エナガ先生の講義メモ

野鳥撮影がきっかけで鳥から教えてもらったこと、興味をもって調べたことをメモしていきます。 

@弥刀神社

弥刀神社(大阪府・東大阪市・近江堂)

弥刀神社(大阪府・東大阪市・近江堂)に関する記事です。

弥刀神社(みと)は近鉄大阪線の長瀬駅の南500m、
弥刀駅の北650mのある沿線沿いに鎮座する神社です。

八尾・柏原・奈良方面へ出向く時に何時も車窓から見ていた神社で
やっと参拝する機会にえまれました。

弥刀神社1
弥刀神社の鳥居

弥刀神社は河内国・若江郡に鎮座とされる式内小社です。

祭神:速秋津日子神・速秋津比売神

弥刀とは水戸(みなと)のことで、速秋津日子・比売は
古事記では水戸神(みなとがみ)と記される水門・港に祭られる神です。

弥刀神社2
弥刀神社の拝殿1

弥刀神社の守護する港とは
大和川が河内湖に流れ込んだ河口のことです。

弥刀神社由緒によると天平宝宇6年(762)に
旧大和川(長瀬川)の決壊による激流で、
社殿がことごとく流出したという記録があります。

弥刀神社3
弥刀神社の拝殿2 

当時は川幅が200mもあった大和川の洪水が度々あり、
その水戸(みなと)の守り神として弥刀神社がありました。 

弥刀神社4
弥刀神社の本殿
 
長瀬川2
長瀬川

弥刀神社の境内社に大己貴命を祭神とする常世神社があります。   

大己貴命が出雲の国から、大和の国へ国造りへ向かう途上、
この水戸に寄航し、決意を固めたとの伝承があり、常世神社が創建されました。

大国主とともに国造りを行なった少彦名は国造りを終えた後に
海の彼方にある常世の国に行ったため出雲には常世神社があります。
 

弥刀神社6常世神社
境内社の常世神社   


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弥刀神社の参道①西堤神社(東大阪市・西堤)

弥刀神社の参道①西堤神社(東大阪市・西堤)に関する記事です。

祭神:天照大神、豊受大神

西堤神社のある西堤地区は、阪神高速を境に川俣地区と南接する地域です。
また東堤という地名は付近には存在しません。

川俣の地名は長瀬川と玉串川の合流点に由来するものでした。
当然西堤も長瀬川と玉串川に関係する旧大和川の堤と思っていましたが、
実は川ではなく、池の堤でした。

西堤神社1
西堤神社の境内


西堤神社2
西堤神社の鳥居

その池とは旧大和川が注いでできた河内湖の名残の巨大な池で、
西堤地区の人々は昔はその池の西堤(大東市長田付近)で暮らしていました。

巨大な池は勿入淵(ないりふち)と呼ばれ、
西堤の村人は16世紀頃に勿入淵の西から今の場所に移ってきたそうで、
当時の村の名前の「西堤」をそのまま村名とし現在に至ります。

西堤神社3
西堤神社の拝殿


西堤神社4
西堤神社の本殿1

西堤神社5
西堤神社の本殿2

西堤村の人がかつて住んでいた勿入淵とは一体どんな池なのでしょう。

古墳時代には大阪平野の上町台地より生駒山麓にかけて
河内湖と呼ばれる、大きな湖が広がっていました。

年月が経つにつれて、河内湖の規模は徐々に縮小し、
大東市域では「深野池」、東大阪域では「新開池」と呼ばれる二つの大池になります。

平安時代頃から、新開池の方を勿入淵(ないりふち)と呼んでおり、
魚や蓮などが豊富な美しい池でした。

新開池と深野池
新開池(勿入淵)と深野池

西堤神社の境内には、鱗殿とも呼ばれる水神社がありますが、
この神社も勿入淵(ないりふち)に関係する祠です。

西堤が勿入淵(ないりふち)にあった頃、
村人の内助さんが内助淵(ないりふち)の沖へ魚を獲りにいったところ、
淵の主だった大蛇に呑み込まれてしまいます。

それを知った村人が総出で内助の仇討ちを行い、
大蛇を殺して、その鱗をご神体として祀ったのが水神社(鱗殿)で、
雨乞いの神として信仰されてきました。

うろこ神社1
水神社(鱗殿)





弥刀神社の参道②川俣神社(東大阪市・川俣本町)

弥刀神社の参道②川俣神社(東大阪市・川俣本町)に関する記事です。

川俣神社は、JR高井田中央駅から東700m程にあり、
途中長瀬川と第二寝屋川の2つの川を越えて行きますが、
この2川は旧大和川の名残りで放出駅前で合流しています。

川俣と言う地名は大和川付替え以前には
旧大和川の長瀬川と楠根川がこの様に川俣の地で合流し
川俣江と呼ばれる湖沼の入り江になっていたことによります。

川俣鳥瞰図
長瀬川合流地点

祭神:大己貴命、少彦名命、保食神

川俣神社は延喜式に河内国・若江郡鎮座・鍬靫と記載される式内社です。

橿原市・雲梯町の川俣神社に比定される木葉神社と同じで、
本来の祭神は川俣公の祖・彦坐命を祀った神社だと考えられています。

御神燈
川俣神社の御神燈

川俣江は河内の湖沼地帯へ入る最先端であり、水上交通の要衝で、
川俣公や川俣連と呼ばれた豪族が入江を管理・支配していたとされています。

川俣神社5
川俣神社の拝殿

水たまる 依網池に ぬなは繰り 延(は)へけく知らに 
堰杙(いぐひ)築く川俣江の 菱茎の 刺しけく知らに 吾が心し いや愚にして (仁徳天皇)
よさみ池で、じゅんさいがずっと先まで延びていたのを知らずに
また、岸辺に護岸の杭を打つ川俣の江の菱茎が、
食べ頃になっているのを知らずに、私は全く愚かでした~

意訳
(じゅんさいや菱が食べ頃になっているのに気付かない愚かな私は
髪長媛に恋慕している私をお父さんが見ているのも知りませんでした。)


仁徳天皇
が、応神天皇から髪長媛を与えられて感激した返歌です。
この歌に川俣江があり、そこに生える菱が出ています。

因みに依網池(よさみ)は、川俣江より西の我孫子にあった池で崇神天皇が造った池です。
依網池(よさみ)のじゅんさい(ぬなは)も、川俣の江の菱も大切な食料です。

菱とじゅんさい
左:川俣江の菱            右:
依網池のじゅんさい(ぬなは) 

髪長媛(かみなが)は日向国・諸県・牛諸井の娘です。
美貌の噂がたかく,応神天皇が使いをだして迎えましたが,
皇子の大鷦鷯尊(仁徳天皇)が媛に恋心を抱いたため皇子にあたえたという。
大草香皇子,草香幡梭姫を生んでいます。

川俣神社6
川俣神社の本殿覆屋(奥)




弥刀神社の参道⑥長瀬神社(東大阪市・衣摺)

弥刀神社の参道⑥長瀬神社(東大阪市・衣摺)に関する記事です。

長瀬神社は近鉄大阪線長瀬駅から南800m、
長瀬川に架かる吉松橋を渡った衣摺という興味津々の地に鎮座します。

長瀬川
長瀬川に架かる吉松橋

鎮座地の衣摺(きずり)は、古くは“きぬずり”ともいい、
地名の由来は、布に模様を染める技術を持った人が
住んでいたことに起因すると言われています。

長瀬神社1
長瀬神社の鳥居

長瀬神社の氏地である旧長瀨村は、
明治22年に大蓮、衣摺、南蛇草、北蛇草・・七村を併合し一村としたものです。

その後の国の合祀令により、北蛇草の波牟許曾神社(はむこそ)、衣摺の衣摺神社を始めとする
八社を合併して長瀬神社を新たに創建したのが始まりです。

祭神:伊弉諾、伊弉册、天照皇大神、素盞鳴、保食大神、少彦名、菊理姫、品陀和気、菅原道真


長瀬神社2
長瀬神社の注連縄柱

合祀した内の北蛇草の波牟許曾神社(はむこそ)は式内社で、
由緒もあった為に現在は元地に戻されています。

長瀬神社3
長瀬神社の拝殿

合祀する前の衣摺神社(きづり)は、
長瀬神社の南西300mにある現在の光泉寺あたりに鎮座していました。

長瀬神社4
長瀬神社の本殿

衣摺は日本書紀によると蘇我氏と物部氏の最終決戦場所となった場所で、
衣摺神社の元地にあたり、現在は衣摺顕彰之碑があり由緒を伝えます。

跡部の館渋川の館と攻略され、
守屋は衣摺の地に稲城を築き榎木に登って矢を放ちますが
最終的に射落とされてしまいます。

物部守屋の戦いのゆかりの地の多くが、
八尾市の大聖勝軍寺周辺に比定されていますが、
衣摺の地名から東大阪市のこの地が信憑性が高いようです。

光泉寺
光泉寺
 
衣摺顕彰之碑
衣摺顕彰之碑

弥刀神社の参道⑦波牟許曽神社(東大阪市・長瀬町)

弥刀神社の参道⑦波牟許曽神社(東大阪市・長瀬町)に関する記事です。

波牟許曽神社(はむこそ)は近鉄大阪線長瀬駅の北100M
生協病院の西隣に鎮座しています。

祭神:伊弉那岐大神 天照大御神 伊弉那美大神

 
波牟許曽神社1
波牟許曽神社の鳥居

波牟許曽神社は河内国・渋川郡鎮座とされる式内小社です。

明治末期に長瀬村内の八社を合祀して新たに長瀬神社が創建されました。
この時に北蛇草の波牟許曽神社も長瀬神社に合祀されましたが、
古代からの由緒ある神社の為、40年程前に再び元地に再興されたものです。

 

波牟許曽神社2
波牟許曽神社の拝殿

波牟許曽神社が鎮座する地域はかつて蛇草(はみくさ)という地名でした。

ヘビは口を大きく開いて小動物を丸呑みにする様子から、
食む(はむ)と言われ、ハブやハミ(蝮)、ハモ等も食むから派生した言葉です。

「波牟:はむ」は蛇、「許曽:こそ」は社ともあり、
波牟許曽は蛇を祀る社のことでした。

 

波牟許曽神社3
波牟許曽神社の本殿

波牟許曽神社は蛇の社だけあって境内には龍神(蛇)を祭る神社が沢山ありました。

縄文土器には沢山の蛇模様がありますし、注連縄も2匹の蛇が絡み合う紋様です。

蛇は弥生時代に鼠を捕る蛇を田を守る神として信仰されてきました。
カカは蛇で、カカシは大蛇(山カガシ)、案山子(カカシ) として現在の言葉にも残ります。

 

龍神
波牟許曽神社の境内社


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