エナガ先生の講義メモ

野鳥撮影がきっかけで鳥から教えてもらったこと、興味をもって調べたことをメモしていきます。 

@水尾神社

水尾神社(滋賀県・高島市・拝戸)

水尾神社(滋賀県・高島市・拝戸)に関する記事です。

水尾神社(みお)はJR湖西線・近江高島駅の北西2.5KM
リトル比良とも呼ばれている標高565mの岳山(三尾山)の北麓にあります。

高島マイマップ

高島マイマップ

高島は継体天皇の出生地で、周辺には関連する史跡が多く残されています。

安曇川地形図
水尾神社と継体天皇関連史跡


高島郡の一体は継体天皇の祖先である水尾氏の拠点で、古代文明が栄えた場所です。
水尾神社は水尾氏繁栄の基盤を築いた祖人を祀る社で、
背後の岳山には、磐衝別命が永眠していると伝承されています。

三尾山
岳山と水尾神社の社叢

三尾神社鳥居1
水尾神社入口鳥居

水尾神社は近江国・高島郡・月次新嘗二座と記される名神大社です。
祭神:磐衝別命、比咩神

磐衝別命 (いわつくわけ)は垂仁天皇の皇子で三尾氏の祖人です。
比咩神は継体天皇の母の振媛(ふりひめ)のことで
振媛は磐衝別命の六世孫とされ二神は三尾氏の家系と繋がります。

三尾庭園から境内
水尾庭園から境内全景

三尾神社拝殿
水尾神社拝殿

磐衝別命が、鎮座地の高島郡・三尾郷に来て、
猿田彦命を三尾大明神として祭り、神戸を寄進されました。
鎮座地の拝戸は猿田彦命を拝んだことに因みます。

磐衝別命は当地で亡くなったため、その子・磐城別王は磐衝別命を三尾山に埋葬し、
磐衝別命を祀る社として創建したのが水尾神社・河南社です。

三尾神社本殿
水尾神社拝殿から本殿

振媛は越前三国の坂中井で暮らしていましたが、
近江国高島郡の三尾之別業(別荘)の彦主人王へ嫁ぎました。
振媛は三尾之別業で男大迹王(継体天皇)を生み、
彦主人王が早世したため越前に帰郷して、男大迹王を養育しました。

継体天皇にとっては近江国高島郡は生まれた場所で、
越前三国の坂中井は育った場所となります。

三尾神社本殿3
水尾神社の本殿

水尾神社は岳山から萩の浜へ注ぐ和田打川(水尾川)の右岸300mにありますが、
嘗ての水尾神社には水尾川を挟んで河南社と河北社の二社殿がありました。

河南社の祭神は磐衝別命、河北社の祭神は振姫でしたが、
河北社は、昭和45年の台風で倒壊し,現在は河南社(現水尾神社)の本殿に祀られています。

和田打川(三尾川)
和田打川(水尾川)左に河南社、右に河北社

河北社の旧社地の名残は残っていませんが、
現在の水尾神社の北側,県道296号を挟んだ場所に
河北社の社号標が保存されています。

北本殿の社号標
河北社の社号標

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水尾神社の参道①大炊神社(高島市・音羽)

水尾神社の参道①大炊神社(高島市・音羽)に関する記事です。

高島マイマップ

高島マイマップ

師走の早朝、まだ暗い間に家を出ましたが、
がら空きの湖西線は東側の車窓からは琵琶湖からの日の出、
西側からの車窓からは雪化粧をした朝焼けの比良山が望め感動の光景を味わえました。

湖西線1
琵琶湖の日の出

比良山系は比叡山の北にあり、一体では天狗、猿、猿田彦などが信仰されています。

高島の湖畔には猿田彦命を祭神とする白鬚神社の総本社があり、
今日参拝予定の水尾神社の別称でもある三尾大明神は猿田彦命のことです。

湖西線2
朝焼けの比良山

高島市には、高島町と安曇川町があり、
近江国高島郡三尾郷は継体天皇が生まれた場所です。
高島駅周辺の史跡を見てから大炊神社→水尾神社→長田神社と
水尾神社の関係する神社を回る予定です。

近江高島駅近くの勝野も三尾の一部で、湊に万葉歌碑がありました。

♪大御船 泊ててさもらふ 高島の 三尾の勝野の 渚し思ほゆ ♪  万葉歌
ー天皇の御船が泊まって、風待ちしている高島の、三尾の勝野の渚が思い出されるー

三尾の勝野の津
三尾の勝野津

大炊神社(おおい)はJR湖西線・近江高島駅の北1km、
長谷寺の薬師堂の隣にあり、大炊神社も長谷寺の一部だったようです。

大炊神社は建久3年(1192)水尾神社の大炊殿の旧址に社殿を創建し、
音羽村の産土神としたのが創始です。

祭神:事代主神

大炊神社の鳥居
大炊神社の鳥居

大炊とは天皇の召し上がる食べ物、それを調理することを意味で、
大炊殿は、主にご飯やお餅などの穀物類からなる神饌、
神様のお供え物を調理していた建物です。

今の祭神は事代主神ですが、大炊をお供えした神とは猿田彦のことでしょう。

大炊神社の拝殿
大炊神社の拝殿

高島はやはり北国で、数人の氏子たちが本殿の雪囲いに大忙しでした。
その風景を見ながら登山者が何人も足早に通り過ぎていきました。

大炊神社は岳山(三尾山)の登山口で、
周辺に、50基から成る「音羽古墳群」があります。
6世紀後半から7世紀初頭にかけての村落形群集墳で、
音羽の地に勢力を持っていた一族の家族墓と推定されています。

大炊神社の本殿
大炊神社の本殿(雪囲いの付設中)

大炊神社と同じ敷地にある長谷寺は白蓮山と号し、
本尊は十一面観世音菩薩です。
淡海公藤原不比等が母堂のため堂宇を建立したと伝えられています。
 
堂はもとは岳山頂上近くにありましたが、
参詣者の便のため現地に遷されたとされています。
山頂近くの旧地には石窟があり、石仏が安置されています。

奈良桜井市の長谷寺には高島郡三尾ヶ崎から流れてきた霊木で
十一面観音を造ったとの縁起が伝わり
高島長谷寺は大和長谷寺の元寺とも思われます。

♪朱鳥元年(686)道明上人は、天武天皇の銅板法華説相図を西の岡に安置、
のち神亀四年(727)徳道上人は、聖武天皇の勅を奉じて、
衆生のために東の岡に近江高島から流れ出でた霊木を使い、
十一面観世音菩薩をお造りになられました。♪
       (大和長谷寺縁起)

長谷寺
長谷寺・薬師堂



水尾神社の参道③大溝城跡(高島市・勝野)

水尾神社の参道③大溝城跡(高島市・勝野)に関する記事です。

大溝城跡はJR近江高島駅の東南約150m,琵琶湖の内湖水域にあります。

高島マイマップ

高島マイマップ

勝野の水域は、古代びわ湖舟運に欠くことのできない天然の良津で、
今も残る漁港の湖際に万葉歌碑がありました。

♪大御船 泊ててさもらふ 高島の 三尾の勝野の渚し思ほゆ ♪  万葉歌
ー天皇の御船が泊まって、風待ちしている高島の、三尾の勝野の渚が思い出されるー

三尾の勝野の津
勝野の渚

近江高島駅東口の道路を東へ進むと分部神社の脇に大溝城道標があります。
道標に従い細い道を進むと広い空き地があり、
その奥に見える小高い森が、大溝城の本丸跡です。

大溝城道標
大溝城道標

天正6年に軍事上この地を重視した織田信長は、
甥の信澄に大溝城を築かせて城主として配しました。

その時に、信澄は高島郡内の商家や寺院などを移して城下町を造りました。

大溝城の本丸跡
大溝城の本丸跡

石段を登ると上は平坦になり天守台跡があり堀の内湖も望めました。
当時の水城の雰囲気が随所に残った素晴らしい城跡でした。

天守台跡
大溝城の天守台跡

大溝城の設計は明智光秀とされ、内湖を巧みに利用した水城であり、
鴻溝城(こうこう)とも呼ばれました。

大溝城は琵琶湖を通じて坂本城、安土城、長浜城とも繋がり
信長の全国制覇への野望も感じられる城跡でした。

大溝城
内湖を利用した水城

信澄の死後、大溝城には京極高次も入城し
浅井三姉妹お初は、京極高次の正室として
この大溝城で新婚生活を送ったとの説明もありました。


天守台跡から望む
天守台跡から内湖天然堀

大溝城主は短期間で移り変わりますが、
江戸時代が始まると、関ヶ原で東軍に鞍替えした分部氏の功績が認められ、
分部光信(わけべ)が伊勢津から大溝城2万石に移封になります。

光信がこの地に大溝陣屋を構えて以降、
分部氏は明治維新まで近江高島で統治を続けました。

分部神社
分部神社

大溝城跡の内湖は乙女ヶ池に続き、現在では釣りや散策を楽しむ公園となっています。
乙女ヶ池の名前は昭和初期に淡水真珠の養殖場となった頃に付けられた名前です。

乙女ヶ池
本丸の南東の乙女ヶ池

内湖は魚や水藻の宝庫で、
早朝にはそれを狙うカンムリカイツブリも入っていました。

カンムリカイツブり2
カンムリカイツブリ(内湖は魚の宝庫)

乙女ヶ池の南、白ひげ浜付近で国道161号線を離れ、旧西近江路に入ると、
草深い山中の墓地に、高さ1.6mもある、苔むしたの鵜川四十八体石仏群が見られます。

室町時代頃に造られた様ですが、
こんなに沢山の石仏がさりげなく置かれているのも当地の魅力です。

鵜川四十八体石仏群
鵜川四十八体石仏群 (西近江路)





水尾神社の参道④白鬚神社(高島市・鵜川)

水尾神社の参道④白鬚神社(高島市・鵜川)に関する記事です。

高島マイマップ

高島マイマップ

白鬚神社はJR湖西線・近江高島駅の南3km、
琵琶湖の対岸東側には雪を被った伊吹山が迫り、
南側には沖島が見える風光明媚な場所にあります。

伊吹山
乙女が池から伊吹山

琵琶湖 沖島
琵琶湖南対岸には沖島

全国の白鬚神社の総本社とされる近江最古の社で、
沖島を背景として琵琶湖畔に鳥居を浮かべることから、「近江の厳島」とも称されます。

大鳥居
白鬚神社の大鳥居

白鬚神社は、比良山系が琵琶湖にもっともせり出した明神崎と呼ばれる岬の突端にあり、
背後の山は比良山の一峰で明神山といい、白鬚神社は比良明神とも呼ばれます。

祭神:猿田彦命

猿田彦命は水尾神社(高島市拝戸)の縁起にも見え、
水尾神社の神奈備山である岳山と当社の背後の明神山は直線距離3.5kmと近く
両社の関係も想像されます。

白鬚神社の拝殿
白鬚神社の拝殿(拝殿は分部光信が造営)

社伝では、垂仁天皇25年に倭姫命によって社殿が建てられたのが創建とされ、
白鳳2年(674)には、天武天皇の勅旨により「比良明神」の号を賜ったともあります。


白鬚神社の拝殿2
白鬚神社の拝殿2

「日本三代実録」では貞観7年(865)に「比良神」が従四位下の神階を賜ったとの記載され、
この「比良神」が白鬚神社とされ公式の記録となります。
「比良神」はもともとは比良山の神で、猿田彦命とされます。

白鬚神社の本殿
白鬚神社の本殿(本殿は豊臣秀頼・片桐且元が造営)

境内社の若宮社の背後には比良連峰の明神山が聳えています。
当社の周囲には、背後の山中に横穴式石室(岩戸社)が残るほか、
明神山山頂まで磐座と古墳群が続きます。

若宮社
若宮社と明神山

本殿奥にある赤鳥居を潜り石段を登ると境内社の前に紫式部の歌碑があります。

♪三尾の海に 網引く民のひまもなく 立居につけて 都恋しも♪   紫式部

国司として父に従い船路で越前に向う途中、高島の三尾崎の浜辺で、
漁をする人々の網を引く光景に、都の生活を恋しく思い出して詠んだのがこの歌です。


紫式部の歌碑の奥には、いくつかの摂社末社があり、その一番奥が岩戸社です。
岩戸社は古墳の石室前に祠が建てられ、その右に大きな磐坐が祀られています。

岩戸社
岩戸社

岩戸社磐坐
天岩戸磐坐

奈良桜井市の長谷寺には高島郡三尾ヶ崎から流れてきた霊木で
十一面観音を造ったのが寺の創建との縁起があります。

大和長谷寺にある初瀬白髭神社は、近江の高島白鬚神社から猿田彦を勧請したもので、
この時に近江にいた仏師・工人が初瀬に遷り十一面観音を奉祀したとの考え方があります。

初瀬の白髭神社は近江国高島郡の三尾大明神を大和で祀った神社ということになります。

注:髭と鬚の違い
「髭」口の上、「鬚」あごひげ、「髯」ほおひげ
高島の猿田彦はあごひげが生え、初瀬の猿田彦は口ひげが生えていた


初瀬白髭神社
初瀬の白髭神社



水尾神社の参道②長田神社(高島市・永田)

水尾神社の参道②長田神社(高島市・永田)に関する記事です。

長田神社(おおい)はJR湖西線・近江高島駅の北1.5KM
和田打川左岸沿いにある
継体天皇の祖先である三尾氏の伝承を伝える社です。

高島マイマップ

高島マイマップ


和田打川と長田神社の社叢
和田打川と長田神社の社叢

長田神社は水尾神社の祭神・磐衝別命が朝夕拝んだ「三尾大明神」とされます。

磐衝別命(いわつき・わけ)は天成神道を学ぶために三尾郷に来住し、
朝夕に猿田彦命を祀る三尾大明神(長田神社)を遙拝したので、
水尾神社の地は拝戸と呼ばれます。



長田神社の社叢
長田神社の社叢

磐衝別命は垂仁天皇と綺戸辺(かにはた・とべ)の間にできた子で、
同母妹に仲哀天皇を産んだ両道入姫がいます。


磐衝別命家系図
磐衝別命の家系図

長田神社は近江国・高島郡鎮座とされる式内小社で、
天安2年(858)の創立とされます。

祭神:事代主神、天鈿女命

境内社:伊邪那美神社、天照皇太神宮、高麗神社、神明神社

長田神社の鳥居
長田神社の鳥居


祭神の天鈿女命は、和田打川上流にある水尾神社の河北社が、
洪水で流されて来たために、その神霊を、本社相殿に祀ったとされます。

長田神社の拝殿
長田神社の拝殿

長田神社の本殿
長田神社の本殿



長田神社の周囲を巡る水路
長田神社の周囲を巡る水路


長田神社の鎮座地の永田は、近江源氏の一派である永田氏に依ります。

高島氏の高島胤信は高島郡永田(長田郷)を本拠として永田氏を名乗り、
永田城城主となり、高島郡に勢力を持ちました。

戦国時代には田中氏、朽木氏らと共に六角氏の傘下に入り勢力を維持しましたが、
六角氏の滅亡により没落しました。

長田郷碑
長田郷碑



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