エナガ先生の講義メモ

野鳥撮影がきっかけで鳥から教えてもらったこと、興味をもって調べたことをメモしていきます。 

北河内

高宮神社(寝屋川市・高宮)

高宮神社(寝屋川市・高宮)に関する記事です。

高宮神社は京阪寝屋川市駅の南東2km
JR片町線・忍ヶ丘駅の北1.8km
国道170号線(旧東高野街道)沿いにあります。

高宮神社は河内国・讃良郡に鎮座する月次新嘗と記される式内大社です。

祭神:天剛風命

当社の東400mにある大杜御祖神社(おおもりみおや)は奥の院とよばれ
高宮神社と祭神は親子関係にあります。

大杜御祖神社の祭神は親神の天万魂命(あめ・よろず)
高宮神社の祭神は子神の天剛風命(あめ・こかぜ)

高宮神社1
高宮神社の鳥居

創始の年代は不詳ですが奈良時代の中葉まで、さかのぼることが出来っます。

神護景雲4年(770)封一戸 新抄格勅符

貞観元年(859)    五位上   三代実録

江戸時代には讃良郡一の宮ともよばれる大社なのに現在はとても小さな社です。

よその人から見たら大杜御祖神社も高宮神社も全部あわせて1つの神社だったのでしょう


高宮神社2
高宮神社の拝殿

親子の神様は高宮氏のご先祖で2つの神社と高宮廃寺を持った高宮氏は
お隣にすんでいた秦氏と同じ渡来系の大豪族と考えられています。

葛城氏が五世紀半ばに滅亡した後、雄略天皇の中央集権化政策により、
葛城氏などの土着豪族に仕えていた渡来人達は秦氏や東漢氏に編入され一元化されます。 
この時に高宮氏も秦氏の管轄になったものと思われます。

秦酒公は全国の渡来人を編入して頂いたお礼に朝廷に絹をうず高く積み,
禹豆麻佐(うずまさ)という姓を賜ったという話は有名です。 


高宮神社
高宮神社本殿


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高宮神社の参道①
大杜御祖神社(寝屋川市・高宮)
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高良神社(寝屋川市・打上)
高宮神社の参道③
太秦高塚古墳(寝屋川市・太秦高塚町)
高宮神社の参道④
寝屋古墳(寝屋川市・寝屋)
高宮神社の参道⑤
細屋神社(寝屋川市・太秦)
高宮神社の参道⑥八幡神社(寝屋川市・八幡)
八幡神社は全焼してました
高宮神社の参道⑦熱田神社(寝屋川市・太秦中町)

高宮神社の参道⑧加茂神社(寝屋川市・秦町)
高宮神社の参道⑨
秦河勝の墓(寝屋川市・川勝町)
高宮神社の参道⑩鶯関神社(寝屋川市・堀溝)おうかん
高宮神社の参道⑪大念寺(寝屋川市・堀溝)
高宮神社の参道⑮萱島神社(寝屋川市・萱島本町)
高宮神社の参道⑯木田輪中堤(寝屋川市・木田町)



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鞆呂岐神社(大阪府・寝屋川・木屋町)

鞆呂岐神社(大阪府・寝屋川・木屋町)に関する記事です。

鞆呂岐神社は京阪香里園駅の西1.2km,
淀川左岸500mに鎮座する神社です。

当社の創建は社伝では、清和天皇の貞観三年(861)、
地元有志によって神社を建立勧請とあります。

祭神:天照皇大神、豊受大神、蛭子大神、住吉大神、神功皇后、天児屋根大神

鞆呂岐神社1
鞆呂岐神社の鳥居

寝屋川市には2つの’ともろぎ’神社、
鞆呂岐神社(木屋町)と友呂岐神社(香里本通町)があります。

どちらも古代の皇室の荘園という鞆(友)呂岐荘が由縁です。
仁徳天皇の茨田堤築造で豊穣の土地になり、
天皇直轄領である屯倉になったことから鞆呂岐荘という地名ができました。


鞆呂岐神社2
平成21年に改修した社殿

鞆呂岐荘は、木屋・太間・三井・田井・石津・平池のあたりで、
この地域の農民が土地や水利の守護神として祀ったのが
鞆呂岐神社(木屋)のはじまりと言われています。
<由緒 >
清和天皇貞観三年(861)の勧請と言う。 
往昔より祭典に、妙齢の処女をして薦巻飯を供進する式があったが、
寛政の頃より里正に当たらせ、明治後は氏子総代がその任に当たっている。 


奥の院
鞆呂岐神社の奥の院(
若宮八幡)

鞆呂岐神社の鎮座地はに茨田堤築造の難所の地で、
茨田蓮衫子(ころもこ)が龍神の生け贄になるのを機智をもって逃れた場所です。 

その後も淀川の氾濫を防ぐために、処女が龍神である淀川に捧げられたのでしょう。
それがいつの時代からか、人身御供の替わりに薦巻飯(こもまき)を供進するようになり
現在の秋祭りの神事で継がれています。


奥宮の左には嘗て龍神が棲んでいたと伝わる「茨田蛇の池跡碑」があります。

茨田蛇1
茨田蛇の池跡(池は昭和51年で完全消滅)

神社を撮影していると鞆呂岐神社が古来農業用水の
神様であることがよくわかりました。

近所の方でしょうか、ペットボトルで石灯籠に水をかけると
親指の先ぽ程の小さなカエルがあちこちの隙間から顔を出してきます。
もう何代もここで暮らして繁殖しているカエルだそうです。

用水路が張り巡らされた中の神社だからこんな生物も繁殖していけるのでしょう。

かえる
石灯篭に住む小さなカエル

境内の狛犬は中国でみられる毬(まり)と赤ちゃんも持っています。
赤ちゃんを連れているのがメスの狛犬で子宝を意味します。
そして毬を手にしているのがオスで財宝や権力を意味します。

メスが静かに子供を守る、オスが吠えて権力を持つまさに阿吽の呼吸でした。

狛犬
鞆呂岐神社の狛犬

鞆呂岐神社の境内には「寄進の鳥居」と呼ばれる江戸時代の遺産があります。


赤穂浪士討ち入り47人の一人
村松喜兵衛秀直の4代目の子孫が寄進したものです。

事件後、討ち入りに加担した秀直と長男(高直)は切腹、
次男(政右衛門)は伊豆大島に島流しになりました。

政右衛門はその後赦免になり、この寝屋川の木屋で暮らし子孫が繁栄しました。

寄進の鳥居
寄進の鳥居

その子孫「村松喜兵衛源尚次」が鳥居の石柱に自分の仔細を刻み
鞆呂岐神社の本堂前に寄進の鳥居として残っています。

源尚次(なおじ)が如何にご先祖の秀直を誇りに思っていたかが判ってきます。

寄進の鳥居2
鳥居に刻まれれた秀直の業績

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鞆呂岐神社の参道⑥高柳長栄寺(寝屋川市・高柳)
鞆呂岐神社の参道⑦菅原神社(寝屋川市・池田中町)
鞆呂岐神社の参道⑧石津の若宮八幡宮(寝屋川市・石津)
鞆呂岐神社の参道⑨対馬江の若宮神社(寝屋川市・対馬江)
鞆呂岐神社の参道⑩二十箇用水樋(茨田郡)木田輪中

鞆呂岐神社の参道⑬光善寺(枚方市・出口)
鞆呂岐神社の参道⑭蹉跎神社(枚方市・南中振)

鞆呂岐神社の参道⑮意賀美神社(枚方市・枚方上之町)
鞆呂岐神社の参道⑯郵便屋渡し跡(枚方市・堤町)
鞆呂岐神社の参道⑰
淀川に蘇った鮎(枚方市・磯島)
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高宮神社の参道⑤細屋神社(寝屋川市・太秦)

高宮神社の参道⑤細屋神社(寝屋川市・太秦)に関する記事です。

細屋神社は京阪寝屋川市駅の東2km
寝屋川左岸に位置します。

細屋神社は河内国・茨田郡・鍬と記される式内小社です。

打上川治水緑地と三井団地の間、
サイクリングロードの脇に高い木が鬱蒼と繁った場所があります。
アカメガシワ、クロガネモチ、スギなどが寄せ集まり
季節を問わず木の実が豊穣で野鳥のオアシスになっています。

細屋神社
細屋神社を隠す鬱蒼とした木々

その高い木に囲まれた薄暗い中に小さな祠があります。

この祠が細屋(ほそや)神社です。
サイクルロードにある石碑には
「式内細屋神社」 と書かれてありますが、

式内社とは平安時代の927年(醍醐天皇)にまとめられた

神社の一覧表のことで神社の格付けを表し、
 寝屋川市に3社(大杜御祖神社高宮神社・細屋神社)あります。


細屋神社は 星をまつったのではないかといわれ、
豊作の神として村人の信仰を集めました。
大陸から来た人が天の川を偲んだという
交野の七夕伝説との関連も連想させる神社です。
   

細野神社
細屋神社の社

仏舎利坂が好きな理由

会社帰りの帰路に毎日通る素敵な坂道があります。
寝屋川第十中学校の塀沿いに
成田山不動尊を目掛けて下る坂道です。
名も無い無名の坂道ですが、
仏舎利坂と命名させてもらいます。
この坂の魅力を列挙します。

仏舎利塔が近くてとても綺麗に見えます
仏舎利塔
坂から間近に見える大阪仏舎利塔 


この仏舎利塔は大阪婦人活動の先駆者でもある
川嶋貞子氏が私有地を開放し、
インドのネール首相を訪ね
昭和38年に建立したものです。

②ノウゼンカズラの赤い花

夏は寝屋川第十中学校の塀づたいに
咲くアメリカノウゼンカズラの花が見事です。
ちなみにノウゼンカズラが枯れた冬は内側の木蔦が現れる
2重のつる性樹木でつくられた塀になってます。
ノウゼンカズラ
アメリカノウゼンカズラが見事な塀

そしてそのノウゼンカズラの木の中に
缶からで作った緑色の灰皿と
可愛い網製の屑入がぶら下げてあり
毎日綺麗に掃除されています。
誰がこの坂で景色を見ながら一服しているのだろうと
想像しますが未だに会えません。

③坂から見える夕焼け

坂からは香里園の高層ビルや
更にその奥に高槻方面のお山が見え
夕焼けや夜景が絶賛です。
仏舎利坂
香里園の高層ビルと高槻のお山

車も通れない坂道なので
のんびりと風景を味わえます。


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友呂岐神社(大阪府・寝屋川市・香里本通町)

友呂岐神社(大阪府・寝屋川市・香里本通町)に関する記事です。

私は10年程前50歳から通勤には健康の為、バスを使わずに歩くように心がけています。

朝は成田にある自宅から香里園駅まで、夜は一駅飛ばして寝屋川市駅から自宅まで歩き続け、
健康診断の成績も年々見違えるように良くなりました。

毎朝の往路は成田山不動尊経由で、友呂岐(ともろぎ)神社の前を通過して香里園駅まで歩きます。

  
最近になって近所の遺跡や神社などに興味を持ち始めると
毎日何気なく通過していた友呂岐(ともろぎ)神社も、奥深い歴史のある神社と知り驚きました。

 

この神社の祭神は、応神天皇です。

そしてその子の仁徳天皇が淀川の茨田堤(まんだのつつみ)を構築した際
工事の逸話で有名な茨田連衫子(まんだ・むらじころもこ)も友呂岐神社の祭神の一人です。

御祭神
 
明治末に友呂岐神社の近所にあった
菅原道真を祭神とする三井神社他を合祀(ごうし)して現在の形となりました。   

ちなみに寝屋川市の無形文化財に指定されているお弓行事は、
もともとは三井神社の行事でした。


ともろぎ
友呂岐神社の境内

今まで通勤や野鳥撮影などで親しんできた神社や遺跡などを調べて
理解したことを、少しづつですがメモして
自分の住んでいる場所・時代を理解して行きたいと思っています。
友呂岐1
友呂岐神社の拝殿

友呂岐2
友呂岐神社の本殿

友呂岐神社の境内にはお腹がとても大きく愛嬌のある布袋和尚(ほていおしょう)がいます。

そもそも布袋和尚は中国の唐末期に実在した僧侶で神様ではありません。
右手になんでも入る大袋を抱え、左手に軍配を持ち人徳があり大量のご利益があります。

日本では室町時代後期に七福神の一柱として信仰を集めました。

おなかを撫でると腹痛がなおったりご利益を分けてもらえるそうです。
朝の友呂岐神社を散歩するおばさんが、このお腹を懸命に撫ぜる風景がとても気に入っています。

ほてい
友呂岐神社の布袋和尚

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