の八幡宮だったのでしょう。



離宮八幡宮2
離宮八幡宮の中門



離宮八幡宮3
離宮八幡宮の拝殿



離宮八幡宮4
離宮八幡宮の本殿


離宮八幡宮には創建にも繋がる石清水という井戸があります


清和天皇の命で、九州の宇佐八幡宮より
八幡神を奉じて帰京した行教が山崎の港で神降山に霊光をみました。

不思議に思いその地を少し掘ってみると岩間に清水が湧き出したので
ここにご神体を鎮座し、社を創建したのが離宮八幡宮の始まりです。



石清水
離宮八幡宮の石清水(井戸)



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離宮八幡宮の境内①本邦製油発祥地碑


大山崎町は植物油の製油発祥の地で、
離宮八幡宮の境内には本邦製油発祥地碑があります。


本邦製油発祥地碑
本邦製油発祥地碑


荏胡麻(えごま)は 胡麻ではなくシソ科の植物で,
当時は灯油として使われ、現在は食用油・ドレッシングとして使われています。


平安末期に 離宮八幡宮で、てこの原理の応用で
荏胡麻の実から油を絞る長木と呼ばれる搾油器が発明され,
日本ではじめて荏胡麻油の大量生産が行われました。



離宮八幡宮5
奉納された食用油


精油はそれ以前にも行われていましたが、大量に油を絞りとる為には、
何百トンという大きな加圧力が必要で、長木でそれが可能になりました。
 
当初はこの道具を使って作られた荏胡麻油は、
対岸の石清水八幡宮や周辺の神社仏閣の燈明用油として使われていましたが、
次第に全国に広まり、離宮八幡宮は朝廷より「油祖」の名を賜りました。


 離宮八幡宮は幕府・朝廷の保護の下、
大山崎油座として油の専売特許を持ち栄えていきます。


山崎以外では油を作ってはいけないし、販売してもいけないという、
製造販売の独占権を手に入れたのです。

油祖像 (2)
油祖像(油製造・販売の独占権を得て油座を形成)


安土桃山時代には織田信長の楽市・楽座で独占権は無くなり、
江戸期には菜種油が主流となり荏胡麻は衰退していき、
大坂の商人が油取引で圧倒的な地位を築くことになります。


油売り
江戸時代には衰退した山崎の油商人


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離宮八幡宮の境内②河陽宮故址碑


離宮八幡宮の境内には河陽宮故址碑(かやのみや)があります。

河陽とは山崎あたりの古い呼び方で
河陽宮は嵯峨天皇によって営まれた河陽離宮のことで、
この離宮八幡宮の地に建てられと言われます。


嵯峨天皇は平安初期の52代天皇(在位809~823)で桓武天皇の皇子です。
蔵人所(くろうどどころ)と呼ばれる役所や
検非違使(けびいし)という警察組織を設置したことで知られます。
鷹狩りなどの狩猟好きで、鷹狩に関する管理責任部署を蔵人所に決めています。



嵯峨天皇の離宮
河陽宮故址碑


河陽宮は,天皇が水無瀬(水生野)や河内交野で
遊猟をするときの宿泊場所として814年(弘仁5)に建てた離宮で,
八幡宮が創建される45年も前のことです。


それ以前の嵯峨天皇の狩猟時の山崎駅での宿泊は1日のみでしたが、
山崎の駅家を転用した河陽宮ができた814年には10日以上も宿泊した記録が残り、
とてもお気に入りの離宮だったようです。



山崎の風景
平安時代の山崎の駅家




小倉神社の参道①酒解神社(京都府・乙訓郡・大山崎町・大山崎天王)


酒解神社(さかとけ)はJR東海道線山崎駅の北1.3KM
標高270Mの天王山の頂上近くに鎮座します。

天王山マイマップ

天王山マイマップ

天王山の南麓の山崎はサントリーの蒸留所があることでも広く知られる地です。

酒解神は酒造りの守護神で、良質の水が豊富にでる酒造りに適した土地を守ってきました。

天王山
淀川対岸からの天王山遠景

酒解神社は山城国・乙訓郡・月次新嘗とされる
自玉手・祭来・酒解神社(たまでより・まつりきたる・さかとけ) に比定される名神大社です。

祭神:酒解神(大山祇神)
配祀:素盞嗚尊 

酒解神とは祭神の大山祇神の別名で、初めて酒を作って神々に献じた、酒造の祖神とされます。 

酒解神社の大鳥居
酒解神社の大鳥居(淀川対岸からも見える大鳥居)


同じ酒解神を祭神とする京都市梅津の
梅宮大社の始まりは,
奈良時代の初めに、綴喜郡の井手の地に橘諸兄の母三千代(665-733)が橘氏一族の氏神として
酒解神を祀ったのが創祀とされます。 

その後、平安京遷都のときに嵯峨天皇の皇后で仁明天皇の母である橘嘉智子(かちこ)が
井手から梅津に遷座し梅宮大社を創建したものとされます。
 
酒解神社の社殿
酒解神社の社殿

山崎の地にある離宮八幡宮は清和天皇が創建 (859年)したもので酒解大神を祭神としています。
清和天皇は仁明天皇の孫にあたり、橘嘉智子の曾孫に当たります。
離宮八幡宮の前身は嘉智子の夫の嵯峨天皇の河陽離宮(かや)でした。

酒解神社の本殿
酒解神社の本殿 

橘嘉智子は嵯峨上皇の崩御後も太皇太后として橘氏の子孫繁栄のために尽くしました。
その橘氏の末裔が橘氏の氏神・酒解神を祀ったものと思います。

神輿庫
酒解神社の神輿庫


三宮社
酒解神社の末社・三宮社( 蛭子神、月讀神、天照大神)

酒解神社の大鳥居があった場所は羽柴秀吉と明智光秀による天王山の戦いの際、
秀吉が自軍の指揮を高めるため、老松の樹上高くに「千成ひょうたん」を掲げた場所です。

ここには展望台があり、秀吉もここで戦術をたてたものと思います。

山崎合戦之地碑
山崎合戦之碑と大鳥居

旗立松展望台
展望台 から宇治方面を望む

標高270mの天王山山頂は酒解神社からすぐです。


頂上には城や砦は歴史上何度か築かれましたが、
現在の山頂の城の遺跡は、羽柴秀吉が築城したものです。

天王山の戦いに勝利した後に築城しましたが、柴田勝家との戦いに備えるためでした。
秀吉は勝家との戦いに勝利し、大阪城に移り
天正十二年(1584)には不要となった城を自ら取り壊しました。

天王山山頂
天王山山頂1

天王山山頂
天王山山頂2




小倉神社の参道③宝積寺(京都府・乙訓郡・大山崎町)




小倉神社の参道⑲西国街道・山崎宿(京都府・大山崎)

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