エナガ先生の講義メモ

野鳥撮影がきっかけで鳥から教えてもらったこと、興味をもって調べたことをメモしていきます。 

@交野天神社・樟葉宮

交野天神社(大阪府・枚方市・楠葉丘)

交野天神社(大阪府・枚方市・楠葉丘)に関する記事です。

交野天神社は京阪樟葉駅の東北東2km、
当社の祭祀が行われていた鏡伝池と繋がる
鏡伝道と呼ばれる道沿いの原生林の中に鎮座します。 

鏡伝道

鏡伝道

鏡伝池
鏡伝池


交野天神社の社叢
交野天神社の社叢

長岡京遷都の3年後、延暦6年(787)に桓武天皇が
長岡京の南の地・樟葉に郊祀壇を設けて父・光仁天皇を天神として祀りました。

桓武天皇が樟葉丘のこの場所を選んだのは、
ここが継体天皇の樟葉宮の伝承地で、皇祖を祀るためでもありました。

祭神:光仁天皇

交野天神社の一の鳥居
交野天神社の一の鳥居

交野天神社三の鳥居
交野天神社三の鳥居

長岡京を北極星にして、南郊にある交野に北斗七星を求め、
天子の祭壇として交野天神社を建立して、中国の郊祀を模倣したものです。

郊祀とは古代中国で、天子が郊外で行った天地をまつる国家の最重要儀式で
冬至には国都の南郊で天を祀り、夏至には北郊で地を祀りました。

交野天神社12
交野天神社の拝殿

拝殿から望む本殿と末社八幡神社は、厳かで美しいものです。
今回再訪したのはこの本殿がまた見たくなった為でもあります。

共に一間社流れ造り・桧皮葺で鎌倉時代から室町時代の特色を持ち、
国の重要文化財に指定されています。

交野天神社本殿と末社八幡神社
交野天神社本殿(右は八幡神社)


交野天神社2
交野天神社本殿と八幡神社


交野天神社から鏡伝池にかけては樟葉中学校遺跡の場所です。
奈良時代から平安時代にかけての高坏・土師皿など
交野天神社の祭祀遺物が数多く発掘されました。

交野天神社の北側には和気神社や飛鳥時代の瓦窯跡もあり、
男山丘陵から続く高台で古代から多くの人が活動していた場所です。


樟葉中学校遺跡
樟葉中学校遺跡の標識

樟葉丘陵
男山丘陵(古代から多くの人が活動した)

<関連記事>
交野天神社の参道①樟葉宮(枚方市・楠葉丘)
交野天神社の参道②二ノ宮神社(枚方市・船橋本町)
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交野天神社の参道④王仁博士の墓(枚方市・藤阪東町)
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交野天神社の参道⑥杉ヶ本神社(枚方市・片鉾本町)
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交野天神社の参道⑧アテルイとモレの塚(枚方市・牧野阪)
交野天神社の参道⑨久須々美神社(枚方市・牧野本町)
交野天神社の参道⑩三之宮神社(枚方市・穂谷)

交野天神社の参道③片埜神社(枚方市・牧野阪)

交野天神社の参道③(枚方市・牧野阪)に関する記事です。

片埜神社は京阪牧野駅の南東250m
淀川支流の穂谷川の右岸120m
淀川左岸1kmにあります。

片埜神社1
片埜神社の鳥居と南門

片埜神社は河内国・交野郡・鍬靫とされる片野神社に比定される式内小社です。
天覧相撲に勝った恩賞に河内の領地を拝領した野見宿禰が、
須佐之男(スサノウ)を祀って創建しました。

祭神:須佐之男、菅原道真
 

片埜神社2
片埜神社の拝殿

魏志倭人伝によると、日本には弥生時代の末期(西暦250年頃)までは
殉死の風習があったと記されます。

♪女王卑弥呼の死後、直径百歩の墓を造り、男女の奴隷百人以上も殉葬した♪


日本書紀によると垂仁天皇(西暦300年頃)の弟の倭彦命(やまとひこ )が死んだとき、
墓のまわりに仲良かった側近を生き埋めにしたそうです。
殉死者は数日間も死なずに昼夜呻き(うめき)続け、死後は犬や鳥が腐肉を喰らったそうです。


同年に続けて皇后が無くなりましたが、垂仁天皇は野見宿禰(のみすくね)の進言に従って
人・馬などの埴輪を墓に立てて代替とすることを命じ、殉死を禁止しました。


片埜神社3
片埜神社の拝殿内部

後の律令制のもとで、天皇の葬儀を司る土師氏(はじし)は
野見宿禰の子孫で埴輪や土師器(はじき)も造りました。

社家の岡田家ではその「土師家」の鎮守と伝わり、
野見宿禰や菅原道真を祭神としていますが、
「饒速日命」、や「交野忌寸の祖神」などの祭神説もあるそうです。 
穂谷川と同じ天野川 は「饒速日命」の勢力範囲でしたから、
交野物部氏系列の方が納得できます。


片埜神社の本殿
片埜神社の本殿

豊臣秀吉が大阪城築城(1583年)にあたり、
片埜神社(かたの)を鬼門鎮護の社と定め、
石垣にも鬼の顔を刻んで対面させたそうです。

片埜神社の鬼

境内に置かれている鬼面


片埜神社は大阪城の鬼門除けの神社とされたことから、
現在でも厄除の神として信仰されています。

鬼は片埜神社の象徴・守り神とされていて、
絵馬や御朱印には鬼面が描かれており、
節分の豆まきでは「鬼は内」と唱えるそうです。

絵札
鬼面の絵馬

調度撮影した日が11月15日だったので七五三の日です。
それで子供神輿が出ていたのでしょう。

七五三とは、数えで3歳の男子女子・5歳の男子・7歳の女子が、
神社にお参りをし、今後の無事成長を祈る行事です。


何故3歳・5歳・7歳かというと

3歳児は髪を伸ばす髪置(かみおき)の儀、
5歳男児は袴をつける袴着(はかまぎ)の儀、
7歳女児は大人の着物を着る帯解(おびとき)の儀
のなごりとされています。


神輿


境内の
依姫社の祭神は玉依姫命、大国主命、市寸島姫命です。

依姫社1
依姫社

玉依姫は初代天皇である神武天皇の母であり、
山彦の恋人だった豊玉姫の妹です。

依姫社2
依姫社2


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瘡神社(枚方市・牧野本町)に関する記事です。


瘡神社(皮膚病、火災除けの神様)
御祭神:瘡神(くさがみ)、火酢芹命(ほすせりのみこと)


片埜神社の東の近傍に境外社の瘡神社(くさがみしゃ)があります。

瘡(くさ)とは皮膚にできる、おできや発疹のことで
天然痘などの恐ろしい病気を疱瘡(ほうそう)とも呼びました。

瘡神とは瘡を直してくれる神様で、平安時代には活躍されていたようです。

瘡神社1
瘡神社


菅原道真が左遷され大宰府へ向う途中、
道真の馬が病気で倒れ路傍に埋葬されました。


地元の人が馬の墓に沢山の草を供えたことから草神様と呼ばれ、
この草が同音の瘡(くさ)に変わり、瘡神社となったそうです。

瘡神社2
瘡神社の拝殿1


ちょっと拝殿の中を覗いたら、可愛い馬や道真など色々おりました。



瘡神社3
瘡神社の拝殿2


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朝原神社に関する記事です。


片埜神社の境外社の朝原神社の祭神は猿田彦神です。


猿田彦は、二ノ宮神社(枚方)・春日神社(寝屋川)等で紹介しましたが
天孫降臨の際、瓊瓊杵命(ににぎ)を出迎えて先導役を務めたことから
導きの神様、道の神、旅人の神とされてきました。


このことから猿田彦は道祖神・塞の神と同一視されて
日本全国の道祖神で「猿田彦神」が祀られています。


道祖神とは悪霊の侵入を防ぐため村境・峠・辻などにまつられる神で、
旅の安全を守る神でもあります。

二ノ宮神社(枚方)・春日神社(寝屋川)の猿田彦神社も以前は境外社として
路傍に置かれて道祖神の役目を果たしていたそうです。


朝原神社
朝原神社の社殿

朝原神社は片埜神社(かたの)と瘡神社(くさがみ)の間にあります。
瘡神社の場所で馬が倒れた菅原道真を猿田彦が道案内し
片埜神社から蹉跎神社(さだ)へと行ったのでしょう。

ここで倒れた馬の替わりに牛に乗ったのでは・・夢想は続きます。




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交野天神社の参道⑧アテルイとモレの塚(枚方市・牧野阪)

交野天神社の参道⑧アテルイとモレの塚(枚方市・牧野阪)

片埜神社の隣の牧野公園内にアテルイ(阿弖流為)とモレ(母禮)という名の蝦夷の墓があります。

アテルイ2


アテルイ3
アテルイとモレの墓

『伝 阿弖流為  母禮 之塚』


肥沃な蝦夷地日高見国の征服は
古くからの朝廷の悲願でしたが
延暦8年には5万余りの朝廷群が北上川河畔で
アテルイの軍に大敗する有様でした。


しかし802年(延暦21年)4月、
征夷大将軍・坂上田村麻呂が蝦夷の首長アテルイと副将モレに
やっとのことで勝利し、7月に2人を伴い帰京しまた。


その年の秋8月13日、蝦夷の首長
アテルイとモレの2人は、征夷大将軍・坂上田村麻呂らの
助命嘆願もむなしく、「野生獣心反覆無定」として河内国で処刑されました。


両名最期の地と目され、
また首塚の伝えをもつ当地に、この塚を建立しました。
(平成19年3月4日 伝阿弖流為 母禮 之塚建立実行委員会)

アテルイ1
アテルイとモレの塚


この牧野阪の塚が首塚、 
この近くに宅地開発で消失した宇山古墳があり、
それが胴塚と呼ばれており 
アテルイとモレたちのものと伝承されてきました。


調査の結果200年ほどアテルイの時代より古いことが判ってきたそうです。
しかし私にとっては伝承も検証した事実と同じ位大きな意味を持つ歴史です。
このように分かりやすくして伝えてくれて感謝します。



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交野天神社の参道⑨久須々美神社(枚方市・牧野本町)

交野天神社の参道⑨久須々美神社に関する記事です。

久須須美神社は旧:坂村字九頭神
(現:牧野本町1丁目7番地)にあったそうですが
現在は片埜神社に合祀されています。

その神社があったと思われる場所の近隣では
近年になって枚方市が本格的な調査を行った
九頭神(くずがみ)廃寺史跡公園があります。

九頭神廃寺1
九頭神廃寺公園

九頭神廃寺は飛鳥時代に建立された北河内で最古の氏寺です。
築地により整備された区画に寺院跡・道路跡・大型掘立柱建物などが検出されました。

寺院を経営する政所院と仏具を収めた正倉院の間にも築地があり、
両施設を出入りする為の門が設けれていました。


九頭神廃寺政所院
九頭神廃寺遺跡(寺院を経営する政所院跡)


九頭神廃寺2

九頭神廃寺遺跡(仏具を収めた正倉院跡)

国家や寺院などのなどの儀式で幡を立てる宝幢遺構(ほうどう)も発見・復元されています。

宝幢遺構
九頭神廃寺・宝幢遺構

長岡京3
宝幢の使用例(長岡京)

高句麗系の軒丸瓦が出土する場所として、当初より知られていました。

九頭神廃寺出土瓦
九頭神廃寺出土瓦

久須々美神社は九頭神廃寺の氏神として創建されたもので、
九頭神廃寺の南近傍に2つの祠が置いてあり
久須須美神社との関係を連想します。

祭神:久須々美大神(くくすみ)

久須々美神社1
大きい方の祠

久須々美神社2
小さい方の祠

祠自体は古ぼけていて何の説明もありませんが
お供えしてある榊はとても瑞々しく、安堵した次第です。

久須々美神社3
瑞々しい榊

更にその南を隆々と流れる穂谷川は、
治水の先駆者として知られる継体天皇が
暮した越前の九頭竜川へ注いでいるのかも知れません。

穂谷川
穂谷川




交野天神社の参道②二ノ宮神社(枚方市・船橋本町)

交野天神社の参道②二ノ宮神社(枚方市・船橋本町)に関する記事です。

二ノ宮神社は京阪樟葉駅の南1.4km
淀川支流」の船橋川の右岸140m
淀川左岸900mに位置します。

社伝によれば、仁徳天皇(4世紀)の創始で、
用明天皇(585年)、桓武天皇(797年)
から織田信長(1573年)、豊臣秀頼(1584年)にいたるまで
多くの有名人が二ノ宮神社の再建に関っています。


だだ一ノ宮神社(片埜神社)にはとても肩入れした豊臣秀吉だけは
信長の痕跡が残る二ノ宮神社が嫌いなのか、
信長が寄進した広大な社地を没収したとあります。

二宮神社1
二ノ宮神社の鳥居

主祭神は一ノ宮(片埜神社)と同じで須佐之男命(すさのおのみこと)です。


2番手は稲田姫命(くしなだひめ)
 ヤマタノオロチの生贄にされそうになっていたところを、
須佐之男命(すさのお)により助けられ妻となりました。


3番手は大国主命(おおくにぬし)
須佐之男命の試練に絶え出雲を手中に治めましたが、
天照大神に出雲を譲ることになります。



二宮神社2
二ノ宮神社の拝殿

本殿は工事中でしたが、社史によると
「一ノ宮(牧野片埜神社)の建築に次ぎて推賞すべき本群有数のものなり」
とのことです。

本殿の中を少しだけ覗いてみると、可愛い狛犬が神棚を守っています。

二宮神社4
本殿の神棚

裏庭をよく見ると岩座(いわくら)もありましたが、
仁徳天皇の初期の時代のご神体でしょうか?

岩座
岩座


狛犬の足に赤い紐を巻いてました。


狛犬

狛犬

狛犬の足の紐は、足止め祈願して結ばれているそうです。


狛犬の念の入った紐を一本持ち帰りその人の履物に結んでおくと
立ち去った人の足が止まって、再び家に戻って来るそうです。


そういえば狛犬だけは神社が、たとえ火事にあっても
決してその場所を離れることはありませんでした。

ボケ老人の徘徊にもきっと効果があると思いますし、
恋人の気移り防止にも効能があります。

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<関連記事>

二ノ宮神社の境外社①御旅所(枚方市・船橋本町)に関する記事です。

この御旅所は慶長八年(1603)に豊臣秀頼が寄贈したものです。

御旅所

二ノ宮神社の御旅所

もともと御旅所には地蔵堂が付設されていましたが、
明治の神仏分離令で二ノ宮神社手前にある
西方山の浄土寺の門前に移されました。

地蔵菩薩1
西方山・浄土寺前の地蔵堂

地蔵堂の中の地蔵菩薩は生まれてくる子供たちの安泰を加護し
不幸にも早く亡くなった幼子の冥福を祈ります。

地蔵菩薩2
地蔵菩薩


由来
地蔵堂の由来

 
近くの街道には多数の地蔵が置かれていましたが
不幸にも早世した幼な児たちかも知れません。

地蔵菩薩3



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