エナガ先生の講義メモ

野鳥撮影がきっかけで鳥から教えてもらったこと、興味をもって調べたことをメモしていきます。 

@伊居太神社

伊居太神社(大阪府・池田市・綾羽)

伊居太神社(大阪府・池田市・綾羽)に関する記事です。

川西~池田マイマップ

池田マイマップ

伊居太神社(いけだ)は猪名川左岸、五月山東麓、
池田駅から徒歩30分程の場所に鎮座する古社です。

祭神:漢織媛、応神天皇、仁徳天皇 

注1)漢織(あやはとり)は穴織とも書き、「はとり」は機織のこと

中橋
猪名川の中橋(後ろは絹延橋方面)
 
池田市には姉妹の織姫を祭る秦氏の古社が2社あります。

姉の呉服媛(くれは)を祀るのが呉服神社、
妹の漢織媛(あやは)を祀るのが伊居太神社です。

 伊居太神社が上の宮、呉服神社が下の宮とも呼ばれます。

唐船ヶ渕石碑
唐船ヶ渕石碑

社殿によると応神天皇の時、阿知使主(あちおみ)と都加使主(つがおみ)の渡来人親子が、
呉の国から兄媛・弟媛・呉服媛・漢織媛の4人の織姫を連れて帰国しました。

その内の呉服媛・漢織媛が猪名川を船で遡り、
猪名川に架かる中橋あたりの唐船ヶ渕に上陸したと伝承されています。

伊居太神社の鳥居
伊居太神社の鳥居

仁徳天皇は、呉服媛・漢織媛の功績を、大変評価し、
漢織媛が死去すると、この地に社を建て、秦上社・伊居太神社と称し、
漢織大明神として祀ったと伝えられています。

桓武天皇の勅命によって社殿を再建し、
応神天皇・仁徳天皇を合祀するようになったということです。 

伊居太神社の神門
伊居太神社の神門

伊居太神社は摂津国・河辺郡鎮座とされる式内小社です。
また尼崎市には春日大神を祀る同名の伊居太神社(いこだ)があり論者となっています。

しかし呉織・漢織を祀る当社を池田に創建して呉漢織の御旅所とし、
いつしか呉漢織の祠を伊居太神社と混同したようで、式内社としては尼崎に分があるようです。

伊居太神社の拝殿
伊居太神社の拝殿

日本書記では応神・雄略天皇の時代に呉の王から呉織・漢織らを与えられたとされ、
阿知使主漢織・呉織および衣縫の兄媛・弟媛らを率いて帰国したとあります。

その後、漢織は飛鳥衣縫部の祖、呉織は伊勢衣縫の祖となったそうです。 

伊居太神社の本殿1
伊居太神社の本殿1

残念ですが正式な史書には古代に阿知使主や漢織・呉織
池田の地に来たという記録はないそうです。

しかしこの織姫伝承も古代からのもので楽しい財産です。
 
伊居太神社の本殿2
伊居太神社の本殿2

--------------------------------------------------------------
境内社の猪名津彦神社

伊居太神社の境内にある神社ですが、
式内社の爲那都比古神社との説もあるそうです。

かつては宇保町の古墳の上にあった神社でしたが、
盗掘により、古墳が破壊されていたため
伊居太神社境内に,社殿を建て,石室の破片や人骨を遷して祭ったとされます。

祭神:阿知使主、都加使主(つかおみ)

社名は猪名津彦、爲那都比古とも書かれ、
近くを流れる猪名川も古くは為奈川とも表記されています。

猪名の名前がとても気になり調べてみました。

猪名津彦神社1
猪名津彦神社の拝殿

猪名川の呼称は、応神天皇の時に猪名部たちが暮す村を流れる川に由来します。

猪名部とは応神天皇の船を誤って延焼させたお詫びに新羅から送られた船匠の集団です。

猪名部たちにより日本の造船技術は格段に進歩し、
遣随使船や遣唐使船のような大型船の建造が可能になりました。

猪名津彦神社2
猪名津彦神社の本殿

応神天皇は、諸国に命じて500隻の船を建造させ、
その献上船が武庫の港に集められます。
その時に滞在していた新羅使節の船から出た火が延焼して、
500隻の船を焼き尽くしてしまいます。

新羅王はこれに恐縮し、応神天皇に新羅の船匠を献上して謝罪します。

この技術集団一族を猪名部と呼び船大工の始祖となりました。
猪名部は猪名川一帯の木材を伐採し、沢山の船が造りました。


 <関連記事> 
伊居太神社の参道①呉服神社(池田市・室町) 
伊居太神社の参道②星の宮(池田市・建石町)池田文庫燈籠、あわん堂
伊居太神社の参道③下渋谷穴織神社・呉服神社(池田市・五月丘)
伊居太神社の参道④池田茶臼山古墳(池田市・五月丘)五月丘古墳
伊居太神社の参道⑤五社神社・鉢塚古墳(池田市・鉢塚)
伊居太神社の参道⑥釈迦院(池田市・鉢塚) 
伊居太神社の境内⑦猪名津彦神社(池田市・宇保町)
伊居太神社の境内⑧双子塚古墳(池田市・井口堂)
伊居太神社の参道⑨細川神社(池田市・吉田町)
伊居太神社の参道⑪西国街道・亀之森住吉神社(池田市・住吉)
伊居太神社の参道⑫西国街道・十二神社(池田市・豊島南)
伊居太神社の参道⑮西国街道・石橋高札場(池田市・石橋)
伊居太神社の参道⑯能勢街道・石橋のいわれ石(池田市・石橋)
伊居太神社の参道⑰能勢街道・石橋商店街~鉢塚(池田市)
伊居太神社の参道⑱能勢街道・呉服橋東詰ぐるり1(池田市)
伊居太神社の参道⑲能勢街道・呉服橋東詰ぐるり2(池田市)

伊居太神社の参道①呉服神社(池田市・室町)

伊居太神社の参道①呉服神社(池田市・室町)に関する記事です。

川西~池田マイマップ

池田~川西マイマップ

池田市には姉妹の織姫を祭る秦氏の古社が2社あります。

姉の呉服媛(くれは)を祀るのが呉服神社、妹の漢織媛(あやは)を祀るのが伊居太神社です。

応神天皇の時、阿知使主(あちおみ)と都加使主(つがおみ)の渡来人親子が、
呉の国から兄媛・弟媛・呉服媛・漢織媛の4人の織姫を連れて帰国しました。

その内の呉服媛・漢織媛が猪名川を船で遡り、
猪名川に架かる中橋あたりの唐船ヶ渕に上陸したと伝承されています。

中橋
猪名川の中橋

唐船ヶ渕石碑
唐船ヶ渕石碑(
阿知使主が呉服媛・穴織媛を連れて上陸)

呉服神社は阪急宝塚線池田駅の西100M、猪名川左岸に鎮座する神社です。

呉服神社1
呉服神社の社号標

呉服神社2
呉服神社の神門

阿知使主というと、去年の春に参拝した奈良の明日香村の於美阿志神社の祭神でした。

大和の檜隈には応神天皇の頃に渡来した、
阿智使主(あちのおみ)を祖とする東漢氏が住み、
製鉄,機織、土器、農耕技術などを伝えました。

この集団に呉織(くれはとり)・漢織(あやはとり)がおり、
呉織は伊勢衣縫の祖、漢織は飛鳥衣縫部の祖となったとありました。 

この呉織・漢織が池田市縁の呉服媛・穴織媛のことです。

呉服神社3
呉服神社の拝殿1

呉服神社4
呉服神社の拝殿2

池田市は織姫伝説の町です。

呉織の呉服神社、漢織の伊居太神社の他にも
機織伝承ゆかりの旧跡が各所に残されています。

*唐船が淵------2人の織姫を乗せた船が着いたところ
*染殿井--------糸を染める水を汲んだ井戸
*絹掛の松------染めた糸を干した木
*星の宮--------星が降り明るくなって機を織った場所
*梅室・姫室----2人が葬られたとされる墓

呉服神社5
呉服神社の拝殿2


池田の市章はこの伝説を元にして創られたそうで、池田市民の織物好きが良く判ります。
外側の井桁は染殿井を、内側の糸巻きは織り姫たちが織物に使った糸巻きを表しています。

池田市章
 池田の市章



伊居太神社の参道⑮西国街道・石橋高札場(池田市・石橋)

伊居太神社の参道⑮西国街道・石橋高札場(池田市・石橋)に関する記事です。

箕面の瀬川から石橋駅付近まで西国街道を歩いた記録です。

石橋マイマップ

石橋マイマップ

瀬川本陣跡を過ぎると3辻にで石橋の地名が現れます。

右の道を進み箕面川にかかる今井橋を渡ると能勢街道に通じます。
西国街道は橋を渡らず、左の水路のある道を進みます。
西国街道が箕面と石橋の境界線で道の左が箕面、右が石橋です。

箕面・石橋境界3辻
箕面・石橋境界3辻(西国街道は左の道)

171号線の高架を潜り阪急箕面線踏切を渡ります。
下の写真は踏切を渡り振り返った写真ですが、右が箕面瀬川で左が池田石橋です。

箕面線踏切 (1)
箕面線踏切

旧西国街道は新西国街道とされる171号線を出入りしながら西へ進みます。
171号線から分岐する旧西国街道へ入ると左手に玉坂地蔵尊の境内があります。

西国街道の先、石橋阪大下交差点には同じ玉坂の地名の玉坂公園があります。

玉坂地蔵尊全景
玉坂地蔵尊全景

境内には、玉新池弁財天供養塔・無縁仏供養塔・神輿台座などが置かれています。

玉坂地蔵尊
玉坂地蔵尊

地蔵堂の中には、夥しい数の石仏と五輪塔が集められていました。

玉坂地蔵尊の石仏
玉坂地蔵尊の石仏

石橋阪大下交差点を渡るとがんこ池田石橋苑があり、その前には辻の地蔵尊があります。

がんこ池田石橋苑
がんこ池田石橋苑

辻の地蔵
辻の地蔵尊

阪急宝塚線の踏切の脇には天保二年の道標があります。

踏切の向こう側は西国街道と能勢街道が交わる要所で、
西国街道を進めば西宮で、左は大坂・右は能勢へ通じます。

阪急宝塚線踏切
阪急宝塚線踏切

道標の横には、旧石橋村の高札跡の説明板が置かれています。

高札場は、幕府・奉行所が法令や規範などを掲げた住民や旅人への掲示板です。

説明によると江戸時代の石橋村は麻田藩青木家(1万石)の領地で
元禄3年(1690)には、わずか29軒192人だったそうです。

高札場
石橋高札場跡

踏切を渡ったのが下の写真で前後に進む道が能勢街道で、
奥へ進む道が西国街道ですが、今回はここで終ります。

能勢街道と西国街道の交差点
西国街道と能勢街道の交差点

伊居太神社の参道⑯能勢街道・石橋のいわれ石(池田市・石橋)

伊居太神社の参道⑯能勢街道・石橋のいわれ石(池田市・石橋)に関する記事です。

石橋は様々な遺跡や伝承が残されているようで、
面白そうなので色々歩いてみることにしました。

石橋マイマップ

石橋マイマップ

阪急石橋駅西口にはアーケードの屋根がかかり、
石橋商店街が南北に続いていますが、この商店街が能勢街道です。

石橋駅西口
石橋駅

石橋商店街を南(左)に向います。

石橋商店街
石橋商店街(能勢街道)

石橋商店街アーチ
石橋商店街アーチ

商店街を抜けると能勢街道と西国街道が交差する4辻があり
西国街道の東側が阪急宝塚線の踏切になっています。
下の写真の前後が能勢街道で、左右が西国街道です。

この場所には昔は小川が流れていて石の橋が架かっていました。
大きな一枚の石の橋で、この橋が石橋の地名由来で石橋村と呼ばれるようになりました。

能勢街道と西国街道の交差点
能勢街道と西国街道の交差点

この石の橋は、踏切の南にある石橋南小学校の校内に保存されています。

偶然に校門を開け外に出られる方がおりましたので、
お願いして撮らせてもらいました。有り難うございました。
石橋地区の歴史探索には必須のアイテムです。

阪急宝塚線踏切
宝塚線踏切(石の橋が架かっていた)

西国街道は幕末の政変で失脚した七卿落ちのルートでもあります。
石の橋の真ん中には、丸い孔が開けられていますが、
この孔には七卿落ちの言い伝えが残されています。

~文久3年(1863)三条実美ら7人の公卿が朝廷を追われ、京都から長州へ逃れた。
途中、石橋村を通り、この石の橋を渡った。
三条実美が石の橋で馬を止め祈ると石の真ん中に蹄の跡が付いた~


「石の橋」石橋のいわれ石
「石の橋」石橋のいわれ石

伊居太神社の参道⑰能勢街道・石橋商店街~鉢塚(池田市)

伊居太神社の参道⑰能勢街道・石橋商店街~鉢塚(池田市)に関する記事です。

能勢街道を石橋駅から鉢塚まで歩いた時の記録です。

石橋マイマップ

石橋駅マイマップ

石橋駅西口を出たら屋根の架かる石橋商店街でそこが能勢街道です。
石橋商店街を北へ行き箕面川に架かる赤い橋を渡って商店街を抜けます。

石橋商店街北アーチ
石橋商店街北アーチ(能勢街道)

井口堂交差点を渡り阪急バス石橋営業所の中を街道は北へ進みます。
早朝の静まりかえったバスの車庫風景・バスを誘導する笛の音に
幼少の頃、一人で旅行をした時の記憶と風景が呼び起こされます。

10分も歩くと前方北に小山のような井口堂双子塚古墳が見えてきます。
6世紀前半の前方後円墳で墳頂には稲荷社があり石室が開口しています。

大住宅街にこの程度の古墳をそのまま残してきた石橋がますます好きになりました。

双子塚古墳の入口
井口堂双子塚古墳

古墳の場所は井口堂と言いますが、
「井口」は用水の取り入れ口で、「堂」は堰や水門を意味します。
石橋商店街や民家にも用水路が整備されていて綺麗な水が流れています。

能勢街道と有馬道が重なる三つ辻へ出ると井口堂道標が置かれいます。
有馬道を東へ行けば箕面川を渡って西国街道に合流して瀬川宿があります。

井口堂道標
井口堂道標(左:瀬川、右:石橋駅)

有馬道を少し西へ行くとニシンジョ地蔵があり、
刻まれた文字が風化した有馬道道標が置かれています。

左が有馬街道で宝塚を経て有馬へ通じますが、
今回は池田の町へ通じる右の能勢街道を進みます。

ニシンジョ地蔵
ニシンジョ地蔵

水口公園は中を歩く予定はありませんでしたが、
菖蒲が満開らしいので急遽立ち寄ることに変更しました。

中国・蘇州市から贈られたという斉芳亭と花菖蒲がマッチしていて、
後の行程を忘れて撮影に興じました。

水口公園斉芳亭
水口公園斉芳亭

水口公園は高台にあるため周辺の山々が良く見えました。
能勢街道は眼前北の五月山の西麓(左)を猪名川に沿って遡る道です。

五月山
五月山

西には六甲が見えましたが、先ほど別れた有馬道は六甲を登る道です。

六甲(有馬道)
六甲山

水口公園の北西側には釈迦院の参道入口があり奥に竜宮門が見えます。

奈良時代の神亀元年(724)、行基が鉢塚を巡業した時に、鉢塚から鉄鉢を掘出し、
聖武天皇の勅命で大伽藍を建立し、鉢多羅山若王寺と号したのが釈迦院の始まりです。

釈迦院の竜宮門
釈迦院

一乗院は若王寺の塔頭の一つで、若王寺と同じ行基菩薩の開基です。

石田三成の遺児千代丸が遺臣や乳母に軍旗に包まれてこの里に落ち延びたとされ、
一乗院の境内には「石田三成軍旗塚碑」があります。

一乗院の山門
一乗院

五社神社は行基が建立したとされる若王寺の鎮守で、
鉢塚古墳の守護神です。

五社神社の鳥居
五社神社

鉢塚古墳は五社神社の境内裏にある径45mの円墳で、6世紀末に築かれました。

石舞台古墳にも匹敵する、大型石室に入ることができ、
玄室には鎌倉時代の石造十三重塔が置かれています。

鉢塚古墳羨道
鉢塚古墳



記事検索
カテゴリー
最新コメント
ユニークアクセス
  • 今日:
  • 昨日:
  • 累計:

アクセスカウンター

    ブログ村 史跡・神社仏閣
    神社・仏閣ランキング
    • ライブドアブログ