多神社(奈良県・磯城郡・田原本町)に関する記事です。
多神社は近鉄橿原線笠縫駅の南西1km、
太陽祭祀を行なった太陽の道沿いにあります。
太子道沿いでもあります。
多神社マイマップ(太子道)
太陽の道マイマップ
通称は多神社ですが、正式名は多坐弥志理都比古神社(おお・みしりつ)です。
多は、太安万侶の太とも書き、古代の豪族の多氏の本拠地です。
(祭神)
第一社 神武天皇(神八井耳命の父)
第二社 神八井耳
第三社 神沼河耳(綏靖天皇:神八井耳命の弟)
第四社 玉依姫命(神八井耳命の祖母)
弥志理都比古とは祭神の神八井耳のことです。
多坐弥志理都比古神社の社号標
多神社は、近鉄橿原線の「田原本町」駅から南へ徒歩で30分,
飛鳥川の右岸に鎮座する古社です。
田原本駅から北が鏡作りの氏族、南が日本の農業の開拓者である多氏で、
両氏族に関連する神社が、南北に分かれて幾つも鎮座しています。
多神社前を流れる飛鳥川
多神社は、三輪の檜原神社と同じく、
天照大神を皇居から伊勢に遷座する途中で祭った、笠縫邑の候補地でもあります。
春分・秋分の日には、三輪山から太陽が登り、
二上山に太陽が沈む日祀りの地でもあるそうです。
多神社の鳥居
また多神社は多遺跡と呼ばれる弥生時代の環濠集落跡の中心に鎮座しており、
弥生土器、木器、銅剣などが出土しています。
大和政権が成立する前の弥生時代からここの集落で稲作を行い、
多神社の場所で神に感謝する祀りが行われていたのでしょう。
弥生時代の収穫の感謝祭
多神社の祭神は神武天皇とその妻そして神武夫妻にできた兄弟の四神です。
兄が神八井耳で、弟の神沼河耳(かむ・ぬなかわ)は第3代綏靖天皇です。
神八井耳は弟に天皇の座を譲り、これを助けて天神地祇を司ることになりますが、
そのとき創始したのが、この多神社です。
多神社の拝殿
多氏は名門中の名門として、古事記を編纂した太安万侶を初めとして、
日本の歴史をつくる人を沢山輩出します。
神武天皇夫妻と息子兄弟の四神を祀る多神社の本殿
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多神社の境外社①小杜神社
小杜神社は多神社・多坐弥志理都比古神社の境内摂社です。
祭神:太安万侶
太安万侶(~723)は古事記を編纂した奈良時代の官人で、
日本文化の発展に貢献した多氏の中でも、最も広く知れ渡った人です。
多氏は安万侶の代で姓を多から太に変わったそうです。
小杜神社の社殿1
古事記の編纂に当たっては、
稗田阿礼覚えていた歴史の内容を喋り、
それを太安万侶が聞いて筆記・編集し、
奈良時代が始まったばかりの712年に完成したとのことです。
ちなみに日本書記の完成は720年ですが、
もっとおおくの人と年月が掛かっています。
小杜神社の社殿2
1979年に奈良市内の此瀬町の茶畑から太安万侶の墓が発見されました。
それまでは安万侶の存在を疑問視する人もいたそうですが、
太安万侶の名前が刻まれた墓誌と火葬遺骨が出土し、実在が証明されました。
~太安万侶が存在しないと言うまえに、
誰が古事記を作ったかを言わなければ歴史学の腐敗しかないのですが・・~
2012年には多神社の元に、奈良市のお墓で見つかった「太安万侶のお骨」が
分骨されて帰ってきたそうです。
そこで、小杜神社境内に古事記編纂1300年の記念碑を建て、
故人を偲ぶことにしたそうです。
太安万侶記念碑
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多神社の境外社②屋就神命神社
屋就神命神社(やつぎ)は多神社の南西300mにあり、
飛鳥川をヘだてて鎮座する境外摂社で、
八剣神社と称されるされる式内社です。
飛鳥川の右岸が磯城郡・田原本町、左岸が橿原市・大垣町の為に、
多神社の近くにあるのに、地名が大きく変わっています。
屋就神命神社の社標
屋就神命神社の鳥居
その多神社の主祭神の神八井耳には四皇子がいて、
屋就神命神社は四皇子神を祀る神社の一社と言われています。
四皇子神を祀る神社とは以下の3社が多神社の近くにありました。
・皇子神命神社
・姫皇子命神社
・屋就神命神社
屋就神命神社の社殿
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多神社の境外社③皇子神命神社
皇子神命神社は多神社の南100mにある境外摂社で、
小さな祠しかありませんが、若宮とも称される式内社です。
祭神:皇子神命
皇子神命神社
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多神社の境外社④姫皇子命神社
姫皇子命神社は多神社の境内摂社で東200m
多集落と畑との境界に鎮座します。
祭神:姫皇子命
姫皇子命神社の社殿(東向き)
多神社及び他の摂社はすべて南向きなのに、
姫皇子命神社だけは東向きです。
姫皇子命は、太陽神からのご神託を受ける巫女で、
姫皇子神社は太陽神を祭る聖地だったのでしょう。
崇神天皇の頃に、宮中を出た天照大神が 最初に祀られた笠縫邑を
姫皇子命神社に比定する説もあるそうです。
多神社は近鉄橿原線笠縫駅の南西1km、
太陽祭祀を行なった太陽の道沿いにあります。
太子道沿いでもあります。
多神社マイマップ(太子道)
太陽の道マイマップ
通称は多神社ですが、正式名は多坐弥志理都比古神社(おお・みしりつ)です。
多は、太安万侶の太とも書き、古代の豪族の多氏の本拠地です。
(祭神)
第一社 神武天皇(神八井耳命の父)
第二社 神八井耳
第三社 神沼河耳(綏靖天皇:神八井耳命の弟)
第四社 玉依姫命(神八井耳命の祖母)
弥志理都比古とは祭神の神八井耳のことです。
多坐弥志理都比古神社の社号標
多神社は、近鉄橿原線の「田原本町」駅から南へ徒歩で30分,
飛鳥川の右岸に鎮座する古社です。
田原本駅から北が鏡作りの氏族、南が日本の農業の開拓者である多氏で、
両氏族に関連する神社が、南北に分かれて幾つも鎮座しています。
多神社前を流れる飛鳥川
多神社は、三輪の檜原神社と同じく、
天照大神を皇居から伊勢に遷座する途中で祭った、笠縫邑の候補地でもあります。
春分・秋分の日には、三輪山から太陽が登り、
二上山に太陽が沈む日祀りの地でもあるそうです。
多神社の鳥居
また多神社は多遺跡と呼ばれる弥生時代の環濠集落跡の中心に鎮座しており、
弥生土器、木器、銅剣などが出土しています。
大和政権が成立する前の弥生時代からここの集落で稲作を行い、
多神社の場所で神に感謝する祀りが行われていたのでしょう。
弥生時代の収穫の感謝祭
多神社の祭神は神武天皇とその妻そして神武夫妻にできた兄弟の四神です。
兄が神八井耳で、弟の神沼河耳(かむ・ぬなかわ)は第3代綏靖天皇です。
神八井耳は弟に天皇の座を譲り、これを助けて天神地祇を司ることになりますが、
そのとき創始したのが、この多神社です。
多神社の拝殿
多氏は名門中の名門として、古事記を編纂した太安万侶を初めとして、
日本の歴史をつくる人を沢山輩出します。
神武天皇夫妻と息子兄弟の四神を祀る多神社の本殿
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多神社の境外社①小杜神社
小杜神社は多神社・多坐弥志理都比古神社の境内摂社です。
祭神:太安万侶
太安万侶(~723)は古事記を編纂した奈良時代の官人で、
日本文化の発展に貢献した多氏の中でも、最も広く知れ渡った人です。
多氏は安万侶の代で姓を多から太に変わったそうです。
小杜神社の社殿1
古事記の編纂に当たっては、
稗田阿礼覚えていた歴史の内容を喋り、
それを太安万侶が聞いて筆記・編集し、
奈良時代が始まったばかりの712年に完成したとのことです。
ちなみに日本書記の完成は720年ですが、
もっとおおくの人と年月が掛かっています。
小杜神社の社殿2
1979年に奈良市内の此瀬町の茶畑から太安万侶の墓が発見されました。
それまでは安万侶の存在を疑問視する人もいたそうですが、
太安万侶の名前が刻まれた墓誌と火葬遺骨が出土し、実在が証明されました。
~太安万侶が存在しないと言うまえに、
誰が古事記を作ったかを言わなければ歴史学の腐敗しかないのですが・・~
2012年には多神社の元に、奈良市のお墓で見つかった「太安万侶のお骨」が
分骨されて帰ってきたそうです。
そこで、小杜神社境内に古事記編纂1300年の記念碑を建て、
故人を偲ぶことにしたそうです。
太安万侶記念碑
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多神社の境外社②屋就神命神社
屋就神命神社(やつぎ)は多神社の南西300mにあり、
飛鳥川をヘだてて鎮座する境外摂社で、
八剣神社と称されるされる式内社です。
飛鳥川の右岸が磯城郡・田原本町、左岸が橿原市・大垣町の為に、
多神社の近くにあるのに、地名が大きく変わっています。
屋就神命神社の社標
屋就神命神社の鳥居
その多神社の主祭神の神八井耳には四皇子がいて、
屋就神命神社は四皇子神を祀る神社の一社と言われています。
四皇子神を祀る神社とは以下の3社が多神社の近くにありました。
・皇子神命神社
・姫皇子命神社
・屋就神命神社
屋就神命神社の社殿
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多神社の境外社③皇子神命神社
皇子神命神社は多神社の南100mにある境外摂社で、
小さな祠しかありませんが、若宮とも称される式内社です。
祭神:皇子神命
皇子神命神社
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多神社の境外社④姫皇子命神社
姫皇子命神社は多神社の境内摂社で東200m
多集落と畑との境界に鎮座します。
祭神:姫皇子命
姫皇子命神社の社殿(東向き)
多神社及び他の摂社はすべて南向きなのに、
姫皇子命神社だけは東向きです。
姫皇子命は、太陽神からのご神託を受ける巫女で、
姫皇子神社は太陽神を祭る聖地だったのでしょう。
崇神天皇の頃に、宮中を出た天照大神が 最初に祀られた笠縫邑を
姫皇子命神社に比定する説もあるそうです。
姫皇子命神社の拝殿
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