エナガ先生の講義メモ

野鳥撮影がきっかけで鳥から教えてもらったこと、興味をもって調べたことをメモしていきます。 

・恩智神社

恩智神社(大阪府・八尾市・恩智中町)

恩智神社(大阪府・八尾市・恩智中町)に関する記事です。

恩智神社は近鉄恩智駅(おんぢ)から、
駅前の恩智川に架かる母木橋を渡って東1kmほどの
高安山山麓に鎮座する河内国二之宮です。(一之宮は枚岡神社)
 
恩智川(母木橋)2
恩智川に架かる母木橋

母木橋とは気になる名前ですが、この場所は古代は母木(母樹)という地名でした。

「孔舎衙の戦い(くさか)」の際,神武天皇が大きな樹に隠れて難をのがれ、
其の樹を指して「恩,母の如し」といったので,母木邑となったそうです。
                               (日本書紀) 

恩智神社1鳥居
恩智神社の一の鳥居(東高野街道との交差点)

また恩智の地名は、「阿智」(あち)が訛ったものとされます。

『姓氏録』未詳雑姓河内の部に「高安忌寸、阿智王之族也」とあり、
この地は百済系渡来人の阿智使主の勢力地だったと伝わります。

恩智神社の石段
恩智神社の石段

明日香村・檜前の
於美阿志神社(おみあし)の主祭神は阿智使主(あち・おみ)でした。

大和の檜隈には応神天皇の頃に渡来した、

阿智使主(あちのおみ)を祖とする東漢氏が住み、
製鉄,機織、土器、農耕技術などを伝えました。

八尾の高安も、檜隈(ひのくま)と同じ阿智使主を祖とする氏族が支配していたのです。

恩智神社3拝殿
恩智神社の拝殿

祭神:大御食津彦命、
大御食津姫命

向かって右が大御食津彦命、左が大御食津姫命を祀ります。

大御食津彦命は天児屋根命の五世代の孫、
大御食津姫命は伊勢神宮外宮に祀られる豊受姫大神とされています。


恩智神社4本殿
恩智神社の本殿

雄略天皇の時代、藤原氏により祖神の天児屋根命を
香取神宮から勧請して創建されました。

天児屋根命はその後、枚岡神社を経て春日大社に祀られるようになったことから、
当社は「元春日」と呼ばれています。


恩智神社5春日神社
元春日と呼ばれる春日神社

この兎の手水舎、住吉大社の手水舎の兎ににていますよね。

住吉大社の兎の手水舎は、神功皇后が住吉大社を創建された日が
211年の卯歳(うのとし)、卯月(うづき)、卯日(うのひ)であることから、
兎(卯)と深い結びつきを表しています。


恩智神社6手水舎
兎の手水舎

神功皇后が三韓征伐の際、当社の神が住吉大神と共に海路、陸路を安全に道案内し、
先鋒或は後衛となり神功皇后に加勢したその功により
神社創建時に朝廷から七郷を賜りました。 

雄略天皇の時代に当神社が創始される以前にも
当社の原型があり、それを祭司していた氏族が三韓征伐に加担したのでしょう。

本殿の兎
本殿前の兎

<関連記事> 
恩智神社の参道①頓宮(八尾市・恩智中町)
恩智神社の参道②感応院(八尾市・恩智中町)
恩智神社の参道③都留美島神社(八尾市・都塚)
恩智神社の参道④常世岐姫神社(八尾市・神宮寺)
恩智神社の参道⑤天照大神高座神社(八尾市・教興寺)
恩智神社の参道⑥岩土神社(八尾市・教興寺)
恩智神社の参道⑦若倭姫神社 (柏原市・山之井)

恩智神社の参道②感応院(八尾市・恩智中町)

恩智神社の参道②感応院(八尾市・恩智中町)に関する記事です。

感応院は恩智神社の参道の石段上部にある寺院で、
かつては恩智神社の境内にあった神宮寺でした。

丁度参拝した時期が紅葉の時期と重なり、
静かで紅鮮やかな散策を楽しむことができました。

感応院
恩智神社の神宮寺・感応院

恩智神社の地は古くは母木邑(おものき)と呼ばれおり、
日本書紀の神武天皇記に登場する母木の候補地の一つです。

孔舎衛坂の戦いの際、大樹の蔭にかくれて難を免れた人がいた。
そこで樹の恩、母の如し、その地を「母木邑」と呼ぶ。

孔舎衛坂の戦い(くさか)とは、難波岬を通って
河内の草香邑・白肩の津に着いた神武天皇の最初の戦いです。

神武はこの戦いで長髓彦(ながすねひこ)に敗れ、
長兄五瀬は矢傷を負い失命します。


 感応院1
感応院の山門

時は流れて、聖徳太子もその母木へやってきましたが、
母木の大樹は既に枯れていました。

太子は非常に残念がり、この木の古株で十一面観音の像を作り、
恩智神社(感応院)に安置したとの伝承があります。
 
感応院2
観応院の庭



恩智神社の参道①頓宮(八尾市・恩智中町)

恩智神社の参道①頓宮(八尾市・恩智中町)に関する記事です。

恩智駅から恩智神社へ向かう参道の途中に
天王の森と呼ばれる広場があり、
恩智神社の境外末社の祇園社があります。

現在は恩智神社の頓宮(お旅所)とされていますが,
中世まではここが恩智神社の元地で、
持統天皇を始め多くの天皇が行幸され、
名神大社の社格を有しています。

恩智神社頓宮1
恩智神社の頓宮1

南北朝時代には,恩智神社の神職で
足利幕府と戦った武将の恩智左近が
頓宮の東400mの高台(現在の恩智城趾公園)に城を造営し,
城から神社を見下ろすのは
恐れ多いと神社を現在地に遷しました。

恩智神社頓宮3
恩智神社の頓宮2

恩智左近満一は恩智神社の社家の出で、
この地の豪族として恩智城を築き、
楠木正成に従って千早城籠城や、
飯盛山城攻撃に加わった八臣の一人です。 

湊川の戦の後は、楠木正成の子の楠木正行を
補佐して南朝方を守りましたが
貞和4年・正平3年(1348年)楠木正行に従って
四條畷に出陣し討死したともされます。

恩智神社頓宮4
恩智神社の頓宮3

この天王の森を中心として
東高野街道から恩智川に至る付近一帯は、
当遺跡は、旧石器から
縄文・弥生時代にかけての複合遺跡です。

この天王の森に縄文・弥生時代からの
祭祀場があったとも想像でき、
その悠久の時間が流れる場所に
恩智神社が創始されたのもロマンを感じます。

恩智神社の参道⑥岩戸神社(八尾市・教興寺)

恩智神社の参道⑥岩戸神社(八尾市・教興寺)に関する記事です。

岩戸神社へは恩智神社から東高野街道へ戻り、
南高安幼稚園の前の道から北東に回り込んで参拝しました。

岩戸神社は高安山の中腹にあるため、展望はとても良く、
近鉄・信貴山口駅に通じるその道の途中に
岩戸神社へ入る急な参拝道があります。

岩戸神社0
展望の良い信貴山口駅への道

この展望のよい道に岩戸神社への大きな道標があり、
この鳥居を潜り、暗くて急峻な参道へ入ります。

岩戸神社鳥居
この鳥居を潜ると急峻な参拝道

参道を喘ぎながら登り続けること15分、
社叢の中に待望の岩戸神社の境内が見えてきます。

社号標には、日本最初岩谷弁財天・岩戸神社とあります。

祭神:市杵島姫命

岩戸神社0社号標
岩戸神社の社号標

岩戸神社は、平安時代初期に、空海が天照大神高座神社を参詣中、
天照大神の御託宣により創建されたと伝わります。


岩戸神社2拝殿
岩戸神社の拝殿1

天照大神高座神社は河内王朝時代に創始されましが、
岩戸神社は、その幾百年か後に創建されたことになります。

その2社が仏教色を強めながら、まるで1社のように共栄していきます。

岩戸神社3拝殿2
岩戸神社の拝殿2

御神体は一帯の岩山全体で、拝殿からは磐を拝する原始的な形式の神社です。

しかし交野の磐船神社や大和の大神神社とは違い本殿があるのが特徴です。
岩戸神社の本殿は拝殿の遥か上の岩盤上に鎮座していて圧巻です。

磐船神社と岩戸神社は同じ生駒山系の神社ですし、
もしかししたら空海が関わる以前の
縄文・弥生時代の頃は本殿な無かったのではと夢想しています。

岩戸神社4本殿
岩戸神社の本殿(岩盤上に鎮座する)

境内には干ばつでも涸れないとされる白飯の滝もあり、
現在でも不動尊に見守られながら、
修行の場として使われているようでした。

白飯の滝1
不動明王

ちなみに岩戸神社の急峻な参拝道とは逆の道を北へ下っていくと、
神宮寺の教興寺があります。

生駒山は山岳信仰と仏教が結びついた修験道の流行った場所で、
多くの神社がその影響を受けています。

教興寺
 
岩戸神社の神宮寺教興寺

岩戸神社は、もともとはインドの河神である弁財天を祀っており、
仏教色の強い神社でした。

その木彫の弁財天像は現在は、この寺に安置されているそうですが、
替わりに竹生島・宝厳寺の弁財天を載せておきます。

弁財天
 宝厳寺の弁財天
 

恩智神社の参道⑤天照大神高座神社(八尾市・教興寺)

恩智神社の参道⑤天照大神高座神社(八尾市・教興寺)に関する記事です。

天照大神高座神社は岩戸神社と隣同士の神社で、
同じ神主さんが両社に神饌を供えていました。

天照大神高座神社は河内国・高安郡鎮座・月次新嘗とされる式内大社です。
祭神:天照大神、高皇産霊大神

このほかに伊勢津彦命、伊勢津姫命、春日戸神などが祭神の候補です。

岩戸神社1鳥居
天照大神高座神社の鳥居

天照大神高座神社は生駒山南部の高安山の中腹に位置する神社です。

生駒山周辺は日本の古代史に関係する重要な場所・神社が多くあり、
饒速日、長髄彦、神武天皇、聖徳太子・・など多くの人たちの痕跡が残される地です。

中世にも生駒山は山岳信仰と仏教が結びついた修験道の流行った場所で、
天照大神高座神社も古代から中世にかけ輻輳して生駒山の影響を受けた神社です。

天照大神高座神社4本殿1
天照大神高座神社の拝殿と本殿

天照大神高座神社には雄略天皇の御代に、
伊勢国宇治山田から当地に遷座したという説があります。

祭神候補の伊勢津彦は伊勢の地名に由来する出雲系の神で、
伊勢国風土記にみえる伊勢の支配者でした。

神武天皇の東征のとき,天皇の命令で配下の天日別命が伊勢平定に向います。

伊勢津彦は天日別命の国譲り要求に一旦は断るものの
最終的に伊勢を捧げ、波に乗って東方に逃げ去ったとされます。

天照大神高座神社2拝殿1
天照大神高座神社の拝殿1


天照大神高座神社3
天照大神高座神社の拝殿2(磐が神体)

山の谷間の岩盤をくり貫いて本殿が鎮座しています。

拝殿の前にあるのは岩盤で、
本殿は遥か上にあるため拝殿からは見えません。

当初は交野の磐船神社のように本殿は無く、
岩盤そのものをご神体としていたように思えます。

天照大神高座神社4本殿2
天照大神高座神社の本殿
------------------------------------------------------
天照大神高座神社の境内①白飯の滝

天照大神高座神社の社頭の右側にには「白飯の滝」があり、
修行の場となっています。

この滝はどんな旱天でも水が絶えることがないと言われています。

白飯の滝1
白飯の滝の注連縄柱

白飯の滝2
白飯の滝の不動明王

白飯の滝3
白飯の滝

天照大神高座神社・岩戸神社へは徒歩で恩智神社から東高野街道へ戻り、
南高安幼稚園の前の道から北東に回り込んで参拝しました。
あとから分かったのですが、近鉄信貴山口駅から行く方が
大分近かったようです。



記事検索
カテゴリー
最新コメント
アクセスカウンター

    ユニークアクセス
    • 今日:
    • 昨日:
    • 累計:

    • ライブドアブログ