百済王神社(大阪府・枚方市・中宮)に関する記事です。


百済王神社は京阪枚方市駅の東1.3km
天野川に架かる禁野橋を渡った先にある百済王氏の氏神社です。


天野川流域は弥生時代~古墳時代は饒速日命や
その子孫の肩野物部氏が繁栄した地域です。


しかし飛鳥時代の始めには物部守屋の滅亡とともに肩野物部氏も衰退し、
新たな律令制度に基づいて交野郡として運営されることになりました。

百済寺マップ

百済王神社マイマップ


天野川に架かる禁野橋
天野川と禁野橋


百済王神社・百済寺跡は同一敷地にある施設ですが、
百済寺は現在整備工事を行っている最中で、
完成後の全体イメージ図をお借りしてきました。


百済王神社・百済寺は日本と特別な関係を持ちながら
古代に滅亡した百済の歴史を伝える貴重な史跡です。


史跡百済寺跡完成図文字
史跡百済寺完成イメージ図


百済王神社と百済寺は奈良時代の750年に
百済王氏の子孫の敬福が祖先を祀って創建した氏神・氏寺です。


祭神:百済王


百済王氏は百済最後の王である義慈王の子・善光を始祖とする氏族です。


百済王神社の標識
百済王神社の標識


当社を創建した敬福は百済の第31代国王・義慈王の子・百済王善光の曾孫に当ります。


百済から人質として倭国に献上されていた百済王族・善光は
百済滅亡後(660)、日本に帰化して倭人となり
百済王(くだら・こにしき)と名乗りました。


倭人となった善光は当初難波を拠点とし、
滅亡した百済から沢山の百済人が倭国へ亡命し難波に住みつきました。


善光は天智・天武・持統天皇に仕え、豪族並みの好待遇を受けたとされます。


百済王神社の鳥居
百済王神社の鳥居


善光の子孫は百済王氏として天皇に仕え、
奈良時代には善光の曾孫の敬福が陸奥守を務めました。


東大寺大仏の表面処理用金メッキ素材が不足し、
困惑していた聖武天皇に陸奥産出の黄金900両を献上しました。
聖武天皇は狂喜して敬福を厚遇したとされます。


♪すめろぎの 御世栄えんと 東なる みちのく山に 黄金花咲く♪ 大友家持


百済王神社の拝殿
百済王神社の拝殿


黄金献上で異例の昇進を果たした敬福は河内守となり、
本拠を難波から交野に遷し百済王神社と百済寺を創建しました。


平安時代には、百済系の母(高野新笠)を持つ、桓武天皇と親密になり厚遇されました。
百済王族の娘を桓武天皇・嵯峨天皇らの後宮の宮人とし数多く送りこみ、
天皇と私的なつながりを結んで繁栄しました。


桓武天皇が交野郡へ数多く遊猟へ御幸されたのも、
樟葉に郊祀壇を設けて父・光仁天皇を天神として祀ったのも
交野が百済王族の本貫地である為と考えられています。


百済王神社の本殿
百済王神社の本殿



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