久志玉比古神社の参道⑧天忍穂耳神社(生駒市・上町)に関する記事です。

天忍穂耳神社は近鉄けいはんな線・白庭台駅の南1.7km
富雄川左岸・出垣内バス停に参道があり東300mに位置します。

長弓寺マイマップ

真弓マイマップ

天忍穂耳神社の参道
天忍穂耳神社の参道

天忍穂耳神社への参道途中に『神武天皇聖跡鵄邑顕彰碑』が有ります。

神武軍と長髄彦軍との最終決戦では、
神武の弓先に止まった金色の鵄が放った光で長髄彦軍は目が眩み敗北します。
これが、鵄山、鵄邑(鳥見村・富雄)の起源です。

一説によると、トビ・トべ・トミまたナガは「蛇神」をさす呼称であり、
金色の鵄は本来、長髓彦の部族の象徴神(トーテム)で、
それは「金色の蛇とも金色の鳥」ともされます。

神武天皇聖跡鵄邑顕彰碑
神武天皇聖跡鵄邑顕彰碑

祭神:天忍穂耳命

天忍穂耳命は天照大神の子、饒速日命と瓊瓊杵尊の親です。
天照大御神と高御産巣日神は天忍穂耳命に、葦原中国への天降りを命じます。

その時、天忍穂耳命は、自分の子の瓊瓊杵が天降るべきと答えます。
それで二神は、と瓊瓊杵に葦原の中つ国の統治を委任し、天降りを命じました。

天忍穂耳神社
天忍穂耳神社

天忍穂耳神社の北側は圓證寺で、平安時代初期の創建とさた
大和国の戦国大名・筒井家ゆかりの寺院です。

圓證寺は「元の木阿弥」という言葉の発祥地として知られる寺でもあります。

筒井順慶の父である筒井順昭が、28歳の若さで死去(1550)した時、
跡取りの順慶は僅か2歳でした。

その為に、順昭の死は伏せられ、木阿弥という僧が順昭の影武者になりました。
順慶が成人すると順昭の喪を公表したために、
木阿弥は再びもとの身分に戻ったことから「元の木阿弥」と言われました。

圓證寺山門
圓證寺山門