エナガ先生の講義メモ

野鳥撮影がきっかけで鳥から教えてもらったこと、興味をもって調べたことをメモしていきます。 

大和国(磯城・葛城・香芝)

鏡作神社・鏡作坐天照御魂神社(奈良県・磯城郡・田原本町・八尾)

鏡作神社・鏡作坐天照御魂神社(奈良県・磯城郡・田原本町・八尾)に関する記事です。

鏡作坐天照御魂神社は、近鉄橿原線の田原本駅の北1km、
鏡作麻気神社とは寺川を挟んで西側に鎮座します。

鏡作坐天照御魂神社は大和国・城下郡鎮座・月次新嘗と記される
鏡作坐天照御魂神社に比定される式内大社です。 


鏡作坐天照御魂神社1
鏡作神社の鳥居

このあたり一帯は、古代に銅鏡の製作を専業としていた鏡作部たちの本拠地でした。


田原本町付近には、
鏡作伊多神社(宮古・保津)、
鏡作麻気神社(小阪)、鏡作坐若宮神社(八尾)
など色々な鏡作神社があります。


伊多は「鋳た」、麻気は「磨け」と鏡の製作を効率良く分担していたことが伺われます。


そして当社の北500mには唐古遺跡があり、青銅器の鋳造遺物も多く出土し、
古代鏡作部との関係も注目されています。


鏡作坐天照御魂神社3
鏡作神社の拝殿1


鏡作坐天照御魂神社4
鏡作神社の拝殿2

当社は鏡作神社と呼ばれ、三種の神器の一つである八咫鏡を製作した、
石凝姥(いしこりどめ)を始めとする、鏡作三所大名神をお祀りしています。

主祭神の石凝姥は五伴緒の一神として瓊瓊杵尊に随伴して天降りしました。
五伴緒とは天児屋命天太玉命天鈿女命玉祖命石凝姥命のことです。 


石凝姥は石の鋳型を用いて鏡を鋳造する老女と言う意味で、
鋳物の神・金属加工の神として信仰され、鞴神社の祭神でもありました。、


中央:天照・国照彦・火明命(あまてる・くにてるひこ・ほあかり)
右: 石凝姥 (いしこりどめ)
左: 天糠戸(あめのぬかと)

鏡作坐天照御魂神社5

鏡作神社の本殿1

鏡作坐天照御魂神社の起源は、
ご神宝の銅鏡を天照国照彦火明命と称えて祀ったものです。

天照国照彦火明命は天照御魂神とも呼ばれる太陽の神様です。
関西には坐天照御魂神社は四社あり、鏡作神社もその一社でした。

木嶋坐天照御魂神社(京都府・太秦)
他田坐天照御魂神社(奈良県・桜井市)
鏡作坐天照御魂神社(奈良県・磯城郡)
新屋坐天照御魂神社(大阪府・茨木市)

鏡作坐天照御魂神社6
鏡作神社の本殿2(天糠戸・天照国照彦火明命・石凝姥)

第10代崇神天皇の頃、天照大神の伊勢遷宮に伴い、
三種の神器である八咫鏡も笠縫邑~伊勢神宮で祀ることになります。

そのために宮中で祀る神鏡が無くなり、八咫鏡を作った石凝姥の子孫の鏡作師が、
日像鏡を改鋳して、別の鏡を製作することになりました。
このときの試作品の鏡がこの鏡作神社の神宝ということです。

神宝の鏡は欠けたのでは無く、
試作で銅が十分に充填しないものを自分たちの宝にしたのでは?と思っています。
天照大神や天皇の鏡だから恐れ多くて完全な複製は鋳造できなかったのでしょう。

注ー1)
日像鏡(ひがた)

日像鏡は日矛鏡(ひぼこ)とともに、石凝姥命が八咫鏡に先立って造った鏡とされ、
現在は日前神宮・國懸神宮(和歌山市)の御神体。


鏡作坐天照御魂神社11
神宝の銅鏡

境内には天八百日命を祭神とする摂社の鏡作坐若宮神社があります。


鏡作坐若宮神社2
摂社の鏡作坐若宮神社

<関連記事>
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鏡作神社の参道③鏡作伊多神社(磯城郡・田原本町・保津)
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鏡作神社の参道⑧笹鉾山古墳(磯城郡・田原本町・八尾)
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鏡作神社の参道⑩多神社(奈良県・磯城郡・田原本町)
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鏡作神社の参道⑮池坐神社・朝霧黄幡比売神社(磯城郡・田原本町・法貴寺)
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鏡作神社の参道⑱千代春日神社(城郡・田原本町・四条)
鏡作神社の参道⑲岐多志太神社(磯城郡・田原本町・伊与戸)



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鏡作神社の参道①鏡作麻気神社(磯城郡・田原本町・小阪)

鏡作神社の参道①鏡作麻気神社(磯城郡・田原本町・小阪)に関する記事です。

鏡作麻気神社は、(ががみつくり・まけ)は近鉄田原本駅の北東1.4km、

寺川を挟んで、鏡作天照御魂神社の東に鎮座します。

鏡作麻気神社は大和国・城下郡鎮座の鏡作麻気神社に比定される式内小社です。 


鏡作麻気神社6
寺川

田原本町付近は太古には、銅鏡の製作をしていた鏡作部が暮らしていた地域で、
当社を始め種々の鏡作神社がその歴史を伝えています。

鏡作坐天照御魂神社(八尾)、鏡作坐天照御魂神社(岩見)、鏡作麻気神社(小阪)、
鏡作伊多神社(宮古)、鏡作伊多神社(保津)


鏡作麻気神社1
鏡作麻気神社の社殿

主祭神 天糠戸命 (あめのぬかど)


祭神の天糠戸命は、天照大神を天岩戸から誘い出すために鏡を造った鏡作部の先祖です。



鏡作麻気神社2
鏡作麻気神社の拝殿

銅鏡は通常展示されている神獣などの模様がある面が裏面で、
逆の表面が鏡として使用されてきました。



「麻気」とは、その表面の鏡面を磨くことで、鏡作部たちのなかでも、
とても特殊な技術が必要な作業です。

それもただ綺麗に磨くのではなく、魔鏡となるまで磨き続ける大変な仕事です。


鏡作麻気神社3
拝殿に潜む龍神


魔鏡とはその表面の鏡面に太陽光を当て反射光を壁に投影すると、
神々の世界が映しだされる魔法の鏡です。


日巫女(ひみこ)は、太陽祭祀の場で「卑弥呼の鏡」を用いて、
幻想的な現象を引起し、人心を掌握していきました。


鏡作麻気神社4
鏡作麻気神社の本殿



今年の1月29日京都国立博物館から銅鏡の「魔鏡現象」を解明したとの発表がありました。


「魔鏡現象」は、鏡に光を当てたとき、反射した光が鏡の裏面の文様を映し出す現象です。

この現象が起きるようにするには、厚さが薄いところで1ミリ程度になるまで磨き、
1μという、目では見えないごく僅かなくぼみで裏面の模様を鏡面に転写させます。


ここに光が当たると反射した光が収束し、壁などに投影したとき、
裏の文様が映し出されるというわけです。




魔鏡
京都国立博物館が解明した「魔鏡現象」



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片岡神社(奈良県・北葛城郡・王寺町)

片岡神社(奈良県・北葛城郡・王寺町)に関する記事です。

片岡神社はJR王寺駅の南1.1km
片岡山の東南麓、
片岡王寺の法灯を継ぐ放光寺の元鎮守で、放光寺の東隣に鎮座します。

また南隣には片岡王寺の大伽藍が出土した王寺小学校があります。


王寺航空写真2文字

片岡山と葛城川
片岡神社の旧社地・片岡山と葛下川

片岡神社が鎮座する片岡の地は、万葉集にも登場する場所です。

♪片岡の、この向つ峰に、椎蒔かば、今年の夏の、蔭にならむか♪  万葉集 


また片岡は聖徳太子の伯母とされる片岡姫が住んでいた場所でもあり、
片岡神社の東隣にある岩松寺は片岡姫が最初に建立した寺院でもあります。

その後、片岡姫は片岡中山に営んだ片岡宮を寺に改め、片岡王寺と称し
王寺の地名由来ともなります。

注1)最近は聖徳太子の子女には片岡姫王が居られ、聖徳太子の娘である片岡姫王の創建との説が有力なようです。 


片岡神社の鳥居
片岡神社の鳥居

片岡神社は大和国・葛下郡・月次新嘗と記される片岡坐神社に比定される式内大社です。

祭神:八幡大神、住吉大神、豊受大神、清滝大神、天照大神

大同元年(806年)に片岡神の神戸(租庸調の税を神社に納めていた農民)のことが出てくるので、その頃には片岡神社が存在したされます。『新抄格勅符抄』
貞観元年(859年)の正月には正五位下に昇叙されたと記されます。『三大実録』
正暦5年(994年)疫病や天変地異が続いたため、中臣氏が救済を祈願したとされます。『社伝』

片岡神社の拝殿
片岡神社の拝殿

本社社殿の向かって左に境内社が四社あり、その中の一社に摂社の大原神社があります。
百済王系の大原史氏(ふひと)が片岡姫王を支えて片岡王寺を創建したとの説もあります。

大原史氏は敏達天皇系を主張するようになったともあり、

片岡王寺を創建したのは敏達天皇の後裔の大原門部(大原真人)との説もあります。

片岡神社の境内社
片岡神社の境内社(大原神社他4社)

<関連記事>
片岡神社の参道①孝霊天皇陵(北葛城郡・王寺町) 

片岡神社の参道②放光寺(北葛城郡・王寺町) 
片岡神社の参道③達磨寺(北葛城郡・王寺町) 
片岡神社の参道④
船戸神社(北葛城郡・王寺町・舟戸)
片岡神社の参道⑤
久度神社 (北葛城郡・王寺町・久度)
片岡神社の参道⑥親殿神社(北葛城郡・王寺町・本町)芦田池
片岡神社の参道⑦火幡神社(北葛城郡・王寺町・畠田) 明神山から遷座
片岡神社の参道⑧白山姫神社(北葛城郡・王寺町・畠田)香搭寺
片岡神社の参道⑨永福寺(北葛城郡・王寺町・畠田) 
片岡神社の参道⑩畠田古墳(北葛城郡・王寺町・明神) 
片岡神社の参道⑪明神山水神社(北葛城郡・王寺町・畠田)
片岡神社の参道⑫乳垂地蔵(北葛城郡・王寺町・畠田)
片岡神社の参道⑬送迎の踊り場(北葛城郡・王寺町・畠田)




鏡作神社の参道⑩多神社(奈良県・磯城郡・田原本町)

鏡作神社の参道⑩多神社(奈良県・磯城郡・田原本町)に関する記事です。

通称は多神社ですが、正式名は多坐弥志理都比古神社(おお・みしりつ)です。
多は、太安万侶の太とも書き、古代の豪族の多氏(おおうじ)の本拠地です。


祭神 :第一社 神武天皇(神八井耳命の父)
    第二社 神八井耳
            第三社 神沼河耳(綏靖天皇:神八井耳命の弟)
            第四社 玉依姫命(神八井耳命の祖母)

弥志理都比古(みしりつひこ)とは祭神の神八井耳のことです。
 

多坐弥志理都比古神社の社標(おお・みしりつ)
多坐弥志理都比古神社の社号標

多神社は、近鉄橿原線の「田原本町」駅から南へ徒歩で30分,
飛鳥川の右岸に鎮座する古社です。  

田原本駅から北が鏡作りの氏族、南が日本の農業の開拓者である多氏で、
両氏族に関連する神社が、南北に分かれて幾つも鎮座しています。
 

飛鳥川
多神社前を流れる飛鳥川


多神社は、三輪の檜原神社と同じく、
天照大神を皇居から伊勢に遷座する途中で祭った、笠縫邑の候補地でもあります。

春分・秋分の日には、三輪山から太陽が登り、
二上山に太陽が沈む日祀りの地でもあるそうです。
 

多坐弥志理都比古神社の鳥居(おお・みしりつ)
多神社の鳥居

また多神社は多遺跡と呼ばれる弥生時代の環濠集落跡の中心に鎮座しており、
弥生土器、木器、銅剣などが出土しています。

大和政権が成立する前の弥生時代からここの集落で稲作を行い、
多神社の場所で神に感謝する祀りが行われていたのでしょう。

銅鐸0
弥生時代の収穫の感謝祭

多神社の祭神は神武天皇とその妻そして神武夫妻にできた兄弟の四神です。
兄が神八井耳で、弟の神沼河耳(かむ・ぬなかわ)は第3代綏靖天皇(すいぜい)です。

神八井耳は弟に天皇の座を譲り、これを助けて天神地祇を司ることになりますが、
そのとき創始したのが、この多神社です。

多坐弥志理都比古神社の拝殿(おお・みしりつ)
多神社の拝殿

多氏は名門中の名門として、古事記を編纂した太安万侶を初めとして、
日本の歴史をつくる人を沢山輩出します。


多坐弥志理都比古神社の本殿(おお・みしりつ)
神武天皇夫妻と息子兄弟の四神を祀る多神社の本殿



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多神社の境外社①小杜神社 こもり


小杜神社(こもり)は多神社・多坐弥志理都比古神社の境内摂社です。


祭神:太安万侶


太安万侶(~723年)は古事記を編纂した奈良時代の官人で、
日本文化の発展に貢献した多氏の中でも、最も広く知れ渡った人です。

多氏は安万侶の代で姓を多から太に変わったそうです。


小杜神社1
小杜神社の社殿1


古事記の編纂に当たっては、
稗田阿礼(ひえだのあれい)が覚えていた歴史の内容を喋り、
それを太安万侶が聞いて筆記・編集し、
奈良時代が始まったばかりの712年に完成したとのことです。

ちなみに日本書記の完成は720年ですが、

もっとおおくの人と年月が掛かっています。

小杜神社2
小杜神社の社殿2


1979年に奈良市内の此瀬町の茶畑から太安万侶の墓が発見されました。


それまでは安万侶の存在を疑問視する人もいたそうですが、
太安万侶の名前が刻まれた墓誌と火葬遺骨が出土し、実在が証明されました。

太安万侶が存在しないと言うまえに、
誰が古事記を作ったかを言わなければ歴史学の腐敗しかないのですが・・~


2012年には多神社の元に、奈良市のお墓で見つかった「太安万侶のお骨」が
分骨されて帰ってきたそうです。
そこで、小杜神社境内に古事記編纂1300年の記念碑を建て、
故人を偲ぶことにしたそうです。



太安麻呂の記念碑
太安万侶記念碑


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多神社の境外社②屋就神命神社 やつぎ

屋就神命神社(やつぎ・しんめい)は多神社の南西300mにあり、
飛鳥川をヘだてて鎮座する境外摂社で、
八剣神社と称されるされる式内社です。

飛鳥川の右岸が磯城郡・田原本町、左岸が橿原市・大垣町の為に、
多神社の近くにあるのに、地名が大きく変わっています。


屋就神命神社(やつぎ)1
屋就神命神社の社標


屋就神命神社(やつぎ)2
屋就神命神社の鳥居

その多神社の主祭神の神八井耳には四皇子がいて、
屋就神命神社は四皇子神を祀る神社の一社と言われています。


四皇子神を祀る神社とは以下の3社が多神社の近くにありました。

・皇子神命神社
・姫皇子命神社
・屋就神命神社

屋就神命神社(やつぎ)3
屋就神命神社の社殿
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多神社の境外社③皇子神命神社 みこかみ

皇子神命神社は多神社の南100mにある境外摂社で、
小さな祠しかありませんが、若宮とも称される式内社です。


祭神:皇子神命


皇子神命神社1
皇子神命神社
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多神社の境外社④姫皇子命神社 ひめみこかみ


姫皇子命神社は多神社の境内摂社で東200m多集落と畑との境界に鎮座します。

祭神:姫皇子命


姫皇子神命神社1
姫皇子命神社の社殿(東向き)

多神社の四皇子神の一社です。

祭神の姫皇子とは神八井耳命の娘とも
神武天皇の娘とも、天照大神若魂とも言われています。


姫皇子神命神社2

姫皇子命神社の拝殿


多神社及び他の摂社はすべて南向きなのに、
姫皇子命神社だけは東向きです。


姫皇子命は、太陽神からのご神託を受ける巫女で、
姫皇子神社は太陽神を祭る聖地だったのでしょう。


崇神天皇の頃に、宮中を出た天照大神が
最初に祀られた笠縫邑を姫皇子命神社に比定する説もあるそうです。

これは姫皇子命神社で太陽神を祭っていたことによるそうです。

姫皇子神命神社3
姫皇子命神社の本殿


立派な土壇に鎮座する可愛い末社2社も東向きで、とても気になる神社でした。

姫皇子神社末社2社
姫皇子命神社の末社(東向き)


しかし多神社は弥生時代から続く神社です。
天照大神の伊勢遷宮より遥かに古い時代から太陽祭祀を行っていたと思います。

弥生時代




孝霊神社(磯城郡・田原本町・黒田)

孝霊神社(磯城郡・田原本町・黒田)に関する記事です。

孝霊神社は近鉄・田原本線の黒田駅の南250M、
聖徳太子が斑鳩の里と飛鳥の里を往来した太子道に面して鎮座しています。


孝霊天皇神社
太子道に面した社頭

孝霊神社は庵戸神社(いおと)とも称しますが
ここから北西400Mにある庵戸宮(いおと)が営まれた法楽寺の境内にあった鎮守社です。

明治の神仏分離で、法楽寺境内から現在の黒田池畔に遷座しました。


孝霊神社の社叢
黒田池と孝霊神社の社叢

孝霊天皇は、紀によれば,孝安天皇と天皇の兄娘の押媛との間に生まれ、
孝安天皇を御所市の玉手丘上陵に葬り,黒田に庵戸宮を営みました。

庵戸宮は孝霊天皇が崩御し、第8代孝元天皇により
軽境原宮(牟佐坐神社)に遷都されるまでの間政権の中枢となった場所です。


孝霊天皇神社の鳥居
孝霊神社の鳥居

祭神:孝霊天皇、倭迹迹日百襲姫、吉備津彦、稚武彦

祭神は第七代孝霊天皇とその子女です。

庵戸宮で産まれた吉備津彦は、たくましく成長し
崇神天皇から全国制覇を目指す四道将軍の一人として吉備に派遣されます。

吉備津彦は犬飼部、猿飼部、鳥飼部とよばれる家臣団を率いて
百済から渡来した温羅と称する製鉄に優れた吉備国の武装勢力を退治します。

これが桃太郎伝説として現在に伝わります。


孝霊神社の拝殿
孝霊神社の拝殿

祭神の吉備津彦と倭迹迹日百襲姫は桃とも深く係りを持つ同母兄弟です。
吉備津彦は桃太郎、百襲姫は桃を使った鬼道で桃とも深く係ります。

倭迹迹日百襲姫(やまと・とと・ひももそ)は、
得意の鬼道を用いて崇神天皇の政治を助けました。


孝霊天皇神社本殿
孝霊神社の本殿

百襲姫の墓所は箸墓古墳で卑弥呼の墓として広く知られています。

箸墓古墳の近くの巻向遺跡の中枢部では
百襲姫(卑弥呼)の館と見られる三世紀前半に建造された大型施設が発見されました。

その場所から祭祀に用いたとみられる2千個を超す桃の種が発見されました。


桃の種
百襲姫の館から発見された桃の種

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