加守神社(奈良県・葛城市・加守)に関する記事です。
加守神社は近鉄南大阪線の二上山神社口駅の西500M,
二上山登山道の入口に鎮座します。
二上山マイマップ
正式名は葛木倭文坐天羽雷命神社(かつらぎ・しとり・あめは・いかづち)ですが、
一般には加守神社と呼ばれています。
雪の降る中、南池から二上山を間近に望め、
雄岳の頂上も近いことが実感できました。
参道から望む二上山
加守神社は大和国・葛下郡鎮座・月次新嘗とされる
葛木倭文坐天羽雷命神社に比定される式内大社です。
論社は葛城市・寺口の博西神社で、
現在は倭文・掃守・二上神社の三社が祀られています。
中央:倭文神社(天羽雷命)
右殿:掃守神社(天忍人命)
左殿:二上神社(豊布都霊神,大国魂命)
加守神社は近鉄南大阪線の二上山神社口駅の西500M,
二上山登山道の入口に鎮座します。
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正式名は葛木倭文坐天羽雷命神社(かつらぎ・しとり・あめは・いかづち)ですが、
一般には加守神社と呼ばれています。
雪の降る中、南池から二上山を間近に望め、
雄岳の頂上も近いことが実感できました。
参道から望む二上山
加守神社は大和国・葛下郡鎮座・月次新嘗とされる
葛木倭文坐天羽雷命神社に比定される式内大社です。
論社は葛城市・寺口の博西神社で、
現在は倭文・掃守・二上神社の三社が祀られています。
中央:倭文神社(天羽雷命)
右殿:掃守神社(天忍人命)
左殿:二上神社(豊布都霊神,大国魂命)
加守神社の注連縄
倭文(しとり)とは梶の木や麻などで
青・赤などの縞を織り出した古代の布のことです。
青・赤などの縞を織り出した古代の布のことです。
秦氏や漢織・呉織などで今までにでてきた織物技術は
古墳時代に大陸から伝わった絹織物の技術です。
これに対し倭文とは、倭の文様で、大陸から伝わる以前、
弥生時代から日本にあった織物技術のことと思われます。
その倭文を伝えてきた倭文氏が祖人の天羽雷命を祀ったのが
倭文神社で、当社がその本流です。
倭文神社で、当社がその本流です。
天羽雷命は天照大神を天岩戸から誘い出すために、
文布(あや)を織ったとされる機織りの祖神です。
加守の拝殿1
左殿の二上神社は二上山山頂にある葛木二上神社の遥拝所だったとされます。
祭神の豊布都霊神と大国魂命は、二上神社からそれぞれ
石上神宮と大和神社に勧請されたという伝承があります。
石上神宮と大和神社に勧請されたという伝承があります。
加守神社の拝殿2
右殿の掃守神社は産育の神として知られる天忍人命を祀っています。
当社の社家は蟹守氏(かもり)、地名や社名の加守・掃守(かもり)も蟹守に由来します。
天忍人命は神武天皇の父である鵜草葺不合の生誕のときにその胎便を掃除した神です。
後裔の蟹守氏は宮殿の掃除・鋪設に奉仕した掃部になっています
本殿(中央:倭文神社、右殿:掃守神社、左殿:二上神社)
神社の入口には「産婆大西氏の碑」「産婆梅塚氏の碑」があり、
いずれも建立は昭和8年で、産婆さんたちからも信仰されていることが判ります。
産婆の碑
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