エナガ先生の講義メモ

野鳥撮影がきっかけで鳥から教えてもらったこと、興味をもって調べたことをメモしていきます。 

@長谷山口坐神社

長谷山口坐神社(奈良県・桜井市・初瀬)

長谷山口坐神社(奈良県・桜井市・初瀬)に関する記事です。

近鉄大阪線の大和朝倉駅から長谷寺駅の間に三輪山、巻向山、初瀬山と3山があります。
その初瀬山は長谷山とも書かれる長谷寺の堂・塔が点在する山です。

延喜式が制定される1年前の延長4年(926)の夏、
長谷山が豪雨で崩壊して土石流が発生し、下流にあった海柘榴市は消え去りました。

長谷山口坐神社は長谷山の怒りを鎮める神社で大和の人たちにとって重要な神社です。

 初瀬山
長谷寺の堂・塔が点在する初瀬山

長谷山口坐神社は近鉄長谷寺駅の北300m、
初瀬川左岸で長谷山を鎮護する神社です。

長谷寺参道として賑わう初瀬街道に入るとすぐに
赤い神河橋が見え、そこが長谷山口坐神社の入口です。
初瀬街道は伊勢街道とも呼ばれ、初瀬、長谷、泊瀬は同じ「はせ、はつせ」の読みです。 

初瀬街道
延々と続く長谷寺参道(初瀬街道)の酒屋

長谷山口坐神社は大和国・城上郡に鎮座する月次新嘗と記される式内大社で、
手力雄明神とも称される神社です。

奈良の山口14社とは、巨勢飛鳥石寸忍坂長谷畝傍耳成、夜支布、伊古麻
大坂當麻、吉野、都祁のことです。

そのうち飛鳥石寸長谷畝傍耳成忍坂が大和六所山口神社と呼ばれ
特に重要な山口神社とされます。 

神河橋
大和川支流の初瀬川に架かる神河橋

祭神:大山祇神、天手力雄神

長谷山口坐神社の祭神は大山祇神でしたが、
後に元伊勢として伊勢信仰の影響を受けて
天岩戸をこじ開けた力持ちの天手力雄神を配祀したものと思われます。

長谷寺縁起やその他の古文書によると、この地方は三神の里、
川は神河、この付近の淵は神河補と書かれています。
 
手力雄明神の標石
手力雄神の標石(長谷山口坐神社遥拝所

長谷山口坐神社の境内・神河橋の東端には
磯城伊豆加志本宮伝承地(しきいづかし)の碑があります。

磯城伊豆加志本宮伝承地は垂任天皇の皇女の倭姫が八年間
天照大神を祀った元伊勢の地です。
随神としてこの地に天手力雄を、北の山に豊秋津姫(栲幡千千姫)を祀ったとされます。

加志は神が降臨される樫の木のことで、厳橿(いつかし)です。

♪天皇、倭姫命を御杖として天照大神にたて奉りたまふ。是を以て倭姫命、
天照大神を磯城の嚴橿の本に鎮め坐せて祠ひまつりたまふ。♪

(垂仁天皇は、倭姫命を御杖代として天照大神に差し上げられた。
それで倭姫命は、天照大神を磯城の神木・樫の木の本にご鎮座させて祀った。)

磯城伊豆加志本宮伝承地
磯城伊豆加志本宮伝承地の石碑

初瀬街道は古代からの道で壬申の乱の際、
大海人皇子(天武天皇)が大友皇子を倒す為に通った道でもあります。

桑名を経由して琵琶湖東部にでて東国の兵力を見方に付けて大部隊になります。
 
水神
水神の石碑

伊勢斎宮が制度として定着したのは、天武天皇の時で
正式記録が残る初代斎宮の名は、天武の娘の大伯皇女です。

壬申の乱の戦勝祈願の神への御礼として、大伯皇女は十二歳のとき斎宮に選ばれ、
宮を出て泊瀬で潔斎、大津皇子の刑死で任を解かれるまで、
十二年間を伊勢の地で神に奉仕しました。

長谷神社4
長谷山口坐神社の拝殿

雄略天皇は、当社から西1kmの黒崎~脇本集落当たりで即位し、
泊瀬朝倉宮を定めたとされます。

葛城の一言主神は、一緒に狩りを楽しんだ雄略天皇を
この長瀬山口まで見送ったと『古事記』には記載されます。
 
長谷神社5
長谷山口坐神社の本殿

境内では沢山のハグロトンボが産卵のために乱舞し幻想的な雰囲気でした。

はぐろとんぼ
境内で乱舞するハグロトンボ

<関連記事>
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長谷山口坐神社の参道⑨乘田神社(桜井市・白河) ひきた
長谷山口坐神社の参道⑬十二柱神社(桜井市・出雲) 
長谷山口坐神社の参道⑭黒崎白山神社(桜井市・黒崎) 
長谷山口坐神社の参道⑮脇本春日神社(桜井市・脇本) 






長谷山口坐神社の参道⑨乘田神社(桜井市・白河)

長谷山口坐神社の参道⑨乘田神社(桜井市・白河) に関する記事です。

乘田神社(ひきた)は近鉄大阪線・長谷寺駅の北西2km
巻向山南東麓中腹に鎮座する神社です。

長谷寺参道の西1km、初瀬小学校を回り込んで
初瀬川(大和川)支流の白河川を遡ります。

白川郷
白河川を遡る(写真は南方向・初瀬と出雲の境界付近を望む)

乘田神社への道標はありませんが
向日葵畑から細い棚田の農道に入ります。

白河は棚田の上にある30軒余りの集落で
雄略天皇の時代からの奥深い歴史があります。

ひまわり畑
向日葵畑から棚田の農道を登る

乘田神社から向日葵畑のあった白河川の谷方面を見下ろした写真です。
美しい緑の棚田が幾重にも続いていました。

谷底の低い山が長谷寺の堂・塔が点在する長谷山でしょう。

白河
乘田神社前から白河川の谷を望む

乘田神社は大和国・城上郡・鍬靫・小社と記される曳田神社の論社です。

祭神:大己貴命、高おかみ神、豊受比売命

乘田(ひきた)は曳田、引田、疋田とも表記し、白河の地名のことです。

大己貴命は大国主命であり、大物主神と同一視される神で、
三輪氏の祖で三輪君氏の同族に、引田君氏がいます。 

乘田神社1
乘田神社の鳥居

古事記に乘田(ひきた)に纏わる引田部赤猪子という女性の話があります。

引田部赤猪子が美しい少女だった時
三輪川に行幸した雄略天皇に見染められ、
嫁がずにいれば宮中に迎えるといわれる。

そのまま80年が過ぎ,参内して天皇に事情をのべると,
天皇は老いた赤猪子を見て驚き、
結婚はできないが、替わりに歌を贈ったという。

乘田神社2
乘田神社の拝殿

♪御諸の 厳白檮が下
白檮が下忌々しきかも
白檮原童女  ♪     (雄略天皇)


~三輪山の神聖な樫の木のように、あなたは近寄りがたく神聖に思える。
だからとてもあなたと結婚なんて畏れ多くて、できない~

御諸に 築くや玉垣つき余し
誰にかも依らむ 神の宮人  
 (赤猪子)

~三輪山の神の社の玉垣。
長年にわたって神にお仕えしてきた巫女のような
私が、いまさら誰を他に頼れましょう。
貴方のほかには頼れないのです~ 

乘田神社3
乘田神社の本殿

♪引田の 若栗栖原 若くへに
率寝てましもの 老いにけるかも ♪  
(雄略天皇)

~引田の若々しい栗林で、若い時、
あなたと共寝しておけばよかったのに。
私は老いてしまったなあ  ~

日下江の 入江の蓮 花蓮
身の盛り人 羨しきろかも♪     (赤猪子)

~日下江の入江の蓮の花のような、
若く盛んな皇后さまが、うらやましいです ~

段々畑と栗
雄略が共寝したいと歌った栗の木が沢山あった




長谷山口坐神社の参道①與喜天満神社(桜井市・初瀬)

長谷山口坐神社の参道①與喜天満神社(桜井市・初瀬)に関する記事です。

與喜天満神社(よき)は近鉄長谷寺駅の北1km
長谷寺の参道を真っ直ぐ北東へ進んだ位置に赤い天神橋と
一の鳥居が見え與喜天満神社への長い階段が始まります。

天神橋
天神橋(與喜天満神社は天神橋を渡る)

天神橋の遥か彼方に見える山は原始林に覆われた與喜山(標高455m)で
「与喜山暖房林」と呼ばれます。

その與喜山の南麓に日本最古天神とも自称する
與喜天満神社が鎮座しています。

與喜天満神社の鳥居
與喜天満神社の鳥居


京都から太宰府までの菅公聖蹟二十五拝の第6番に選ばれています。

祭神:菅原道真

與喜天満神社の祭神は学問の神様として知られる菅原道真です。

道真の先祖にあたる野見宿禰は、初瀬~出雲の出身で、
道真公にとって初瀬は遠祖からの故郷となります。

與喜天満神社の手水舎
與喜天満神社の手水舎と木造天神像の垂れ幕


寛平2年(890年)の頃、與喜山で仕事をしていた樵夫の小屋に、
何者かが「これを祀れ」と木像を投げこみました。

樵夫はその頃、長谷寺に道真が参詣に来ていたので、
木像は道真公の御作と思い、大切に祀ったと伝わります。

その像が與喜天満神社に現存する木造天神像として伝えられます。

與喜天満神社の拝殿
與喜天満神社の拝殿

興喜山は、古代は大泊瀬山と呼ばれ、
大和の国に最初に太陽が昇る聖なる山です。

その興喜山西麓を流れる初瀬川上流は
元伊勢の伝承が色濃く残る古くからの天照大神の信仰の地です。

與喜天満神社の本殿
與喜天満神社の本殿1

初瀬川上流の元伊勢の伝承とは2つあります。

伝承の一つは山辺の「桧原神社」と同じ笠縫邑の伝承地で、
第10代崇神天皇の皇女の豊鍬入姫が、天照大神を祀ったとされます。

もう一つは「泊瀬斎宮」の地の伝承で、
第40代天武天皇の大来皇女が初瀬川支流の化粧川で禊され、
14歳の時に泊瀬斎宮から伊勢神宮へ移られました。

與喜天満神社の本殿2
與喜天満神社の本殿2

天照大神が初めて降臨したと伝えられる磐座・鵝形石(がぎょういし) です。
鵝形とはアヒルに似た石のことです。

天照大神が初めて降臨とは言い過ぎとも思いましたが、
興喜山は大泊瀬山で元伊勢の地でした。

元伊勢の地ということで、この岩座も俄かに信憑性を帯びてきました。

 鵝形石(がぎょういし) 
天照大神が初めて降臨した鵝形石(がぎょういし) 





長谷山口坐神社の参道⑬十二柱神社(桜井市・出雲)

長谷山口坐神社の参道⑬十二柱神社(桜井市・出雲) に関する記事です。

十二柱神社は近鉄大阪線・長谷寺駅の西1.5km
大和川支流の初瀬川右岸、泊瀬道沿いに鎮座します。

ちなみに泊瀬道とは近鉄朝倉駅~長谷寺駅までの6km程の短い道ですが、
雄略天皇、武烈天皇、野見宿禰などの話題が多い楽しい道です。

十二柱神社1
十二柱神社の鳥居

祭神:神世七代、地神五代

十二柱とは神武天皇の先祖の十二神を祀ることからつけられた名前です。 

神世七代とは天地を開闢した神々で国常立神、...、伊邪那岐、伊邪那美

地神五代とは神世七代に続き、神武天皇以前に日本を治めたとされる五柱で、
天照大神、天忍穂耳尊、彦火火出見尊、瓊瓊杵尊、鵜茅葺不合尊のことです。

十二柱神社2
十二柱神社の社殿

十二柱神社の鎮座地は武烈天皇の泊瀬・列城宮伝承地(はつせ・なみき)で、
境内には、武烈天皇の泊瀬列城宮址の石碑も立っています。

武烈天皇は仁賢天皇の子ですが、皇太子ができず
次期天皇は血縁の無い継体天皇となったことで知られる残虐な天皇です。

武烈天皇社と泊瀬列城宮址碑
武烈天皇社と泊瀬列城宮址碑

仁賢天皇が崩御した時、
国は乱れ大臣の平群真鳥が国政をほしいままにしていました。

武烈は、物部麁鹿火の娘・影媛との婚約を望みますが、
影媛は既に真鳥の子である平群鮪(しび)と通じていました。

武烈は海柘榴市の歌垣で鮪との歌合戦で二人の関係を知り、
大伴金村に鮪、真鳥を討伐させ、平群本宗家の一部は滅びました。

武烈はその同年に泊瀬列城宮に都を定め、大伴金村を大連として即位します。

武烈天皇社
武烈天皇社

十二柱神社の鎮座地は桜井市の出雲です。

日本の相撲のはじまりである當麻蹴速と相撲して勝った野見宿禰
島根ではなく、この桜井の出雲に住んでいたとの伝承があります。

当麻蹴速は大和・葛城の當麻に住む蹴りの得意な力士で
垂仁天皇が互角に戦える力士・野見宿禰を探し出したのが出雲とされます。

十二柱神社3
十二柱神社の本殿

十二柱神社の鳥居前の狛犬は土台の下の四人の力士に支えられています。

出雲が野見宿禰に由来する「大和・出雲人形」の生産地だったことから、
狛犬を支える力士が誕生したと考えられます。

桜井・出雲の集落は、當麻蹶速と相撲の試合をして
勝利した野見宿禰が埴輪造りの土師氏だったことから
「大和・出雲人形」が始まったともされます。

狛犬と力士
四人の力士が支える狛犬

十二柱神社の鳥居の右手には高さ3m弱の大きな五輪塔があります。

この五輪塔は鎌倉時代に造られたもので、
もともとは近くの野見宿禰塚に鎮座していたものです。

明治時代に土地が整備され塚が消滅する時に、
十二柱神社の境内に移されました。

同じ奈良の葛城市・當麻にも當麻蹶速塚の五輪塔がありました。

「桜井の出雲の野見宿禰vs 葛城の當麻の當麻蹶速」

私もこの地を歩いて野見宿禰は桜井の出雲の出身と考えを変更しました。

相撲塚
野見宿禰塚の五輪塔(左)と當麻蹶速塚の五輪塔(右)

 



長谷山口坐神社の参道⑭黒崎白山神社(桜井市・黒崎)

長谷山口坐神社の参道⑭黒崎白山神社(桜井市・黒崎) に関する記事です。

白山神社は近鉄大阪線・大和朝倉駅の北東1.5km
大和川支流の初瀬川右岸にあります。 

祭神:白山比咩命、菅原道真 

白山神社1
黒崎白山神社の社頭

黒崎白山神社の地は幼武大王(わかたける:雄略天皇)の宮、
泊瀬朝倉宮の伝承地です。

万葉集の第一番目に載る歌がその雄略天皇の歌のため、
黒崎白山神社の境内には万葉集発祥の記念碑と、
雄略の万葉歌碑があります。

白山神社2
万葉集発祥の記念碑

万葉集は7世紀~8世紀にかけて編纂された最古の歌集で、
全20巻の巻頭を飾るのは,雄略天皇の歌です。

♪籠もよ み籠持ち  堀串もよ み堀串持ち
 この丘に 菜摘ます子 家聞かな 名告らさね
 そらみつ 大和の国は  おしなべて 我こそ居れ
 しきなべて 我こそいませ 我こそは 告らめ 家をも名をも♪
                     
                      雄略天皇

~美しい籠を持ち 美しい箆(へら)を持ち 
この丘で 菜を採む娘よ どこの家の娘か 教えてくれ。 
大和の国は すべて私が統率している 
はっきり言おう、わが家柄もわが名も~

雄略が娘に互いに名前を告げ合おうと呼びかけた歌ですが、
このことは古代では求婚を意味しています。

雄略の歌
雄略天皇の歌碑

雄略天皇は皇位に付くまでに政敵の一掃を行い、多くの血を流しました。

記紀では残酷な王としての面も多く記載されますが、
分散していた秦氏を統率して養蚕業を推奨させたり、
宋から漢織・呉織の織物技術者を招くなど、国力向上にも尽力しています。

白山神社3
黒崎白山神社の拝殿

雄略の業績で忘れてならないのが、伊勢神宮の外宮の創建です。
丹波から豊受大神を迎えて、
天照大神の食事をつかさどる御饌都神(みけつ)としました。
 
白山神社4
黒崎白山神社の本殿

黒崎の街道沿いの民家の玄関には杓文字が沢山並べてありました。
杓文字には八十八歳の年齢と氏名が墨書しあります。 

米寿を迎えた人は 杓文字を近所に配ります。 
受け取った家はそれを飾り、長寿にあやかるのだそうです。  

米寿の杓文字
近所の人が米寿の祝い配った杓文字を飾る




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