エナガ先生の講義メモ

野鳥撮影がきっかけで鳥から教えてもらったこと、興味をもって調べたことをメモしていきます。 

@渋川神社

渋川神社(大阪府・八尾市・植松町)

渋川神社(大阪府・八尾市・植松町)に関する記事です。

八尾は旧大和川流域で弥生時代から耕作が行われていたの肥沃な地です。

八尾市東部の生駒山を越えれば奈良の斑鳩の地で、
古墳時代には生駒山西麓一体に多くの豪族が居住し、
千塚と呼ばれる数多くの陵墓を築造しました(高安古墳群)。

飛鳥時代になると、八尾一帯は物部氏の本拠地となり、
物部守屋一族は蘇我馬子とこの地で戦い敗れたために滅亡しました。

物部氏の武具を生産していた弓削氏(ゆげ)、来栖氏、矢作連(やはぎ)などは
外部勢力ともして協調して、引き続きこの一帯で勢力を維持していきます。

八尾市の市名の由来は、
弓を作る弓削部、矢を作る矢作部の集落があり、
ここで作った矢を背負って運ぶことから
「矢負い」が「矢尾」になり「八尾」になったともあります。

大和川淀川文字3
新旧大和川

現在の淀川は100年前にできた人口の川ですが、
大和川は300年も前に付替えられた川です。

旧大和川はJR八尾駅あたりを北上し、この地でも大洪水が頻発していました。

渋川神社の夏祭りを「逆祭」と呼びますが、
洪水でご神体が逆流し上流で見つかったという故事から名付けられたそうです。

元々鎮座地は旧大和川の右岸にありましたが1533年の大洪水で社殿が流され、
その後、左岸の現在地に再建されました。

渋川神社新旧鎮座地
渋川神社の新旧鎮座地

渋川神社は物部守屋と蘇我馬子・聖徳太子の神仏戦争の最終戦に及んで、
物部守屋が拠点とした、渋河の家の跡ともされる神社です。

秋七月に、蘇我馬子、諸皇子と群臣とに勧めて、物部守屋を滅さむことを謀る。
ともに軍兵を従え、志紀郡より、渋河の家に到る
(日本書紀)

軍兵とは皇室関係だけでも泊瀬部皇子、竹田皇子、廐戸皇子、難波皇子、春日皇子。
それに蘇我馬子の配下、守屋に恨みをもつ勢力も加わっての大群です。

守屋は権力を手にしたものにありがちですが、
横暴を尽くし仲間が少なかったように思えます。
 
渋川神社1鳥居
渋川神社の鳥居

渋川神社は河内国・若江郡鎮座とされる式内小社です。
現地は渋川郡ですが旧地は若江郡に属しました。

祭神 :天忍穂耳命
      饒速日尊

天忍穂耳命は天照大神の子で天孫瓊々杵の父です。
しかし先代旧事本紀では天忍穗耳尊は饒速日尊の父とされ、
その関係で物部氏の祖として祭られているのでしょう。

渋川神社2拝殿

渋川神社の拝殿
 
物部守屋は今までに沢山登場していますので、時系列に整理してみます。

 552年 仏教伝来
 572年 守屋が大和朝廷の最高の官職である大連(おおむらじ)となり国政を執る
             ( 守屋が炊屋姫(かしきや)に交野の私市部を献じる)
 585年 守屋が仏像を難波池に投げ込み、蘇我氏を罵倒 
 586年 守屋・穴穂部皇子が炊屋姫皇后を御守る三輪君逆を殺害
      (大伴比羅夫が、槻曲の家(つきくま)で、守屋から馬子を警護)
 587年 丁未の変(ていび)が勃発、馬子と守屋との間での戦乱に発展
      守屋は厩戸皇子に敗れ稲城で死去

渋川神社3本殿

渋川神社の本殿

ご神木は樹齢1000年の楠木で、
枝ぶりも良く、樹勢も旺盛で、樹高24m・幹周8mに及びます。

参拝した時は黒光する木の実がたわわで、沢山の野鳥が採餌に夢中でした。

渋川神社4楠社

ご神木の楠木(境内社の楠社)

<関連記事>
渋川神社の参道①樟本神社(八尾市・木の本)
渋川神社の参道②樟本神社(八尾市・南木の本) 
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渋川神社の参道④大聖勝軍寺(八尾市・太子堂)  
渋川神社の参道⑤太川神社(八尾市・太子堂)  ふとかわ
渋川神社の参道⑥跡部神社(八尾市・亀井町)
渋川神社の参道⑧渋川天神社(八尾市・渋川町)
渋川神社の参道⑨安中新田会所跡・旧植田住宅(八尾市・植松町)
渋川神社の参道⑪瓜波天神社(平野区・瓜波)
渋川神社の参道⑫志紀長吉神社(平野区・長吉長原)
渋川神社の参道⑬旭神社(平野区・加美・正覚寺)




渋川神社の参道①樟本神社(八尾市・木の本)

渋川神社の参道①樟本神社(八尾市・木の本 に関する記事です。

現在の八尾市には、樟本神社という同名の神社が三社あり、
それぞれ木の本、南木の本、北木の本に鎮座します。

初めての八尾の地でしたが、下記の順で回ったら
物部守屋の神仏戦争に関する寺社を効率良く回れ、八尾の理解も深まりました。

谷町線八尾南駅→光蓮寺→樟本神社(木の本)→本神社(南木の本)→本神社(北木の本)→守屋の墓→大聖勝軍寺→JR八尾駅

樟本神社関係地図
樟本神社他の位置関係

延喜式には「河内国志紀郡・樟本神社・三座・鍬靫」と記載されています。

木の本村が三つの村に分かれる過程で、
三座もそれぞれ一座づつに分けて、三つの樟本神社に分社したものです。

樟本神社(木の本)
樟本神社の鳥居

祭神:布都大神、饒速日尊

樟本神社は物部守屋が蘇我馬子との神仏戦争の最終決戦(587年)に及んで、
本拠地である稲城の守護神として物部氏の祖神を、勧請したもの考えられています。

布都大神(ふつ)は、石上神宮に祀られている霊威をもつ剣で、
神武天皇の窮地を救った神剣です。

樟本神社(木の本)3
樟本神社の境内と楠木

しかし樟の社号からそれ以前は樹木信仰の神社だったことが想定でき、
本来は木霊を祀っていたのではないかとも考えられています。

樟本神社(木の本)4
樟本神社の拝殿1

樟本神社(木の本)5
樟本神社の拝殿2

樟本神社(木の本)6
樟本神社の本殿

樟本神社(木の本)の南50m程に光蓮寺があり、
その門前に「稲城址」の碑が建っています。

光蓮寺山門
光蓮寺山門

光蓮寺は、中世には若江郡の稲葉(東大阪市役所付近)で法燈を継いで、
慶長年間(1596~1615)に木の本に移転しました。
住職は代々「稲城」とういう苗字で伝承との因縁を感じます。 

光蓮寺
光蓮寺

稲城(いなき)とは穂藁を固く積み上げて築く、戦時の砦です。
古代には住居の周囲を稲城で固め敵の侵入・矢を防ぐ備えとしました。

聖徳太子が物部守屋の館のあった阿都(あと)の桑市の館を攻めたとき、
守屋は兵を集めてこの場所に稲城を構えて抗戦しました。

阿都桑市は太子堂辺りから木の本に到る地域と考えられます。

稲城址由緒
稲城址(光蓮寺)1

物部守屋は兵士たちを率いて、稻城を築いて戦いました。
守屋は衣摺の地(きぬずれ)の榎の木股に登って、
矢を雨の様に射ました。
その軍は強く勢が盛んで、討伐軍は、恐れをなし三度退却します。 

しかし物部守屋の善戦もむなしく、
四天王を従えた聖徳太子に討たれこの地で没します。

稲城址碑
稲城址(光蓮寺)2

大連、親ら子弟と奴軍とを率て、稻城を築きて戰ふ。
是に、大連、衣揩の朴の枝間に昇りて、臨み射ること雨の如し。
其の軍、強く盛にして、家にみち、野に溢れたり。
皇子等の軍と群臣の衆と、怯弱くして恐怖りて、三回退く。
(日本書紀)


渋川神社の参道②樟本神社(八尾市・南木の本)

渋川神社の参道②樟本神社(八尾市・南木の本) に関する記事です。

現在の八尾市には、樟本神社という同名の神社が三社あり、
それぞれ木の本、南木の本、北木の本に鎮座します。

樟本神社関係地図
樟本神社他の位置関係

延喜式には「河内国志紀郡・樟本神社・三座・鍬靫」と記載されています。

木の本村が三つの村に分かれる過程で、
三座もそれぞれ一座づつに分けて、三つの樟本神社に分社したものです。

樟本神社(南木の本)1
樟本神社(南木の本)の鳥居

祭神:布都大神、饒速日尊

三つの木の本神社の祭神、由緒は同じですが、
樟本神社(南木の本)の特徴は境内に仏教寺院の日羅寺があることです。

これは任那奪還のため、急遽百済から日本に呼び戻された
日系の百済移民・日羅が建立したものです。

樟本神社(南木の本)2
樟本神社(南木の本)の拝殿

日羅は宣化天皇の時に、百済に渡海した父の後を継いだ日系の百済官僚で、
百済王も日羅を重用し、百済と日本の友好維持に努めていました。

562年に新羅のために任那は滅亡し、
583年敏達天皇はその回復策を図るため、
朝鮮半島の情勢に詳しい日羅を日本に召還します。

日羅が百済から帰朝して、阿斗の桑市(八尾市・太子堂~木の本辺り)に土地を与えられ、
この地に寺を建立して薬師如来を安置したのが日羅寺の始まりです。

樟本神社(南木の本)3
樟本神社(南木の本)の本殿

敏達天皇は日羅に、朝鮮半島の対応策を問います。

日羅はと日本人としての最善策を次の様に答えます。
「新羅と戦をするべきでなく富国強兵を図った後、平和交渉をするのが最善」

しかし百済は、任那奪還・百済救済の為に日本の朝鮮派兵を増強する
強硬策を期待していました。

このため日羅は同行して来た百済使に大坂の宿舎「難波館」で
暗殺されてしまいます。(583年)
 
日羅寺
樟本神社(南木の本)の境内にある日羅寺

日羅の遺体は小郡の地に埋葬されたと記載されますが、
その場所は天満の大川にかかる源八橋付近だそうで、
右岸に日羅公之碑があります。

日羅功之碑
日羅公之碑(大川の源八橋西詰)

その後改葬され現在の墓所は父親の出身地である
熊本県八代市坂本ということです。

渋川神社の参道⑨安中新田会所跡・旧植田住宅(八尾市・植松町)

渋川神社の参道⑨安中新田会所跡・旧植田住宅(八尾市・植松町) に関する記事です。

渋川神社の前に安中新田会所跡・旧植田住宅があり、覗いてみました。

江戸時代末期ころの建物として再現し、
所蔵されていた屏風・陶磁器などの工芸品や
生活道具などが沢山展示されています。

渋川神社6
安中新田会所跡・旧植田住宅

淀川(大川)の付替えは100年前のことですが、
大和川の付替えは300年も前に行われております。

大和川の付替えは江戸時代の1704年に行われ8ケ月の短期間で完成したそうです。
付替えの陣頭指揮を執ったのは、東大阪・今米村の庄屋に生まれた「中甚平」です。

当時の大和川は奈良からの本流と南からの石川が柏原付近で合流し、
大阪城付近で大川(旧淀川)へ流れ込んでいました。

その石川との合流点付近で、西に新大和川を開削して
直接大阪湾へ流し込むようにしました。

工期はたったの8ケ月ですが、
中甚兵衛が幕府の許可をとるのに50年もの年月も要し、
その間にも何度も大洪水の被害に遭いました。

大和川淀川文字3
大和川の付け替え

大和川の堤防を強化するのではなく、大変な付替えが必要なのでしょうか。

理由①大和川の水がスムーズに大阪湾に流入できない
大和川が流れ込む新開池・深野池は寝屋川・古川のほか沢山の川が集中して流入し、
更にその先に淀川があるために、大雨の時は大阪湾に水が流れずに逆流します。
渋川神社の夏祭りを逆祭と呼ぶのは逆流でご神体が上流へ流された為です。

理由②上流から大量の土砂が流れ河床が高い

堤防を高くすると、大和川の上流から流された土砂が溜まり河床が高くなり
天井川になってもっと危険な状態になっていきます。
特に大和は古代から巨大な都市や寺院を造るため大量の樹木を伐採し続けた為に、
山の地盤はもろく土砂崩れが頻発し、下流へ流れる土砂の量は膨大でした。

大和川付替え図
付替え前の大和川水系

大和川の付替えで、旧大和川は水量が減り、川幅が極細になり、
以前川床だったところに新しく土地が生まれました。
そこを農地として開発したのが、新田と呼ばれた耕作地で、全体で1000ヘクタール・
東京ドーム210個分の規模です。

そのいくつもの新田の一つがこの場所にあった安中新田です。
新田の管理を行う場所が会所で、送り込まれた安中新田の支配人が植田家です。

渋川神社7
大和川の付け替えで出来た34ケ所の新田

川床の多くは砂地で水田には適さないことから綿が栽培されました。

旧川床を利用した畑は、砂地で水はけがよく、綿栽培に最適だったためです。

当時の綿は繊維が短く、従って糸が太いため、
織りあげた布地も厚くて耐久性にすぐれていました。

庶民の普段着のほか、のれん、のぼり、蒲団地、酒袋などに利用され、
全国各地で愛用されました。

河内木綿
河内木綿と糸紡ぎの道具





渋川神社の参道⑧渋川天神社(八尾市・渋川町)

渋川神社の参道⑧渋川天神社(八尾市・渋川町)に関する記事です。

祭神:素盞嗚命、菅原道真

久宝寺駅から許麻神社、跡部神社と歩き回ってきて、
やっとJR関西線の久宝寺上新電機まで辿りつきました。

跡部からの道は中小企業の多い通りで、
木工加工、金属加工、・・個性的な工場が勢ぞろいしており
八尾のものづくり力の高さを感じました。

物部氏の拠点だったことや大和川の付替え、
八尾の持つ技術力は歴史的変遷が要因なのでしょう。 

渋川天神社の鳥瞰図
渋川天神社の社叢

JR線の向い側には古社の社叢と社が見え直ぐに渋川天神社と分りました。

しかし右も左も踏み切りらしきものは見当たりません。
もう足が動かないので、線路脇のベンチで暫く休憩したあと、
久宝寺駅方面へ歩くと線路の下を通過する地下道があり、
やっとのことで線路の北側に出られ渋川天神社への参拝ができました。

渋川天神社1
渋川天神社の鳥居

小さな境内ですが、大楠木が何本かあり、調度楠木や榎の実が成っていて、
ムクドリやヒヨドリやシジュウカラなどが沢山採餌にきていました。

それにしても八尾の神社は大楠木が多い。
どれも枝が切られずにそのまま繁っています。 

渋川天神社3
渋川天神社の拝殿1

渋川天神社4
渋川天神社の拝殿2

神社の南西の地は、白鳳時代(645-710)に渋川寺のあったところで、
昭和十年ごろ国鉄の竜華操車場を開設工事のとき、
多数の単弁八葉や忍冬唐草紋の瓦及び塔心礎が出土した。

また一説にはこの附近は物部守屋の別業の地で
そこに渋川寺があったともいわれている。

仏教崇拝抗争や古代の仏教を再検討すべき課題を提起している寺址である。

(八尾市教育委員会の説明板より)

渋川天神社5
渋川天神社の本殿

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