エナガ先生の講義メモ

野鳥撮影がきっかけで鳥から教えてもらったこと、興味をもって調べたことをメモしていきます。 

@小幡神社

小幡神社(京都府・亀岡市・曽我部町・穴太)

小幡神社(京都府・亀岡市・曽我部町・穴太) に関する記事です。

小幡神社はJR山陰本線の亀岡駅の西4.2Km、
亀岡運動公園の南、桂川支流の犬飼川左岸に位置します。

亀岡駅から穴太寺(あなおお)循環バスの小幡橋バス停前にありました。

小畑橋
犬飼川と小幡神社の社叢

犬飼川はオオサンショウウオ棲息地で、
この川のほとりには、盲導犬や警察犬のの訓練センターがあるそうです。

曽我氏や犬養部を連想させる地名で興味が湧きますが、
亀岡市内の三宅神社を訪れてからの話とします。

小畑神社の社頭
小幡神社の社頭

小幡神社は丹波国・桑田郡鎮座の式内小社で、第九代開化天皇を主祭神とする神社です。

開化天皇は奈良氏の率川神社あたりに宮も墓もある天皇でした。
宮は春日率川宮、墓は春日率川坂上陵と呼ばれていました。

祭神:開化天皇
配祀:彦坐王、小俣王

小畑神社の鳥居
小幡神社の鳥居

社伝によると、四道将軍の丹波道主命が祖父の開化天皇を祀ったのが当社の起源です。

その後に開化天皇の第三皇子・彦坐王と彦坐王の御子・小俣王を配祀しています。
和銅元年(708)大神狛麿が丹波国主となった時に社殿を造営したともあります。

            <丹波道主の系図>

丹波道主家系

      
小畑神社の拝殿
小幡神社の拝殿


小畑神社の本殿1
小幡神社の本殿1


小畑神社の本殿2
小幡神社の本殿2

境内にはに五柱の神を刻んだ社日塔という
山陰に多い五角形の石柱がありました。

春には五穀の種を供えて豊作を祈願し、
秋には収獲に感謝します。

社日塔の五柱の神>
農業祖神  天照大神 
五穀祖神  倉稲魂命 
五穀守神  大己貴命 
五穀護神  少彦名命 
土御祖神  埴安媛命 

社日塔
五柱の神名を刻んだ社日塔

小幡神社の社宝に亀岡出身の江戸時代中期の絵師である
円山応挙(1733-95)の絵馬があります。

参拝を終え神社周辺を回ってみたら、小幡神社の北隣には
応挙寺とも称する金剛寺があり円山応挙とこの場所との関係が分かりました。

応挙は、1733(享保18)年、穴太村(あのお)の農家の次男として生まれ、
幼少時期は金剛寺で8-15歳まで小僧生活を送ったそうです。

小僧の時に沢山の絵を描いており、小幡神社の絵馬もその一つでした。

金剛寺
円山応挙が小僧生活を送った金剛寺(応挙寺)

円山応挙
金剛寺の門前にある応挙の記念碑

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小幡神社の参道①走田神社(亀岡市・余部町・走田)

小幡神社の参道①走田神社(亀岡市・余部町・走田)に関する記事です。

走田神社(はせだ)はJR山陰本線の亀岡駅の西2.6Km
亀岡駅から穴太寺(あなおお)循環バスの国道穴川バス停から徒歩10分
桂川支流の曽我谷川の左岸に位置します。
 
 稲田の風景
神社の社頭からの稲田の風景

走田神社は広大な稲田の中に残してきた鬱蒼とした鎮守の森に鎮座しています。

長岡京市にも走田神社がありましたが、走田とは走り穂、初穂を作る田、
つまり早稲田のことで、早稲の守護神で、参拝した時が稲刈の真っ最中でした。

稲刈り
家族総出の稲刈り

祭神:彦火火出見命、豊玉姫命、鵜茅葺不合命(うがやふきあえず)

彦火火出見命は山幸彦の名で知られ、
海神の娘の豊玉姫と結婚して鵜茅葺不合をもうけました。

走田神社は丹波国・桑田郡鎮座とされる式内小社で、
奈良時代の和銅四年(711)の創建とされています。
 
走田神社1
走田神社の社頭

神社の外は明るい稲田が広がっているのに、
境内は一面に苔がむす昼なお暗く森閑とした空間でした。

その明暗が印象的で忘れられない神社となりました。 

走田神社2-1
苔むす走田神社の境内

この年中湿った美しい走田神社に相応しい伝承がありました。

♪その昔、奉納された絵馬から夜な夜な馬が草を喰みに抜け出し、
 その蹄の跡に川ができた。
 
 旱天にも涸れず大水にも瀬音を立てない為
「不鳴川」とも呼ばれ近隣の田畑を潤した♪

走田神社3
走田神社の社殿

豊玉姫は葺不合(ふきあえず)を出産した後、御子を残し龍宮に帰ってしまいます。
残された葺不合は豊玉姫の妹である玉依姫に養育されることになりました。

玉依姫は、境内に湧く清水の水で粥を作り乳の変わりとしました。
これによりこの泉は「垂乳味池」と呼ばれるようになりました。

走田神社4
走田神社の本殿

「垂乳味池」には玉依姫を祭神とする弁財天社があります。

垂乳味池から湧き出る水は亀岡市の名水の一つとなり、
乳の出の悪い婦人がこの清水で作った粥を食べると、
乳がたくさん出るようになるそうです。

弁財天社
名水「垂乳味池」に鎮座する弁財天

鵜茅葺不合は育ての親でもある玉依姫と結婚し、
五瀬命、稲飯命、御毛沼命、若御毛沼命の四子をもうけます。
末っ子の若御毛沼(わか・みけぬ)が神日本磐余彦尊(かむ・やまと・いわれひこ)が初代神武天皇となります。
 

参拝が済んだら走田神社周辺で実りの秋の撮影をたっぷりと楽しみました。

イナゴ
稲穂に留まるイナゴ

シラサギ1
イナゴを狙う白鷺

シラサギ3
彼岸花と白鷺




小幡神社の参道⑤桜天満宮(亀岡市・稗田野町・柿花)

小幡神社の参道⑤桜天満宮(亀岡市・稗田野町・柿花)に関する記事です。

桜天満宮は積善寺の境内にある鎮守
JR山陰線の亀岡駅の西6.2Km
京阪バスの柿花西600mにあります。

稗田野の柿花バス停の近くに丹波散策の道と名付けられた桜天満宮への長い参道があります。

桜天満宮社号標
桜天満宮社号標

桜天満宮周辺は湯の花、柿花、桜など花に関係する地名が多い地域ですが
皆昔に命名されたものです。

湯の花で知られる「湯の花温泉」は、
昔傷ついた戦国武将が秘かに刀傷を癒した温泉とも伝えられます。
その古文書に基づいて調査が行われ、再発見されたのが現在の源泉です。
 
桜天満宮石灯籠
桜天満宮の石灯籠

参道の先には積禅寺があり、桜天満宮は積禅寺の境内に鎮座します。
積禅寺は二度の火災で過去の記憶がありません。

積善寺の山門
積禅寺の山門

桜天満宮は建久元年(1190)に積善寺の無極上人によって
独鈷抛山(とこなげさん)の麓にあったものを当地に遷されたと伝わります。

遷座したこの場所では断面が桜花模様の岩石が産出し
道真の慰霊とされ、桜石と呼ばれるようになりました。

祭神:菅原道真


桜天満宮の拝殿
桜天満宮の社殿

桜石は鉱物学上は花崗岩と粘板岩が接触してできた菫青石(きんせいせき)と呼ばれるもので
桜天満のものは国の天然記念物です。

京都御苑の隣にある益富地学会館(石ふしぎ博物館)に
湯の花の桜石があると聞きましたので事前に勉強に行ってきました。

 

桜天満宮の桜石1
湯の花の桜石1(桜の花びらは五枚だが桜石は六枚)

数千万年以上も昔、恐竜が絶滅する中生代の終わり頃、湯の花は地下のマグマが上昇し、
地下水が温められて温泉が湧いたり、
マグマが花崗岩になり、タングステンや錫の鉱床が生じたり、
菫青石(アオイライト)という桜石の元になる鉱石が生じたりしました。

そのアイオライトの結晶が長い時間をかけて分解していき、空いた空間に雲母が入り込み
アイオライトの形だけを残した雲母が桜石だそうです。

雲母だからナイフで簡単に切れるし、
切っても切っても金太郎飴のように花びらが6枚の同じ模様の桜石がでてきます。

桜天満宮の桜石2
湯の花の桜石2




小幡神社の参道⑧出雲神社(亀岡市・本梅町・井手)

小幡神社の参道⑧出雲神社(亀岡市・本梅町・井手)に関する記事です。

出雲神社はJR山陰線の亀岡駅の西10Km
京阪バスの「湯の花温泉バス停」の西南西2km
本梅川の左岸にあります。

本梅川は出雲神社の北13KM園部町船坂の黒田古墳あたりで、
摩気神社方面から流れてきた園部川に注ぎます。
 
本梅川
本梅川から本梅小学校を望む(背後が社叢)

鎮座地の本梅町(ほんめ)は国道南に2km程で、大阪府能勢町の領域となり
後8kmもいけば妙見山の能勢電鉄があります。

本梅町は摂津と山陰を結ぶ重要な地点です。
古代の丹波国は山城・摂津国と出雲国に挟まれた要衝で、
亀岡に丹波国府が置かれたことが良く判ります。

苔川から出雲神社社叢
苔川から出雲神社社叢

出雲神社は丹波国・桑田郡鎮座とされる名神大社の「出雲神社」の論社です。
もう一つの論社は東13KMにある丹波国一宮の出雲大神宮です。

祭神:大己貴命

出雲大神宮は移転の形跡はなく、当社が元社の可能性はないようです。

出雲神社の鳥居
出雲神社の鳥居

2000年程前の弥生時代に本梅の地に住み着いた出雲系部族が、
境内にある巨大岩に神を迎えてたのが祭祀の始まりと考えられます。 

出雲神社の境内には磐座が沢山あり、古代の磐座祭祀の面影が色濃く残ります。
特にこの巨大な岩が重要で社殿が造営されるまでは
磐座に降臨する神に祈願していたのでしょう。

出雲神社の大岩
出雲神社の磐座

亀岡盆地は太古は大きな湖で、風が吹くと美しい丹色の波が立ったことが、
丹波の地名の由来です。

出雲神社の拝殿
出雲神社の拝殿

往古、泥湖であった亀岡盆地の開拓のため出雲大神が8神と黒柄岳で談合しました。
そして一艘の樫の舟に乗り浮田(請田)の保津峡を切り開き、
湖水を山城国方向に流して抜くことに成功して広大な平野が開拓されました。

出雲神社の本殿
出雲神社の本殿



小幡神社の参道⑥河阿神社(亀岡市・稗田野町・柿花)

小幡神社の参道⑥河阿神社(亀岡市・稗田野町・柿花)に関する記事です。

河阿神社(かわくま)はJR山陰線・亀岡駅の西7.1Km
京阪バスの第二亀岡園バス停の東側、
山内川右岸、国道372号線が山内川を渡る地点にあります。

湯の花温泉分岐から山内川に沿って下りましたが、
山内川は稗田野町中央部を貫流して犬飼川に注ぎます。

山内川
山内川と柿花集落

祭神:豊玉姫命、鵜葺草葺不合尊

当神社は、約二千年程前に九州方面から移住してきた南方系の
採鉱治金術を知った部族によって創始されたのではないかとされています。
ご神体が蛇骨であったことや、人身御供の伝説があることからも類推されます。

河阿神社の鳥居
河阿神社の鳥居

<河阿神社の記録>
康平年間(1058~1065)社殿を造営
元中8年(1391)管領細川頼元が篤く崇敬、地頭吉岡正春が管理
天正5年(1577)明智光秀が亀岡城を築城するため当社を壊滅
慶長元年(1596)守護代前田玄以が復興、今日の社殿配置が完成

河阿神社の手水舎
河阿神社の手水鉢

河阿神社一帯は中生代後期のマグマが上昇の影響で、
温泉が湧いたり、タングステンや錫の鉱床が生じたり、
菫青石(アオイライト)という桜石の元になる鉱石が生じた場所です。

今でこそ閉山してしましたが、昭和58年まで盛んに操業していた大谷鉱山があり、
全国的にも有数のタングステン鉱山でした。

そのマグマの恵みを求めて採鉱治金術を知った部族が集まったのでしょう。

河阿神社の拝殿
河阿神社の拝殿

河阿神社の拝殿前には人身御供が入れられた長持(収納箱)が置かれた台石があります。 
毎年麓の家々の中から藁屋根に白羽の矢がささった家の娘が
人身御供として神前に献上されたと伝わります。
 
河阿神社の本殿
河阿神社の本殿

農耕文化の日本にとって、水の神は収穫に影響する大切な神で、
その水の神の使いが龍神で、川の激流そのものが龍神とされました。

洪水や飢饉は水の神の龍神が生贄を求めて引起したもので、
それを鎮めるために人身御供を献上しました。

寝屋川市の太間は茨田堤築造の難所の地で、
茨田蓮衫子(むらじころもこ)が人身御供として人柱になるのを機智をもって逃れた場所です。 

その近くの鞆呂岐神社では淀川の氾濫を防ぐために、処女が龍神である淀川に捧げられました。
それがいつの時代からか、人身御供の替わりに薦巻飯(こもまき)を供進するようになり
現在の秋祭りの神事で継がれています。
 
人身御供の長持ちが置かれた台石
人身御供の長持ちが置かれた台石




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