エナガ先生の講義メモ

野鳥撮影がきっかけで鳥から教えてもらったこと、興味をもって調べたことをメモしていきます。 

@伏見稲荷大社

伏見稲荷大社(伏見区・深草)

伏見稲荷大社は農業・食物の神様・稲荷大神を祭る
全国に4万社ある伏見稲荷の総本社です。

稲荷山の麓に本殿があり、稲荷山全体を神域とする広大で
日本の文化にも深く関与している膨大な神社です。


伏見稲荷
伏見稲荷大社


松尾大社は701年に秦忌寸都理(はたのいみきとり)が創建しました。


それに続き泰公伊呂具(はたのきみいろく)が
奈良平城京が成立した翌年の711年2月初午の日に
伏見稲荷大社を創建しました。


伊呂具が、富貴に奢って餅を的にして矢で射たところ、
餅が突然白鳥に姿を変えて飛び去った。
白鳥は稲荷山三ヶ峰に舞い降り、
その峰には稲がたわわに実った。
この奇跡を見た伊呂具が「伊奈利」の名をもって
3つの峰に3柱の神を祀りました。

これが伏見稲荷大社の起源といわれます。


三神とは
三の峰の下社 宇迦之御魂神(うかのみたま):食物の神様

二の峰の中社 佐田彦大神(さたひこ):別名猿田彦

一の峰の上社 大宮能売大神(おおみやのめ):食物の神様

その後、お山の三柱を山麓の社殿に移し
その際に田畑を守る田中大神、四季を司る四大神(しの)を加えて
五柱として現在の形になっています。

伏見2




京都盆地は元々湿潤な土地で、
現在でも京都の地下には、
琵琶湖に匹敵するぐらいの水があるそうです。

その京都盆地の南に位置する伏見は、
地下水が豊富なことから、「伏水」が語源とされます。
その豊富な地下水系のおかげで、
酒造が発達してきた土地でもあります。


伏見区の北部にある深草は
伏見稲荷から伏見桃山に掛けての地帯で、
太古の時代は低湿地帯でした。

深草は、現在の京都市北部に僅かに残る
深泥池(みぞろがいけ)のような
沼地であったところから命名されています。

御泥池

深泥池(みぞろがいけ)

秦氏は大陸から渡来した大氏族で、
秦の始皇帝の後裔(こうえい)とも伝えられる
弓月の君(ゆづきのきみ)が応神天皇14年に
百済に移住していた127県の民を率いて渡来し
日本各地に分散・帰化しました。

伏見の湿地帯にも秦氏が住み着き、
稲荷神を祀って農耕守護神とあがめ、
深草一帯を開発しました。

彼らは困難を克服して伏見を肥沃な土地に開墾し、
収獲物の貯蔵所として屯倉を設けて
莫大な富をもたらし平安京の礎を築きました。



                    一ノ峯
                                    長者社    ↑
                                薬力社     二ノ峯
                              御膳谷        ↑
                              眼力社       間ノ峯
             大杉社          ↑
     荒神の峯四ツ辻→→→→→→三ノ峯
             三ツ辻
           白狐大神              熊鷹社
               ↑                          神々への道
         豊川大神                      奥社奉拝所

          ↑                                       千本鳥居                    
        荒木神社                            奥宮
         ↑                                           白狐社
         末廣大神                           玉山稲荷社

            間力大神                           両宮社
     産婆稲荷           五社相殿社
        大八嶋社   荷田社
      末社入口→長者社
         ↑
        本殿 
         ↑
         楼門
           ↑   
       ↑          霊魂社
 ↑                  藤尾社 
裏参道    熊野社

<関連記事>

麓の社殿~参道
裏参道 土人形 ①ー2:熊手 ①ー3:雀の焼き鳥
楼門
本殿
千本鳥居
奥社奉拝所
御旅所
東丸神社
田中神社
藤森神社
田植祭
鳥居の値段

伏見稲荷大社の境内社
長者社
②荷田社
五社相殿社
両宮社
玉山稲荷社
白狐社
⑦奥宮
⑧熊野社
藤尾社
霊魂社
大八嶋社

稲荷山の神々1(中腹)
神々への道
②裏参道の末廣大神
③裏参道の白狐大神
④裏参道の荒木神社
⑤裏参道の豊川大神
⑥裏参道の間力大神
⑦裏参道の産婆稲荷
熊鷹社
⑲三ツ辻

稲荷山の神々2(山上)
四ツ辻
荒神の峯・田中社神蹟
大杉社
眼力社
御膳谷奉拝所
薬力社
長者社
一ノ峯・上社神蹟
⑫大岩大神
二ノ峯・中社神蹟
間の峰・荷田社御神蹟
三ノ峯・下社神蹟

伏見稲荷大社①参道(土人形)

伏見稲荷大社①参道に関する記事です。


京阪伏見稲荷駅から続く細い神幸道
と呼ばれる裏参道があります。

神幸道はお店も連なり何度歩いても楽しい参道です。


参道
お店が続く神幸道

お土産でまず気になったのは狐の土人形です。


白狐の人形がびっしりと店頭に並べられ、
それが店の奥になるに従い段々と
大きな狐に変化していきます。


とても美しく幻想的に見えました。


昔から伏見稲荷は五穀豊穣の神々を祀る伏見大社で、
その稲荷山の土を田畑に撒けば、害虫がつかず、
豊作が期待できるとの信仰がありました。


そのため、稲荷山の土で作られた狐の土人形を買い求め
稲荷大神の霊験を土産に持ち帰ったのです。


狐



狐の土人形の隣では、
達磨と招き猫がこれまた沢山並んでいます。


秦氏は今まで色々書いてきたように
養蚕の普及にも多くの貢献をしました。

養蚕農家たちも、その秦氏が建立した伏見大社に参拝し、
稲荷参道の店から達磨や猫の土人形、
養蚕道具を買い求めました。


達磨は倒れても必ず起き上がることから、
蚕も繭を作るとき倒れないようにと願いました。

招き猫は、鼠が蚕を食べないように
鼠封じの縁起物として購入されました。


招き猫
達磨と招き猫


実は土人形は伏見稲荷大社よりもっと古い歴史に起因しています。

伏見は野見宿禰(のみすくね)の子孫にあたる
土師氏(はじし)らの領地で、
土師部(はじべ)に土器を造らせていました。

垂仁天皇の時代に朝廷から土師部に任命され、伏見深草の里に住んで
土器、土偶を創り、現在の土人形・伏見人形に繋がっています。


伏見稲荷大社②楼門

伏見稲荷大社の②楼門に関する記事です。

1589年(天正17年)に豊臣秀吉が
母・大政所の病気平癒を祈って造営した、
入母屋造りの楼門です。


楼門とは2階造りの門で、下層に屋根のないものです。
下層にも屋根があるものを二重門とよんで区別する分類もあります。


ちなみに楼とは
1 高く構えた建物。
2 遠くを見るためにつくった高い建物。ものみやぐら。
3 遊女と遊興することのできる店。

楼門1
伏見稲荷大社の楼門(下層に屋根が無い)


平安神宮の2重門
下層に屋根が有る二重門(平安神宮・応天門)


楼門内の左右に安置されている像は随身(随神)と呼ばれます。

随神像の多くは江戸期に作られたものが多く、
寺の仁王像のように阿吽(あうん)で表現されています。

左大臣とは神社の楼門に安置してある2体の神像のうち、
向かって右側の神像の俗称です。

隋人2
口を開いたた阿(あ)形の左大臣


矢大神とは神社の楼門に安置してある2体の神像のうち、
向かって左方の神像の俗称です。

隋人1
口を閉じた吽(うん)形の矢大神


寺院の仁王門を模したものであることから、
永い伝統を無視して明治以降では神社には不適切とされましたが、
神社を凛々しく守ってくれます。

伏見稲荷大社③本殿(伏見区・深草)

伏見稲荷大社の③本殿(伏見区・深草)に関する記事です

楼門をくぐると外拝殿があります。
外拝殿は楼門と同時期に豊臣秀吉造営されました。

楼門を潜る
楼門から見た外拝殿


伏見稲荷大社の社殿には内拝殿、外拝殿と2つの拝殿があります。

内拝殿は一般のお参りに使われ、
外拝殿は2月の節分祭の時、ここから豆がまかれます。

鬼2

拝殿2
外拝殿

伏見稲荷には主祭神がおらず、
以下5人の神様を平等に祭ります。

このことが伏見稲荷全体を理解する上での重要ポイントになります。


社の神殿はすべて5つに分かれている相殿ですし、
神輿も5基あり、稲荷祭りに行われる氏子祭りでは
それぞれ5地区の氏子が自分の神輿を担ぎます。


五神とは向かって左から

①田畑を守る田中大神

②二の峰の中社 佐田彦大神(さたひこ):別名猿田彦
③三の峰の下社 宇迦之御魂神(うかのみたま):食物の神様

④一の峰の上社 大宮能売大神(おおみやのめ):食物の神様

⑤四季を司る四大神(しの)を加えて


後から加わった田中大神、四大神の2神は実は
秦氏が稲荷大社を創建する以前からの先輩の神様なのです。


拝殿1
内拝殿

神事を行うときも、5柱の神様に順番にお供えをしていました。
時間は大分掛かりますね。

本殿
神事を行う本殿


本殿側面から見ると檜皮葺(ひかわぶき)、
打越し流造と呼ばれる構造で、
屋根の前面が優美で長い曲線を描き、庇(ひさし)となっています。



本殿1
檜皮葺(ひかわぶき)本殿の屋根


権殿(ごんでん)も本殿と同じ五柱の相殿で、
本殿を改築するの際の仮御殿として使われますが、
遷殿あるいは若宮とも称していました。

これも秀吉公の造営となっています。

権殿1
権殿

伏見稲荷大社の⑤千本鳥居(伏見区・深草)

伏見稲荷大社の⑤千本鳥居(伏見区・深草)に関する記事です。

稲荷神社の境内には、
トンネル状に並べられた複数基の朱の鳥居が多く見られます。

その代表が千本鳥居で、稲荷神社本殿とお山を結び
時間と空間を移動するタイム・トンネルのように思えます。

千本鳥居1


トリイとは「通り入る」の意味で、
神の聖地・聖域を表します。

そして朱色は魔よけを意味し、
古代より生命力のある神聖な色とされ
特に稲荷神の神徳である豊穣を象徴する色として
稲荷神社の建造物に用いられています。

鳥居の納年は近年のものがほとんどで
お山全体では数万基に及ぶそうです。

千本鳥居2

千本鳥居の終着は命婦谷(みょうぶ)と呼ばれる場所で
お山めぐりの開始地点です。
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