エナガ先生の講義メモ

野鳥撮影がきっかけで鳥から教えてもらったこと、興味をもって調べたことをメモしていきます。 

@笛吹神社

葛木坐火雷神社・笛吹神社(奈良県・葛城市・笛吹)

葛木坐火雷神社・笛吹神社(奈良県・葛城市・笛吹)に関する記事です。

葛木坐火雷神社(ほのいかづち)は笛吹神社とも呼ばれ、
近鉄御所線の忍海駅(おしみ)西2.5km、葛城山の東麓に鎮座する古社です。

当社は元々は火雷神社と笛吹神社という別々の神社でした。
ところが平安時代に火雷神社の社勢が衰え、
古代より笛吹連の本拠地だった当地の笛吹神社に合祀されました。
その笛吹連の子孫の持田氏が代々宮司を務め、現在で85代目とのこと。 

笛吹神社1
笛吹神社の社叢

笛吹神社は標高170mのイチイガシが群生する扇状地にあり
社頭には22mの天然記念物のイチイガシが聳えます。

この悠久の社叢の中には、笛吹氏の祖の古墳も包まれており
太古から育んできた恵みの森です。

また当社は古来より波波迦の木を宮中に献上していた事でも知られています。
波波迦の木(ははか)の皮で雄鹿の骨を焼いて吉凶を占いました。

笛吹神社2
笛吹神社のイチイガシ

葛木坐火雷神社は大和国・忍海郡鎮座・相嘗新嘗・二座と記される名神大社です。

祭神:火雷大神、天香山命
配祀:大日霊貴尊、高皇産霊、天津彦火瓊瓊杵、伊古比都幣命

火雷大神(ほ・いかづち)は葛木坐火雷神社の祭神で、天香山命は笛吹神社の祭神 でした。

笛吹神社3
笛吹神社の鳥居と社号標

火雷大神は、雷や稲妻の猛威から守護してくれ、雨の恵みをもたらす神です。
死んで黄泉の国へ下った伊邪那美命の全身に発生した8柱の雷神の総称が火雷大神です。

注1)8柱の雷神とは炎の火雷神、暗闇の黒雷神、雷鳴の鳴雷神、稲妻の伏雷神、
土雷神、若雷神、裂雷神、析雷神です。

笛吹神社4
笛吹神社の拝殿1

当社の社伝によると祭神の天香山命は石凝姥命のことです。

石凝姥命は天照大神が天岩戸に籠もったとき、
天香山の土を掘って鏡を作り、竹で笛を作って吹き鳴らした、
と神話に伝えられています。

笛吹神社5
笛吹神社の拝殿2
 
笛吹神社6
笛吹神社のロシア製大砲(日露戦争の記念)

本殿の北西には横穴式石室に家形石棺を安置した円墳があり、
笛吹連の祖・櫂子(かじし)の父である建多折(たけた・おり)の墓といわれています。
笛吹神社の周囲に笛吹古墳群があり、この古墳に眠るのはその盟主です。 

<笛吹神社古墳>
形状    :円墳
サイズ   :約26m、高さ4m
築造時期:6世紀前半
被葬者    :笛吹連の盟主 
出土品  :金銅装の大刀他

また火雷大神とは文字どうり鍛冶生産・鉄器生産の神のことで、
この地域の古墳に葬られた人々が係わった職業と考えられています。 

笛吹神社7
笛吹古墳1

笛吹神社の社伝によると祖人の櫂子に以下の様な伝承があります。

*崇神天皇が大彦命を北陸に差向けた軍に櫂子(かじし)も加わった。
*奈良山で建埴安彦が大和を襲撃しようと進軍していることを知り櫂子が天皇に報告した。
*大彦命は建埴安彦を討伐するため出陣し、木津川を挟んで対峙した。
  このとき櫂子の射放つた矢は安彦の胸を貫いてこれを倒したので建埴安彦は潰走した。
*崇神天皇は櫂子の戦効を賞して天盤笛と笛吹連の姓を与えた。

笛吹神社8
笛吹古墳2

<関連記事>
笛吹神社の参道①柿本神社(葛城市・柿本)
笛吹神社の参道②葛木御縣神社(葛城市・葛木) :みあがた
笛吹神社の参道③金村神社(葛城市・新庄町大屋) 
笛吹神社の参道④博西神社(葛城市・寺口)   
笛吹神社の参道⑤大宝天皇神社(葛城市・南藤井)  
笛吹神社の参道⑥為志神社(葛城市・林堂)   :いし
笛吹神社の参道⑦笛吹若宮神社(葛城市・南花内)  
笛吹神社の参道⑧脇田神社(葛城市・脇田)  
笛吹神社の参道⑩角刺神社(葛城市・忍海)  
笛吹神社の参道⑪飯豊天皇陵(葛城市・北花内)  
笛吹神社の参道⑫火振山古墳(葛城市・南藤井)  
笛吹神社の参道⑬神明神社古墳(葛城市・寺口)  
 



笛吹神社の参道①柿本神社(葛城市・柿本)

笛吹神社の参道①柿本神社(葛城市・柿本)に関する記事です。

柿本神社は近鉄御所線の新庄駅前にあり、
ホームからでもお参りできそうな距離です。

祭神:柿本人麻呂

柿本神社の祭神は柿本人麻呂(660-720)で、
飛鳥時代の宮廷歌人として知られます。

柿本神社の鎮座地は、祭神と同じ柿本ですが、
これは柿本人麻呂が持統天皇から領地を賜って居住した場所と伝わります。

人麻呂の歌は持統天皇(645-703)の即位からその崩御の間に多く詠まれており、
この女帝と係りが深いものと思われます。

柿本神社1鳥居
柿本神社の社殿

人麻呂は郡司として石見国(島根県・益田市)へ赴任地し、石見の地で没しました。

770年に人麻呂の遺骨を石見から葛城のこの地に改葬して、
傍らに社殿を建てたのが柿本神社の始まりといわれています。

柿本神社2
柿本神社の本殿

拝殿の南側の「柿本太夫人麻呂之墓」と刻まれた石碑があり、
江戸時代播州明石から転封となった大和郡山藩主松平信之が
元和元年(1681年)に建てたものと伝わります。

柿本神社3
柿本神社の人麻呂塚

人麻呂が葛城を偲んだ歌碑もあります。

♪春柳 葛木山に たつ雲の 立ちても坐ても 妹をしそ思ふ♪

柿本神社4
人麻呂の万葉歌碑

人麻呂の遠縁にあたる真済(しんぜい)は、
柿本神社の境内に影現寺(ようげんじ)を建立し、
自らが彫ったとされる人麻呂の木造を安置しました。

「はめ込み式の首は、夜中に月の出る方向に向く」との言い伝えがあります。

柿本人麻呂人形
人麻呂木造(影現寺HPより借用)

人麻呂の命日の4月18日にはチンポンカンポン祭が行われます。
かつて神事の時に打ち鳴らしていた太鼓や鉦、笛の音に由来しています。

柿本神社5影現寺
影現寺の鐘楼


笛吹神社の参道②葛木御縣神社(葛城市・葛木)

笛吹神社の参道②葛木御縣神社(葛城市・葛木)に関する記事です。

葛木御縣神社は近鉄御所線・新庄駅の西1.4km
葛城山の西麓、新庄中学校前に鎮座する小さな神社です。
 
新庄中学校
葛城山麓の新庄中学校

葛木御縣神社は大和国・葛下郡鎮座・月次新嘗とされる式内大社です。

祭神:剣根命、瓊瓊杵命

葛木御縣神社1
葛木御縣神社の社号標

祭神の剣根命は初代の葛城国造です。

神武天皇は日本制覇を達成した神武2年に2名の日本最初の国造を決めます。
これは初代倭国造とされる椎根津彦命とともに国造の最も古い例とされます。

1.椎根津彦命が大和国中央部を支配した倭国造
2.剣根命が大和国南西部を支配した葛城国造

葛木御縣神社2
葛木御縣神社の拝殿

葛木御縣神社は大和国に6つある縣に建立された御縣神社の1つです。
大和六御県神社とは、高市葛木十市志貴山辺曾布(添)
 
古墳時代に、朝廷は国造に地方を支配させていましたが、
それとは別に、朝廷が直接支配していた縣(あがた)という土地がありました。
縣の責任者が縣主で,朝廷に食料や物資を納めていました。


葛木御縣神社3
葛木御縣神社の本殿

雄略天皇が皇位継承争いで、
葛城氏の長の円大臣(つぶら)の館に逃げ込んだ眉輪王(まゆわ)を攻めます。  
雄略は館を焼き払い、円大臣の所領を没収し、天皇の直轄領とします。

これが葛木御縣の起源と考えられています。
 
極楽寺ヒビキ遺跡
葛城円の館(極楽ヒビキ遺跡:雄略に焼かれた跡が発掘)




笛吹神社の参道⑩角刺神社(葛城市・忍海)

笛吹神社の参道⑩角刺神社(葛城市・忍海)に関する記事です。

角刺神社は近鉄御所線の忍海駅(おしみ)北側、
葛城川の支流・安位川を渡った場所に葛城歴史博物館と同居する神社です。

祭神:飯豊青命

忍海駅
忍海駅(角刺神社はすぐ傍)

安位川
葛城川支流の安位川(右が角刺神社の社叢)

記紀によると、忍海には短期間ですが、国政の中枢が置かれました。
飯豊女王が政務を執った場所が忍海角刺宮で、角刺神社です。

飯豊女王の角刺宮は歌に詠まれるほど立派な宮殿だったそうです。

♪倭辺に 見が欲しいものは 忍海の この高城なる 角刺の宮♪ (日本書紀)

渡来人の技術を駆使して、誰もが見たくなるほど立派な宮殿を建てたものと思われます

角刺神社1
角刺神社の社号標と忍海寺

角刺神社2
角刺神社の境内

雄略天皇は天皇の後継者になりうる男子を、ことごとく暗殺した為に
第22代清寧天皇と第23代顕宗天皇に到る空位の期間を
顕宗・仁賢兄弟の姉である飯豊天皇が政務を執ることになりました。

この雄略の天皇粛清の時、眉輪王を匿った罪で
葛城氏の首長の葛城円(つぶら)も焼き殺されます。

角刺神社4
角刺神社の拝殿とL字に曲がる神木

葛城円は葛城襲津彦の孫にあたりますが、
雄略の為に武内宿禰以来繁栄を誇った葛城本家が滅びてしまいます。

葛城首長一族が没落した後、葛城は天皇直轄領となり渡来系の忍海氏が台頭します。

葛城本家が滅びるなかで忍海氏が生き残ったのには
忍海郎女つまり飯豊女王の存在が大きいと考えられます。

角刺神社45
角刺神社の本殿

角刺神社の境内には忍海寺があり、
「飯豊女王の化身」と伝えられる十一面観音菩薩立像が安置されています。

歴史から忘れ去られた女帝をしのんで毎月17日に法要を行っているそうです。

角刺神社46
境内にある忍海寺

飯豊天皇が忍海角刺宮で政務を取っていた時、
毎朝この池で顔を洗って、池に自分の姿を映していたという故事から、
この池は「鏡池」と呼ばれています。

また奈良時代には、當麻寺にいた中将姫が、
鏡池に咲く蓮で糸を紡ぎ曼陀羅を織り上げたという伝えが残っています。

角刺神社6
角刺神社の鏡池

笛吹神社の参道④博西神社(葛城市・寺口)

笛吹神社の参道④博西神社(葛城市・寺口) に関する記事です。

博西神社は近鉄御所線・新庄駅の西2km程に鎮座する美しい神社です。
博西(はかにし)とは墓の西、屋敷山古墳の西にある神社という意味です。

敷山古墳は5世紀中期頃に造られた全長145mの前方後円墳で、
葛城地方の代表的な古墳のひとつです。

屋敷山古墳鳥瞰図
博西神社鳥瞰図

博西神社は大和国・葛下郡鎮座・月次新嘗と記される
葛木倭文坐天羽雷命神社に比定される式内論社です。

祭神:下照比売命、菅原道真

博西神社1
博西神社の社叢

もと倭文神社(しずり)とも称し、天羽雷命を祭神としていました。

天羽雷命は當麻町加守の葛木倭文坐天羽雷命神社が同名の式内社にあたるものとして、
下照比売命を祭神として祀るよう変わったそうです。

天羽雷命は天照大神を天の岩戸から誘い出すために、文布(あや)を織ったとされる神です。

博西神社2
博西神社の鳥居と拝殿

織物の神、機織の神として信仰され
中世に当地を支配した布施氏が當麻町太田の棚機の森から勧請したとも伝わります。

加守の倭文神社はそれをさらに遷したものとの伝承もあります。

倭文(しとり)とは、倭の文様で、古墳時代に大陸から絹織物が伝わる以前、
弥生時代から日本にあった織物技術のことと思われます。

博西神社3
博西神社の拝殿

祭神は、北殿が下照比売命(右)、南殿が菅原道真(左)とされており、
社殿は重要文化財にも指定されています。

博西神社4
博西神社の本殿

記事検索
カテゴリー
最新コメント
ユニークアクセス
  • 今日:
  • 昨日:
  • 累計:

アクセスカウンター

    ブログ村 史跡・神社仏閣
    神社・仏閣ランキング
    • ライブドアブログ