エナガ先生の講義メモ

野鳥撮影がきっかけで鳥から教えてもらったこと、興味をもって調べたことをメモしていきます。 

@愛宕神社

愛宕神社(京都市・右京区・嵯峨愛宕町)

愛宕神社(京都市・右京区・嵯峨愛宕町 )に関する記事です。

愛宕神社は山城・丹波国境の愛宕山(標高924m)山頂に鎮座し、
火伏せ(防火)の神として古来から信仰されてきた神社です。

愛宕山は山頂の瘤が特徴で私の暮らす大阪からでも、ひと目で識別できる馴染み深い山です。
この瘤は比叡山(848m)と喧嘩して殴られてできたもので、
その分だけ愛宕山のほうが高くなりました。

桂川と愛宕山
桂川から愛宕山(山頂の瘤が特徴)

愛宕山は老人から幼児まで広く親しまれる山ですが、
麓から900mを登る厳しい山でもあります。

歩き過ぎで足を痛めて以来、長時間の登山なんて、
もう一生不可能と思っていた時期もありましたが、
神社参拝で鍛え直し、念願の愛宕山へ登ることができました。



愛宕山登山道
愛宕山登山道

愛宕神社へは阪急電鉄の嵐山駅から京都バスで清滝まで行き、
表参道を往復した片道5km余りの行程でした。

やっと登りついた愛宕山境内は広い平地でしたが、
愛宕神社の社殿はそこから長い石段を登った瘤の上にあります。

愛宕神社青銅鳥居
愛宕神社の青銅鳥居(愛宕山の瘤の上)

愛宕山神門
愛宕神社の神門

京都では西の愛宕山、東の比叡山として信仰されてきた山岳信仰の長かった山で、
本来の火産霊(迦具土)に愛宕権現の地蔵、天狗を始めとする神仏が幾重にも重なっています。

本殿:伊邪那美命 、埴山姫神 、天熊人命、稚産霊神、豊受姫命
若宮:雷神、火産霊、破无神 (はむし)

愛宕山拝殿
愛宕神社の拝殿

主祭神は火の神である火産霊(迦具土)で、火伏せの神として知られています。
火産霊(迦具土)は産まれる時、母の伊邪那美命を焼き殺したので仇子(あだこ)ともいわれ、
愛宕(あたご)となったとされます。

愛宕山は古くは嵯峨山と称していましたが、亀岡市の愛宕神社から火産霊(迦具土)を勧請して
愛宕山と名が替わり全国に広がったものと思われます。

愛宕山本殿
愛宕神社の本殿

愛宕山上の(山城)愛宕神社は亀岡市と京都市の境にあります。
その西には延喜式に丹波国・桑田郡鎮座の阿多古神社と記される(丹波)愛宕神社があります。

丹波愛宕神社の創祀は遠く神代で、
神体山の牛松山の峰を神籬(ひもろぎ)として祭祀していました。

古墳時代後期の507年に初めて社殿が創建されたと伝わる火産霊(迦具土)を祀る古社です。
大宝年間(701‐704)に丹波愛宕神社の分霊が,
京都市北部の大文字山の北の鷹峰に祀られます。
更に天応元年(781)に和気清麻呂が,
嵯峨山(愛宕山)の山上に移して中興したものが現在の山城愛宕神社とされます。


愛宕山航空写真文字1
愛宕山鳥瞰図(亀岡の愛宕神社が元社)

元社の丹波愛宕神社から分霊した火産霊(迦具土)は
山城愛宕神社の本殿の更に奥の若宮で祀られています。
忘れないように注意して下さい。

愛宕山若宮
愛宕神社の若宮(火産霊)

参道はミソサザイやゴジュウカラを始めとする高原の野鳥の囀りで一杯でした。

みそさざい
ミソサザイ

<関連記事>
愛宕神社の参道①表参道1(一の鳥居~渡猿橋)
愛宕神社の参道②表参道2(二の鳥居~25丁目)
愛宕神社の参道③表参道3(25丁目~山上境内)
愛宕神社の参道④愛宕念仏寺(京都市・右京区・嵯峨鳥居本深谷)
愛宕神社の参道⑤化野念仏寺(京都市・右京区・嵯峨鳥居本化野)

愛宕神社の参道⑥空也の滝(京都市・右京区・嵯峨清滝・月の輪町)
愛宕神社の参道⑦月輪寺(京都市・右京区・嵯峨清滝・月の輪町)
愛宕神社の参道⑧清和天皇陵(京都市・右京区・嵯峨水尾清和)
愛宕神社の参道⑨神護寺(京都市・右京区・梅ヶ畑高雄町)



愛宕神社の参道④愛宕念仏寺(京都市・右京区・嵯峨鳥居本深谷)

愛宕神社の参道④愛宕念仏寺(京都市・右京区・嵯峨鳥居本深谷)に関する記事です。

愛宕念仏寺(おたぎ)は嵯峨野の最北、風葬の地だった鳥居本の北外れにあります。
寺の前には清滝へ抜ける清滝トンネル、試峠の入口があり人気の無い寂しい場所にあります。

愛宕寺仁王門
愛宕寺仁王門

奈良時代末、聖武天皇の娘に当たる称徳天皇によって、
東山の六波羅蜜寺近くに愛宕寺として創建されました。
元は塔頭のひとつとして六波羅蜜寺の敷地内にあったお寺ともあります。

愛宕寺の名前は山科国・愛宕郡の地名に由来されるもので、
大宝元年(701)の大宝令により、鴨川と高野川の合流地点から
東山~北山までの地域の広範な地域が愛宕郡となります。


愛宕寺本堂
愛宕寺本堂(鎌倉中期の建立)

その後、平安初期に鴨川の洪水で堂宇が流失し、
千手観音にあやかって名付けられた千観が復興しました。
千観が念仏を唱えていたところから名を愛宕念仏寺と改めます。

愛宕寺の近くにあった六波羅蜜寺は空也が創建したもので、
千観(918-984)は空也(903-972)と同年代の僧侶です。

千観は裕福な家に生まれ若い頃は内供と呼ばれる天皇に奉仕する僧でしたが、
空也の影響を受けて全てを捨て修行をやり直し民衆の奉仕活動に尽力しました。

京都伏見区の與杼神社も千観が応和年間(961-964)に肥前国佐賀郡から勧請したものですが、
千観は淀川の渡し場で馬引きとなり無償で荷役運搬の手伝いをしていたと伝わります。

愛宕寺多宝塔
愛宕寺多宝塔

愛宕寺は大正時代に奥嵯峨の現在地に移築されましたが、
仏像も朽ち果てた荒寺を現在の愛宕念仏寺の姿に復興したのは
大正生まれの西村公朝住職(1915 - 2003)です。

西村は三十三間堂の先手観音の600体を修理したことで知られる仏師であり、
東京芸術大学の名誉教授でもあります。

愛宕寺地蔵堂
愛宕寺地蔵堂(火之要慎のお札の火除地蔵菩薩)

私が愛宕寺へやってきたのは先週愛宕神社へ参拝したとき、
行きのバスの中から見えた羅漢に興味を持ったからです。

羅漢は1200体も境内にあり、昭和の終わり頃に10年かけて素人たちが造ったとの説明でした。
私にとっては愛宕寺の羅漢は西村公朝仏師が指揮をとったオーケストラの
全員で境内に作り出した芸術作品だと思えました。

羅漢1
羅漢1

愛宕寺の元地の六波羅蜜寺は東山清水寺の近くで、
鳥葬に由来する地名の鳥辺野の葬儀場へ通じる入口とされる場所です。

愛宕寺の現在地も化野念仏寺で知られる風葬の場所で、
京都の2大葬儀場で数知れぬ埋葬者を供養したことになります。

埋葬された人たちが羅漢となってこの世に戻り、皆で楽しく語りあっているようです。

羅漢
羅漢2





愛宕神社の参道①表参道その1(一の鳥居~渡猿橋)に関する記事です。

愛宕神社の参道①表参道その1(一の鳥居~渡猿橋)に関する記事です。

鳥居本はかつての愛宕山詣の起点の場所で、
一の鳥居があります。

鳥居本の一の鳥居を起点として山頂まで50丁(5.5km)あり、1丁おきに丁石が置かれ
参拝者が長い参道のどのあたりまで登ったのか知る目安となります。
丁石には板碑型と地蔵型の2種類があります。

愛宕神社一の鳥居
愛宕神社一の鳥居

鳥居本は美しい茅葺き屋根の古民家が建ち並ぶ風情ある静かな町です。
一の鳥居の側には江戸時代から続く老舗鮎茶屋「平野屋」と「つたや」があります。

保津川の鮎は昔から最高級とされ、
この2軒の鮎問屋から獲れたての鮎が御所まで運ばれました。

茅葺き屋根
茅葺き屋根が点在する町並み

平野屋の店の前には、愛宕山参詣の安全を祈願する「上り亀石」と呼ばれる磐座があります。
愛宕山は長い急坂が続くので、亀のようにゆっくり着実に登りなさいという意味があるそうです。

山上には「下り亀石」がありましたが愛宕山のように長い登山路では
下山時に足を痛めることも多いので要注意です。

お亀石
上り亀石

愛宕神社は明治までは愛宕権現を祀る白雲寺という寺でした。
愛宕権現の本地仏(化身)とされる勝軍地蔵(将軍)は鎧甲姿で乗馬する地蔵で、
普通の地蔵のイメージとは相当かけ離れています。

勝軍地蔵の本尊は明治の神仏分離で、愛宕山から大原野の金蔵寺に移されましたが
その絵図(掛け軸)は鳥居本の人々によって守られてきたそうです。

将軍地蔵
将軍地蔵(勝軍)

鳥居本は古くは化野(あだしの)と呼ばれ、鳥辺野と並ぶ風葬の地でした。
その鳥居本の北の隅に愛宕寺(おたぎ)があります。

愛宕寺(おたぎ)では1200体の表情豊かな羅漢石像が建ち並んでいましたが、
化野に葬られた人たちがお盆に蘇り楽しく語らっているように見えました。

羅漢1
愛宕寺羅漢

愛宕寺の北側には嵯峨野を抜けて愛宕山麓の清滝へ通じる清滝トンネルと試峠があります。

トンネルができるまでは愛宕山へ登るのに、まずこの峠を越えてからでないと始まらないため、
愛宕山登山の試みの峠道、それで試峠と名付けられたそうです。

試峠と清滝トンネル
試峠越え野道と清滝トンネル入口

試峠の頂点に自分の姿が写る真下を向いているカーブミラーがあります。
勾配がきついのでこうしないと対向車が見えないそうです。

試峠
試峠の頂点

古典落語「愛宕山」は、愛宕山など簡単に登れると大口をたたいた男が、
お尻を押してもらってようやく試峠を登り、
まだ愛宕山には登ってすらいないことに仰天する話から始まっています。

試峠の終わり
試峠の終わり(トンネルから愛宕山)

清滝側から見た清滝トンネルと試峠越えの道です。
ここには清滝バス停があり、ここまでは京都市内の駅からバスでこれます。

清滝トンネルと試峠
試峠越え野道と清滝トンネル入口

清滝バス停から急な坂道を下り、桂川支流の清滝があり、
渡猿橋(とえん)が架かっています。
現在の愛宕山表参道はこのあたりの二の鳥居から始まります。

渡猿橋
渡猿橋

愛宕神社の参道⑥空也の滝(京都市・右京区・嵯峨清滝・月の輪町)

愛宕神社の参道⑥空也の滝(京都市・右京区・嵯峨清滝・月の輪町)に関する記事です。

空也の滝は愛宕山表参道の入口・金鈴橋(きんれい)から清滝川を遡上し、
月輪寺登り口地点で清滝川支流の堂承川を20分程遡った場所にあります。

清滝川は滝の美しい川ですが、愛宕社が、「おたぎしゃ」と読まれる理由のひとつに、
「おたき」、すなわち「御滝」からきているとする説があります。

金鈴橋
金鈴橋(清滝川を遡上)

「空也の滝」は大杉谷の源流近くにある落差10mの滝です。
大杉谷の流れは、堂承川となって、月輪寺登り口地点で清滝川に合流します。

ここから「空也の滝」への道はしっかりと整備された道ですので、
間違っても細い脇道へ入らないで下さい。
迷って滝横の崖から降りて来た人に遭いましたが、そんな危険な道はありません。

月輪寺登り口
月輪寺登り口(空也の滝は堂承川を遡る)

20分ほど堂承川を遡ると行き止まりとなり、
長さ12m、幅1mの京都最大級の滝「空也の滝」があります。

瀑布の轟音と冷凍庫にいるような水渋きに
きて良かったと思わず感嘆の声を上げました。

空也の滝鳥居
空也の滝の鳥居

「空也の滝」は六波羅蜜寺を創設した空也上人(903-972)修行の地で、
平安時代中期、空也がこの滝を霊場として開いたとされます。

空也は、愛宕山の中腹に位置する月輪寺でも修行されたとされ、
愛宕山は空也上人にとってとても大切な場所だったようです。

空也の滝
空也の滝

滝の左には修験道の祖・役小角(えんのおづぬ)が前鬼、後鬼を従えた石像も祀られています。

役小角は白山の開祖といわれる泰澄とともに、大宝年間(701ー704)に、
神廟を建てて愛宕山を開山しました。

役行者像
役小角像

愛宕山は昔は嵯峨山と呼ばれていました。
山上の愛宕神社は嵯峨権現または白雲寺と呼ばれ、
勝軍地蔵を本地仏とする神仏習合の寺でした。

空也の滝1
嵯峨権現不動明王・春日辨財天女碑

不動明王
不動明王

瀑布の轟音にも負けずに大きな声で囀るコマドリが目の前に現れました。
愛宕山・清滝川にとても愛着が沸き、今後も探索したいと思います。

コマドリ
コマドリ(空也の滝の瀑音の負けずに囀る)




愛宕神社の参道②表参道その2(二の鳥居~25丁目)

愛宕神社の参道②表参道その2(二の鳥居~25丁目)に関する記事です。

清滝バス停の北300mに清滝川に架かる金鈴橋(きんれい)があり、
参拝道・散策コースの起点になっています。

清滝川を遡れば月輪寺への裏参道、
清滝川を降下し落合で保津川に流入するまでが金鈴峡のハイキング道、
清滝川と離れ二の鳥居を潜ると愛宕山表参道です。

金鈴橋
新緑の金鈴橋

清滝川
桂川支流清滝川(金鈴橋より)

実は愛宕神社は40年ほど前、会社の行事の一環として火伏せ祈願に何度か上った山です。

その後、野鳥撮影を始め重い機材を持って歩き回り、足を酷使して壊してしまいました。
長時間の登山なんて、もう一生不可能と思っていた時期もありましたが、
神社参拝で鍛え直し足も復活してきており、それ以来の挑戦で緊張感が走ります。

愛宕山清滝口鳥居
愛宕山清滝口鳥居

登り始めは眺望はなく、きつい勾配の道がしばらく続きます。

調子は良いですが、無理をせず足をケアーして
一の鳥居の亀石に言われた通りゆっくりと確実に休憩しながら上りました。

15丁目杉林
最初の登り道

最初の急勾配の階段を登る途中で、山の間から湧く新鮮な「お助け水」がありますが、
まだ寒いくらいの春の朝で喉は渇いておりません。

でも山の水が堂々と飲めるなんて見ただけでも清々しい気分です。

岩清水の「お助け水」15丁目
岩清水の「お助け水」

17丁目には火燧権現跡があり「燧の社」の石碑があります。
燧(すい)、火燧(ひうち)とは火打ち石のことです。

「清滝社火燧権現」と呼ばれた小さな朱塗りの社で、
山上の愛宕神社と同様に火産霊を祀っていました。
京に火事が起これば、社が鳴動することから名付けられたそうです。

火燧権現石碑
火燧権現跡(燧の社石碑)

「燧の社」の石碑の右には落雷で焼け焦げた大杉があります。

祠や杉の洞の中には「太郎坊権現」「神スサノオ尊」「天照皇大神」・・などの
真新しい石柱がありました。

雷が落ちたので火産霊が宿ったと考えられ祭られているそうです。


火燧権現跡2
火燧権現跡の焦げた杉

一の鳥居からの丁度中間点に「二十五丁目 なかや」の標石と休憩所があります。
古典落語「愛宕山」にも登場する茶屋(なかや)の跡です。

愛宕名物の「志んこ」は参拝者に親しまれてきた、
九十九折(つづらおり)の坂道を模した団子です。

♪愛宕山坂 ええ坂 二十五丁目の茶屋の嬶(かか) 婆旦那さんちと休みなんし
しんしんしん粉でもたんと食べ 食べりゃ うんと坂 ヤンレ坂♪


これは実際に愛宕山参道の「なかや茶店の女」が、客の呼び込みに歌っていたものです。

25丁目なかや茶屋跡碑
25丁目 なかや茶屋跡碑

参拝者は志んこを食べて元気を取り戻し登山を続けました。

志んこの名前は、うるち米を製粉した「上新粉」に由来するとのことで、
愛宕山参拝の志を表現したものでしょう。

とにかく美味しそうで妻と近いうちに食べに行きたいものです。
昔の愛宕山の楽しい参拝の様子が目に見えるようです。

志んこ
平野屋の志んこ(ねじれが愛宕山の登山道)

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