エナガ先生の講義メモ

野鳥撮影がきっかけで鳥から教えてもらったこと、興味をもって調べたことをメモしていきます。 

北河内

友呂岐神社(大阪府・寝屋川市・香里本通町)

友呂岐神社(大阪府・寝屋川市・香里本通町)に関する記事です。

友呂岐神社は京阪香里園駅の南東600m、
河内街道沿いを登った場所に鎮座する神社です。

友呂岐神社の先に成田山不動尊があります。

香里園マイマップ

香里園マイマップ

香里園駅1
香里園駅前南踏切

香里丘陵は京阪本線の線路当りから東へ広がる丘陵で
生駒山地に向けて平均50m前後の緩やかな起伏が続きます。
友呂岐神社はその香里丘陵の登り口の斜面に鎮座しています。

因みに京阪電鉄から友呂岐神社まで上る時の標高を記してみます。
香里園駅からだと友呂岐神社の東端まで、
全部で標高差26mも登り詰めることになります。

<友呂岐神社の標高>
京阪踏切10m→河内街道19m→西鳥居27m→東鳥居36m

河内街道は地下に暗渠となった前川が流れる道で香里丘陵の境の谷だったものが
天井川の堤防となり地形は複雑です。

河内街道
河内街道(香里丘陵の始まり)

友呂岐(ともろぎ)は鞆呂岐とも書き、古代から伝わる皇室の庄園でした。
友呂岐が開拓されたのは、応神・仁徳天皇の頃と言われており、
その頃築かれた茨田堤・茨田屯倉が友呂岐の開発に繋がりました。

鞆呂岐の名前は応神天皇に因むものです。
鞆呂岐の鞆は、弓を射る時に腕に巻く皮の武具で、
呂岐はこの日本をお治める立派な王という古語です。


友呂岐神社西鳥居
友呂岐神社西鳥居(香里丘陵の登り)

室町時代の康正2年(1457)、後土門天皇が北ノ小路新邸を当地に造営し、
その鎮護神として祀られた八幡宮が当社の初めての記録です。

その後、応仁の乱、畠山義就と畠山政長による争いで、その八幡宮の社殿は焼失しました。
天正五年(1576)には社殿を再建し、この地区の氏神として信仰されてきました。

ともろぎ

友呂岐神社の東鳥居

明治43年には、近隣の三井神社・田井神社・太間神社を八幡神社に合併し
此の地の地名をとって友呂岐神社と改称し現在に至ります。

祭神:応神天皇、茨田連衫子、菅原道真

応神天皇の子の仁徳天皇が淀川に茨田堤を築いた時、
工事の逸話で有名な茨田連衫子(ころもこ)は太間神社から合祀したものです。


友呂岐1
友呂岐神社の拝殿

当地は菅原道真の左遷の時の経路に当り、多くの神社が道真を合祀しています。

道真は当社の氏域の三井にも立ち寄り小高い管相塚に案内してもらい、
京都の方角を望み最後の別れをしたとされます。


友呂岐2
友呂岐神社の本殿

寝屋川市の無形文化財に指定されているお弓行事は、
もともとは合祀した三井神社の行事で、現在は友呂岐神社の神事になっています。

毎年一月の成人式に行なわれる行事で、
新成人の男性二人が紋付き袴姿で弓を射り、矢の行方でその年の豊凶を占ないました。

ほてい
友呂岐神社の布袋和尚 (後ろは御水所)

管相塚は当社の北東900mにある香里丘陵の最高峰(標高50m)で、
淀川から京都方面を望む事ができました。

寝屋川市に伝わる伝承によると、道真は左遷の折に三井に寄り
小高い管相塚に案内してもらい、都の方角を望み懐かしんだとされます。


管相塚の入口
管相塚の入口


管相塚
管相塚

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友呂岐神社の参道⑨成田山不動尊(寝屋川市・成田西町)
友呂岐神社の参道⑩萱島神社(寝屋川市・萱島本町)
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友呂岐神社の参道⑬湯屋が谷の弘法井戸(寝屋川市・郡元町)
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高宮神社(寝屋川市・高宮)

高宮神社(大阪府・寝屋川市・高宮)に関する記事です。


高宮神社は京阪寝屋川市駅の南東2km
JR片町線・忍ヶ丘駅の北1.8km
河内街道沿い、旧家が集まる場所の小高い丘にあります。


太秦交番西交差点で、太秦地区から高宮地区に変わり、
古い民家が建ち並ぶ河内街道らしい雰囲気になります。


河内街道(高宮地区))
河内街道の民家


高宮は高宮氏の拠点で、秦氏の拠点である河内太秦に接して南側にあります。


秦酒公が全国に分散した渡来人を編入して頂いたお礼に
絹をうず高く積み,太秦という姓を賜ったという話は広く知られますが、
高宮氏はこのとき秦氏に編入された氏族でした。


高宮神社全景
高宮神社の全容


高宮神社は河内国・讃良郡に鎮座する月次新嘗と記される式内大社です。
讃良郡18ヶ村の総社で、讃良郡の一の宮ともされました。


祭神:天剛風命


当社の東400mにある大杜御祖神社(おおもりみおや)は奥の院とよばれ
高宮神社と祭神は親子関係にあります。


大杜御祖神社の祭神は親神の天万魂命(あめ・よろず)、
高宮神社の祭神は子神の天剛風命(あめ・こかぜ)で、どちらの神も高宮氏の先祖です。


高宮神社の鳥居
高宮神社の鳥居


秦氏は雄略天皇の時代(457-479)に仲間となった高宮氏に河内太秦の地を分け与え、
高宮氏はここに高宮神社、大杜御祖神社、高宮廃寺を建て拠点としました。


葛城氏が五世紀半ばに滅亡した後、雄略天皇の中央集権化政策が始まり、
葛城氏などに仕えていた渡来人達は秦氏や東漢氏に編入され一元化されます。
この時に高宮氏も秦氏の管轄になったものと思われます。


高宮神社の拝殿
高宮神社の拝殿


葛城襲津彦は、新羅を攻略した際に捕虜を連れ帰り、
この捕虜が、葛城地域の桑原・佐糜(さび)・高宮・忍海の四箇所に住みました。


その葛城氏が五世紀半ばに滅亡した為、雄略天皇は桑原・佐糜・高宮・忍海の漢人らを
東漢氏や秦氏に編入され直接朝廷に隷属することとなりました。

高宮氏は大和葛城から河内太秦の秦氏のもとへやって来たことになります。


高宮神社
高宮神社本殿


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高宮神社の参道⑥八幡神社(寝屋川市・八幡)
(八幡神社全焼)
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高宮神社の参道⑧加茂神社(寝屋川市・秦町)
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高宮神社の参道⑬寝屋川太秦散策(寝屋川市・太秦)
高宮神社の参道⑭寝屋川河川散策(寝屋川市・寝屋~川勝)
高宮神社の参道⑮河内街道(寝屋川市・秦町~高宮)
高宮神社の参道⑯東高野街道(東寝屋川~忍ヶ丘)
高宮神社の参道⑰東高野街道(大谷~打上)
高宮神社の参道⑲萱島神社(寝屋川市・萱島本町)
高宮神社の参道⑳高良神社(寝屋川市・打上)



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鞆呂岐神社(大阪府・寝屋川・木屋町)

鞆呂岐神社(大阪府・寝屋川・木屋町)に関する記事です。

鞆呂岐神社は京阪香里園駅の西1.2km,
淀川左岸500mに鎮座する神社です。

太間・仁和寺・佐太マイマップ

太間~佐太マイマップ

当社の創建は社伝では、清和天皇の貞観三年(861)、
地元有志によって神社を建立勧請とあります。

祭神:天照皇大神、豊受大神、蛭子大神、住吉大神、神功皇后、天児屋根大神

鞆呂岐神社1
鞆呂岐神社の鳥居

寝屋川市には2つの’ともろぎ’神社、
鞆呂岐神社(木屋町)と友呂岐神社(香里本通町)があります。

どちらも古代の皇室の荘園という鞆(友)呂岐荘が由縁です。
仁徳天皇の茨田堤築造で豊穣の土地になり、
天皇直轄領である屯倉になったことから鞆呂岐荘という地名ができました。


鞆呂岐神社2
平成21年に改修した社殿

鞆呂岐荘は、木屋・太間・三井・田井・石津・平池のあたりで、
この地域の農民が土地や水利の守護神として祀ったのが
鞆呂岐神社(木屋)のはじまりと言われています。
<由緒 >
清和天皇貞観三年(861)の勧請と言う。 
往昔より祭典に、妙齢の処女をして薦巻飯を供進する式があったが、
寛政の頃より里正に当たらせ、明治後は氏子総代がその任に当たっている。 


奥の院
鞆呂岐神社の奥の院(
若宮八幡)

鞆呂岐神社の鎮座地はに茨田堤築造の難所の地で、
茨田蓮衫子(ころもこ)が龍神の生け贄になるのを機智をもって逃れた場所です。 

その後も淀川の氾濫を防ぐために、処女が龍神である淀川に捧げられたのでしょう。
それがいつの時代からか、人身御供の替わりに薦巻飯(こもまき)を供進するようになり
現在の秋祭りの神事で継がれています。


奥宮の左には嘗て龍神が棲んでいたと伝わる「茨田蛇の池跡碑」があります。

茨田蛇1
茨田蛇の池跡(池は昭和51年で完全消滅)

神社を撮影していると鞆呂岐神社が古来農業用水の
神様であることがよくわかりました。

近所の方でしょうか、ペットボトルで石灯籠に水をかけると
親指の先ぽ程の小さなカエルがあちこちの隙間から顔を出してきます。
もう何代もここで暮らして繁殖しているカエルだそうです。

用水路が張り巡らされた中の神社だからこんな生物も繁殖していけるのでしょう。

かえる
石灯篭に住む小さなカエル

境内の狛犬は中国でみられる毬(まり)と赤ちゃんも持っています。
赤ちゃんを連れているのがメスの狛犬で子宝を意味します。
そして毬を手にしているのがオスで財宝や権力を意味します。

メスが静かに子供を守る、オスが吠えて権力を持つまさに阿吽の呼吸でした。

狛犬
鞆呂岐神社の狛犬

鞆呂岐神社の境内には「寄進の鳥居」と呼ばれる江戸時代の遺産があります。


赤穂浪士討ち入り47人の一人
村松喜兵衛秀直の4代目の子孫が寄進したものです。

事件後、討ち入りに加担した秀直と長男(高直)は切腹、
次男(政右衛門)は伊豆大島に島流しになりました。

政右衛門はその後赦免になり、この寝屋川の木屋で暮らし子孫が繁栄しました。

寄進の鳥居
寄進の鳥居

その子孫「村松喜兵衛源尚次」が鳥居の石柱に自分の仔細を刻み
鞆呂岐神社の本堂前に寄進の鳥居として残っています。

源尚次(なおじ)が如何にご先祖の秀直を誇りに思っていたかが判ってきます。

寄進の鳥居2
鳥居に刻まれれた秀直の業績

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鞆呂岐神社の参道④太間排水機場(寝屋川市・太間町)
鞆呂岐神社の参道⑤木屋揚水機場(寝屋川市・木屋町)
鞆呂岐神社の参道⑥大利神社(寝屋川市・大利町)
鞆呂岐神社の参道⑦高柳長栄寺(寝屋川市・高柳)
鞆呂岐神社の参道⑧菅原神社(寝屋川市・池田中町)
鞆呂岐神社の参道⑩対馬江の若宮神社(寝屋川市・対馬江)
鞆呂岐神社の参道⑪京街道・寝屋川(寝屋川市・仁和寺~木屋)
鞆呂岐神社の参道⑬光善寺(枚方市・出口)
鞆呂岐神社の参道⑮意賀美神社(枚方市・枚方上之町)
鞆呂岐神社の参道⑯郵便屋渡し跡(枚方市・堤町)
鞆呂岐神社の参道⑰淀川に蘇った鮎(枚方市・磯島)
鞆呂岐神社の参道⑳東海道56次・枚方宿(枚方市)








機物神社(大阪府・交野市・倉治)

機物神社(大阪府・交野市・倉治)に関する記事です。

機物神社はJR片町線津田駅の南800M、
神体山の交野山の西麓、天野川の右岸2kmに位置します。

例祭が7月7日の七夕祭りで、当日は多くの人で賑わいます。

七夕遺跡マイマップ

七夕遺跡マイマップ

大阪府道736号線(交野・久御山線)沿いにあり、
津田駅を南下すると途中に外池があります。

機物神社前の倉治交差点を左折し、野外活動センターの標識に従って進むと
白旗池へ通じており、交野山への登山道があります。

外池
外池

機物神社の石鳥居からは交野山山頂の観音岩が望めます。
石鳥居→本殿→観音岩と一直線のレイラインが構成されており、
冬至の日には、機物神社の境内から見ると観音岩から太陽が上るそうです。

鎮座地は古くから太陽信仰の聖地で
社ができる以前は交野山そのものが、機物神社の御神体でした。

機物神社と観音岩
機物神社の鳥居と観音岩(左へ行けば交野山)

交野は隕石が落ちた場所で、星田・天野川・八丁三所等、星に関係する伝承が多い地域です。

5~6世紀の頃に養蚕機織の技術を持った秦氏が大陸から大挙して渡来し、
その一部が交野にも定住しました。

桓武天皇が長岡京遷都の翌年の延暦4年(785)遷都の成功を祈願して
交野に郊祀壇を設けて父・光仁天皇を天神として祀りました。

平安時代になると宮中でも七夕祭りが行なわれるようになり、
交野は平安貴族の遊興の地となりました。
貴族たちは楽を奏で詩歌を歌い七夕の風流を楽しみました。

機物神社の拝殿
機物神社の拝殿

古墳時代に養蚕・機織りの技術をもった秦氏系ともされる集団が、
倉治・津田に渡来し繁栄しました。
その統率者の漢人庄員を祀ったのが機物神社の創始ともされます。

祭神:天棚機比売大神、栲機千々比売神、地代主神、八重事代主神

機物神社の本殿
機物神社の本殿

優れた文化を持った大陸人は歓迎され、織物をその専業とする者は、
土地を与えられ、機織が盛んになりました。

672年には、大海人皇子は天武天皇となり、その恩賞として
漢人庄員の子孫である倉治機物の首長に交野忌寸の姓を与えられました。

伊勢神宮遙拝所
伊勢神宮遙拝所

境内には七夕祭りを歌った万葉歌碑や紀貫之歌碑などがあります。

♪棚機の 五百機立てて 織る布の 秋さり衣 誰か取り見む♪  万葉歌
♪年に一夜と思えど  七夕の 逢ひ見む  秋の限りなき哉♪  紀貫之歌碑



境内七夕歌碑
紀貫之歌碑

天野川左岸1km、枚方市香里ケ丘12丁目の観音寺公園には牽牛石が置かれています。
織物神社の織姫は天野川右岸、牽牛石は左岸にあります。

♪牽牛(ひこぼし)の妻迎へ船こぎ出らし 天の河原に霜の立てるは♪  万葉集 山上憶良

牽牛1

牽牛モニュメント

牽牛2
観音山公園の牽牛石

織物神社に祀られている織姫と、牽牛の間には天野川が流れ逢合橋が架かっています。
七夕の日に二人は逢合橋で出会い、逢瀬を楽しみました。

♪彦星と織姫と今夜逢う 天の川門に 波たつなゆめ♪ 万葉集 作者未詳

逢合橋1
逢合橋の七夕万葉歌

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高宮神社の参道⑤細屋神社(寝屋川市・太秦)

高宮神社の参道⑤細屋神社(寝屋川市・太秦)に関する記事です。

細屋神社は京阪寝屋川市駅の東2km、寝屋川河川の左岸に位置します。

細屋神社は河内国・茨田郡・鍬と記される式内小社です。

打上川治水緑地と三井団地の間、
サイクリングロードの脇に高い木が鬱蒼と繁った場所があります。
アカメガシワ、クロガネモチ、スギなどが寄せ集まり
季節を問わず木の実が豊穣で野鳥のオアシスになっています。

細屋神社
細屋神社を隠す鬱蒼とした木々

その高い木に囲まれた薄暗い中に小さな祠があります。

この祠が細屋(ほそや)神社です。
サイクルロードにある石碑には
「式内細屋神社」 と書かれてありますが、

式内社とは平安時代の927年(醍醐天皇)にまとめられた

神社の一覧表のことで神社の格付けを表し、
 寝屋川市に3社(大杜御祖神社高宮神社・細屋神社)あります。


細屋神社は 星をまつったのではないかといわれ、
豊作の神として村人の信仰を集めました。
大陸から来た人が天の川を偲んだという
交野の七夕伝説との関連も連想させる神社です。
   

細野神社
細屋神社の社




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